PURSUE ULTIMATE FACTS

2017-09-18
自分を休ませる

 仕事を終えて、じっくりと反省する。一日が終わって、その一日を振り返って反省する。すると、自分や他人のアラが目について、ついにはウツになる。自分のだめさにも怒りを感じ、あいつは憎たらしいと思ったりする。たいていは、不快で暗い結果にたどりつく。
 なぜかというと、冷静に反省したりしたからなどでは決してない。単に疲れているからだ。疲れきったときにする反省など、すべてウツへの落とし穴でしかない。疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない。
 活発に活動しているとき、何かに夢中になって打ち込んでいるとき、楽しんでいるとき、反省したり、振り返って考えたりはしない。だから、自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない。


ーー『曙光』

被开发环境的设计实现验证的问题困扰了三天之久


  设计、实现、验证,分别对应,调查、开发、测试。

  (突然明白,日语中的「実装」实际上就是汉语中的「实现」,英语是「implement」。)

  主要原因在于两点:

  * 构建开发环境的经验不足、灵感匮乏

  * 设计、实现、验证的思维的混杂

  新的设计意味着要改变用户的思维惯性。所以,必须用极其鲜明的方式来表现,让用户能够充分注意到。

  新的实现的灵感可能会提示新的设计。

  好的设计,意味着,用户无需理解实现就能够很容易地很深入地理解设计。


2020/7/13 21:30

对于需求和实现的学习往往有三种方式:

  1. 对于需求细节和实现细节的对应关系,有相应的文档。
  2. 有概述的需求和具体的实现,需要自己根据实现中的具体细节去弄清所对应的需求细节。
  3. 有具体的需求和概述的实现,需要自己根据需求中的具体细节去完成所对应的实现细节。
  4. 有概述的需求和概述的实现,需要自己弄清需求细节和完成实现细节。

对于第1种方式,广泛的阅读比深入的阅读更重要。
第1种方式的最主要的效果在于提高交流表达的能力。
第2种方式的最主要的效果在于深入地掌握工具的运用方法。
第3种方式的最主要的效果在于深入地掌握工具的开发方法。
第4种方式是高度探索性的。
从第1种到第4种方式,学习难度越来越大。
所以,高效的学习策略是把学习任务逐级分解为较低一级难度的任务。

以 PayPay 的测试为例,最初还没有明确需求的时候,就开始尝试明确实现。为了解决方便地试验代码和记录结果的需求,从 Java/Spark Notebook 这个关键词出去,找到 Zeppelin。
因为之前有通过第1种方式学习过流处理的文档,所以这次很快就明确了流处理的需求。但是,在还没有明确会话化的需求的时候,就过早地尝试理解 Twitter 流处理的实例,并决定这次使用 Scala 开发。在此实操过程中,陷入各种与最初需求无关的具体问题中。由实时可视化的问题,提出可视化的需求,联想到 Zeppelin。Twitter 流处理的实例只满足了流处理的需求而不满足会话化的需求。以会话化、流处理、Spark 进行谷歌搜索可以得到更好的实例。
第4级向第3级转化的过程中,需求并没有充分的具体化,就过早地向第2级转化。导致任务过于广泛地发散。

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2017-09-14
人間失格


「世界が終わるまでは」、空の空、全ては、空である。

  上傳這篇小説主要是爲了學習日語。


喜乐的心能使脸面有光彩;
由于心里的忧伤、心灵就颓丧。
(箴言 15:13 吕振中)

心喜乐、等于好医药;
心灵颓丧、使骨干枯干。
(箴言 17:22 吕振中)

人的心灵能够支持疾病;
心灵颓丧,谁能担受得了?
(箴言 18:14 吕振中)

  看到廢材的男主,可能會覺得自己還是個不錯的人吧……
  但是,我觉得,我和男主越来越像了。这真是一本虚空的忏悔录啊。



Amazing grace
How sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now I’m found
Was blind, but now I see


T’was grace that taught my heart to fear
And grace my fears relieved
How precious did that grace appear
The hour I first believed


When we’ve been there ten thousand years
Bright shining as the sun
We’ve no less days to sing God’s praise
Than when we first begun


Amazing grace
How sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now I’m found
Was blind, but now I see


ーー Alan Jackson


青年人哪,你在幼年时快乐吧;在青年日子使你的心高兴吧;按你的心所愿行的而行,按你的眼所爱看的而看吧。不过你要知道、为了这一切、上帝总要使你受审判。
你要从心中除掉苦闷;从肉体上除去艰苦的事;因为年幼和青春都是虚空。
(传道书 11:9-10 吕振中)

你聘定了妻,别人必强奸她;你建造房屋,也不得住在里面;你栽种葡萄园,也不能开始享用它的果子。
(申命记 28:30 吕振中)

求主,用你的宝血洗净我、掩面不要看我的罪,恢复我年幼青春时的创造力。


我的罪我让你知道,
我的罪孽我没有掩盖着;
我说:『我要向永恒主承认我的过犯』;
那么你就赦免我罪的孽债。
(细拉)
(诗篇 32:5 吕振中)

唉,我是在罪孽中生的;
在罪恶中我母亲孕怀了我。
(诗篇 51:5 吕振中)

因忠爱与诚信、罪孽就得赦除;
由于敬畏永恒主、人就免受祸患。
(箴言 16:6 吕振中)

你不要说:『为什么先前的日子
比如今这些日子好呢?』
因为你问到这事、并不是出于智慧。
(传道书 7:10 吕振中)



Amazing Grace, how sweet the sound,
That saved a wretch like me…
I once was lost but now am found
Was blind, but now I see.


T’was Grace that taught…
My heart to fear
And Grace, my fears relieved.
How precious did that grace appear…
The hour I first believed.


Through many dangers, toils and snares…
We have already come.
T’was Grace that brought us safe thus far…
And Grace will lead us home.


When we’ve been there ten thousand years
Bright shining as the sun
We’ve no less days to sing God’s praise
Than when we first begun


Than when we first begun


ーー Hayley Westenra



Amazing Grace, how sweet the sound,
That saved a wretch like me…
I once was lost but now am found
Was blind, but now I see.


T’was Grace that taught…
My heart to fear
And Grace, my fears relieved.
How precious did that grace appear…
The hour I first believed.


Through many dangers, toils and snares…
We have already come.
T’was Grace that brought us safe thus far…
And Grace will lead us home.


The Lord has promised good to me…
His word my hope secures.
He will my shield and portion be…
As long as life endures.


Yes, when this flesh and heart shall fail
And mortal life shall cease,
I shall possess within the veil
A life of joy and peace.


When we’ve been there ten thousand years
Bright shining as the sun
We’ve no less days to sing God’s praise
Than when we first begun


人間失格
太宰治


【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「お互いの不信の中で」に傍点]


   はしがき

 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞のはかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
 といい加減なお世辞を言っても、まんざらからお世辞に聞えないくらいの、わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
 とすこぶる不快そうにつぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。
 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜いしわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。
 第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である。高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生である。しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチをのぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。
 もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口もあごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である。漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる。
 所謂いわゆる「死相」というものにだって、もっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間のからだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。
[#改頁]

   第一の手記

 恥の多い生涯を送って来ました。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。
 また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。
 自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団のカヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。
 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。
 自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。
 自分の田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのおぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子の自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんをみながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。
 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。
 つまり自分には、人間の営みというものがいまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。
 自分には、わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。
 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を步きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
 そこで考え出したのは、道化でした。
 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。
 自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。
 その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化の一種でした。
 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系の人間の「真理」とかいうものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。
 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子ししよりもわによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹のあぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。
 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。
 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。
 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を步き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、
「それあ、葉ちゃん、似合わない」
 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって、真夏に毛糸のセエターを着て步くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、ってセエターを着ているように見せかけていたのです。
 自分の父は、東京に用事の多いひとでしたので、上野の桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。
 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。
「葉蔵は?」
 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。
 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがくあじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり、自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分の所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます。
 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、
「やはり、本か。浅草の仲店にお正月の獅子舞いのお獅子、子供がかぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか」
 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。
「本が、いいでしょう」
 長兄は、まじめな顔をして言いました。
「そうか」
 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。
 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子を自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向に迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。
 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分は子供部屋で聞いていました。
「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」
 また一方、自分は、下男や下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュをいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。
 自分は毎月、新刊の少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またそのほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談、講談、落語、江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。
 しかし、嗚呼ああ、学校!
 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態の自分の定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。
 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りのからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末の試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間に漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺こっけいばなしばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこを客車の通路にある痰壺たんつぼにしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を步きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。
 お茶目。
 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。
 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、およ対蹠たいせき的なものでした。その頃、既に自分は、女中や下男から、かなしい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間の特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、おまわりに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。
 必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮しょせん、人間に訴えるのは無駄である、自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。
 なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいつクリスチャンになったんだい、と嘲笑ちょうしょうする人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で[#「お互いの不信の中で」に傍点]、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党の有名人が、この町に演説に来て、自分は下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れいの有名人の演説も何が何やら、わけがわからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々みちみち、下男たちが嘆き合っていたのです。
 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晚まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかいう道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに[#「清く明るく朗らかに」に傍点]生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦みょうていを教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間の生活と対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみをめずにすんだのでしょう。つまり、自分が下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリスト主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから。
 そうして、その、誰にも訴えない、自分の孤独の匂いが、多くの女性に、本能に依ってぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。
 つまり、自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。
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   第二の手記

 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉わかばと共に、青い海を背景にして、その絢爛けんらんたる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面をちりばめて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分は受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学の制帽の徽章きしょうにも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。
 その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰な中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。
 生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたからである、と解説してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉親と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷の劇場であって、しかも六親眷属けんぞく全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者くせものが、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。
 自分の人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動ぜんどうしていましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。
 もはや、自分の正体を完全に隠蔽いんぺいし得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣うわぎを着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。
 その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこうささやきました。
「ワザ。ワザ」
 自分は震撼しんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。
 それからの日々の、自分の不安と恐怖。
 表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息ためいきが出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして步くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晚、四六時中、竹一のそばから離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯にいて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。
 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑びしょうたたえ、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫ねこなで声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。
 その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校を卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋の家賃のようでした。
「耳が痛い」
 竹一は、立ったままでそう言いました。
「雨に濡れたら、痛くなったよ」
 自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。うみが、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。
「これは、いけない。痛いだろう」
 と自分は大袈裟おおげさにおどろいて見せて、
「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」
 と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分のひざを枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、
「お前は、きっと、女にれられるよ」
 と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。
 しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔の予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉が一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱の伽藍がらんが崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱の伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います。
 竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、かすかに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気ふんいきに対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語の若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか、自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。
 自分には、人間の女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受けるむちとちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒ちゆし難い傷でした。
 女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳じゃけんにし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分の場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。
 女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまりお道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。
 自分が中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飛び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、
「御勉強?」
「いいえ」
 と微笑して本を閉じ、
「きょうね、学校でね、コンボウという地理の先生がね」
 とするする口から流れ出るものは、心にも無い滑稽噺でした。
「葉ちゃん、眼鏡をかけてごらん」
 或る晚、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。
「なぜ?」
「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい」
 いつでも、こんな乱暴な命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。
「そっくり。ロイドに、そっくり」
 当時、ハロルド.ロイドとかいう外国の映画の喜劇役者が、日本で人気がありました。
 自分は立って片手を挙げ、
「諸君」
 と言い、
「このたび、日本のファンの皆様がたに、……」
 と一場の挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それから、ロイドの映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。
 また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、
「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」
 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激な言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、
「何か面白い本が無い? 貸してよ」
 と言いました。
 自分は漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。
「ごちそうさま」
 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓みみずの思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から、自分の経験に依って知っていました。
 また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、自分がれいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女だから、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。
 しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決して無かったのでした。つまり、自分は、日本の東北のハロルド.ロイドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。
 竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。
「お化けの絵だよ」
 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。
 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例の自画像に過ぎないのを知っていました。自分たちの少年の頃には、日本ではフランスの所謂印象派の画が大流行していて、洋画鑑賞の第一步を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルナアルなどというひとの絵は、田舎の中学生でも、たいていその写真版を見て知っていたのでした。自分なども、ゴッホの原色版をかなりたくさん見て、タッチの面白さ、色彩の鮮やかさに興趣を覚えてはいたのですが、しかし、お化けの絵、だとは、いちども考えた事が無かったのでした。
「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けかしら」
 自分は本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤銅のような肌の、れいの裸婦の像を竹一に見せました。
「すげえなあ」
 竹一は眼を丸くして感嘆しました。
「地獄の馬みたい」
「やっぱり、お化けかね」
「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」
 あまりに人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪ようかいを確実にこの眼で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえ易い人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物にいためつけられ、おびやかされた揚句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲間がいる、と自分は、涙が出たほどに興奮し、
「僕も画くよ。お化けの絵を画くよ。地獄の馬を、画くよ」
 と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。
 自分は、小学校の頃から、絵はかくのも、見るのも好きでした。けれども、自分のかいた絵は、自分の綴り方ほどには、周囲の評判が、よくありませんでした。自分は、どだい人間の言葉を一向に信用していませんでしたので、綴り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みたいなもので、小学校、中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ましたが、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは別ですけれども)その対象の表現に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っていました。学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそだし、自分は、全く出鱈目にさまざまの表現法を自分で工夫して試みなければならないのでした。中学校へはいって、自分は油絵の道具も一そろい持っていましたが、しかし、そのタッチの手本を、印象派の画風に求めても、自分の画いたものは、まるで千代紙細工のようにのっぺりして、ものになりそうもありませんでした。けれども自分は、竹一の言葉に依って、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でも無いものを、主観に依って美しく創造し、或いは醜いものに嘔吐おうとをもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像の制作に取りかかってみました。
 自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。
 また、学校の図画の時間にも、自分はあの「お化け式手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸なタッチで画いていました。
 自分は竹一にだけは、前から自分の傷み易い神経を平気で見せていましたし、こんどの自画像も安心して竹一に見せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの、
「お前は、偉い絵画きになる」
 という予言を得たのでした。
 惚れられるという予言と、偉い絵画きになるという予言と、この二つの予言を馬鹿の竹一に依って額に刻印せられて、やがて、自分は東京へ出て来ました。
 自分は、美術学校にはいりたかったのですが、父は、前から自分を高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて見よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減あきていましたし、五年に進級せず、四年修了のままで、東京の高等学校に受験して合格し、すぐに寮生活にはいりましたが、その不潔と粗暴に辟易へきえきして、道化どころではなく、医師に肺浸潤の診断書を書いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の誇りだとかいう言葉は、聞いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール.スピリットとかいうものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧かんぺきに近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。
 父は議会の無い時は、月に一週間か二週間しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の時は、かなり広いその家に、別荘番の老夫婦と自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて東京見物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宮も、楠正成くすのきまさしげの銅像も、泉岳寺の四十七士の墓も見ずに終りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三時間も四時間も、デッサンの練習をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授業に出ても、自分はまるで聴講生みたいな特別の位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛校心というものが理解できずに終りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。
 自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と煙草と淫売婦いんばいふと質屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。
 その画学生は、堀木正雄といって、東京の下町に生れ、自分より六つ年長者で、私立の美術学校を卒業して、家にアトリエが無いので、この画塾に通い、洋画の勉強をつづけているのだそうです。
「五円、貸してくれないか」
 お互いただ顔を見知っているだけで、それまで一言も話合った事が無かったのです。自分は、へどもどして五円差し出しました。
「よし、飲もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」
 自分は拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱ほうらい町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。
「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯! キヌさん、こいつは美男子だろう? 惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」
 堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広せびろを着て、ネクタイの好みも地味で、そうして頭髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。
 自分は馴れぬ場所でもあり、ただもうおそろしく、腕を組んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯飲んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。
「僕は、美術学校にはいろうと思っていたんですけど、……」
「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教師は、自然の中にあり! 自然に対するパアトス!」
 しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。馬鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、遊ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり、自分はその時、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を見たのでした。それは、自分と形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところでした。
 ただ遊ぶだけだ、遊びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑けいべつし、時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら、彼と連れ立って步いているうちに、結局、自分は、この男にさえ打ち破られました。
 しかし、はじめは、この男を好人物、まれに見る好人物とばかり思い込み、さすが人間恐怖の自分も全く油断をして、東京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の絨緞じゅうたんが敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく、殊にも勘定を払う時、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は買い物をしてお金を手渡す時には、吝嗇りんしょくゆえでなく、あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お釣を受け取るのを忘れるばかりでなく、買った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京のまちを步けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。
 それが、堀木に財布を渡して一緒に步くと、堀木は大いに値切って、しかも遊び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発揮し、また、高い円タクは敬遠して、電車、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短時間で目的地へ着くという手腕をも示し、淫売婦のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝風呂へはいり、湯豆腐で軽くお酒を飲むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋養に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはないと保証し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。
 さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱パトスの噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手の立場を無視する事かも知れませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で步いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危懼きくが、全く無いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその場にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途せんどと必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の馬鹿が、意識せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ聞き流し、時折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。
 酒、煙草、淫売婦、それは皆、人間恐怖を、たとい一時でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。
 自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
 しかし、自分は、人間への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休養を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同類」の淫売婦たちと遊んでいるうちに、いつのまにやら無意識の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い設けなかった所謂「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鮮明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然がくぜんとして、そうして、いやな気が致しました。はたから見て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売婦に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売婦に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女達者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売婦に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥ひわいで不名誉な雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休養などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。
 堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将軍のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の時刻には、用も無さそうなのに、ご自分の家の門を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも買いつけの煙草屋の娘から手渡された煙草の箱の中に、……また、歌舞伎を見に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市電で自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の親戚の娘から、思いつめたような手紙が来て、……また、誰かわからぬ娘が、自分の留守中にお手製らしい人形を、……自分が極度に消極的なので、いずれも、それっきりの話で、ただ断片、それ以上の進展は一つもありませんでしたが、何か女に夢を見させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加減な冗談でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似たにがさを感ずると共に、淫売婦と遊ぶ事にも、にわかに興が覚めました。
 堀木は、また、その見栄坊みえぼうのモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分を共産主義の読書会とかいう(R.Sとかいっていたか、記憶がはっきり致しません)そんな、秘密の研究会に連れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主義の秘密会合も、れいの「東京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分は所謂「同志」に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、そうして上座のひどい醜い顔の青年から、マルクス経済学の講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR.S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論の研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れいの自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。
 好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って結ばれた親愛感では無かったのです。
 非合法。自分には、それが幽かに楽しかったのです。むしろ、居心地がよかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえっておそろしく、(それには、底知れず強いものが予感せられます)そのからくりが不可解で、とてもその窓の無い、底冷えのする部屋には坐っておられず、外は非合法の海であっても、それに飛び込んで泳いで、やがて死に到るほうが、自分には、いっそ気楽のようでした。
 日蔭者ひかげもの、という言葉があります。人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日蔭者[#「生れた時からの日蔭者」に傍点]のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そうして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。
 また、犯人意識、という言葉もあります。自分は、この人間の世の中に於いて、一生その意識に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠そうこうの妻の如き好伴侶はんりょで、そいつと二人きりでびしく遊びたわむれているというのも、自分の生きている姿勢の一つだったかも知れないし、また、俗に、すねに傷持つ身、という言葉もあるようですが、その傷は、自分の赤ん坊の時から、自然に片方の脛にあらわれて、長ずるに及んで治癒するどころか、いよいよ深くなるばかりで、骨にまで達し、夜々の痛苦は千変万化の地獄とは言いながら、しかし、(これは、たいへん奇妙な言い方ですけど)その傷は、次第に自分の血肉よりも[#「血肉よりも」に傍点]親しくなり、その傷の痛みは、すなわち傷の生きている感情、または愛情のささやきのようにさえ思われる、そんな男にとって、れいの地下運動のグルウプの雰囲気が、へんに安心で、居心地がよく、つまり、その運動の本来の目的よりも、その運動の肌が、自分に合った感じなのでした。堀木の場合は、ただもう阿呆のひやかしで、いちど自分を紹介しにその会合へ行ったきりで、マルキシストは、生産面の研究と同時に、消費面の視察も必要だなどと下手な洒落しゃれを言って、その会合には寄りつかず、とかく自分を、その消費面の視察のほうにばかり誘いたがるのでした。思えば、当時は、さまざまの型のマルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄のモダニティから、それを自称する者もあり、また自分のように、ただ非合法の匂いが気にいって、そこに坐り込んでいる者もあり、もしもこれらの実体が、マルキシズムの真の信奉者に見破られたら、堀木も自分も、烈火の如く怒られ、卑劣なる裏切者として、たちどころに追い払われた事でしょう。しかし、自分も、また、堀木でさえも、なかなか除名の処分に遭わず、殊にも自分は、その非合法の世界に於いては、合法の紳士たちの世界に於けるよりも、かえってのびのびと、所謂「健康」に振舞う事が出来ましたので、見込みのある「同志」として、噴き出したくなるほど過度に秘密めかした、さまざまの用事をたのまれるほどになったのです。また、事実、自分は、そんな用事をいちども断ったことは無く、平気でなんでも引受け、へんにぎくしゃくして、犬(同志は、ポリスをそう呼んでいました)にあやしまれ不審訊問じんもんなどを受けてしくじるような事も無かったし、笑いながら、また、ひとを笑わせながら、そのあぶない(その運動の連中は、一大事の如く緊張し、探偵小説の下手な真似みたいな事までして、極度の警戒を用い、そうして自分にたのむ仕事は、まことに、あっけにとられるくらい、つまらないものでしたが、それでも、彼等は、その用事を、さかんに、あぶながって力んでいるのでした)と、彼等の称する仕事を、とにかく正確にやってのけていました。自分のその当時の気持としては、党員になって捕えられ、たとい終身、刑務所で暮すようになったとしても、平気だったのです。世の中の人間の「実生活」というものを恐怖しながら、毎夜の不眠の地獄でうめいているよりは、いっそ牢屋ろうやのほうが、楽かも知れないとさえ考えていました。
 父は、桜木町の別荘では、来客やら外出やら、同じ家にいても、三日も四日も自分と顔を合せる事が無いほどでしたが、しかし、どうにも、父がけむったく、おそろしく、この家を出て、どこか下宿でも、と考えながらもそれを言い出せずにいた矢先に、父がその家を売払うつもりらしいという事を別荘番の老爺ろうやから聞きました。
 父の議員の任期もそろそろ満期に近づき、いろいろ理由のあった事に違いありませんが、もうこれきり選挙に出る意志も無い様子で、それに、故郷に一棟、隠居所など建てたりして、東京に未練も無いらしく、たかが、高等学校の一生徒に過ぎない自分のために、邸宅と召使いを提供して置くのも、むだな事だとでも考えたのか、(父の心もまた、世間の人たちの気持ちと同様に、自分にはよくわかりません)とにかく、その家は、間も無く人手にわたり、自分は、本郷森川町の仙遊館という古い下宿の、薄暗い部屋に引越して、そうして、たちまち金に困りました。
 それまで、父から月々、きまった額の小遣いを手渡され、それはもう、二、三日で無くなっても、しかし、煙草も、酒も、チイズも、くだものも、いつでも家にあったし、本や文房具やその他、服装に関するものなど一切、いつでも、近所の店から所謂「ツケ」で求められたし、堀木におそばか天丼などをごちそうしても、父のひいきの町内の店だったら、自分は黙ってその店を出てもかまわなかったのでした。
 それが急に、下宿のひとり住いになり、何もかも、月々の定額の送金で間に合わせなければならなくなって、自分は、まごつきました。送金は、やはり、二、三日で消えてしまい、自分は慄然りつぜんとし、心細さのために狂うようになり、父、兄、姉などへ交互にお金を頼む電報と、イサイフミの手紙(その手紙に於いて訴えている事情は、ことごとく、お道化の虚構でした。人にものを頼むのに、まず、その人を笑わせるのが上策と考えていたのです)を連発する一方、また、堀木に教えられ、せっせと質屋がよいをはじめ、それでも、いつもお金に不自由をしていました。
 所詮、自分には、何の縁故も無い下宿に、ひとりで「生活」して行く能力が無かったのです。自分は、下宿のその部屋に、ひとりでじっとしているのが、おそろしく、いまにも誰かに襲われ、一撃せられるような気がして来て、街に飛び出しては、れいの運動の手伝いをしたり、或いは堀木と一緒に安い酒を飲み廻ったりして、ほとんど学業も、また画の勉強も放棄し、高等学校へ入学して、二年目の十一月、自分より年上の有夫の婦人と情死事件などを起し、自分の身の上は、一変しました。
 学校は欠席するし、学科の勉強も、すこしもしなかったのに、それでも、妙に試験の答案に要領のいいところがあるようで、どうやらそれまでは、故郷の肉親をあざむき通して来たのですが、しかし、もうそろそろ、出席日数の不足など、学校のほうから内密に故郷の父へ報告が行っているらしく、父の代理として長兄が、いかめしい文章の長い手紙を、自分に寄こすようになっていたのでした。けれども、それよりも、自分の直接の苦痛は、金の無い事と、それから、れいの運動の用事が、とても遊び半分の気持では出来ないくらい、はげしく、いそがしくなって来た事でした。中央地区と言ったか、何地区と言ったか、とにかく本郷、小石川、下谷、神田、あの辺の学校全部の、マルクス学生の行動隊々長というものに、自分はなっていたのでした。武装蜂起ほうき、と聞き、小さいナイフを買い(いま思えば、それは鉛筆をけずるにも足りない、きゃしゃなナイフでした)それを、レンコオトのポケットにいれ、あちこち飛び廻って、所謂いわゆる聯絡れんらく」をつけるのでした。お酒を飲んで、ぐっすり眠りたい、しかし、お金がありません。しかも、P(党の事を、そういう隠語で呼んでいたと記憶していますが、或いは、違っているかも知れません)のほうからは、次々と息をつくひまも無いくらい、用事の依頼がまいります。自分の病弱のからだでは、とても勤まりそうも無くなりました。もともと、非合法の興味だけから、そのグルウプの手伝いをしていたのですし、こんなに、それこそ冗談から駒が出たように、いやにいそがしくなって来ると、自分は、ひそかにPのひとたちに、それはおかどちがいでしょう、あなたたちの直系のものたちにやらせたらどうですか、というようないまいましい感を抱くのを禁ずる事が出来ず、逃げました。逃げて、さすがに、いい気持はせず、死ぬ事にしました。
 その頃、自分に特別の好意を寄せている女が、三人いました。ひとりは、自分の下宿している仙遊館の娘でした。この娘は、自分がれいの運動の手伝いでへとへとになって帰り、ごはんも食べずに寝てしまってから、必ず用箋ようせんと万年筆を持って自分の部屋にやって来て、
「ごめんなさい。下では、妹や弟がうるさくて、ゆっくり手紙も書けないのです」
 と言って、何やら自分の机に向って一時間以上も書いているのです。
 自分もまた、知らん振りをして寝ておればいいのに、いかにもその娘が何か自分に言ってもらいたげの様子なので、れいの受け身の奉仕の精神を発揮して、実に一言も口をききたくない気持なのだけれども、くたくたに疲れ切っているからだに、ウムと気合いをかけて腹這はらばいになり、煙草を吸い、
「女から来たラヴ.レターで、風呂をわかしてはいった男があるそうですよ」
「あら、いやだ。あなたでしょう?」
「ミルクをわかして飲んだ事はあるんです」
「光栄だわ、飲んでよ」
 早くこのひと、帰らねえかなあ、手紙だなんて、見えすいているのに。へへののもへじでも書いているのに違いないんです。
「見せてよ」
 と死んでも見たくない思いでそう言えば、あら、いやよ、あら、いやよ、と言って、そのうれしがる事、ひどくみっともなく、興が覚めるばかりなのです。そこで自分は、用事でも言いつけてやれ、と思うんです。
「すまないけどね、電車通りの薬屋に行って、カルモチンを買って来てくれない? あんまり疲れすぎて、顔がほてって、かえって眠れないんだ。すまないね。お金は、……」
「いいわよ、お金なんか」
 よろこんで立ちます。用を言いつけるというのは、決して女をしょげさせる事ではなく、かえって女は、男に用事をたのまれると喜ぶものだという事も、自分はちゃんと知っているのでした。
 もうひとりは、女子高等師範の文科生の所謂「同志」でした。このひととは、れいの運動の用事で、いやでも毎日、顔を合せなければならなかったのです。打ち合せがすんでからも、その女は、いつまでも自分について步いて、そうして、やたらに自分に、ものを買ってくれるのでした。
「私を本当の姉だと思っていてくれていいわ」
 そのキザに身震いしながら、自分は、
「そのつもりでいるんです」
 と、うれえを含んだ微笑の表情を作って答えます。とにかく、怒らせては、こわい、何とかして、ごまかさなければならぬ、という思い一つのために、自分はいよいよその醜い、いやな女に奉仕をして、そうして、ものを買ってもらっては、(その買い物は、実に趣味の悪い品ばかりで、自分はたいてい、すぐにそれを、焼きとり屋の親爺おやじなどにやってしまいました)うれしそうな顔をして、冗談を言っては笑わせ、或る夏の夜、どうしても離れないので、街の暗いところで、そのひとに帰ってもらいたいばかりに、キスをしてやりましたら、あさましく狂乱の如く興奮し、自動車を呼んで、そのひとたちの運動のために秘密に借りてあるらしいビルの事務所みたいな狭い洋室に連れて行き、朝まで大騒ぎという事になり、とんでもない姉だ、と自分はひそかに苦笑しました。
 下宿屋の娘と言い、またこの「同志」と言い、どうしたって毎日、顔を合せなければならぬ具合になっていますので、これまでの、さまざまの女のひとのように、うまく避けられず、つい、ずるずるに、れいの不安の心から、この二人のご機嫌をただ懸命に取り結び、もはや自分は、金縛り同様の形になっていました。
 同じ頃また自分は、銀座の或る大カフエの女給から、思いがけぬ恩を受け、たったいちど逢っただけなのに、それでも、その恩にこだわり、やはり身動き出来ないほどの、心配やら、そらおそろしさを感じていたのでした。その頃になると、自分も、敢えて堀木の案内に頼らずとも、ひとりで電車にも乗れるし、また、歌舞伎座にも行けるし、または、かすりの着物を着て、カフエにだってはいれるくらいの、多少の図々しさを装えるようになっていたのです。心では、相変らず、人間の自信と暴力とを怪しみ、恐れ、悩みながら、うわべだけは、少しずつ、他人と真顔の挨拶、いや、ちがう、自分はやはり敗北のお道化の苦しい笑いを伴わずには、挨拶できないたちなのですが、とにかく、無我夢中のへどもどの挨拶でも、どうやら出来るくらいの「伎倆ぎりょう」を、れいの運動で走り廻ったおかげ? または、女の? または、酒? けれども、おもに金銭の不自由のおかげで修得しかけていたのです。どこにいても、おそろしく、かえって大カフエでたくさんの酔客または女給、ボーイたちにもまれ、まぎれ込む事が出来たら、自分のこの絶えず追われているような心も落ちつくのではなかろうか、と十円持って、銀座のその大カフエに、ひとりではいって、笑いながら相手の女給に、
「十円しか無いんだからね、そのつもりで」
 と言いました。
「心配要りません」
 どこかに関西のなまりがありました。そうして、その一言が、奇妙に自分の、震えおののいている心をしずめてくれました。いいえ、お金の心配が要らなくなったからではありません、そのひとの傍にいる事に心配が要らないような気がしたのです。
 自分は、お酒を飲みました。そのひとに安心しているので、かえってお道化など演じる気持も起らず、自分の地金じがねの無口で陰惨なところを隠さず見せて、黙ってお酒を飲みました。
「こんなの、おすきか?」
 女は、さまざまの料理を自分の前に並べました。自分は首を振りました。
「お酒だけか? うちも飲もう」
 秋の、寒い夜でした。自分は、ツネ子(といったと覚えていますが、記憶が薄れ、たしかではありません。情死の相手の名前をさえ忘れているような自分なのです)に言いつけられたとおりに、銀座裏の、或る屋台のおすしやで、少しもおいしくない鮨を食べながら、(そのひとの名前は忘れても、その時の鮨のまずさだけは、どうした事か、はっきり記憶に残っています。そうして、青大将の顔に似た顔つきの、丸坊主のおやじが、首を振り振り、いかにも上手みたいにごまかしながら鮨を握っている様も、眼前に見るように鮮明に思い出され、後年、電車などで、はて見た顔だ、といろいろ考え、なんだ、あの時の鮨やの親爺に似ているんだ、と気が附き苦笑した事も再三あったほどでした。あのひとの名前も、また、顔かたちさえ記憶から遠ざかっている現在なお、あの鮨やの親爺の顔だけは絵にかけるほど正確に覚えているとは、よっぽどあの時の鮨がまずく、自分に寒さと苦痛を与えたものと思われます。もともと、自分は、うまい鮨を食わせる店というところに、ひとに連れられて行って食っても、うまいと思った事は、いちどもありませんでした。大き過ぎるのです。親指くらいの大きさにキチッと握れないものかしら、といつも考えていました)そのひとを、待っていました。
 本所の大工さんの二階を、そのひとが借りていました。自分は、その二階で、日頃の自分の陰鬱な心を少しもかくさず、ひどい歯痛に襲われてでもいるように、片手で頬をおさえながら、お茶を飲みました。そうして、自分のそんな姿態が、かえって、そのひとには、気にいったようでした。そのひとも、身のまわりに冷たい木枯しが吹いて、落葉だけが舞い狂い、完全に孤立している感じの女でした。
 一緒にやすみながらそのひとは、自分より二つ年上であること、故郷は広島、あたしには主人があるのよ、広島で床屋さんをしていたの、昨年の春、一緒に東京へ家出して逃げて来たのだけれども、主人は、東京で、まともな仕事をせずそのうちに詐欺罪に問われ、刑務所にいるのよ、あたしは毎日、何やらかやら差し入れしに、刑務所へかよっていたのだけれども、あすから、やめます、などと物語るのでしたが、自分は、どういうものか、女の身の上ばなしというものには、少しも興味を持てないたちで、それは女の語り方の下手なせいか、つまり、話の重点の置き方を間違っているせいなのか、とにかく、自分には、つねに、馬耳東風なのでありました。
 侘びしい。
 自分には、女の千万言の身の上噺よりも、その一言のつぶやきのほうに、共感をそそられるに違いないと期待していても、この世の中の女から、ついにいちども自分は、その言葉を聞いた事がないのを、奇怪とも不思議とも感じております。けれども、そのひとは、言葉で「侘びしい」とは言いませんでしたが、無言のひどい侘びしさを、からだの外郭に、一寸くらいの幅の気流みたいに持っていて、そのひとに寄り添うと、こちらのからだもその気流に包まれ、自分の持っている多少トゲトゲした陰鬱の気流と程よく溶け合い、「水底の岩に落ち附く枯葉」のように、わが身は、恐怖からも不安からも、離れる事が出来るのでした。
 あの白痴の淫売婦たちのふところの中で、安心してぐっすり眠る思いとは、また、全く異って、(だいいち、あのプロステチュウトたちは、陽気でした)その詐欺罪の犯人の妻と過した一夜は、自分にとって、幸福な(こんな大それた言葉を、なんの躊躇ちゅうちょも無く、肯定して使用する事は、自分のこの全手記に於いて、再び無いつもりです)解放せられた夜でした。
 しかし、ただ一夜でした。朝、眼が覚めて、はね起き、自分はもとの軽薄な、装えるお道化者になっていました。弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです。傷つけられないうちに、早く、このまま、わかれたいとあせり、れいのお道化の煙幕を張りめぐらすのでした。
「金の切れめが縁の切れめ、ってのはね、あれはね、解釈が逆なんだ。金が無くなると女にふられるって意味、じゃあ無いんだ。男に金が無くなると、男は、ただおのずから意気銷沈しょうちんして、ダメになり、笑う声にも力が無く、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれになり、男のほうから女を振る、半狂乱になって振って振って振り抜くという意味なんだね、金沢大辞林という本に依ればね、可哀そうに。僕にも、その気持わかるがね」
 たしか、そんなふうの馬鹿げた事を言って、ツネ子を噴き出させたような記憶があります。長居は無用、おそれありと、顔も洗わずに素早く引上げたのですが、その時の自分の、「金の切れめが縁の切れめ」という出鱈目でたらめの放言が、のちに到って、意外のひっかかりを生じたのです。
 それから、ひとつき、自分は、その夜の恩人とは逢いませんでした。別れて、日が経つにつれて、よろこびは薄れ、かりそめの恩を受けた事がかえってそらおそろしく、自分勝手にひどい束縛を感じて来て、あのカフエのお勘定を、あの時、全部ツネ子の負担にさせてしまったという俗事さえ、次第に気になりはじめて、ツネ子もやはり、下宿の娘や、あの女子高等師範と同じく、自分を脅迫するだけの女のように思われ、遠く離れていながらも、絶えずツネ子におびえていて、その上に自分は、一緒に休んだ事のある女に、また逢うと、その時にいきなり何か烈火の如く怒られそうな気がしてたまらず、逢うのにすこぶるおっくうがる性質でしたので、いよいよ、銀座は敬遠の形でしたが、しかし、そのおっくうがるという性質は、決して自分の狡猾こうかつさではなく、女性というものは、休んでからの事と、朝、起きてからの事との間に、一つの、ちりほどの、つながりをも持たせず、完全の忘却の如く、見事に二つの世界を切断させて生きているという不思議な現象を、まだよく呑みこんでいなかったからなのでした。
 十一月の末、自分は、堀木と神田の屋台で安酒を飲み、この悪友は、その屋台を出てからも、さらにどこかで飲もうと主張し、もう自分たちにはお金が無いのに、それでも、飲もう、飲もうよ、とねばるのです。その時、自分は、酔って大胆になっているからでもありましたが、
「よし、そんなら、夢の国に連れて行く。おどろくな、酒池肉林という、……」
「カフエか?」
「そう」
「行こう!」
 というような事になって二人、市電に乗り、堀木は、はしゃいで、
「おれは、今夜は、女に飢え渇いているんだ。女給にキスしてもいいか」
 自分は、堀木がそんな酔態を演じる事を、あまり好んでいないのでした。堀木も、それを知っているので、自分にそんな念を押すのでした。
「いいか。キスするぜ。おれの傍に坐った女給に、きっとキスして見せる。いいか」
「かまわんだろう」
「ありがたい! おれは女に飢え渇いているんだ」
 銀座四丁目で降りて、その所謂酒池肉林の大カフエに、ツネ子をたのみの綱としてほとんど無一文ではいり、あいているボックスに堀木と向い合って腰をおろしたとたんに、ツネ子ともう一人の女給が走り寄って来て、そのもう一人の女給が自分の傍に、そうしてツネ子は、堀木の傍に、ドサンと腰かけたので、自分は、ハッとしました。ツネ子は、いまにキスされる。
 惜しいという気持ではありませんでした。自分には、もともと所有慾というものは薄く、また、たまに幽かに惜しむ気持はあっても、その所有権を敢然と主張し、人と争うほどの気力が無いのでした。のちに、自分は、自分の内縁の妻が犯されるのを、黙って見ていた事さえあったほどなのです。
 自分は、人間のいざこざに出来るだけ触りたくないのでした。その渦に巻き込まれるのが、おそろしいのでした。ツネ子と自分とは、一夜だけの間柄です。ツネ子は、自分のものではありません。惜しい、など思い上った慾は、自分に持てる筈はありません。けれども、自分は、ハッとしました。
 自分の眼の前で、堀木の猛烈なキスを受ける、そのツネ子の身の上を、ふびんに思ったからでした。堀木によごされたツネ子は、自分とわかれなければならなくなるだろう、しかも自分にも、ツネ子を引き留める程のポジティヴな熱は無い、ああ、もう、これでおしまいなのだ、とツネ子の不幸に一瞬ハッとしたものの、すぐに自分は水のように素直にあきらめ、堀木とツネ子の顔を見較べ、にやにやと笑いました。
 しかし、事態は、実に思いがけなく、もっと悪く展開せられました。
「やめた!」
 と堀木は、口をゆがめて言い、
「さすがのおれも、こんな貧乏くさい女には、……」
 閉口し切ったように、腕組みしてツネ子をじろじろ眺め、苦笑するのでした。
「お酒を。お金は無い」
 自分は、小声でツネ子に言いました。それこそ、浴びるほど飲んでみたい気持でした。所謂俗物の眼から見ると、ツネ子は酔漢のキスにも価いしない、ただ、みすぼらしい、貧乏くさい女だったのでした。案外とも、意外とも、自分には霹靂へきれきに撃ちくだかれた思いでした。自分は、これまで例の無かったほど、いくらでも、いくらでも、お酒を飲み、ぐらぐら酔って、ツネ子と顔を見合せ、かなしく微笑ほほえみ合い、いかにもそう言われてみると、こいつはへんに疲れて貧乏くさいだけの女だな、と思うと同時に、金の無い者どうしの親和(貧富の不和は、陳腐のようでも、やはりドラマの永遠のテーマの一つだと自分は今では思っていますが)そいつが、その親和感が、胸に込み上げて来て、ツネ子がいとしく、生れてこの時はじめて、われから積極的に、微弱ながら恋の心の動くのを自覚しました。吐きました。前後不覚になりました。お酒を飲んで、こんなに我を失うほど酔ったのも、その時がはじめてでした。
 眼が覚めたら、枕もとにツネ子が坐っていました。本所の大工さんの二階の部屋に寝ていたのでした。
「金の切れめが縁の切れめ、なんておっしゃって、冗談かと思うていたら、本気か。来てくれないのだもの。ややこしい切れめやな。うちが、かせいであげても、だめか」
「だめ」
 それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から「死」という言葉がはじめて出て、女も人間としての営みに疲れ切っていたようでしたし、また、自分も、世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの運動、女、学業、考えると、とてもこの上こらえて生きて行けそうもなく、そのひとの提案に気軽に同意しました。
 けれども、その時にはまだ、実感としての「死のう」という覚悟は、出来ていなかったのです。どこかに「遊び」がひそんでいました。
 その日の午前、二人は浅草の六区をさまよっていました。喫茶店にはいり、牛乳を飲みました。
「あなた、払うて置いて」
 自分は立って、たもとからがま口を出し、ひらくと、銅銭が三枚、羞恥しゅうちよりも凄惨せいさんの思いに襲われ、たちまち脳裡のうりに浮ぶものは、仙遊館の自分の部屋、制服と蒲団だけが残されてあるきりで、あとはもう、質草になりそうなものの一つも無い荒涼たる部屋、他には自分のいま着て步いている絣の着物と、マント、これが自分の現実なのだ、生きて行けない、とはっきり思い知りました。
 自分がまごついているので、女も立って、自分のがま口をのぞいて、
「あら、たったそれだけ?」
 無心の声でしたが、これがまた、じんと骨身にこたえるほどに痛かったのです。はじめて自分が、恋したひとの声だけに、痛かったのです。それだけも、これだけもない、銅銭三枚は、どだいお金でありません。それは、自分がいまだかつて味わった事の無い奇妙な屈辱でした。とても生きておられない屈辱でした。所詮しょせんその頃の自分は、まだお金持ちの坊ちゃんという種属から脱し切っていなかったのでしょう。その時、自分は、みずからすすんでも死のうと、実感として[#「実感として」に傍点]決意したのです。
 その夜、自分たちは、鎌倉の海に飛び込みました。女は、この帯はお店のお友達から借りている帯やから、と言って、帯をほどき、畳んで岩の上に置き、自分もマントを脱ぎ、同じ所に置いて、一緒に入水じゅすいしました。
 女のひとは、死にました。そうして、自分だけ助かりました。
 自分が高等学校の生徒ではあり、また父の名にもいくらか、所謂ニュウス.ヴァリュがあったのか、新聞にもかなり大きな問題として取り上げられたようでした。
 自分は海辺の病院に収容せられ、故郷から親戚しんせきの者がひとり駈けつけ、さまざまの始末をしてくれて、そうして、くにの父をはじめ一家中が激怒しているから、これっきり生家とは義絶になるかも知れぬ、と自分に申し渡して帰りました。けれども自分は、そんな事より、死んだツネ子が恋いしく、めそめそ泣いてばかりいました。本当に、いままでのひとの中で、あの貧乏くさいツネ子だけを、すきだったのですから。
 下宿の娘から、短歌を五十も書きつらねた長い手紙が来ました。「生きくれよ」というへんな言葉ではじまる短歌ばかり、五十でした。また、自分の病室に、看護婦たちが陽気に笑いながら遊びに来て、自分の手をきゅっと握って帰る看護婦もいました。
 自分の左肺に故障のあるのを、その病院で発見せられ、これがたいへん自分に好都合な事になり、やがて自分が自殺幇助ほうじょ罪という罪名で病院から警察に連れて行かれましたが、警察では、自分を病人あつかいにしてくれて、特に保護室に収容しました。
 深夜、保護室の隣りの宿直室で、寝ずの番をしていた年寄りのおまわりが、間のドアをそっとあけ、
「おい!」
 と自分に声をかけ、
「寒いだろう。こっちへ来て、あたれ」
 と言いました。
 自分は、わざとしおしおと宿直室にはいって行き、椅子に腰かけて火鉢にあたりました。
「やはり、死んだ女が恋いしいだろう」
「はい」
 ことさらに、消え入るような細い声で返事しました。
「そこが、やはり人情というものだ」
 彼は次第に、大きく構えて来ました。
「はじめ、女と関係を結んだのは、どこだ」
 ほとんど裁判官の如く、もったいぶって尋ねるのでした。彼は、自分を子供とあなどり、秋の夜のつれづれに、あたかも彼自身が取調べの主任でもあるかのように装い、自分から猥談わいだんめいた述懐を引き出そうという魂胆のようでした。自分は素早くそれを察し、噴き出したいのをこらえるのに骨を折りました。そんなお巡りの「非公式な訊問」には、いっさい答を拒否してもかまわないのだという事は、自分も知っていましたが、しかし、秋の夜ながに興を添えるため、自分は、あくまでも神妙に、そのお巡りこそ取調べの主任であって、刑罰の軽重の決定もそのお巡りの思召おぼしめし一つに在るのだ、という事を固く信じて疑わないような所謂誠意をおもてにあらわし、彼の助平の好奇心を、やや満足させる程度のいい加減な「陳述」をするのでした。
「うん、それでだいたいわかった。何でも正直に答えると、わしらのほうでも、そこは手心を加える」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
 ほとんど入神の演技でした。そうして、自分のためには、何も、一つも、とくにならない力演なのです。
 夜が明けて、自分は署長に呼び出されました。こんどは、本式の取調べなのです。
 ドアをあけて、署長室にはいったとたんに、
「おう、いい男だ。これあ、お前が悪いんじゃない。こんな、いい男に産んだお前のおふくろが悪いんだ」
 色の浅黒い、大学出みたいな感じのまだ若い署長でした。いきなりそう言われて自分は、自分の顔の半面にべったり赤痣あかあざでもあるような、みにくい不具者のような、みじめな気がしました。
 この柔道か剣道の選手のような署長の取調べは、実にあっさりしていて、あの深夜の老巡査のひそかな、執拗しつようきわまる好色の「取調べ」とは、雲泥の差がありました。訊問がすんで、署長は、検事局に送る書類をしたためながら、
「からだを丈夫にしなけれゃ、いかんね。血痰けったんが出ているようじゃないか」
 と言いました。
 その朝、へんにせきが出て、自分は咳の出るたびに、ハンケチで口を覆っていたのですが、そのハンケチに赤いあられが降ったみたいに血がついていたのです。けれども、それは、のどから出た血ではなく、昨夜、耳の下に出来た小さいおできをいじって、そのおできから出た血なのでした。しかし、自分は、それを言い明さないほうが、便宜な事もあるような気がふっとしたものですから、ただ、
「はい」
 と、伏眼になり、殊勝げに答えて置きました。
 署長は書類を書き終えて、
「起訴になるかどうか、それは検事殿がきめることだが、お前の身元引受人に、電報か電話で、きょう横浜の検事局に来てもらうように、たのんだほうがいいな。誰か、あるだろう、お前の保護者とか保証人とかいうものが」
 父の東京の別荘に出入りしていた書画骨董こっとう商の渋田という、自分たちと同郷人で、父のたいこ持ちみたいな役も勤めていたずんぐりした独身の四十男が、自分の学校の保証人になっているのを、自分は思い出しました。その男の顔が、殊に眼つきが、ヒラメに似ているというので、父はいつもその男をヒラメと呼び、自分も、そう呼びなれていました。
 自分は警察の電話帳を借りて、ヒラメの家の電話番号を捜し、見つかったので、ヒラメに電話して、横浜の検事局に来てくれるように頼みましたら、ヒラメは人が変ったみたいな威張った口調で、それでも、とにかく引受けてくれました。
「おい、その電話機、すぐ消毒したほうがいいぜ。何せ、血痰が出ているんだから」
 自分が、また保護室に引き上げてから、お巡りたちにそう言いつけている署長の大きな声が、保護室に坐っている自分の耳にまで、とどきました。
 お昼すぎ、自分は、細い麻繩で胴を縛られ、それはマントで隠すことを許されましたが、その麻繩の端を若いお巡りが、しっかり握っていて、二人一緒に電車で横浜に向いました。
 けれども、自分には少しの不安も無く、あの警察の保護室も、老巡査もなつかしく、嗚呼ああ、自分はどうしてこうなのでしょう、罪人として縛られると、かえってほっとして、そうしてゆったり落ちついて、その時の追憶を、いま書くに当っても、本当にのびのびした楽しい気持になるのです。
 しかし、その時期のなつかしい[#「なつかしい」に傍点]思い出の中にも、たった一つ、冷汗三斗の、生涯わすれられぬ悲惨なしくじりがあったのです。自分は、検事局の薄暗い一室で、検事の簡単な取調べを受けました。検事は四十歳前後の物静かな、(もし自分が美貌だったとしても、それはわば邪淫の美貌だったに違いありませんが、その検事の顔は、正しい美貌、とでも言いたいような、聡明な静謐せいひつの気配を持っていました)コセコセしない人柄のようでしたので、自分も全く警戒せず、ぼんやり陳述していたのですが、突然、れいの咳が出て来て、自分は袂からハンケチを出し、ふとその血を見て、この咳もまた何かの役に立つかも知れぬとあさましい駈引きの心を起し、ゴホン、ゴホンと二つばかり、おまけのにせの咳を大袈裟おおげさに附け加えて、ハンケチで口を覆ったまま検事の顔をちらと見た、間一髪、
「ほんとうかい?」
 ものしずかな微笑でした。冷汗三斗、いいえ、いま思い出しても、きりきり舞いをしたくなります。中学時代に、あの馬鹿の竹一から、ワザ、ワザ、と言われて脊中せなかを突かれ、地獄に蹴落けおとされた、その時の思い以上と言っても、決して過言では無い気持です。あれと、これと、二つ、自分の生涯に於ける演技の大失敗の記録です。検事のあんな物静かな侮蔑ぶべつに遭うよりは、いっそ自分は十年の刑を言い渡されたほうが、ましだったと思う事さえ、時たまある程なのです。
 自分は起訴猶予になりました。けれども一向にうれしくなく、世にもみじめな気持で、検事局の控室のベンチに腰かけ、引取り人のヒラメが来るのを待っていました。
 背後の高い窓から夕焼けの空が見え、かもめが、「女」という字みたいな形で飛んでいました。
[#改頁]

   第三の手記

 竹一の予言の、一つは当り、一つは、はずれました。れられるという、名誉で無い予言のほうは、あたりましたが、きっと偉い絵画きになるという、祝福の予言は、はずれました。
 自分は、わずかに、粗悪な雑誌の、無名の下手な漫画家になる事が出来ただけでした。
 鎌倉の事件のために、高等学校からは追放せられ、自分は、ヒラメの家の二階の、三畳の部屋で寝起きして、故郷からは月々、極めて小額の金が、それも直接に自分宛ではなく、ヒラメのところにひそかに送られて来ている様子でしたが、(しかも、それは故郷の兄たちが、父にかくして送ってくれているという形式になっていたようでした)それっきり、あとは故郷とのつながりを全然、断ち切られてしまい、そうして、ヒラメはいつも不機嫌、自分があいそ笑いをしても、笑わず、人間というものはこんなにも簡単に、それこそ手のひらをかえすが如くに変化できるものかと、あさましく、いや、むしろ滑稽に思われるくらいの、ひどい変り様で、
「出ちゃいけませんよ。とにかく、出ないで下さいよ」
 そればかり自分に言っているのでした。
 ヒラメは、自分に自殺のおそれありと、にらんでいるらしく、つまり、女の後を追ってまた海へ飛び込んだりする危険があると見てとっているらしく、自分の外出を固く禁じているのでした。けれども、酒も飲めないし、煙草も吸えないし、ただ、朝から晚まで二階の三畳のこたつにもぐって、古雑誌なんか読んで阿呆同然のくらしをしている自分には、自殺の気力さえ失われていました。
 ヒラメの家は、大久保の医専の近くにあり、書画骨董商、青竜園、だなどと看板の文字だけは相当に気張っていても、一棟二戸の、その一戸で、店の間口も狭く、店内はホコリだらけで、いい加減なガラクタばかり並べ、(もっとも、ヒラメはその店のガラクタにたよって商売しているわけではなく、こっちの所謂旦那の秘蔵のものを、あっちの所謂旦那にその所有権をゆずる場合などに活躍して、お金をもうけているらしいのです)店に坐っている事は殆ど無く、たいてい朝から、むずかしそうな顔をしてそそくさと出かけ、留守は十七、八の小僧ひとり、これが自分の見張り番というわけで、ひまさえあれば近所の子供たちと外でキャッチボールなどしていても、二階の居候をまるで馬鹿か気違いくらいに思っているらしく、大人おとなの説教くさい事まで自分に言い聞かせ、自分は、ひとと言い争いの出来ないたちなので、疲れたような、また、感心したような顔をしてそれに耳を傾け、服従しているのでした。この小僧は渋田のかくし子で、それでもへんな事情があって、渋田は所謂親子の名乗りをせず、また渋田がずっと独身なのも、何やらその辺に理由があっての事らしく、自分も以前、自分の家の者たちからそれに就いてのうわさを、ちょっと聞いたような気もするのですが、自分は、どうも他人の身の上には、あまり興味を持てないほうなので、深い事は何も知りません。しかし、その小僧の眼つきにも、妙に魚の眼を聯想れんそうさせるところがありましたから、或いは、本当にヒラメのかくし子、……でも、それならば、二人は実に淋しい親子でした。夜おそく、二階の自分には内緒で、二人でおそばなどを取寄せて無言で食べている事がありました。
 ヒラメの家では食事はいつもその小僧がつくり、二階のやっかい者の食事だけは別におぜんに載せて小僧が三度々々二階に持ち運んで来てくれて、ヒラメと小僧は、階段の下のじめじめした四畳半で何やら、カチャカチャ皿小鉢の触れ合う音をさせながら、いそがしげに食事しているのでした。
 三月末の或る夕方、ヒラメは思わぬもうけ口にでもありついたのか、または何か他に策略でもあったのか、(その二つの推察が、ともに当っていたとしても、おそらくは、さらにまたいくつかの、自分などにはとても推察のとどかないこまかい原因もあったのでしょうが)自分を階下の珍らしくお銚子ちょうしなど附いている食卓に招いて、ヒラメならぬマグロの刺身に、ごちそうの主人あるじみずから感服し、賞讃しょうさんし、ぼんやりしている居候にも少しくお酒をすすめ、
「どうするつもりなんです、いったい、これから」
 自分はそれに答えず、卓上の皿から畳鰯たたみいわしをつまみ上げ、その小魚たちの銀の眼玉を眺めていたら、酔いがほのぼの発して来て、遊び廻っていた頃がなつかしく、堀木でさえなつかしく、つくづく「自由」が欲しくなり、ふっと、かぼそく泣きそうになりました。
 自分がこの家へ来てからは、道化を演ずる張合いさえ無く、ただもうヒラメと小僧の蔑視の中に身を横たえ、ヒラメのほうでもまた、自分と打ち解けた長噺をするのを避けている様子でしたし、自分もそのヒラメを追いかけて何かを訴える気などは起らず、ほとんど自分は、間抜けづらの居候になり切っていたのです。
「起訴猶予というのは、前科何犯とか、そんなものには、ならない模様です。だから、まあ、あなたの心掛け一つで、更生が出来るわけです。あなたが、もし、改心して、あなたのほうから、真面目に私に相談を持ちかけてくれたら、私も考えてみます」
 ヒラメの話方には、いや、世の中の全部の人の話方には、このようにややこしく、どこか朦朧もうろうとして、逃腰とでもいったみたいな微妙な複雑さがあり、そのほとんど無益と思われるくらいの厳重な警戒と、無数といっていいくらいの小うるさい駈引とには、いつも自分は当惑し、どうでもいいやという気分になって、お道化で茶化したり、または無言の首肯で一さいおまかせという、謂わば敗北の態度をとってしまうのでした。
 この時もヒラメが、自分に向って、だいたい次のように簡単に報告すれば、それですむ事だったのを自分は後年に到って知り、ヒラメの不必要な用心、いや、世の中の人たちの不可解な見栄、おていさいに、何とも陰鬱な思いをしました。
 ヒラメは、その時、ただこう言えばよかったのでした。
「官立でも私立でも、とにかく四月から、どこかの学校へはいりなさい。あなたの生活費は、学校へはいると、くにから、もっと充分に送って来る事になっているのです。」
 ずっと後になってわかったのですが、事実は、そのようになっていたのでした。そうして、自分もその言いつけに従ったでしょう。それなのに、ヒラメのいやに用心深く持って廻った言い方のために、妙にこじれ、自分の生きて行く方向もまるで変ってしまったのです。
「真面目に私に相談を持ちかけてくれる気持が無ければ、仕様がないですが」
「どんな相談?」
 自分には、本当に何も見当がつかなかったのです。
「それは、あなたの胸にある事でしょう?」
「たとえば?」
「たとえばって、あなた自身、これからどうする気なんです」
「働いたほうが、いいんですか?」
「いや、あなたの気持は、いったいどうなんです」
「だって、学校へはいるといったって、……」
「そりゃ、お金が要ります。しかし、問題は、お金でない。あなたの気持です」
 お金は、くにから来る事になっているんだから、となぜ一こと、言わなかったのでしょう。その一言に依って、自分の気持も、きまった筈なのに、自分には、ただ五里霧中でした。
「どうですか? 何か、将来の希望、とでもいったものが、あるんですか? いったい、どうも、ひとをひとり世話しているというのは、どれだけむずかしいものだか、世話されているひとには、わかりますまい」
「すみません」
「そりゃ実に、心配なものです。私も、いったんあなたの世話を引受けた以上、あなたにも、生半可なまはんかな気持でいてもらいたくないのです。立派に更生の道をたどる、という覚悟のほどを見せてもらいたいのです。たとえば、あなたの将来の方針、それに就いてあなたのほうから私に、まじめに相談を持ちかけて来たなら、私もその相談には応ずるつもりでいます。それは、どうせこんな、貧乏なヒラメの援助なのですから、以前のようなぜいたくを望んだら、あてがはずれます。しかし、あなたの気持がしっかりしていて、将来の方針をはっきり打ちて、そうして私に相談をしてくれたら、私は、たといわずかずつでも、あなたの更生のために、お手伝いしようとさえ思っているんです。わかりますか? 私の気持が。いったい、あなたは、これから、どうするつもりでいるのです」
「ここの二階に、置いてもらえなかったら、働いて、……」
「本気で、そんな事を言っているのですか? いまのこの世の中に、たとい帝国大学校を出たって、……」
「いいえ、サラリイマンになるんでは無いんです」
「それじゃ、何です」
「画家です」
 思い切って、それを言いました。
「へええ?」
 自分は、その時の、くびをちぢめて笑ったヒラメの顔の、いかにもずるそうな影を忘れる事が出来ません。軽蔑の影にも似て、それとも違い、世の中を海にたとえると、その海の千尋ちひろの深さの箇所に、そんな奇妙な影がたゆとうていそうで、何か、おとなの生活の奥底をチラとのぞかせたような笑いでした。
 そんな事では話にも何もならぬ、ちっとも気持がしっかりしていない、考えなさい、今夜一晚まじめに考えてみなさい、と言われ、自分は追われるように二階に上って、寝ても、別に何の考えも浮びませんでした。そうして、あけがたになり、ヒラメの家から逃げました。
 夕方、間違いなく帰ります。左記の友人のもとへ、将来の方針に就いて相談に行って来るのですから、御心配無く。ほんとうに。
 と、用箋に鉛筆で大きく書き、それから、浅草の堀木正雄の住所姓名を記して、こっそり、ヒラメの家を出ました。
 ヒラメに説教せられたのが、くやしくて逃げたわけではありませんでした。まさしく自分は、ヒラメの言うとおり、気持のしっかりしていない男で、将来の方針も何も自分にはまるで見当がつかず、この上、ヒラメの家のやっかいになっているのは、ヒラメにも気の毒ですし、そのうちに、もし万一、自分にも発奮の気持が起り、志を立てたところで、その更生資金をあの貧乏なヒラメから月々援助せられるのかと思うと、とても心苦しくて、いたたまらない気持になったからでした。
 しかし、自分は、所謂「将来の方針」を、堀木ごときに、相談に行こうなどと本気に思って、ヒラメの家を出たのでは無かったのでした。それは、ただ、わずかでも、つかのまでも、ヒラメに安心させて置きたくて、(その間に自分が、少しでも遠くへ逃げのびていたいという探偵小説的な策略から、そんな置手紙を書いた、というよりは、いや、そんな気持もかすかにあったに違いないのですが、それよりも、やはり自分は、いきなりヒラメにショックを与え、彼を混乱当惑させてしまうのが、おそろしかったばかりに、とでも言ったほうが、いくらか正確かも知れません。どうせ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに言うのが、おそろしくて、必ず何かしら飾りをつけるのが、自分の哀しい性癖の一つで、それは世間の人が「嘘つき」と呼んで卑しめている性格に似ていながら、しかし、自分は自分に利益をもたらそうとしてその飾りつけを行った事はほとんど無く、ただ雰囲気ふんいきの興覚めた一変が、窒息するくらいにおそろしくて、後で自分に不利益になるという事がわかっていても、れいの自分の「必死の奉仕」それはたといゆがめられ微弱で、馬鹿らしいものであろうと、その奉仕の気持から、つい一言の飾りつけをしてしまうという場合が多かったような気もするのですが、しかし、この習性もまた、世間の所謂「正直者」たちから、大いに乗ぜられるところとなりました)その時、ふっと、記憶の底から浮んで来たままに堀木の住所と姓名を、用箋の端にしたためたまでの事だったのです。
 自分はヒラメの家を出て、新宿まで步き、懐中の本を売り、そうして、やっぱり途方にくれてしまいました。自分は、皆にあいそがいいかわりに、「友情」というものを、いちども実感した事が無く、堀木のような遊び友達は別として、いっさいの附き合いは、ただ苦痛を覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとして懸命にお道化を演じて、かえって、へとへとになり、わずかに知合っているひとの顔を、それに似た顔をさえ、往来などで見掛けても、ぎょっとして、一瞬、めまいするほどの不快な戦慄に襲われる有様で、人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力にいては欠けているところがあるようでした。(もっとも、自分は、世の中の人間にだって、果して、「愛」の能力があるのかどうか、たいへん疑問に思っています)そのような自分に、所謂「親友」など出来る筈は無く、そのうえ自分には、「訪問ヴィジット」の能力さえ無かったのです。他人の家の門は、自分にとって、あの神曲の地獄の門以上に薄気味わるく、その門の奥には、おそろしい竜みたいな生臭い奇獣がうごめいている気配を、誇張でなしに、実感せられていたのです。
 誰とも、附き合いが無い。どこへも、訪ねて行けない。
 堀木。
 それこそ、冗談から駒が出た形でした。あの置手紙に、書いたとおりに、自分は浅草の堀木をたずねて行く事にしたのです。自分はこれまで、自分のほうから堀木の家をたずねて行った事は、いちども無く、たいてい電報で堀木を自分のほうに呼び寄せていたのですが、いまはその電報料さえ心細く、それに落ちぶれた身のひがみから、電報を打っただけでは、堀木は、来てくれぬかも知れぬと考えて、何よりも自分に苦手の「訪問」を決意し、溜息ためいきをついて市電に乗り、自分にとって、この世の中でたった一つの頼みの綱は、あの堀木なのか、と思い知ったら、何か脊筋せすじの寒くなるようなすさまじい気配に襲われました。
 堀木は、在宅でした。汚い露路の奥の、二階家で、堀木は二階のたった一部屋の六畳を使い、下では、堀木の老父母と、それから若い職人と三人、下駄の鼻緒を縫ったり叩いたりして製造しているのでした。
 堀木は、その日、彼の都会人としての新しい一面を自分に見せてくれました。それは、俗にいうチャッカリ性でした。田舎者の自分が、愕然がくぜんと眼をみはったくらいの、冷たく、ずるいエゴイズムでした。自分のように、ただ、とめどなく流れるたちの男では無かったのです。
「お前には、全くあきれた。親爺さんから、お許しが出たかね。まだかい」
 逃げて来た、とは、言えませんでした。
 自分は、れいに依って、ごまかしました。いまに、すぐ、堀木に気附かれるに違いないのに、ごまかしました。
「それは、どうにかなるさ」
「おい、笑いごとじゃ無いぜ。忠告するけど、馬鹿もこのへんでやめるんだな。おれは、きょうは、用事があるんだがね。この頃、ばかにいそがしいんだ」
「用事って、どんな?」
「おい、おい、座蒲団の糸を切らないでくれよ」
 自分は話をしながら、自分の敷いている座蒲団の綴糸とじいとというのか、くくりひもというのか、あのふさのような四隅の糸の一つを無意識に指先でもてあそび、ぐいと引っぱったりなどしていたのでした。堀木は、堀木の家の品物なら、座蒲団の糸一本でも惜しいらしく、恥じる色も無く、それこそ、眼にかどを立てて、自分をとがめるのでした。考えてみると、堀木は、これまで自分との附合いに於いて何一つ失ってはいなかったのです。
 堀木の老母が、おしるこを二つお盆に載せて持って来ました。
「あ、これは」
 と堀木は、しんからの孝行息子のように、老母に向って恐縮し、言葉づかいも不自然なくらい丁寧に、
「すみません、おしるこですか。豪気だなあ。こんな心配は、要らなかったんですよ。用事で、すぐ外出しなけれゃいけないんですから。いいえ、でも、せっかくの御自慢のおしるこを、もったいない。いただきます。お前も一つ、どうだい。おふくろが、わざわざ作ってくれたんだ。ああ、こいつあ、うめえや。豪気だなあ」
 と、まんざら芝居でも無いみたいに、ひどく喜び、おいしそうに食べるのです。自分もそれをすすりましたが、お湯のにおいがして、そうして、お餅をたべたら、それはお餅でなく、自分にはわからないものでした。決して、その貧しさを軽蔑したのではありません。(自分は、その時それを、不味まずいとは思いませんでしたし、また、老母の心づくしも身にしみました。自分には、貧しさへの恐怖感はあっても、軽蔑感は、無いつもりでいます)あのおしること、それから、そのおしるこを喜ぶ堀木に依って、自分は、都会人のつましい本性、また、内と外をちゃんと区別していとなんでいる東京の人の家庭の実体を見せつけられ、内も外も変りなく、ただのべつ幕無しに人間の生活から逃げ廻ってばかりいる薄馬鹿の自分ひとりだけ完全に取残され、堀木にさえ見捨てられたような気配に、狼狽ろうばいし、おしるこのはげた塗箸ぬりばしをあつかいながら、たまらなくびしい思いをしたという事を、記して置きたいだけなのです。
「わるいけど、おれは、きょうは用事があるんでね」
 堀木は立って、上衣を着ながらそう言い、
「失敬するぜ、わるいけど」
 その時、堀木に女の訪問者があり、自分の身の上も急転しました。
 堀木は、にわかに活気づいて、
「や、すみません。いまね、あなたのほうへお伺いしようと思っていたのですがね、このひとが突然やって来て、いや、かまわないんです。さあ、どうぞ」
 よほど、あわてているらしく、自分が自分の敷いている座蒲団をはずして裏がえしにして差し出したのを引ったくって、また裏がえしにして、その女のひとにすすめました。部屋には、堀木の座蒲団の他には、客座蒲団がたった一枚しか無かったのです。
 女のひとはせて、脊の高いひとでした。その座蒲団は傍にのけて、入口ちかくの片隅に坐りました。
 自分は、ぼんやり二人の会話を聞いていました。女は雑誌社のひとのようで、堀木にカットだか、何だかをかねて頼んでいたらしく、それを受取りに来たみたいな具合いでした。
「いそぎますので」
「出来ています。もうとっくに出来ています。これです、どうぞ」
 電報が来ました。
 堀木が、それを読み、上機嫌のその顔がみるみる険悪になり、
「ちぇっ! お前、こりゃ、どうしたんだい」
 ヒラメからの電報でした。
「とにかく、すぐに帰ってくれ。おれが、お前を送りとどけるといいんだろうが、おれにはいま、そんなひまは、無えや。家出していながら、その、のんきそうなつらったら」
「お宅は、どちらなのですか?」
「大久保です」
 ふいと答えてしまいました。
「そんなら、社の近くですから」
 女は、甲州の生れで二十八歳でした。五つになる女児と、高円寺のアパートに住んでいました。夫と死別して、三年になると言っていました。
「あなたは、ずいぶん苦労して育って来たみたいなひとね。よく気がきくわ。可哀そうに」
 はじめて、男めかけみたいな生活をしました。シヅ子(というのが、その女記者の名前でした)が新宿の雑誌社に勤めに出たあとは、自分とそれからシゲ子という五つの女児と二人、おとなしくお留守番という事になりました。それまでは、母の留守には、シゲ子はアパートの管理人の部屋で遊んでいたようでしたが、「気のきく」おじさんが遊び相手として現われたので、大いに御機嫌がいい様子でした。
 一週間ほど、ぼんやり、自分はそこにいました。アパートの窓のすぐ近くの電線に、奴凧やっこだこが一つひっからまっていて、春のほこり風に吹かれ、破られ、それでもなかなか、しつっこく電線にからみついて離れず、何やら首肯うなずいたりなんかしているので、自分はそれを見る度毎に苦笑し、赤面し、夢にさえ見て、うなされました。
「お金が、ほしいな」
「……いくら位?」
「たくさん。……金の切れ目が、縁の切れ目、って、本当の事だよ」
「ばからしい。そんな、古くさい、……」
「そう? しかし、君には、わからないんだ。このままでは、僕は、逃げる事になるかも知れない」
「いったい、どっちが貧乏なのよ。そうして、どっちが逃げるのよ。へんねえ」
「自分でかせいで、そのお金で、お酒、いや、煙草を買いたい。絵だって僕は、堀木なんかより、ずっと上手なつもりなんだ」
 このような時、自分の脳裡におのずから浮びあがって来るものは、あの中学時代に画いた竹一の所謂「お化け」の、数枚の自画像でした。失われた傑作。それは、たびたびの引越しの間に、失われてしまっていたのですが、あれだけは、たしかに優れている絵だったような気がするのです。その後、さまざま画いてみても、その思い出の中の逸品には、遠く遠く及ばず、自分はいつも、胸がからっぽになるような、だるい喪失感になやまされ続けて来たのでした。
 飲み残した一杯のアブサン。
 自分は、その永遠に償い難いような喪失感を、こっそりそう形容していました。絵の話が出ると、自分の眼前に、その飲み残した一杯のアブサンがちらついて来て、ああ、あの絵をこのひとに見せてやりたい、そうして、自分の画才を信じさせたい、という焦燥しょうそうにもだえるのでした。
「ふふ、どうだか。あなたは、まじめな顔をして冗談を言うから可愛い」
 冗談ではないのだ、本当なんだ、ああ、あの絵を見せてやりたい、と空転の煩悶はんもんをして、ふいと気をかえ、あきらめて、
「漫画さ。すくなくとも、漫画なら、堀木よりは、うまいつもりだ」
 その、ごまかしの道化の言葉のほうが、かえってまじめに信ぜられました。
「そうね。私も、実は感心していたの。シゲ子にいつもかいてやっている漫画、つい私まで噴き出してしまう。やってみたら、どう? 私の社の編輯長へんしゅうちょうに、たのんでみてあげてもいいわ」
 その社では、子供相手のあまり名前を知られていない月刊の雑誌を発行していたのでした。
 ……あなたを見ると、たいていの女のひとは、何かしてあげたくて、たまらなくなる。……いつも、おどおどしていて、それでいて、滑稽家なんだもの。……時たま、ひとりで、ひどく沈んでいるけれども、そのさまが、いっそう女のひとの心を、かゆがらせる。
 シヅ子に、そのほかさまざまの事を言われて、おだてられても、それがすなわち男めかけのけがらわしい特質なのだ、と思えば、それこそいよいよ「沈む」ばかりで、一向に元気が出ず、女よりは金、とにかくシヅ子からのがれて自活したいとひそかに念じ、工夫しているものの、かえってだんだんシヅ子にたよらなければならぬ破目になって、家出の後仕末やら何やら、ほとんど全部、この男まさりの甲州女の世話を受け、いっそう自分は、シヅ子に対し、所謂「おどおど」しなければならぬ結果になったのでした。
 シヅ子の取計らいで、ヒラメ、堀木、それにシヅ子、三人の会談が成立して、自分は、故郷から全く絶縁せられ、そうしてシヅ子と「天下晴れて」同棲どうせいという事になり、これまた、シヅ子の奔走のおかげで自分の漫画も案外お金になって、自分はそのお金で、お酒も、煙草も買いましたが、自分の心細さ、うっとうしさは、いよいよつのるばかりなのでした。それこそ「沈み」に「沈み」切って、シヅ子の雑誌の毎月の連載漫画「キンタさんとオタさんの冒険」を画いていると、ふいと故郷の家が思い出され、あまりの侘びしさに、ペンが動かなくなり、うつむいて涙をこぼした事もありました。
 そういう時の自分にとって、幽かな救いは、シゲ子でした。シゲ子は、その頃になって自分の事を、何もこだわらずに「お父ちゃん」と呼んでいました。
「お父ちゃん。お祈りをすると、神様が、何でも下さるって、ほんとう?」
 自分こそ、そのお祈りをしたいと思いました。
 ああ、われに冷き意志を与え給え。われに、「人間」の本質を知らしめ給え。人が人を押しのけても、罪ならずや。われに、怒りのマスクを与え給え。
「うん、そう。シゲちゃんには何でも下さるだろうけれども、お父ちゃんには、駄目かも知れない」
 自分は神にさえ、おびえていました。神の愛は信ぜられず、神の罰だけを信じているのでした。信仰。それは、ただ神のむちを受けるために、うなだれて審判の台に向う事のような気がしているのでした。地獄は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。
「どうして、ダメなの?」
「親の言いつけに、そむいたから」
「そう? お父ちゃんはとてもいいひとだって、みんな言うけどな」
 それは、だましているからだ、このアパートの人たち皆に、自分が好意を示されているのは、自分も知っている、しかし、自分は、どれほど皆を恐怖しているか、恐怖すればするほど好かれ、そうして、こちらは好かれると好かれるほど恐怖し、皆から離れて行かねばならぬ、この不幸な病癖を、シゲ子に説明して聞かせるのは、至難の事でした。
「シゲちゃんは、いったい、神様に何をおねだりしたいの?」
 自分は、何気無さそうに話頭を転じました。
「シゲ子はね、シゲ子の本当のお父ちゃんがほしいの」
 ぎょっとして、くらくら目まいしました。敵。自分がシゲ子の敵なのか、シゲ子が自分の敵なのか、とにかく、ここにも自分をおびやかすおそろしい大人がいたのだ、他人、不可解な他人、秘密だらけの他人、シゲ子の顔が、にわかにそのように見えて来ました。
 シゲ子だけは、と思っていたのに、やはり、この者も、あの「不意にあぶを叩き殺す牛のしっぽ」を持っていたのでした。自分は、それ以来、シゲ子にさえおどおどしなければならなくなりました。
色魔しきま! いるかい?」
 堀木が、また自分のところへたずねて来るようになっていたのです。あの家出の日に、あれほど自分を淋しくさせた男なのに、それでも自分は拒否できず、幽かに笑って迎えるのでした。
「お前の漫画は、なかなか人気が出ているそうじゃないか。アマチュアには、こわいもの知らずの糞度胸くそどきょうがあるからかなわねえ。しかし、油断するなよ。デッサンが、ちっともなってやしないんだから」
 お師匠みたいな態度をさえ示すのです。自分のあの「お化け」の絵を、こいつに見せたら、どんな顔をするだろう、とれいの空転の身悶みもだえをしながら、
「それを言ってくれるな。ぎゃっという悲鳴が出る」
 堀木は、いよいよ得意そうに、
「世渡りの才能だけでは、いつかは、ボロが出るからな」
 世渡りの才能。……自分には、ほんとうに苦笑の他はありませんでした。自分に、世渡りの才能! しかし、自分のように人間をおそれ、避け、ごまかしているのは、れいの俗諺ぞくげんの「さわらぬ神にたたりなし」とかいう怜悧れいり狡猾こうかつの処生訓を遵奉しているのと、同じ形だ、という事になるのでしょうか。ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
 堀木は、何せ、(それはシヅ子に押してたのまれてしぶしぶ引受けたに違いないのですが)自分の家出の後仕末に立ち合ったひとなので、まるでもう、自分の更生の大恩人か、月下氷人のように振舞い、もっともらしい顔をして自分にお説教めいた事を言ったり、また、深夜、酔っぱらって訪問して泊ったり、また、五円(きまって五円でした)借りて行ったりするのでした。
「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
 なんじは、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣あくらつ古狸ふるだぬき性、妖婆ようば性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
冷汗ひやあせ、冷汗」
 と言って笑っただけでした。
 けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。
 そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。シヅ子の言葉を借りて言えば、自分は少しわがままになり、おどおどしなくなりました。また、堀木の言葉を借りて言えば、へんにケチになりました。また、シゲ子の言葉を借りて言えば、あまりシゲ子を可愛がらなくなりました。
 無口で、笑わず、毎日々々、シゲ子のおもりをしながら、「キンタさんとオタさんの冒険」やら、またノンキなトウサンの歴然たる亜流の「ノンキ和尚おしょう」やら、また、「セッカチピンチャン」という自分ながらわけのわからぬヤケクソの題の連載漫画やらを、各社の御注文(ぽつりぽつり、シヅ子の社の他からも注文が来るようになっていましたが、すべてそれは、シヅ子の社よりも、もっと下品な謂わば三流出版社からの注文ばかりでした)に応じ、実に実に陰鬱な気持で、のろのろと、(自分の画の運筆は、非常におそいほうでした)いまはただ、酒代がほしいばかりに画いて、そうして、シヅ子が社から帰るとそれと交代にぷいと外へ出て、高円寺の駅近くの屋台やスタンド.バアで安くて強い酒を飲み、少し陽気になってアパートへ帰り、
「見れば見るほど、へんな顔をしているねえ、お前は。ノンキ和尚の顔は、実は、お前の寝顔からヒントを得たのだ」
「あなたの寝顔だって、ずいぶんお老けになりましてよ。四十男みたい」
「お前のせいだ。吸い取られたんだ。水の流れと、人の身はあサ。何をくよくよ川端やなあぎいサ」
「騒がないで、早くおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」
 落ちついていて、まるで相手にしません。
「酒なら飲むがね。水の流れと、人の身はあサ。人の流れと、いや、水の流れえと、水の身はあサ」
 唄いながら、シヅ子に衣服をぬがせられ、シヅ子の胸に自分の額を押しつけて眠ってしまう、それが自分の日常でした。

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してその翌日あくるひも同じ事を繰返して、
昨日きのうかわらぬ慣例しきたりに従えばよい。
即ち荒っぽい大きな歓楽よろこびけてさえいれば、
自然また大きな悲哀かなしみもやってないのだ。
ゆくてをふさぐ邪魔な石を
蟾蜍ひきがえるは廻って通る。
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 上田敏訳のギイ.シャルル.クロオとかいうひとの、こんな詩句を見つけた時、自分はひとりで顔を燃えるくらいに赤くしました。
 蟾蜍。
(それが、自分だ。世間がゆるすも、ゆるさぬもない。葬むるも、葬むらぬもない。自分は、犬よりも猫よりも劣等な動物なのだ。蟾蜍。のそのそ動いているだけだ)
 自分の飲酒は、次第に量がふえて来ました。高円寺駅附近だけでなく、新宿、銀座のほうにまで出かけて飲み、外泊する事さえあり、ただもう「慣例しきたり」に従わぬよう、バアで無頼漢の振りをしたり、片端からキスしたり、つまり、また、あの情死以前の、いや、あの頃よりさらにすさんで野卑な酒飲みになり、金に窮して、シヅ子の衣類を持ち出すほどになりました。
 ここへ来て、あの破れた奴凧に苦笑してから一年以上経って、葉桜の頃、自分は、またもシヅ子の帯やら襦袢じゅばんやらをこっそり持ち出して質屋に行き、お金を作って銀座で飲み、二晚つづけて外泊して、三日目の晚、さすがに具合い悪い思いで、無意識に足音をしのばせて、アパートのシヅ子の部屋の前まで来ると、中から、シヅ子とシゲ子の会話が聞えます。
「なぜ、お酒を飲むの?」
「お父ちゃんはね、お酒を好きで飲んでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」
「いいひとは、お酒を飲むの?」
「そうでもないけど、……」
「お父ちゃんは、きっと、びっくりするわね」
「おきらいかも知れない。ほら、ほら、箱から飛び出した」
「セッカチピンチャンみたいね」
「そうねえ」
 シヅ子の、しんから幸福そうな低い笑い声が聞えました。
 自分が、ドアを細くあけて中をのぞいて見ますと、白兎の子でした。ぴょんぴょん部屋中を、はね廻り、親子はそれを追っていました。
(幸福なんだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、この二人のあいだにはいって、いまに二人を滅茶苦茶にするのだ。つつましい幸福。いい親子。幸福を、ああ、もし神様が、自分のような者の祈りでも聞いてくれるなら、いちどだけ、生涯にいちどだけでいい、祈る)
 自分は、そこにうずくまって合掌したい気持でした。そっと、ドアを閉め、自分は、また銀座に行き、それっきり、そのアパートには帰りませんでした。
 そうして、京橋のすぐ近くのスタンド.バアの二階に自分は、またも男めかけの形で、寝そべる事になりました。
 世間。どうやら自分にも、それがぼんやりわかりかけて来たような気がしていました。個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ、人間は決して人間に服従しない[#「人間は決して人間に服従しない」に傍点]、奴隷でさえ奴隷らしい卑屈なシッペがえしをするものだ、だから、人間にはその場の一本勝負にたよる他、生き伸びる工夫がつかぬのだ、大義名分らしいものをとなえていながら、努力の目標は必ず個人、個人を乗り越えてまた個人、世間の難解は、個人の難解、大洋オーシャンは世間でなくて、個人なのだ、と世の中という大海の幻影におびえる事から、多少解放せられて、以前ほど、あれこれと際限の無い心遣いする事なく、謂わば差し当っての必要に応じて、いくぶん図々しく振舞う事を覚えて来たのです。
 高円寺のアパートを捨て、京橋のスタンド.バアのマダムに、
「わかれて来た」
 それだけ言って、それで充分、つまり一本勝負はきまって、その夜から、自分は乱暴にもそこの二階に泊り込む事になったのですが、しかし、おそろしい筈の「世間」は、自分に何の危害も加えませんでしたし、また自分も「世間」に対して何の弁明もしませんでした。マダムが、その気だったら、それですべてがいいのでした。
 自分は、その店のお客のようでもあり、亭主のようでもあり、走り使いのようでもあり、親戚の者のようでもあり、はたから見てはなは得態えたいの知れない存在だった筈なのに、「世間」は少しもあやしまず、そうしてその店の常連たちも、自分を、葉ちゃん、葉ちゃんと呼んで、ひどく優しく扱い、そうしてお酒を飲ませてくれるのでした。
 自分は世の中に対して、次第に用心しなくなりました。世の中というところは、そんなに、おそろしいところでは無い、と思うようになりました。つまり、これまでの自分の恐怖感は、春の風には百日咳ひゃくにちぜき黴菌ばいきんが何十万、銭湯には、目のつぶれる黴菌が何十万、床屋には禿頭とくとう病の黴菌が何十万、省線の吊皮つりかわには疥癬かいせんの虫がうようよ、または、おさしみ、牛豚肉の生焼けには、さなだ虫の幼虫やら、ジストマやら、何やらの卵などが必ずひそんでいて、また、はだしで步くと足の裏からガラスの小さい破片がはいって、その破片が体内を駈けめぐり眼玉を突いて失明させる事もあるとかいう謂わば「科学の迷信」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの黴菌の浮び泳ぎうごめいているのは、「科学的」にも、正確な事でしょう。と同時に、その存在を完全に黙殺さえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる「科学の幽霊」に過ぎないのだという事をも、自分は知るようになったのです。お弁当箱に食べ残しのごはん三粒、千万人が一日に三粒ずつ食べ残しても既にそれは、米何俵をむだに捨てた事になる、とか、或いは、一日に鼻紙一枚の節約を千万人が行うならば、どれだけのパルプが浮くか、などという「科学的統計」に、自分は、どれだけおびやかされ、ごはんを一粒でも食べ残す度毎に、また鼻をかむ度毎に、山ほどの米、山ほどのパルプを空費するような錯覚に悩み、自分がいま重大な罪を犯しているみたいな暗い気持になったものですが、しかし、それこそ「科学の嘘」「統計の嘘」「数学の嘘」で、三粒のごはんは集められるものでなく、掛算割算の応用問題としても、まことに原始的で低能なテーマで、電気のついてない暗いお便所の、あの穴に人は何度にいちど片脚を踏みはずして落下させるか、または、省線電車の出入口と、プラットホームのへりとのあの隙間に、乗客の何人中の何人が足を落とし込むか、そんなプロバビリティを計算するのと同じ程度にばからしく、それは如何いかにも有り得る事のようでもありながら、お便所の穴をまたぎそこねて怪我をしたという例は、少しも聞かないし、そんな仮説を「科学的事実」として教え込まれ、それを全く現実として受取り、恐怖していた昨日までの自分をいとおしく思い、笑いたく思ったくらいに、自分は、世の中というものの実体を少しずつ知って来たというわけなのでした。
 そうは言っても、やはり人間というものが、まだまだ、自分にはおそろしく、店のお客と逢うのにも、お酒をコップで一杯ぐいと飲んでからでなければいけませんでした。こわいもの見たさ。自分は、毎晚、それでもお店に出て、子供が、実は少しこわがっている小動物などを、かえって強くぎゅっと握ってしまうみたいに、店のお客に向って酔ってつたない芸術論を吹きかけるようにさえなりました。
 漫画家。ああ、しかし、自分は、大きな歓楽よろこびも、また、大きな悲哀かなしみもない無名の漫画家。いかに大きな悲哀かなしみがあとでやって来てもいい、荒っぽい大きな歓楽よろこびが欲しいと内心あせってはいても、自分の現在のよろこびたるや、お客とむだ事を言い合い、お客の酒を飲む事だけでした。
 京橋へ来て、こういうくだらない生活を既に一年ちかく続け、自分の漫画も、子供相手の雑誌だけでなく、駅売りの粗悪で卑猥ひわいな雑誌などにも載るようになり、自分は、上司幾太(情死、生きた)という、ふざけ切った匿名で、汚いはだかの絵など画き、それにたいていルバイヤットの詩句を插入そうにゅうしました。

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無駄な御祈りなんかせったら
涙を誘うものなんか かなぐりすてろ
まア一杯いこう 好いことばかり思出して
よけいな心づかいなんか忘れっちまいな

不安や恐怖もて人を脅やかす奴輩やから
みずからの作りし大それた罪におび
死にしものの復讐ふくしゅうに備えんと
みずからの頭にたえず計いを

よべ 酒充ちて我ハートは喜びに充ち
けさ さめてただに荒涼
いぶかし 一夜ひとよさの中
様変りたるこの気分よ

たたりなんて思うことめてくれ
遠くから響く太鼓のように
何がなしそいつは不安だ
ひったことまで一々罪に勘定されたら助からんわい

正義は人生の指針たりとや?
さらば血に塗られたる戦場に
暗殺者の切尖きっさき
何の正義か宿れるや?

いずこに指導原理ありや?
いかなる叡智えいちの光ありや?
うるわしくもおそろしきは浮世なれ
かよわき人の子は背負切れぬ荷をば負わされ

どうにもできない情慾の種子を植えつけられたばかりに
善だ悪だ罪だ罰だとのろわるるばかり
どうにもできない只まごつくばかり
抑えくだく力も意志も授けられぬ許りに

どこをどう彷徨うろつきまわってたんだい
ナニ批判 検討 再認識?
ヘッ むなしき夢を ありもしない幻を
エヘッ 酒を忘れたんで みんな虚仮こけの思案さ

どうだ 此はてもない大空を御覧よ
此中にポッチリ浮んだ点じゃい
此地球が何んで自転するのか分るもんか
自転 公転 反転も勝手ですわい

至るところに 至高の力を感じ
あらゆる国にあらゆる民族に
同一の人間性を発見する
我は異端者なりとかや

みんな聖経をよみ違えてんのよ
でなきゃ常識も智慧ちえもないのよ
生身いきみの喜びを禁じたり 酒を止めたり
いいわ ムスタッファ わたしそんなの 大嫌い
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 けれども、その頃、自分に酒を止めよ、とすすめる処女がいました。
「いけないわ、毎日、お昼から、酔っていらっしゃる」
 バアの向いの、小さい煙草屋の十七、八の娘でした。ヨシちゃんと言い、色の白い、八重歯のある子でした。自分が、煙草を買いに行くたびに、笑って忠告するのでした。
「なぜ、いけないんだ。どうして悪いんだ。あるだけの酒をのんで、人の子よ、憎悪を消せ消せ消せ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそう、悲しみ疲れたるハートに希望を持ち来すは、ただ微醺びくんをもたらす玉杯なれ、ってね。わかるかい」
「わからない」
「この野郎。キスしてやるぞ」
「してよ」
 ちっとも悪びれず下唇を突き出すのです。
「馬鹿野郎。貞操観念、……」
 しかし、ヨシちゃんの表情には、あきらかに誰にも汚されていない処女のにおいがしていました。
 としが明けて厳寒の夜、自分は酔って煙草を買いに出て、その煙草屋の前のマンホールに落ちて、ヨシちゃん、たすけてくれえ、と叫び、ヨシちゃんに引き上げられ、右腕の傷の手当を、ヨシちゃんにしてもらい、その時ヨシちゃんは、しみじみ、
「飲みすぎますわよ」
 と笑わずに言いました。
 自分は死ぬのは平気なんだけど、怪我をして出血してそうして不具者などになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシちゃんに腕の傷の手当をしてもらいながら、酒も、もういい加減によそうかしら、と思ったのです。
「やめる。あしたから、一滴も飲まない」
「ほんとう?」
「きっと、やめる。やめたら、ヨシちゃん、僕のお嫁になってくれるかい?」
 しかし、お嫁の件は冗談でした。
「モチよ」
 モチとは、「勿論」の略語でした。モボだの、モガだの、その頃いろんな略語がはやっていました。
「ようし。ゲンマンしよう。きっとやめる」
 そうしてあくる日、自分は、やはり昼から飲みました。
 夕方、ふらふら外へ出て、ヨシちゃんの店の前に立ち、
「ヨシちゃん、ごめんね。飲んじゃった」
「あら、いやだ。酔った振りなんかして」
 ハッとしました。酔いもさめた気持でした。
「いや、本当なんだ。本当に飲んだのだよ。酔った振りなんかしてるんじゃない」
「からかわないでよ。ひとがわるい」
 てんで疑おうとしないのです。
「見ればわかりそうなものだ。きょうも、お昼から飲んだのだ。ゆるしてね」
「お芝居が、うまいのねえ」
「芝居じゃあないよ、馬鹿野郎。キスしてやるぞ」
「してよ」
「いや、僕には資格が無い。お嫁にもらうのもあきらめなくちゃならん。顔を見なさい、赤いだろう? 飲んだのだよ」
「それあ、夕陽が当っているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう約束したんですもの。飲む筈が無いじゃないの。ゲンマンしたんですもの。飲んだなんて、ウソ、ウソ、ウソ」
 薄暗い店の中に坐って微笑しているヨシちゃんの白い顔、ああ、よごれを知らぬヴァジニティは尊いものだ、自分は今まで、自分よりも若い処女と寝た事がない、結婚しよう、どんな大きな悲哀かなしみがそのために後からやって来てもよい、荒っぽいほどの大きな歓楽よろこびを、生涯にいちどでいい、処女性の美しさとは、それは馬鹿な詩人の甘い感傷の幻に過ぎぬと思っていたけれども、やはりこの世の中に生きて在るものだ、結婚して春になったら二人で自転車で青葉の滝を見に行こう、と、その場で決意し、所謂「一本勝負」で、その花を盗むのにためらう事をしませんでした。
 そうして自分たちは、やがて結婚して、それに依って得た歓楽よろこびは、必ずしも大きくはありませんでしたが、その後に来た悲哀かなしみは、凄惨せいさんと言っても足りないくらい、実に想像を絶して、大きくやって来ました。自分にとって、「世の中」は、やはり底知れず、おそろしいところでした。決して、そんな一本勝負などで、何から何まできまってしまうような、なまやさしいところでも無かったのでした。

     二

 堀木と自分。
 互いに軽蔑けいべつしながら附き合い、そうして互いにみずからをくだらなくして行く、それがこの世の所謂「交友」というものの姿だとするなら、自分と堀木との間柄も、まさしく「交友」に違いありませんでした。
 自分があの京橋のスタンド.バアのマダムの義侠心ぎきょうしんにすがり、(女のひとの義侠心なんて、言葉の奇妙な遣い方ですが、しかし、自分の経験に依ると、少くとも都会の[#「都会の」に傍点]男女の場合、男よりも女のほうが、その、義侠心とでもいうべきものをたっぷりと持っていました。男はたいてい、おっかなびっくりで、おていさいばかり飾り、そうして、ケチでした)あの煙草屋のヨシ子を内縁の妻にする事が出来て、そうして築地つきじ、隅田川の近く、木造の二階建ての小さいアパートの階下の一室を借り、ふたりで住み、酒は止めて、そろそろ自分の定った職業になりかけて来た漫画の仕事に精を出し、夕食後は二人で映画を見に出かけ、帰りには、喫茶店などにはいり、また、花の鉢を買ったりして、いや、それよりも自分をしんから信頼してくれているこの小さい花嫁の言葉を聞き、動作を見ているのが楽しく、これは自分もひょっとしたら、いまにだんだん人間らしいものになる事が出来て、悲惨な死に方などせずにすむのではなかろうかという甘い思いを幽かに胸にあたためはじめていた矢先に、堀木がまた自分の眼前に現われました。
「よう! 色魔。おや? これでも、いくらか分別くさい顔になりやがった。きょうは、高円寺女史からのお使者なんだがね」
 と言いかけて、急に声をひそめ、お勝手でお茶の仕度をしているヨシ子のほうをあごでしゃくって、大丈夫かい? とたずねますので、
「かまわない。何を言ってもいい」
 と自分は落ちついて答えました。
 じっさい、ヨシ子は、信頼の天才と言いたいくらい、京橋のバアのマダムとの間はもとより、自分が鎌倉で起した事件を知らせてやっても、ツネ子との間を疑わず、それは自分が嘘がうまいからというわけでは無く、時には、あからさまな言い方をする事さえあったのに、ヨシ子には、それがみな冗談としか聞きとれぬ様子でした。
「相変らず、しょっていやがる。なに、たいした事じゃないがね、たまには、高円寺のほうへも遊びに来てくれっていう御伝言さ」
 忘れかけると、怪鳥が羽ばたいてやって来て、記憶の傷口をそのくちばしで突き破ります。たちまち過去の恥と罪の記憶が、ありありと眼前に展開せられ、わあっと叫びたいほどの恐怖で、坐っておられなくなるのです。
「飲もうか」
 と自分。
「よし」
 と堀木。
 自分と堀木。形は、ふたり似ていました。そっくりの人間のような気がする事もありました。もちろんそれは、安い酒をあちこち飲み步いている時だけの事でしたが、とにかく、ふたり顔を合せると、みるみる同じ形の同じ毛並の犬に変り降雪のちまたを駈けめぐるという具合いになるのでした。
 その日以来、自分たちは再び旧交をあたためたという形になり、京橋のあの小さいバアにも一緒に行き、そうして、とうとう、高円寺のシヅ子のアパートにもその泥酔の二匹の犬が訪問し、宿泊して帰るなどという事にさえなってしまったのです。
 忘れも、しません。むし暑い夏の夜でした。堀木は日暮頃、よれよれの浴衣を着て築地の自分のアパートにやって来て、きょう或る必要があって夏服を質入したが、その質入が老母に知れるとまことに具合いが悪い、すぐ受け出したいから、とにかく金を貸してくれ、という事でした。あいにく自分のところにも、お金が無かったので、例に依って、ヨシ子に言いつけ、ヨシ子の衣類を質屋に持って行かせてお金を作り、堀木に貸しても、まだ少し余るのでその残金でヨシ子に焼酎しょうちゅうを買わせ、アパートの屋上に行き、隅田川から時たま幽かに吹いて来るどぶ臭い風を受けて、まことに薄汚い納涼の宴を張りました。
 自分たちはその時、喜劇名詞、悲劇名詞の当てっこをはじめました。これは、自分の発明した遊戯で、名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん、喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り、といったようなわけなのでした。
「いいかい? 煙草は?」
 と自分が問います。
「トラ。(悲劇トラジディの略)」
 と堀木が言下に答えます。
「薬は?」
「粉薬かい? 丸薬かい?」
「注射」
「トラ」
「そうかな? ホルモン注射もあるしねえ」
「いや、断然トラだ。針が第一、お前、立派なトラじゃないか」
「よし、負けて置こう。しかし、君、薬や医者はね、あれで案外、コメ(喜劇コメディの略)なんだぜ。死は?」
「コメ。牧師も和尚おしょうも然りじゃね」
「大出来。そうして、生はトラだなあ」
「ちがう。それも、コメ」
「いや、それでは、何でもかでも皆コメになってしまう。ではね、もう一つおたずねするが、漫画家は? よもや、コメとは言えませんでしょう?」
「トラ、トラ。大悲劇名詞!」
「なんだ、大トラは君のほうだぜ」
 こんな、下手な駄洒落だじゃれみたいな事になってしまっては、つまらないのですけど、しかし自分たちはその遊戯を、世界のサロンにもつて存しなかったすこぶる気のきいたものだと得意がっていたのでした。
 またもう一つ、これに似た遊戯を当時、自分は発明していました。それは、対義語アントニムの当てっこでした。黒のアント(対義語アントニムの略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。
「花のアントは?」
 と自分が問うと、堀木は口を曲げて考え、
「ええっと、花月という料理屋があったから、月だ」
「いや、それはアントになっていない。むしろ、同義語シノニムだ。星とすみれだって、シノニムじゃないか。アントでない」
「わかった、それはね、はちだ」
「ハチ?」
牡丹ぼたんに、……ありか?」
「なあんだ、それは画題モチイフだ。ごまかしちゃいけない」
「わかった! 花にむら雲、……」
「月にむら雲だろう」
「そう、そう。花に風。風だ。花のアントは、風」
「まずいなあ、それは浪花節なにわぶしの文句じゃないか。おさとが知れるぜ」
「いや、琵琶びわだ」
「なおいけない。花のアントはね、……およそこの世で最も花らしくないもの、それをこそ挙げるべきだ」
「だから、その、……待てよ、なあんだ、女か」
「ついでに、女のシノニムは?」
「臓物」
「君は、どうも、ポエジイを知らんね。それじゃあ、臓物のアントは?」
「牛乳」
「これは、ちょっとうまいな。その調子でもう一つ。恥。オントのアント」
「恥知らずさ。流行漫画家上司幾太」
「堀木正雄は?」
 この辺から二人だんだん笑えなくなって、焼酎の酔い特有の、あのガラスの破片が頭に充満しているような、陰鬱な気分になって来たのでした。
「生意気言うな。おれはまだお前のように、繩目の恥辱など受けた事が無えんだ」
 ぎょっとしました。堀木は内心、自分を、真人間あつかいにしていなかったのだ、自分をただ、死にぞこないの、恥知らずの、阿呆のばけものの、わば「生けるしかばね」としか解してくれず、そうして、彼の快楽のために、自分を利用できるところだけは利用する、それっきりの「交友」だったのだ、と思ったら、さすがにいい気持はしませんでしたが、しかしまた、堀木が自分をそのように見ているのも、もっともな話で、自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だったのだ、やっぱり堀木にさえ軽蔑せられて至当なのかも知れない、と考え直し、
「罪。罪のアントニムは、何だろう。これは、むずかしいぞ」
 と何気無さそうな表情を装って、言うのでした。
「法律さ」
 堀木が平然とそう答えましたので、自分は堀木の顔を見直しました。近くのビルの明滅するネオンサインの赤い光を受けて、堀木の顔は、鬼刑事の如く威厳ありげに見えました。自分は、つくづくあきれかえり、
「罪ってのは、君、そんなものじゃないだろう」
 罪の対義語が、法律とは! しかし、世間の人たちは、みんなそれくらいに簡単に考えて、澄まして暮しているのかも知れません。刑事のいないところにこそ罪がうごめいている、と。
「それじゃあ、なんだい、神か? お前には、どこかヤソ坊主くさいところがあるからな。いや味だぜ」
「まあそんなに、軽く片づけるなよ。も少し、二人で考えて見よう。これはでも、面白いテーマじゃないか。このテーマに対する答一つで、そのひとの全部がわかるような気がするのだ」
「まさか。……罪のアントは、善さ。善良なる市民。つまり、おれみたいなものさ」
「冗談は、よそうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではない」
「悪と罪とは違うのかい?」
「違う、と思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作った道徳の言葉だ」
「うるせえなあ。それじゃ、やっぱり、神だろう。神、神。なんでも、神にして置けば間違いない。腹がへったなあ」
「いま、したでヨシ子がそら豆を煮ている」
「ありがてえ。好物だ」
 両手を頭のうしろに組んで、仰向あおむけにごろりと寝ました。
「君には、罪というものが、まるで興味ないらしいね」
「そりゃそうさ、お前のように、罪人では無いんだから。おれは道楽はしても、女を死なせたり、女から金を巻き上げたりなんかはしねえよ」
 死なせたのではない、巻き上げたのではない、と心の何処どこかで幽かな、けれども必死の抗議の声が起っても、しかし、また、いや自分が悪いのだとすぐに思いかえしてしまうこの習癖。
 自分には、どうしても、正面切っての議論が出来ません。焼酎の陰鬱な酔いのために刻一刻、気持が険しくなって来るのを懸命に抑えて、ほとんど独りごとのようにして言いました。
「しかし、牢屋ろうやにいれられる事だけが罪じゃないんだ。罪のアントがわかれば、罪の実体もつかめるような気がするんだけど、……神、……救い、……愛、……光、……しかし、神にはサタンというアントがあるし、救いのアントは苦悩だろうし、愛には憎しみ、光には闇というアントがあり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、罪と、……嗚呼ああ、みんなシノニムだ、罪の対語は何だ」
「ツミの対語は、ミツさ。みつの如く甘しだ。腹がへったなあ。何か食うものを持って来いよ」
「君が持って来たらいいじゃないか!」
 ほとんど生れてはじめてと言っていいくらいの、烈しい怒りの声が出ました。
「ようし、それじゃ、したへ行って、ヨシちゃんと二人で罪を犯して来よう。議論より実地検分。罪のアントは、蜜豆、いや、そら豆か」
 ほとんど、ろれつの廻らぬくらいに酔っているのでした。
「勝手にしろ。どこかへ行っちまえ!」
「罪と空腹、空腹とそら豆、いや、これはシノニムか」
 出鱈目でたらめを言いながら起き上ります。
 罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容あいいれざるもの。罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……などと頭脳に走馬燈がくるくる廻っていた時に、
「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」
 堀木の声も顔色も変っています。堀木は、たったいまふらふら起きてしたへ行った、かと思うとまた引返して来たのです。
「なんだ」
 異様に殺気立ち、ふたり、屋上から二階へ降り、二階から、さらに階下の自分の部屋へ降りる階段の中途で堀木は立ち止り、
「見ろ!」
 と小声で言って指差します。
 自分の部屋の上の小窓があいていて、そこから部屋の中が見えます。電気がついたままで、二匹の動物がいました。
 自分は、ぐらぐら目まいしながら、これもまた人間の姿だ、これもまた人間の姿だ、おどろく事は無い、などはげしい呼吸と共に胸の中でつぶやき、ヨシ子を助ける事も忘れ、階段に立ちつくしていました。
 堀木は、大きいせきばらいをしました。自分は、ひとり逃げるようにまた屋上に駈け上り、寝ころび、雨を含んだ夏の夜空を仰ぎ、そのとき自分を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、ものすさまじい恐怖でした。それも、墓地の幽霊などに対する恐怖ではなく、神社の杉木立で白衣の御神体に逢った時に感ずるかも知れないような、四の五の言わさぬ古代の荒々しい恐怖感でした。自分の若白髪は、その夜からはじまり、いよいよ、すべてに自信を失い、いよいよ、ひとを底知れず疑い、この世の営みに対する一さいの期待、よろこび、共鳴などから永遠にはなれるようになりました。実に、それは自分の生涯に於いて、決定的な事件でした。自分は、まっこうから眉間みけんを割られ、そうしてそれ以来その傷は、どんな人間にでも接近する毎に痛むのでした。
「同情はするが、しかし、お前もこれで、少しは思い知ったろう。もう、おれは、二度とここへは来ないよ。まるで、地獄だ。……でも、ヨシちゃんは、ゆるしてやれ。お前だって、どうせ、ろくな奴じゃないんだから。失敬するぜ」
 気まずい場所に、永くとどまっているほどの抜けた堀木ではありませんでした。
 自分は起き上って、ひとりで焼酎を飲み、それから、おいおい声を放って泣きました。いくらでも、いくらでも泣けるのでした。
 いつのまにか、背後に、ヨシ子が、そら豆を山盛りにしたお皿を持ってぼんやり立っていました。
「なんにも、しないからって言って、……」
「いい。何も言うな。お前は、ひとを疑う事を知らなかったんだ。お坐り。豆を食べよう」
 並んで坐って豆を食べました。嗚呼、信頼は罪なりや? 相手の男は、自分に漫画をかかせては、わずかなお金をもったい振って置いて行く三十歳前後の無学な小男の商人なのでした。
 さすがにその商人は、その後やっては来ませんでしたが、自分には、どうしてだか、その商人に対する憎悪よりも、さいしょに見つけたすぐその時に大きい咳ばらいも何もせず、そのまま自分に知らせにまた屋上に引返して来た堀木に対する憎しみと怒りが、眠られぬ夜などにむらむら起ってうめきました。
 ゆるすも、ゆるさぬもありません。ヨシ子は信頼の天才なのです。ひとを疑う事を知らなかったのです。しかし、それゆえの悲惨。
 神に問う。信頼は罪なりや。
 ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。自分のような、いやらしくおどおどして、ひとの顔いろばかり伺い、人を信じる能力が、ひび割れてしまっているものにとって、ヨシ子の無垢むくの信頼心は、それこそ青葉の滝のようにすがすがしく思われていたのです。それが一夜で、黄色い汚水に変ってしまいました。見よ、ヨシ子は、その夜から自分の一顰いっぴん一笑にさえ気を遣うようになりました。
「おい」
 と呼ぶと、ぴくっとして、もう眼のやり場に困っている様子です。どんなに自分が笑わせようとして、お道化を言っても、おろおろし、びくびくし、やたらに自分に敬語を遣うようになりました。
 果して、無垢の信頼心は、罪の原泉なりや。
 自分は、人妻の犯された物語の本を、いろいろ捜して読んでみました。けれども、ヨシ子ほど悲惨な犯され方をしている女は、ひとりも無いと思いました。どだい、これは、てんで物語にも何もなりません。あの小男の商人と、ヨシ子とのあいだに、少しでも恋に似た感情でもあったなら、自分の気持もかえってたすかるかも知れませんが、ただ、夏の一夜、ヨシ子が信頼して、そうして、それっきり、しかもそのために自分の眉間は、まっこうから割られ声が嗄れて若白髪がはじまり、ヨシ子は一生おろおろしなければならなくなったのです。たいていの物語は、その妻の「行為」を夫が許すかどうか、そこに重点を置いていたようでしたが、それは自分にとっては、そんなに苦しい大問題では無いように思われました。許す、許さぬ、そのような権利を留保している夫こそ幸いなるかな、とても許す事が出来ぬと思ったなら、何もそんなに大騒ぎせずとも、さっさと妻を離縁して、新しい妻を迎えたらどうだろう、それが出来なかったら、所謂いわゆる「許して」我慢するさ、いずれにしても夫の気持一つで四方八方がまるく収るだろうに、という気さえするのでした。つまり、そのような事件は、たしかに夫にとって大いなるショックであっても、しかし、それは「ショック」であって、いつまでも尽きること無く打ち返し打ち寄せる波と違い、権利のある夫の怒りでもってどうにでも処理できるトラブルのように自分には思われたのでした。けれども、自分たちの場合、夫に何の権利も無く、考えると何もかも自分がわるいような気がして来て、怒るどころか、おこごと一つも言えず、また、その妻は、その所有しているまれな美質に依って犯されたのです。しかも、その美質は、夫のかねてあこがれの、無垢の信頼心というたまらなく可憐かれんなものなのでした。
 無垢の信頼心は、罪なりや。
 唯一のたのみの美質にさえ、疑惑を抱き、自分は、もはや何もかも、わけがわからなくなり、おもむくところは、ただアルコールだけになりました。自分の顔の表情は極度にいやしくなり、朝から焼酎を飲み、歯がぼろぼろに欠けて、漫画もほとんど猥画わいがに近いものを画くようになりました。いいえ、はっきり言います。自分はその頃から、春画のコピイをして密売しました。焼酎を買うお金がほしかったのです。いつも自分から視線をはずしておろおろしているヨシ子を見ると、こいつは全く警戒を知らぬ女だったから、あの商人といちどだけでは無かったのではなかろうか、また、堀木は? いや、或いは自分の知らない人とも? と疑惑は疑惑を生み、さりとて思い切ってそれを問い正す勇気も無く、れいの不安と恐怖にのたうち廻る思いで、ただ焼酎を飲んで酔っては、わずかに卑屈な誘導訊問じんもんみたいなものをおっかなびっくり試み、内心おろかしく一喜一憂し、うわべは、やたらにお道化て、そうして、それから、ヨシ子にいまわしい地獄の愛撫あいぶを加え、泥のように眠りこけるのでした。
 その年の暮、自分は夜おそく泥酔して帰宅し、砂糖水を飲みたく、ヨシ子は眠っているようでしたから、自分でお勝手に行き砂糖壺を捜し出し、ふたを開けてみたら砂糖は何もはいってなくて、黒く細長い紙の小箱がはいっていました。何気なく手に取り、その箱にはられてあるレッテルを見て愕然がくぜんとしました。そのレッテルは、爪で半分以上もきはがされていましたが、洋字の部分が残っていて、それにはっきり書かれていました。DIAL。
 ジアール。自分はその頃もっぱら焼酎で、催眠剤を用いてはいませんでしたが、しかし、不眠は自分の持病のようなものでしたから、たいていの催眠剤にはお馴染なじみでした。ジアールのこの箱一つは、たしかに致死量以上の筈でした。まだ箱の封を切ってはいませんでしたが、しかし、いつかは、やる気で[#「やる気で」に傍点]こんなところに、しかもレッテルを掻きはがしたりなどして隠していたのに違いありません。可哀想に、あの子にはレッテルの洋字が読めないので、爪で半分掻きはがして、これで大丈夫と思っていたのでしょう。(お前に罪は無い)
 自分は、音を立てないようにそっとコップに水を満たし、それから、ゆっくり箱の封を切って、全部、一気に口の中にほうり、コップの水を落ちついて飲みほし、電燈を消してそのまま寝ました。
 三昼夜、自分は死んだようになっていたそうです。医者は過失と見なして、警察にとどけるのを猶予してくれたそうです。覚醒かくせいしかけて、一ばんさきに呟いたうわごとは、うちへ帰る、という言葉だったそうです。うちとは、どこの事を差して言ったのか、当の自分にも、よくわかりませんが、とにかく、そう言って、ひどく泣いたそうです。
 次第に霧がはれて、見ると、枕元にヒラメが、ひどく不機嫌な顔をして坐っていました。
「このまえも、年の暮の事でしてね、お互いもう、目が廻るくらいいそがしいのに、いつも、年の暮をねらって、こんな事をやられたひには、こっちの命がたまらない」
 ヒラメの話の聞き手になっているのは、京橋のバアのマダムでした。
「マダム」
 と自分は呼びました。
「うん、何? 気がついた?」
 マダムは笑い顔を自分の顔の上にかぶせるようにして言いました。
 自分は、ぽろぽろ涙を流し、
「ヨシ子とわかれさせて」
 自分でも思いがけなかった言葉が出ました。
 マダムは身を起し、幽かな溜息をもらしました。
 それから自分は、これもまた実に思いがけない滑稽とも阿呆らしいとも、形容に苦しむほどの失言をしました。
「僕は、女のいないところに行くんだ」
 うわっはっは、とまず、ヒラメが大声を挙げて笑い、マダムもクスクス笑い出し、自分も涙を流しながら赤面のていになり、苦笑しました。
「うん、そのほうがいい」
 とヒラメは、いつまでもだらし無く笑いながら、
「女のいないところに行ったほうがよい。女がいると、どうもいけない。女のいないところとは、いい思いつきです」
 女のいないところ。しかし、この自分の阿呆くさいうわごとは、のちに到って、非常に陰惨に実現せられました。
 ヨシ子は、何か、自分がヨシ子の身代りになって毒を飲んだとでも思い込んでいるらしく、以前よりもなおいっそう、自分に対して、おろおろして、自分が何を言っても笑わず、そうしてろくに口もきけないような有様なので、自分もアパートの部屋の中にいるのが、うっとうしく、つい外へ出て、相変らず安い酒をあおる事になるのでした。しかし、あのジアールの一件以来、自分のからだがめっきりせ細って、手足がだるく、漫画の仕事も怠けがちになり、ヒラメがあの時、見舞いとして置いて行ったお金(ヒラメはそれを、渋田の志です、と言っていかにもご自身から出たお金のようにして差出しましたが、これも故郷の兄たちからのお金のようでした。自分もその頃には、ヒラメの家から逃げ出したあの時とちがって、ヒラメのそんなもったい振った芝居を、おぼろげながら見抜く事が出来るようになっていましたので、こちらもずるく、全く気づかぬ振りをして、神妙にそのお金のお礼をヒラメに向って申し上げたのでしたが、しかし、ヒラメたちが、なぜ、そんなややこしいカラクリをやらかすのか、わかるような、わからないような、どうしても自分には、へんな気がしてなりませんでした)そのお金で、思い切ってひとりで南伊豆の温泉に行ってみたりなどしましたが、とてもそんな悠長な温泉めぐりなど出来るがらではなく、ヨシ子を思えばびしさ限りなく、宿の部屋から山を眺めるなどの落ちついた心境には甚だ遠く、ドテラにも着換えず、お湯にもはいらず、外へ飛び出しては薄汚い茶店みたいなところに飛び込んで、焼酎を、それこそ浴びるほど飲んで、からだ具合いを一そう悪くして帰京しただけの事でした。
 東京に大雪の降った夜でした。自分は酔って銀座裏を、ここはお国を何百里、ここはお国を何百里、と小声で繰り返し繰り返し呟くように歌いながら、なおも降りつもる雪を靴先で蹴散けちらして步いて、突然、吐きました。それは自分の最初の喀血かっけつでした。雪の上に、大きい日の丸の旗が出来ました。自分は、しばらくしゃがんで、それから、よごれていない個所の雪を両手ですくい取って、顔を洗いながら泣きました。
 こうこは、どうこの細道じゃ?
 こうこは、どうこの細道じゃ?
 哀れな童女の歌声が、幻聴のように、かすかに遠くから聞えます。不幸。この世には、さまざまの不幸な人が、いや、不幸な人ばかり、と言っても過言ではないでしょうが、しかし、その人たちの不幸は、所謂世間に対して堂々と抗議が出来、また「世間」もその人たちの抗議を容易に理解し同情します。しかし、自分の不幸は、すべて自分の罪悪からなので、誰にも抗議の仕様が無いし、また口ごもりながら一言でも抗議めいた事を言いかけると、ヒラメならずとも世間の人たち全部、よくもまあそんな口がきけたものだとあきれかえるに違いないし、自分はいったい俗にいう「わがままもの」なのか、またはその反対に、気が弱すぎるのか、自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、どこまでもおのずからどんどん不幸になるばかりで、防ぎ止める具体策など無いのです。
 自分は立って、取り敢えず何か適当な薬をと思い、近くの薬屋にはいって、そこの奥さんと顔を見合せ、瞬間、奥さんは、フラッシュを浴びたみたいに首をあげ眼を見はり、棒立ちになりました。しかし、その見はった眼には、驚愕の色も嫌悪の色も無く、ほとんど救いを求めるような、慕うような色があらわれているのでした。ああ、このひとも、きっと不幸な人なのだ、不幸な人は、ひとの不幸にも敏感なものなのだから、と思った時、ふと、その奥さんが松葉杖まつばづえをついて危かしく立っているのに気がつきました。駈け寄りたい思いを抑えて、なおもその奥さんと顔を見合せているうちに涙が出て来ました。すると、奥さんの大きい眼からも、涙がぽろぽろとあふれて出ました。
 それっきり、一言も口をきかずに、自分はその薬屋から出て、よろめいてアパートに帰り、ヨシ子に塩水を作らせて飲み、黙って寝て、翌る日も、風邪気味だと嘘をついて一日一ぱい寝て、夜、自分の秘密の喀血がどうにも不安でたまらず、起きて、あの薬屋に行き、こんどは笑いながら、奥さんに、実に素直に今迄のからだ具合いを告白し、相談しました。
「お酒をおよしにならなければ」
 自分たちは、肉身のようでした。
「アル中になっているかも知れないんです。いまでも飲みたい」
「いけません。私の主人も、テーベのくせに、菌を酒で殺すんだなんて言って、酒びたりになって、自分から寿命をちぢめました」
「不安でいけないんです。こわくて、とても、だめなんです」
「お薬を差し上げます。お酒だけは、およしなさい」
 奥さん(未亡人で、男の子がひとり、それは千葉だかどこだかの医大にはいって、間もなく父と同じ病いにかかり、休学入院中で、家には中風のしゅうとが寝ていて、奥さん自身は五歳の折、小児痲痺まひで片方の脚が全然だめなのでした)は、松葉杖をコトコトと突きながら、自分のためにあっちの棚、こっちの引出し、いろいろと薬品を取そろえてくれるのでした。
 これは、造血剤。
 これは、ヴィタミンの注射液。注射器は、これ。
 これは、カルシウムの錠剤。胃腸をこわさないように、ジアスターゼ。
 これは、何。これは、何、と五、六種の薬品の説明を愛情こめてしてくれたのですが、しかし、この不幸な奥さんの愛情もまた、自分にとって深すぎました。最後に奥さんが、これは、どうしても、なんとしてもお酒を飲みたくて、たまらなくなった時のお薬、と言って素早く紙に包んだ小箱。
 モルヒネの注射液でした。
 酒よりは、害にならぬと奥さんも言い、自分もそれを信じて、また一つには、酒の酔いもさすがに不潔に感ぜられて来た矢先でもあったし、久し振りにアルコールというサタンからのがれる事の出来る喜びもあり、何の躊躇ちゅうちょも無く、自分は自分の腕に、そのモルヒネを注射しました。不安も、焦燥しょうそうも、はにかみも、綺麗きれいに除去せられ、自分は甚だ陽気な能弁家になるのでした。そうして、その注射をすると自分は、からだの衰弱も忘れて、漫画の仕事に精が出て、自分で画きながら噴き出してしまうほど珍妙な趣向が生れるのでした。
 一日一本のつもりが、二本になり、四本になった頃には、自分はもうそれが無ければ、仕事が出来ないようになっていました。
「いけませんよ、中毒になったら、そりゃもう、たいへんです」
 薬屋の奥さんにそう言われると、自分はもう可成りの中毒患者になってしまったような気がして来て、(自分は、ひとの暗示に実にもろくひっかかるたちなのです。このお金は使っちゃいけないよ、と言っても、お前の事だものなあ、なんて言われると、何だか使わないと悪いような、期待にそむくような、へんな錯覚が起って、必ずすぐにそのお金を使ってしまうのでした)その中毒の不安のため、かえって薬品をたくさん求めるようになったのでした。
「たのむ! もう一箱。勘定は月末にきっと払いますから」
「勘定なんて、いつでもかまいませんけど、警察のほうが、うるさいのでねえ」
 ああ、いつでも自分の周囲には、何やら、濁って暗く、うさん臭い日蔭者の気配がつきまとうのです。
「そこを何とか、ごまかして、たのむよ、奥さん。キスしてあげよう」
 奥さんは、顔を赤らめます。
 自分は、いよいよつけ込み、
「薬が無いと仕事がちっとも、はかどらないんだよ。僕には、あれは強精剤みたいなものなんだ」
「それじゃ、いっそ、ホルモン注射がいいでしょう」
「ばかにしちゃいけません。お酒か、そうでなければ、あの薬か、どっちかで無ければ仕事が出来ないんだ」
「お酒は、いけません」
「そうでしょう? 僕はね、あの薬を使うようになってから、お酒は一滴も飲まなかった。おかげで、からだの調子が、とてもいいんだ。僕だって、いつまでも、下手くそな漫画などをかいているつもりは無い、これから、酒をやめて、からだを直して、勉強して、きっと偉い絵画きになって見せる。いまが大事なところなんだ。だからさ、ね、おねがい。キスしてあげようか」
 奥さんは笑い出し、
「困るわねえ。中毒になっても知りませんよ」
 コトコトと松葉杖の音をさせて、その薬品を棚から取り出し、
「一箱は、あげられませんよ。すぐ使ってしまうのだもの。半分ね」
「ケチだなあ、まあ、仕方が無いや」
 家へ帰って、すぐに一本、注射をします。
「痛くないんですか?」
 ヨシ子は、おどおど自分にたずねます。
「それあ痛いさ。でも、仕事の能率をあげるためには、いやでもこれをやらなければいけないんだ。僕はこの頃、とても元気だろう? さあ、仕事だ。仕事、仕事」
 とはしゃぐのです。
 深夜、薬屋の戸をたたいた事もありました。寝巻姿で、コトコト松葉杖をついて出て来た奥さんに、いきなり抱きついてキスして、泣く真似をしました。
 奥さんは、黙って自分に一箱、手渡しました。
 薬品もまた、焼酎同様、いや、それ以上に、いまわしく不潔なものだと、つくづく思い知った時には、既に自分は完全な中毒患者になっていました。真に、恥知らずのきわみでした。自分はその薬品を得たいばかりに、またも春画のコピイをはじめ、そうして、あの薬屋の不具の奥さんと文字どおりの醜関係をさえ結びました。
 死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、恥の上塗りをするだけなんだ、自転車で青葉の滝など、自分には望むべくも無いんだ、ただけがらわしい罪にあさましい罪が重なり、苦悩が増大し強烈になるだけなんだ、死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ、などと思いつめても、やっぱり、アパートと薬屋の間を半狂乱の姿で往復しているばかりなのでした。
 いくら仕事をしても、薬の使用量もしたがってふえているので、薬代の借りがおそろしいほどの額にのぼり、奥さんは、自分の顔を見ると涙を浮べ、自分も涙を流しました。
 地獄。
 この地獄からのがれるための最後の手段、これが失敗したら、あとはもう首をくくるばかりだ、という神の存在をけるほどの決意をって、自分は、故郷の父あてに長い手紙を書いて、自分の実情一さいを(女の事は、さすがに書けませんでしたが)告白する事にしました。
 しかし、結果は一そう悪く、待てど暮せど何の返事も無く、自分はその焦燥と不安のために、かえって薬の量をふやしてしまいました。
 今夜、十本、一気に注射し、そうして大川に飛び込もうと、ひそかに覚悟を極めたその日の午後、ヒラメが、悪魔の勘でぎつけたみたいに、堀木を連れてあらわれました。
「お前は、喀血したんだってな」
 堀木は、自分の前にあぐらをかいてそう言い、いままで見た事も無いくらいに優しく微笑ほほえみました。その優しい微笑が、ありがたくて、うれしくて、自分はつい顔をそむけて涙を流しました。そうして彼のその優しい微笑一つで、自分は完全に打ち破られ、葬り去られてしまったのです。
 自分は自動車に乗せられました。とにかく入院しなければならぬ、あとは自分たちにまかせなさい、とヒラメも、しんみりした口調で、(それは慈悲深いとでも形容したいほど、もの静かな口調でした)自分にすすめ、自分は意志も判断も何も無い者の如く、ただメソメソ泣きながら唯々諾々と二人の言いつけに従うのでした。ヨシ子もいれて四人、自分たちは、ずいぶん永いこと自動車にゆられ、あたりが薄暗くなった頃、森の中の大きい病院の、玄関に到着しました。
 サナトリアムとばかり思っていました。
 自分は若い医師のいやに物やわらかな、鄭重ていちょうな診察を受け、それから医師は、
「まあ、しばらくここで静養するんですね」
 と、まるで、はにかむように微笑して言い、ヒラメと堀木とヨシ子は、自分ひとりを置いて帰ることになりましたが、ヨシ子は着換の衣類をいれてある風呂敷包を自分に手渡し、それから黙って帯の間から注射器と使い残りのあの薬品を差し出しました。やはり、強精剤だとばかり思っていたのでしょうか。
「いや、もう要らない」
 実に、珍らしい事でした。すすめられて、それを拒否したのは、自分のそれまでの生涯に於いて、その時ただ一度、といっても過言でないくらいなのです。自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。けれども、自分はその時、あれほど半狂乱になって求めていたモルヒネを、実に自然に拒否しました。ヨシ子の謂わば「神の如き無智」に撃たれたのでしょうか。自分は、あの瞬間、すでに中毒でなくなっていたのではないでしょうか。
 けれども、自分はそれからすぐに、あのはにかむような微笑をする若い医師に案内せられ、或る病棟にいれられて、ガチャンとかぎをおろされました。脳病院でした。
 女のいないところへ行くという、あのジアールを飲んだ時の自分の愚かなうわごとが、まことに奇妙に実現せられたわけでした。その病棟には、男の狂人ばかりで、看護人も男でしたし、女はひとりもいませんでした。
 いまはもう自分は、罪人どころではなく、狂人でした。いいえ、断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬間といえども、狂った事は無いんです。けれども、ああ、狂人は、たいてい自分の事をそう言うものだそうです。つまり、この病院にいれられた者は気違い、いれられなかった者は、ノーマルという事になるようです。
 神に問う。無抵抗は罪なりや?
 堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人はいじんという刻印を額に打たれる事でしょう。
 人間、失格。
 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
 ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池にあかい睡蓮の花が咲いているのが見えましたが、それから三つき経ち、庭にコスモスが咲きはじめ、思いがけなく故郷の長兄が、ヒラメを連れて自分を引き取りにやって来て、父が先月末に胃潰瘍いかいようでなくなったこと、自分たちはもうお前の過去は問わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未練もあるだろうがすぐに東京から離れて、田舎で療養生活をはじめてくれ、お前が東京でしでかした事の後仕末は、だいたい渋田がやってくれた筈だから、それは気にしないでいい、とれいの生真面目な緊張したような口調で言うのでした。
 故郷の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。
 まさに癈人。
 父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜ふぬけたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
 長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生れて育った町から汽車で四、五時間、南下したところに、東北には珍らしいほど暖かい海辺の温泉地があって、その村はずれの、間数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁はげ落ち、柱は虫に食われ、ほとんど修理の仕様も無いほどの茅屋ぼうおくを買いとって自分に与え、六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり附けてくれました。
 それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦喧嘩げんかみたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一進一退、痩せたりふとったり、血痰けったんが出たり、きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と違う形の箱のカルモチンを買って来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。
 自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。
「これは、お前、カルモチンじゃない。ヘノモチン、という」
 と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。
 いまは自分には、幸福も不幸もありません。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理[#「真理」に傍点]らしく思われたのは、それだけでした。
 ただ、一さいは過ぎて行きます。
 自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
[#改頁]

   あとがき

 この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド.バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細くり上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド.バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったから、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけである。
 然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
 船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
 そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあの京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出してくれた様子で、互いに大袈裟おおげさに驚き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、
「あなたは、しかし、かわらない」
「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」
「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」
 などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、
「何か、小説の材料になるかも知れませんわ」
 と言った。
 私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。
 その夜、友人とわずかなお酒をみ交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。
 その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。
 子供たちへの土産の海産物は、干物ひものだけ。私は、リュックサックを背負って友人のもとを辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、
「きのうは、どうも。ところで、……」
 とすぐに切り出し、
「このノートは、しばらく貸していただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
 何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

底本:「人間失格」新潮文庫、新潮社
   1952(昭和27)年10月30日発行
   1985(昭和60)年1月30日100刷改版
入力:細渕真弓
校正:八巻美惠
1999年1月1日公開
2004年2月23日修正
青空文庫作成ファイル:
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2017-09-14
人间失格

丧失为人的资格

杨伟 译


  我曾经看见过那个男人的三张照片。

  第一张,可以说是他幼年时代的相片,想必是在十岁前后拍下的。只见照片上的这个男孩子被众多的女人簇拥着(看来,这些女人是他的姐姐、妹妹、亦或堂表姐、堂表妹),他站在庭院的水池畔,身穿粗条纹的裙裤,将脑袋向左倾斜了近三十度,脸上挂着煞是丑陋的笑容。丑陋?!殊不知即使感觉迟钝的人(即对美和丑漠不关心的人)摆出一副冷淡而麻木的表情,不负责任地夸奖他是“一个怪可爱的孩子呐”,也不会让人觉得这种夸奖纯属空穴来风。在那孩子的笑脸上并不是找不到那种人们通常所说的“可爱”的影子来。但倘若是一个哪怕才受过一点审美训练的人,也会在一瞥之间立刻发出“哎呀,一个多讨厌的孩子”之类的牢骚,甚至或许会用掸落毛虫时那种手势,一下子把照片扔在地上吧。

  说真的,不知为什么,那孩子的笑脸越看越让人觉得讨厌、发悚。其实那本来就不是一张笑脸。这男孩一点儿也没有笑。其证据是,他攥紧了两只拳头站在那儿。人是不可能一边攥紧拳头一边微笑的。唯有猴子才会那样。那分明是猴子的笑脸。他只不过是把丑陋的皱纹聚集在了脸上而已。照片上的他,一副奇妙的神情,显得猥琐,让人恶心,谁见了都忍不住想说“这是一个皱巴巴的小老头”。迄今为止,我还从来没有看到过哪个孩子做出这样一种奇怪的表情。

  第二张照片上的他,脸部发生了很大的变化,让人不由得大吃一惊。那是一副学生的打扮。尽管很难断定是高中时代还是大学时代,但他已出落为一个相当英俊的学生了。不过有一点让人觉得有些蹊跷,这张照片上的他竟没有一点那种活生生的人的感觉。他穿着学生服,从胸前的口袋处露出白色的手绢,交叉着双腿坐在藤椅上,并且还在笑着。然而,这一次的笑容,不再是那种皱巴巴的猴子的笑,而是变成了颇为巧妙的微笑,但不知为何,总与人的笑容大相径庭,缺乏那种可以称之为鲜血的凝重或是生命的涩滞之类的充实感。那笑容不像鸟,而像羽毛一样轻飘飘的,他就那么笑着,恰似白纸一张,总之,让人觉得那是一种彻头彻尾的人工制品,既便把它斥之为“矫饰”斥之为“轻薄”,斥之为“女人气”都嫌不够,称之为“喜好刀尺”就更不解气了。仔细打量的话,也会从这个英俊的学生身上找到某种近似于怪诞的可怕东西。迄今为止,我还从来没有看到过如此怪异的英俊青年。

  第三张照片是最为古怪的,简直让人再也无法判定他的年龄。头上像是已经有了些许白发。那是在某个肮脏无比的房间中的一隅(照片上清晰可见,那房间的墙壁上有三处已经剥落),他把双手伸到小小的火盆烤火,只是这一次他没有笑,脸上没有任何表情。他就那么坐着,把双手伸向火盆,俨然已经自然而然地死去了一般。这分明是一张弥漫着不祥气氛的照片。但奇怪的还不止这一点。照片把他的脸拍得比较大,使我得以仔细端详那张脸的结构。额头长得很平庸,还有眉毛、眼睛。鼻子、嘴巴和下颌。哎呀,这张脸岂止是毫无表情,甚至不能给人留下任何印象。它缺乏特征,比如说,一旦我看过照片后闭上双眼,那张脸便即刻被我忘在九霄云外。尽管我能回忆起那房间的墙壁以及小小的火盆等等,可对于那房间中主人公的印象,却一下子云消雾散,无论如何也想不起来。那是一张不可能成其为画面的脸,一张甚至不可能画成漫画的脸。于是,我又睁开眼看了看这张照片,哦,原来是这样一张照片啊。我甚至没有那种回想起了那张脸以后的愉悦感。如果采用一种极端的说法,即使我再次睁开了双眼端详那张照片也无法回忆起那张脸来,而只能变得越发怏怏不乐、焦躁不安,最后索性把视线掉向一边了事。

  即使是所谓的“死相”,也应该再多一些表情或是印象吧?或许把驽马的脑袋硬安在人的身体之上,就会产生与此类似的感觉吧。总之,那照片无缘无故地让人看了毛骨悚然,心生厌恶。迄今为止,我还没有看见过像他那样不可思议的脸。

手记之一

  我过的是一种充满耻辱的生活。

  对我来说,所谓人的生活是难以捉摸的。因为我出生在东北的乡下,所以初次见到火车,还是长大了以后的事情。我在火车站的天桥上爬上爬下,完全没有察觉到天桥的架设乃是便于人们跨越铁轨,相反认为,其复杂的结构,仅仅是为了把车站建成外国的游乐场那样又过瘾又时髦的设施。很长一段时间我一直都这么想。沿着天桥上上下下,这在我看来,毋宁说是一种超凡脱俗的俏皮游戏,甚至我认为,它是铁路的种种服务中最善解人意的一种。尔后,当我发现它不过是为了方便乘客跨越铁轨而架设的及其实用的阶梯时,不由得大为扫兴。

  另外,在孩提时代,我从小人书上看到地铁时,也以为它的设计并非出自于实用性需要,而是缘于另一个更好玩的目的:即比起乘坐地面上的车辆,倒是乘坐地下的车辆更显得别出心裁,趣味横生。

  从幼年时代起,我就体弱多病,常常卧床不起。我总是一边躺着,一边思忖到:这些床单、枕套、被套、全都是无聊的装饰品。直到自己二十岁左右才恍然大悟,原来它们都不过是一些实用品罢了。于是,我对人类的节俭不禁感到黯然神伤。

  还有,我也不知道饥肠辘辘是何等滋味。这倒并不是故意炫耀自己生长在不愁吃不愁穿的富贵人家。我绝不是在那样一种愚蠢而浅薄的意义上这么说的,只是我真的对“饥肠辘辘”的感觉一无所知而已。或许我这样说有点蹊跷,但是即使我两腹空空,也真的不会有所察觉。在上小学和中学时,一旦我从学校回到家里,周围的人就会七嘴八舌地问道:“哎呀,肚子也该饿了吧,我们都有过类似的体验呐。放学回家那种饥饿感,可真要人命啦。吃点甜纳豆怎么样?家里还有蛋糕和面包哟。”而我只顾着发挥自己与生俱来的那种讨好人的秉性,一边嗫嚅着“我饿了我饿了”一边把十粒甜纳豆一股脑儿塞进嘴巴里。正因为如此,我对所谓的“饥饿感”是何等滋味,一点也不了解。

  当然,我也吃很多东西,但我不曾记得,有哪一次是因为饥饿才吃的。我吃那些看起来珍奇的东西,看起来奢华的东西。还有去别人家时,对于主人端上来的食物,我即使勉为其难也要咽下肚去。在孩提时代的我看来,最痛苦难捱的莫过于自己家吃饭的时候。

  在我乡下的家中,就餐时,全家人一共有十个左右,大家各自排成两列入座。作为最小的孩子,我当然是坐在最靠边的席位上。用餐的房间有些昏暗,吃午饭时只见十几个人全都一声不响的嚼着饭粒,那情形总让我不寒而栗。再加上这是一个古板的旧式家族,所以,每顿端上饭桌的菜肴几乎都是一成不变的,不可能奢望出现什么稀奇的山珍,亦或奢华的海味,以至我对用餐时刻充满了恐惧。我坐在那幽暗房间的末席上,因寒冷而浑身颤抖。我把饭菜一点一点勉强塞进口中,不住地忖度着:“人为什么要一日三餐呢?大家都一本正经地板着面孔吃饭,这似乎成了一种仪式。一家老小,一日三餐,在规定的时间内聚集到一间阴暗的屋子里,井然有序地并排坐着,不管你有没有食欲,都得一声不吭地咀嚼着,还一边佝着身躯埋下头来,就像是对着那蛰居于家中的神灵们祈祷一样。”

  “不吃饭就会饿死”,这句话在我的耳朵听来,无异于一种讨厌的恐吓。任这种迷信(即使到今天,我依旧觉得这是一种迷信)却总是带给我不安与恐惧。“人因为不吃饭就会饿死,所以才不得不干活,才不得不吃饭”——在我看来,没有比这句话更晦涩难懂,更带有威吓性的言辞了。

  总之,也就意味着,我对人类的营生仍然是迷惑不解。自己的幸福观与世上所有人的幸福观风马牛不相及,这使我深感不安,并因为这种不安而每夜辗转难眠,呻吟不止,乃至精神发狂。我究竟是不是幸福呢?说实话尽管我打幼小起,就常常被人们称之为幸福的人,可是我自己却总是陷入一种置身于地狱的心境中,反倒认为那些说我幸福的人比我快乐得多,我和他们是无法相提并论的。

  我甚至认为,自己背负着十大灾难,即使将其中的任何一个交给别人来承受,也将会置他于死地。

  反正我是弄不明白的。别人苦恼的性质和程度,都是我捉摸不透的谜。实用性的苦恼,仅仅依靠吃饭就一笔勾销的苦恼,或许这才是最为强烈的痛苦,是惨烈得足以使我所列举的十大灾难显得无足轻重的阿鼻地狱。但我对此却一无所知。尽管如此,他们却能够不思自杀,免于疯狂,纵谈政治,竟不绝望,不屈不挠,继续与生活搏斗。他们不是并不痛苦吗?他们使自己成为彻底的利己主义者,并虔信那一切理所当然,曾几何时怀疑过自己呢?这样一来,不是很轻松惬意吗?然而,所谓的人并不全部如此,并引以满足吗?我确实弄不明白……或许夜里酣然入睡,早晨就会神清气爽吧?他们在夜里都梦见了什么呢?他们一边款款而行,一边思考着什么呢?是金钱吗?绝不可能仅仅如此吧?尽管我曾听说过“人是为了吃饭而活着的”,但却从不曾听说过“人是为了金钱而活着的”。不,或许……不,就连这一点我也没法开窍。……越想越困惑,最终的下场就是被“唯有自己一个人与众不同”的不安和恐惧牢牢攫住。我与别人无从交谈,该说什么,该怎么说,我都不知道。

  在此,我想到了一个招数,那就是扮演滑稽的角色来逗笑。

  这是我对人类最后的求爱。尽管我对人类满腹恐惧,但却怎么也没法对人类死心。并且,我依靠逗笑这一根细线保持住了于人类的一丝联系。表面上我不断地强装出笑脸,可内心里却是对人类拼死拼活的服务,汗流浃背的服务。

  从孩提时代起,我就对家里人每天思考些什么,又是如何艰难地求生,不得而知。我只是对其中的隔膜心怀恐惧,不堪忍受,以致于不得不采取了扮演滑稽角色来逗笑的方式。即是说,我在不知不觉之间已经变成了一个不说真话来讨好卖乖的孩子。

  只要看一看当时我与家人们一起拍的留影,就会发现:其他人都是一本正经的脸色,惟独我一个人总是莫名其妙地歪着脑袋发笑。事实上,这也是我幼稚而可悲的一种逗笑方式。

  而且,无论家里人对我说什么,我都从不还嘴顶撞。他们寥寥数语的责备,在我看来就如同晴天霹雳一般,使我近乎疯狂,哪里还谈得上以理相争呢?我甚至认为,那些责备之辞乃是万世不变的人间“真谛”,只是自己没有力量去实践那种“真谛”罢了,所以才无法与人们共同相处。正因为如此,我自己既不能抗争也不能辩解。一旦别人说我坏话,我就觉得是自己误解了别人的意思一样,只能默默地承受那种攻击,可内向却感到一种近乎狂乱的狂惧。

  不管是谁,如果遭到别人的谴责或是怒斥,都是不会感到愉快的。但我却从人们动怒的面孔中发现了比狮子、鳄鱼、巨龙更可怕的动物本性。平常他们总是隐藏起这种动物本性,可一旦遇到某个时机,他们就会像那些温文尔雅地躺在草地上歇息的牛,蓦然甩动尾巴抽死肚皮上的牛虻一般,暴露出人的这种本性。见此情景,我总是不由得毛骨悚然。可一旦想到,这种本性也是人类赖以生存的资格之一,便只能对自身感到由衷的绝望了。

  我一直对人类畏葸不已,并因这种畏葸而战栗,对作为人类一员的自我的言行也没有自信,因此只好将独自一人的懊恼深藏在胸中的小盒子里,将精神上的忧郁和过敏密闭起来,伪装成天真无邪的乐天外表,使自己一步一步地彻底变成了一个滑稽逗笑的畸形人。

  无论如何都行,只要能让他们发笑。这样一来,即使我处于他们所说的那种“生活”之外,也不会引起他们的注意吧。总而言之,不能有碍他们的视线。我是“无”,是“风”,是“空”。诸如此类的想法日积月累,有增无减,我只能用滑稽的表演来逗家人们发笑,甚至在比家人更费解更可怕的男佣和女佣面前,也拼命地提供滑稽小丑的逗乐服务。

  夏天,我居然在浴衣下面套上一件鲜红的毛衣,沿着走廊走来走去,惹得家里人捧腹大笑,甚至连不苟言笑的兄长也忍俊不禁:

  “喂,阿叶,那种穿着不合时宜哟!”

  他的语气里充满了无限的爱怜。是啊,无论怎么说,我都不是那种不知冷暖,以致于会在大热天里裹着毛衣四处窜动的怪人呐。其实,我是把姐姐的绑腿缠在了两只手臂上,让它们从浴衣的袖口中露出一截,以便在旁人的眼里看来,我身上像是穿了一件毛衣似的。

  我的父亲在东京有不少公务,所以,他在上野的樱木町购置了一栋别墅,一个月中的大部分时间都是在那里度过的。回到家里时,总是给家中的人,甚至包括亲戚老表们,都带回很多的礼物。这俨然是父亲的一大嗜好。某一次,在上京前夕,父亲把孩子们召集到客厅里,笑着一一问每个小孩,下次他回来时,带什么礼物才好,并且把孩子们的答复一一写在了记事本上。父亲对孩子们如此亲热,还是很罕有的事情。

  “叶藏呢?”

  被父亲一问,我顿时语塞了。

  一旦别人问起自己想要什么,那一刹那反倒什么都不想要了。怎么样都行,反正不可能有什么让我快乐的东西——这种想法陡然掠过我的脑海。同时,只要是别人赠与我的东西,无论它多么不合我的口味,也是不能拒绝的。对讨厌的事不能说讨厌,而对喜欢的事呢,也是一样,如同战战兢兢地行窃一般,我只是咀嚼到一种苦涩的滋味,因难以明状的恐惧感而痛苦挣扎。总之,我甚至缺乏力量在喜欢与厌恶其间择取其一。在我看来,多年以后,正是这种性格作为一个重要的因素,造成了我自己所谓的那种“充满耻辱的生涯”。

  见我一声不吭,扭扭捏捏的,父亲的脸上泛起了不快的神色,说道:

  “还是要书吗……浅草的商店街里,有一种狮子卖,就是正月里跳的狮子舞的那一种呐。论大小嘛,正适合小孩子披在身上玩。你不想要吗?”

  一旦别人问起我“你不想要吗”,我已是黔驴技穷了,再也不可能做出逗人发笑或是别的什么回答了。逗笑的滑稽演员至此已是徒有虚名了。

  “还是书好吧。”长兄一副认真的表情说道。

  “是吗?”父亲一脸扫兴的神色,甚至没有记下来就“啪”的一声关上了记事本。

  这是多么惨痛的失败啊!我居然惹恼了父亲。父亲的报复必定是很可怕的。眼下如果不想想办法,不是就不可挽回了吗?那天夜里,我躺在被窝里一边打着冷颤,一边思忖着,然后蹑手蹑脚地站起身走向客厅。我来到父亲刚才放记事本的桌子旁边,打开抽屉取出记事本,啪啦啪啦地翻开,找到记录着礼物的那一页,用铅笔写下“狮子舞”后才折回去睡了。对于那狮子舞中的狮子,我提不起一星半点的欲望,毋宁说倒是书还强一点。但我察觉到,父亲有意送给我那种狮子,为了迎合父亲的意志,重讨父亲的欢心,我才胆敢深夜冒险,悄悄溜进了客厅。

  果然,我的这种非同寻常的手段取得了预料之中的巨大成功。不久,父亲从东京归来了。我在小孩的房间里听到父亲大声地对母亲说道:

  “在商店的玩具铺里,我打开记事本一看,嗨,上面竟然写着”狮子舞”。那可不是我的字迹呢。那又是谁写的呢?我想来想去,总算是猜了出来。原来是叶藏那个孩子的恶作剧哩。这小子呀,当我问他的时候,他只是一个劲儿地嗤嗤笑着,默不做声,可事后却想要那狮子想得不得了。真是个奇怪的孩子呐。装作什么都不知道的样子,自个儿却一板一眼地写了上去。如果真是那么想要的话,直接告诉我不就得了吗?所以呀,我在玩具铺里忍不住笑了。快把叶藏给我叫来吧。”

  我把男女佣人召集到房间里,让其中的一个男佣胡乱地敲打着钢琴的琴键(尽管这是偏僻的乡下,可在这个家里却几乎配备了所有的家什)。我则伴随着那乱七八糟的曲调,跳起了印第安舞蹈供他们观赏,逗得众人捧腹大笑。二哥则点上镁光灯,拍摄下了我的印第安舞蹈。等照片冲洗出来一看,从我围腰布的合缝处(那围腰布不过是一块印花布的包袱皮罢了),竟露出一个小雀雀。顿时这又引来了满堂的哄笑。或许这也可以称之为以外的成功吧。

  每个月我都定购不下十种新出版的少年杂志,此外,还从东京邮购了各种书籍,默默地阅读。所以,对麦恰拉克恰拉博士呀,纳蒙贾博士呀,我都颇为熟悉。并且对鬼怪故事、评书相声、江户笑话之类的东西,也相当精通。因此,我能够常常一本正经地说一些滑稽的笑话,令家人捧腹大笑。

  然而,呜呼,学校!

  在学校里我也开始受到了众人的尊敬。“受人尊敬”,这种念头本身也让我畏葸不已。我对受人尊敬这一状态进行了如下定义:近于完美无缺地蒙骗别人,尔后又被某个全智全能之人识破真相,最终原形毕露,被迫当众出丑,以致于比死亡更难堪更困窘。即使依靠欺骗赢得了别人的尊敬,无疑也有某个人熟谙其中的真相。不久,那个人必定会告知其他的人。当人们发觉自己上当受骗后,那种愤怒和报复将是怎样一种情形呢?即使稍加想象,也不由得毛发竖立。

  我在学校里受到众人的拥戴,与其说是因为出生于富贵人家,不如说是得益于那种俗话所说的“聪明”。我自幼体弱多病,常常休学一个月、两个月,甚至曾经卧床休息过一学年。尽管如此,我还是拖着大病初愈的身子,搭乘人力车到学校,接受了学年末的考试,殊不知比班上所有的人都考得出色。即使在身体健康的时候,我也毫不用功,纵然去上学,也只是在上课的时间里一直画漫画,等到下课休息时,再把它们展示给班上的同学看,说明给他们听,惹得他们哄堂大笑。而上作文课时,我尽写一些滑稽故事,即使受到老师的提醒,也照写不误。因为我知道,其实老师正悄悄地以阅读我的滑稽故事为乐呢。有一天,我按照惯例,用特别凄凉的笔调描写了自己某一次丢人现眼的经历。那是我跟随母亲去东京的途中,我把火车车厢里通道上的痰盂当成了尿壶,把尿撒在了里面(事实上,在去东京时,我并不是不知道那是痰盂才出的丑,而是为了炫耀小孩子的天真无知故意这么做的)。我深信,这样的写法肯定能逗得老师发笑。所以就轻手轻脚地跟踪在走向教员休息室的老师背后。只见老师一出教室,就从班上同学的作文中挑出我的作文,一边走过走廊,一边开始读了起来。他“嗤嗤”地偷偷笑着,不久便走进了教员休息室。或许是已经读完了吧,只见他满脸通红大声笑着,劝其他老师也立即浏览一遍。见此情形,我不由得心满意足。

  淘气鬼的恶作剧。

  我成功地让别人把这视为“仅仅是一个淘气鬼的恶作剧罢了”。我成功地从受人尊敬的恐惧中逃离了出来。成绩单上所有的学科都是十分,唯有品行这一项要么是七分,要么是六分,这也成了家里人的笑料之一。

  事实上,我与那种淘气鬼的恶作剧本质上是恰恰相悖的。那时,我被男女佣人教唆着做出了可悲的丑事。事到如今我认为,对年幼者干出那种事情,无疑是人类所能犯下的罪孽中最丑恶最卑劣的行径。但我还是忍受了这一切,并萌生了一种感觉,仿佛由此而发现了人类的另一种特质似的。我只能软弱地苦笑。如果我有那种诉说真相的习惯,那么,或许我就能够毫不胆怯地向父母控诉他们的罪行吧,可是,我却连自己的父母都不可能完全了解。我一点也不指望那种“诉诸于人”的手段。无论是诉诸父亲还是母亲,也不管诉诸警察,或是政府,最终难道不是照样被那些深谙世故之人强词夺理击败了吗?

  不公平现象是必然存在的。这一点是明摆着的事实。本来诉诸于人就是徒劳无益的。所以我依旧对真实的事情一言不发,默默忍耐着除了继续扮演滑稽逗笑角色之外已经别无选择。

  或许有人会嘲笑道:“什么,难道不是对人类的不信任吗?嘿,你几时当上了基督教徒?”事实上在我看来,对人类的不信任,并不一定与宗教之路直接相通。包括那些嘲笑我的人在内,难道人们不都是在相互怀疑之中,将耶和华和别的一切抛在脑后,若无其事地活着的吗?记得自己小时候,父亲所属的那个政党的一位名流来到我们镇上演说,男佣人带着我去剧场听讲。听众密密匝匝地挤在那里,我看见了镇上所有与父亲关系密切的人的面孔。这使我兴奋不已。演讲结束后,听众们三五成群地沿着雪夜的道路踏上了归途。信口开河地议论着演讲会的不是,其中还掺杂着一个和父亲过从甚密的人的声音。那些所谓的“同志们”用近乎愤怒的声调大肆品头论足,说什么我父亲的开场白拙劣无比,那位名人的演讲让人云里雾里,不得要领等等。更可气的是,那帮人居然顺道拐入我家,走进了客厅,脸上一副由衷的喜悦表情,对父亲说,今晚的演讲会真是获得了巨大的成功。甚至当母亲向男佣们问起今晚的演讲会如何时,他们也若无其事地回答说,“真是太有趣了。”而正是这些男佣们刚才还在回家的途中叹息说:“没有比演讲会更无聊的了。”

  而这仅仅是其中一个微不足道的事例。相互欺骗,却又令人惊奇地不受到任何伤害,甚至于就好像没有察觉到彼此在欺骗似的,这种不加掩饰从而显得清冽、豁达的互不信任的例子,在人类生活中比比皆是。不过,我对相互欺骗这类事情并没有太大的兴趣。就连我自己也是一样,依靠扮演滑稽角色来整天欺骗人们。对于那种教科书式的正义呀、道德之类的东西,我不可能抱有太大的兴趣。在我看来,倒是那些彼此欺骗,却清冽而开朗地生存着,亦或是有信心清冽而开朗地生活下去的人,才是令人费解的。人们最终也没有教给我其中的妙谛。或许明白了那些妙谛我就不再那么畏惧人类,也不必拼命提供逗笑服务了吧。或许也就犯不着再与人们的生活相对立从而体验那种每个夜晚的地狱所带来的痛楚了吧。总之,我没有向任何人控诉那些男女佣人犯下的可恨罪愆,并不是出于我对人类的不信任,当然更不是基督教的影响,而是因为人们对我这个名叫叶藏的人关闭了信誉的外壳之缘故。因为就连父母也不时向我展示出他们令人费解的部分。

  然而,众多的女性却依靠本能,嗅出了我无法诉诸于任何人的那种孤独气息,以致于多年以后,这成了我被女人们乘虚而入的种种诱因之一。

  既是说,在女人眼里,我是一个能保守恋爱秘密的男人。

手记之二

  在海岸边被海水侵蚀而形成的汀线附近,并排屹立着二十多棵雄伟粗大的山樱树。这些树皮呈黑色的山樱树,每到新学年伊始,便与浓艳的褐色嫩叶一起,在蓝色大海的映衬下,绽放出格外绚丽的花朵。不久,待落樱缤纷的时节,无数的花瓣便会纷纷落入大海,在海面上随波漂荡,然后又被波涛冲回到海岸边。东北地区的某所中学,正是在这长着樱树的沙滩上就势建起了学校的校园。尽管我并没有好好用功备考,却也总算顺利地考进了这所中学。无论是这所中学校帽上的徽章,还是校服上的纽扣,都缀着盛开的樱花图案。

  我家的一个远房亲戚就住在那所中学附近。也正因为这个,父亲为我选择了那所面对大海和开满樱花的中学。我被父亲寄养在那个亲戚家里,因为离学校很近,所以我总是在听到学校敲响朝会的钟声之后,才飞快地奔向学校。我就是这样一个懒惰的中学生,但我却依靠自己惯用的逗笑本领,日益受到了同学们的欢迎。

  这是我生平第一次远走他乡,但在我眼里,陌生的他乡,比起自己出生的故乡,是一个更让我心旷神怡的环境。这也许是因为我当时已把逗笑的本领掌握得天衣无缝,以致于在欺骗他人时显得更加轻松自若的缘故。当然,做这样的解释又何尝不可,但是,更为致命的原因分明还在于另一点:面对亲人还是面对陌生人,身在故乡还是身在他乡,其间存在着不可避免的演技上的难度上的差异。而且这种难度差异无论对哪一位天才而言——即便是对于神灵之子耶稣而言——不也同样存在吗?在演员看来,最难进行表演的场所莫过于故乡的剧场。在五亲六戚聚集一堂的房间,再有名的演员恐怕也会黔驴技穷吧。然而我却在那里一直进行了表演,并取得了相当大的成功。所以像我这样的老油子,来到他乡进行表演,必然是万无一失。

  我对人的恐惧与先前相比,倒是有过之而无不及,它在我的内心深处剧烈地扭动着,而我的演技却是在日渐长进。我常常在教室里逗得同班同学哄堂大笑,连老师也不得不一边在嘴上感叹着“这个班要是没有大庭,该是个多好的集体啊”,一边却用手掩面而笑。我甚至还能够轻而易举地让那些惯于发出雷鸣般厉声的驻校军官也噗哧大笑。

  当我正要开始为自己彻底掩盖了本人的真实面目而暗自庆幸的时候,出乎意料地被别人戳了背脊骨。那个戳了我背脊骨的人,竟然是班上身体最为羸弱、脸孔又青又肿的家伙。他身上的衣服让人觉得像是父兄留给他的破烂货,过于长大的衣袖恍若圣德太子的衣袖。他的功课更是一塌糊涂,在军事训练和体操课时,总像一个在旁边见习的白痴似的,就连一贯小心翼翼的我也从来没有想到过提防他。

  一天上体操课的时候,那个学生(他的姓氏我早已忘了,只记得名字叫竹一),就是那个竹一,照旧在一旁见习,而我们却被老师吩咐做单杠练习。我故意尽可能做出一副严肃的表情,“哎——”地大叫一声,朝着单杠飞身一跃,就像是跳远那样向前猛扑过去,结果是一屁股摔在了沙地上。这纯属是一次事先预谋好的失败。果然成了众人捧腹大笑的引子。我也一边苦笑着,一边爬起来,掸掸裤子上的砂粒。这时,那个竹一不知何时来到了我的旁边,捅了捅我的后背,低声咕哝道:

  “故意的,故意的。”

  我感到一阵震惊,做梦也没有想到,竹一竟然识破了我故意失败的真相。我仿佛看见世界在哪一刹那间被地狱之火挟裹着,在我眼前熊熊燃烧起来。我“哇”地大叫着,使出全身的力量来遏制住近乎疯狂的心绪。

  那以后,我每天都生活在不安与恐惧之中。

  尽管我表面上依旧扮演着可悲的滑稽角色来博得众人发笑,但有时候却也情不自禁地发出重重的叹息。无论我干什么,都肯定会被那个竹一彻底识破真相,并且他还会很快向每个人透露这一秘密——一想到这儿,我的额头上就会直冒汗珠,像是狂人一般用奇怪的眼神审视着四周。如果可能,我甚至巴不得从早到晚二十四小时跟踪监视竹一,以免他随口泄漏了秘密。而且就在我纠缠着他不放的时候,为了让他觉得我的滑稽行为并不是所谓的“故意之举”,而是货真价实的东西,我真可谓殚思竭虑,倾注了所有努力。我甚至打定主意,希望一切顺利的话,成为他独一无二的密友。倘若这一切都是不可能的话,那我便只能盼望他的死亡。但我却怎么也无法萌生杀死他的念头。在迄今为止的生涯中,我曾经无数次祈望过自己被杀死,却从来也没有动过杀死别人的念头。这是因为我觉得,那样做只会给可怕的对手带来幸福的缘故。

  为了使他驯服就范,我首先在脸上堆满伪基督徒式的“善意”的微笑,将脑袋向左倾斜三十度左右,轻轻地搂抱住他瘦小的肩膀,用嗲声嗲气的肉麻腔调,三番五次地邀请他到我寄宿的亲戚家中去玩,但他却总是一副发呆的眼神,闷声不响。不过,在一个放学之后的傍晚(我记得是在初夏时节),天上陡然下起了暴雨,学生们都为如何回家大伤脑筋。因为我的亲戚家离学校很近,所以我正要无所畏惧地往外冲,这时,我看见了竹一。他正满脸颓丧地站在门口木屐箱的后面。“走吧,我把伞借给你。”我说道,一把拽住怯生生的竹一的手,一起在骤雨飞跑起来。到家以后,我请婶婶替我们俩烘干湿衣服,在此期间我把竹一领到自己二楼的房间里。

  我的这个亲戚家是三口之家,有一个年过五十的婶婶,一个三十岁左右、戴着眼镜、体弱多病的高个子表姐(她曾经出嫁过一次,后来又回到娘家来了。我也学着这个家里其他人的样子,叫她“阿姐”),和一个最近才从女子学校毕业,名叫雪子的表妹。她和姐姐大不相同,个头很小,长着一张圆脸。楼下的店铺里,只陈列着少量的文具和运动用品。主要收入似乎来源于过世的主人留下的那五六排房屋的房租。

  “我耳朵可疼呢。”竹一就那么一直站着说话。

  “可能是雨水灌进耳朵才发疼的吧。”

  我一看,只见他的两只耳朵都害了严重的耳漏病,眼看着浓水就要流出耳朵外面了。

  “这怎么行呢?很疼吧?”我有些夸张地露出惊诧的神色,“大雨中把你拽出来,害你落得这个样子,真是对不起你。”

  我用那种近于女人腔的“温柔”语调向他道歉,然后到楼下拿来棉花和酒精,让竹一的头枕在我的膝盖上,体贴入微地给他清理耳朵。就连竹一好像也没有察觉到这是一种伪善的诡计。

  “你呀,肯定会被女人迷恋上的!”竹一头枕着我的膝盖,说了一句愚蠢的奉承话。

  很多年以后我才知道,他的这句话就像是恶魔的预言一样,其可怕程度是竹一也没有意识到的。什么“迷恋”、“被迷恋”这些措辞本身就是粗俗不堪而又戏弄人的说法,给人一种装腔作势的感觉。无论是多么“严肃”的场合,只要让这些词语抛头露面,忧郁的伽蓝就会顷刻间分崩离析,变得索然无味。但如果不是使用“被迷恋上的烦恼”之类的俗语,而是使用“被爱的不安”等文学术语,似乎就不至于破坏忧郁的伽蓝了。想来可真是奇妙无比。

  我给竹一揩耳朵里的脓血时,他说了句“你呀,肯定会被女人迷恋上的!”奉承话,当时,我听了之后,只是满脸通红地笑着,一句话也没有回答,可实际上我私下里也认为他的话不无道理。然而对于“被迷恋”这样一种粗俗的说法所产生的装腔作势的氛围,我竟然说他说的话不无道理,无异于愚昧地表述自己的感想,其糊涂程度远远超过相声里的傻少爷,事实上,我是绝对不会以那种戏谑的、装腔作势的心情来“认为他的话不无道理”的、

  在我看来,人世间的女性不知比男性费解多少倍。在我们家,女性数量是男性的好多倍,亲戚家也是女孩子居多。还有前面提到过的那些“犯罪”的女佣人。我想甚至可以说,我自幼是在女人堆中长大的。尽管如此,我却一直是怀着如履薄冰的心情与女人打交道的。我对她们一无所知,如坠云雾,不时遭受惨痛的失败。这种失败与从男性那儿受到的鞭笞截然不同,恍若内出血一般引人不快,其毒性攻心,难以治愈。

  女人有时和你形影不离,有时又对你弃之不理。当着众人的面她藐视我,羞辱我,而一旦背着大家,她又拼命地搂紧我。女人的睡眠酣甜得宛若死去了一般,甚至让人怀疑她们是否为了酣然入眠才存活于这个世界上的。我从幼年时代起就对女人进行了种种观察,尽管同是人类,女人却分明是一种与男人迥然相异的生物。而就是这种不可理喻、需要警惕的生物,竟出人意料地呵护着我。无论是“被迷恋”的说法,还是“被喜欢”的说法,都完全不适合我,或许倒是“受到呵护”这一说法更贴近我的情况。

  对待滑稽的逗笑,女人似乎比男人更显得游刃有余。当我扮演滑稽角色进行逗笑时,男人从不会哈哈大笑。而且我也知道,如果在男人面前搞笑时随着兴致得意忘形的话,肯定会招致失败,所以总是惦记着在恰到好处时中止表演。可女人却压根儿不知道什么叫“适可而止”,总是无休无止地缠着我要我继续搞笑。为了满足她们那毫无节制的要求,我累得筋疲力尽,事实上她们确实能笑。女人似乎能够比男人更贪婪地吞噬快乐。

  在我中学时代寄宿的亲戚家中,一旦表姐表妹闲下来,总爱跑到我二楼的房间里来,每次都吓得我跳起来。

  “你在用功吗?”

  “不,没有呐,”我胆战心惊地微笑着,合上书本说到,“今天啦,学校里一个名叫“棍棒”的地理老师,他……“

  从我嘴里迸出的都是一些言不由衷的笑话。

  “阿叶,把眼镜戴上给我们看看!”

  一天晚上,表妹雪子和表姐一起来到我的房间玩。在我被迫进行了大量的搞笑后,她们冷不防地提出了戴眼镜给她们看看的要求。

  “干吗?”

  “甭管了,快戴上看看吧。把阿姐的眼镜借来戴戴看!”

  平常她总是用这种粗暴的命令口吻对我说话。于是,我这滑稽小丑老老实实地戴上了表姐的眼镜。刹那间两个姑娘笑得前仰后合。

  “真是一模一样!和劳埃德简直一模一样!”

  当时,哈罗德・劳埃德作为一名外国喜剧演员,在日本正风靡一时。

  我站起身,举起一只手说道:

  “诸位,此番我特向日本的影迷们……”

  我尝试着模仿劳埃德的样子做一番致辞,这更是惹得她们捧腹大笑。那以后,劳埃德的电影在这个镇上每演必看,私下里琢磨他的表情举止。

  一个秋日的夜晚,我正躺着看书。表姐像一只鸟儿似的飞进我的房间,猛地倒到我的被子上啜泣起来。

  “阿叶,你肯定会救我的,对吧。这种家,我们还是一起出走的好,对不?救救我,救救我。”

  她嘴里念叨着这些吓唬人的话,还一个劲儿地抽噎着。不过,我并不是第一次目睹女人的这种模样,所以,对表姐的夸张言辞并不感到惊讶,相反,倒是对她那些话的陈腐和空洞感到格外的扫兴。于是,我悄悄地从被窝中抽身起来,把桌子上的柿子剥开,递给表姐一块。表姐一边啜泣着,一边吃起柿子来了。

  “有什么好看的书没有?借给我看看吧”她说道。

  我从书架上给她挑选了一本夏目漱石的《我是猫》。

  “谢谢你的款待。”

  表姐有些害羞地笑着,走出了房间。其实不光是表姐,所有的女人,到底是怀着什么样的心情活着呢?思考这种事情,对我来说,甚至比揣摩蚯蚓的想法还要棘手费事,更让人产生阴森可怖的感觉。不过唯一有一点是我要依靠幼时的经验而明白:女人像那样哭诉起来时,只要递给她什么好吃的东西她就会吃起来,并因此而改变心境。

  表妹雪子有时候会把她的朋友带到我的房间里来。我按照惯例,公平地逗大家笑。等朋友离去后,雪子必定会对朋友的不是大肆数落一番。诸如“她是个不良少女,你可得当心呐”之类的。倘若果真如此,不是用不着特地带到这里来吗?也多亏雪子,我房间的来客几乎全是女性。

  不过,竹一说的那句“你呀,肯定会被女人迷恋上的!”奉承话,却没能兑现。总之,我不过是日本东北地区的哈罗德・劳埃德罢了。竹一那句愚蠢的奉承话,作为可憎的预言,活生生地呈现出了不祥的兆头,还是在那以后很多年的事情。

  竹一还赠送给我另一份重大的礼物。

  “这是妖怪的画像呐。”

  曾几何时竹一到我楼上的房间玩,得意洋洋地拿出一张原色版的卷头画给我看,这样说道。

  “哎?!”我大吃一惊。多年后我才清醒地认识到:就是在那一瞬间里,我未来的道路被彻底决定了。我知道,其实那不过是凡高的自画像。在我们少年时代,所谓法国印象派的绘画正广为流行,大都是从印象派绘画开始学习鉴赏西洋绘画。所以,一提起凡高、高更、塞尚、雷诺阿等人的画,即使是穷乡僻壤的中学生,也大都见到过照像版。凡高的原色版绘画我也见过不少,对其笔法有兴趣和鲜艳色彩颇感兴趣,但从来没有想过,他的自画像是什么妖怪的画像。

  “这种画又怎么样呢?也像妖怪吗?”

  我从书架上取下莫迪里阿尼的画册,把其中的一幅古铜色肌肤的裸体妇人画像拿给竹一看。

  “这可了不得呀。”竹一瞪圆了眼睛感叹道。

  “就像一匹地狱之马呐。”

  “不,还是像妖怪吧。”

  “我也想画一画这种妖怪呐。”

  对人感到过分恐惧的人,反倒更加迫切地希望用自己的眼睛去看更可怕的妖怪;越是容易对事物感到胆怯的神经质的人,就越是渴望暴风雨降临得更加猛烈……啊,这一群画家被妖怪所伤害所恫吓,以致于最终相信了幻影,在白昼的自然之中栩栩如生地目睹了妖怪的所在。而且,她们并没有使用“滑稽的逗笑”来掩饰自身的恐惧,而是致力于原封不动表现自己所见。正如竹一说的,他们勇敢地描绘出“妖怪的自画像”。原来,在这里竟然存在着未来的我的同伴,这使我兴奋得热泪盈眶。

  “我也要画,画那种妖怪的画像,画那种地狱之马。”我压低嗓音对竹一说道。

  我从小学时代就喜欢上了画画和看画。但我的画不像我写的作文那样受到交口称赞。因为我压根儿就对人类的语言毫不信任,所以作文在我眼里就如同搞笑的寒暄语一般。尽管我的作文在小学和中学都逗得老师前仰后合,但我自己却并不觉得有趣。只有绘画(漫画等另当别论)让我在如何表现其对象上殚精竭虑,尽管这种殚思竭虑采用的是我自己的一套独特方式。学校绘画课的画帖实在无聊透顶,而老师的画又拙劣无比,所以我不得不自己来摸索各种各样的表现形式。进入中学后,我已经拥有了一套油画的画具,尽管我试图从印象派的画风中寻找出绘画技巧的范本,可自己画出来的东西却俨然儿童做手工的彩色印花纸一般呆滞乏味,不成样子。不过,竹一的一句话启发了我,使我意识倒自己以前对绘画的看法,——竭力想把觉得美的东西原封不动地描绘为美是幼稚和愚蠢乃至完全谬误的。绘画大师利用主观力量,对那些平淡无奇的东西加以美的创造,虽说他们对丑恶的东西感到恶心呕吐,却并不隐瞒对它们的兴趣,从而沉浸在表现的愉悦中。换言之,他们丝毫不为别人的看法左右。我从竹一那儿获得了这种画法的原始秘诀。于是,我瞒着那些女性来客,开始着手制作自画像了。

  一幅阴惨的画诞生了,甚至让我自己都大为震惊。可这就是隐匿在内心深处的自己的真实面目。表面上我在快活地欢笑,并引发别人的欢笑,可事实上,我却背负着如此阴郁的心灵。“又有什么办法呢?”我只好暗自肯定现状。但那幅画除了竹一,我没给任何人看过。我不愿被人看穿自己逗笑背后的凄凉,也不愿别人突然之间开始小心翼翼地提防起我来,我担心他们甚至没有发现这便是我的本来面目,而依旧视为一种新近发明的搞笑方式,把它当成一大笑料。这是最让我痛苦难堪的事情。所以我立刻把那幅画藏进了抽屉深处。

  在学校的绘画课上,我也收敛起了那种“妖怪式的画法”,而使用先前平庸的画法,将美的东西原封不动地描绘成美。

  以前我便是只在竹一面前才若无其事地展示自己动辄受伤的神经,所以这次的自画像也放心大胆地拿给竹一看,果然也得到了他的啧啧称赞。于是,我又连续画出了第二张、第三张妖怪的画像。竹一又送给我另一个预言:

  “你呀,肯定会成为一个了不起的画家呐。”

  “肯定会被女人迷恋上”与“肯定会成为一个了不起的画家”是傻瓜竹一在我的额头上镌刻的两种预言。随后不久,我便来到了东京。

  我本来想进美术学校,但父亲对我说,早就打定了主意让我上高中,以便将来做官从政。所以,天生就不敢跟大人顶嘴的我只好茫然地遵从父命。父亲让我从四年级开始考东京的高中,而我自己也对临海和满是樱花的中学感到厌倦,所以不等升入五年级,四年级学业结束后我便考入东京的高中,开始了学生宿舍生活。宿舍的肮脏和粗暴使我不胜畏葸,哪里还顾得上扮演丑角逗笑。我请医生开了张“肺浸润”的诊断书,搬出了学生宿舍,移居到上野樱木町父亲的别墅里。我根本无法过那种所谓集体生活,什么青春的感动,什么年轻人的骄傲等等豪言壮语,只会在我耳朵里唤起一阵凛冽的寒气,使我与那种“高中生的蓬勃朝气”格格不入。我甚至觉得,不管教室,还是宿舍,都无非是被扭曲了的性欲的垃圾堆而已。我那近于完美的逗笑本领在这里没有用武之地。

  我父亲在议会休会时,每个月只在别墅呆一周或两周,父亲不在时,这栋庞大的建筑物中便只剩下别墅管家(一对老夫妇)和我三个人。我时常逃学,也没心思去游览东京(看来我最终也看不成明治神宫、楠木正成[日本南北朝时代的武将]的铜像、泉岳寺的四十七烈士墓了),成天闷在家里读书画画。等父亲上东京后,我每天早晨都匆匆奔赴学校,但有时去的却是本乡千驮木町的西洋画画家安田新太郎的画塾,在那里连续三四小时素描练习。从高中宿舍搬出来后,连坐在课堂听讲也有了一种败兴的感觉,仿佛自己是处在旁听生那种特殊的位置上。尽管这可能只是偏见,我却是更害怕去学校了。上小学、中学、高中、我最终也没能懂得所谓爱校之心是什么东西,我甚至从来也没想过去记住学校的校歌。

  不久,在画塾里,我从一个学画的学生那儿得知了诸如酒、香烟、娼妓、当铺以及左翼思想之类的东西。尽管这些东西摆在一起,是种奇妙的组合,这却是事实。

  那个学画的学生名叫掘木正雄,出生在东京的庶民区,长我六岁,从私立美术学校毕业后,因为家里没有画室,才上这所画塾来继续学校西洋画的。

  “能借我五元钱吗?”

  在此之前,只是打过照面而已,从未说过话,所以我有些张皇失措地掏出了五元钱。

  “走啊,喝酒去吧。我请你喝。你这个象姑。”

  我无法拒绝,被他拽进了画塾附近的蓬莱町酒馆。这就是我与他交往的开始。

  “我早就注意到你了。瞧,你那种腼腆的微笑,正是大有作为的艺术家特有的表情呐。为了纪念我们的相识,干一杯吧。——阿绢,这家伙该算得上是个美男子吧。你可不要被他迷住了哟。这小子来画塾之后,害我降格成为第二号美男子了呐。”

  掘木长着一张黝黑的端庄面孔,身上穿着一套整齐的西装,脖子上系着一根素雅的领带,这种装束在学画的学生中是颇罕见的。他的头发还抹了发油,从正中间齐齐整整地向两边分开。

  身处酒馆这样陌生的环境,我心中只有恐惧。我局促地把两只胳膊一忽儿抱紧,一忽儿松开,露出一脸腼腆的微笑。可就在两三杯酒下肚之后,我却感到了一种奇妙的、获得解放似的轻松。

  “我曾琢磨着想进美术学校呐,可是……”

  “啊呀,可没劲呐,那种地方真是没劲儿透了!我们的老师乃是存在于自然之中!存在于我们对自然的激情之中!”

  但我对他说的东西却没有半点儿敬意,只是暗自思忖:这是个蠢货!他的画必定蹩脚透顶,但作为一个玩耍的伙伴,或许倒是最佳人选。我平生第一次见识了什么是真资格的都市痞子。尽管与我的表现方式大相径庭,在彻底游离于人世的营生之外、迷惘彷徨这一点上,毕竟属于同类。而且他是在无意识种实施着逗笑的丑角行为,全然没有觉察到这种丑角行为的悲惨。这正是他与我本质上迥然相异的地方。

  仅仅是在一块玩玩,把他当成玩伴来交往——我总是这样蔑视他,耻于与他交往。但在与他结伴而行的过程中,我自己却成了他的手下败将。

  最初我一直认为他是个大好人,一个难得的大好人。就连对人恐惧的我,也彻底放松了警惕,以为找到了领着我见识东京的好向导。说实话,我这个人,坐电车会对售票员犯怵;去歌舞伎剧场,一看到大门口铺红地毯的台阶两边并排站着的引路小姐又会顿生畏惧;进餐馆吧,瞥见悄悄站在身后等着收拾盘子的侍应生也会胆战心惊。天哪,特别是付钱的时候,我那双颤颤巍巍的手!买了东西之后,把钱递给对方,不是因为吝啬,而是过度紧张、害臊、不安与恐怖,只觉得头昏眼花,世界蓦然变得漆黑一团,哪里还顾得上讨价还价,有时甚至忘了接过找头,忘了拿走买下的东西。我根本无法独自在东京的街头漫步,只好整日蜷缩在家打发光阴。

  可是一旦把钱包交给掘木再一起去逛街,情形就大不相同了,掘木大肆砍价,俨然是玩耍的行家,使极少的钱发挥出最大的功效。而且,他对街头昂贵的出租车一概敬而远之,因地制宜地乘坐电车、公共汽车和小汽艇。他有利用最短的时间抵达目的地的本事,还对我现场演示教育:比如清晨从妓女那儿回家的途中,顺路拐到某个旅馆,泡个澡,再一边吃豆腐汤锅,一边咪点酒,这样不仅便宜划算,还显得很阔气。他还教给我,摊贩卖的牛肉盖浇饭和烤鸡肉串不仅价钱便宜而且富于营养。还满有把握地断言,所有酒中间,要数白兰地酒劲儿上来得最快最猛。在结帐买单时,他从来没有让我感到一星半点的不安和畏惧。

  和掘木交往的另一大好处是,掘木完全无视谈话对方的想法,只顾听凭所谓激情的驱使(或许所谓‘激情’就是要无视对方的立场),一天到晚絮叨着种种无聊的话题。所以我完全不用担心两个人逛街逛累了会陷入尴尬的沉默。与人交往时,我最介意那种可怕的沉默局面,所以天生嘴笨的我才会拼命扮演丑角以求度过难关。而眼前这个傻瓜掘木却无意中主动担当起那种逗笑的滑稽角色,使我能够对他的话置若罔闻,只要适时地科插打诨便足以应付了。

  不久我也明白了:酒、香烟和妓女,是能够帮助人暂时忘却人的可怕的绝妙手段。我甚至萌发了这样的想法:为了寻求这些,我不惜变卖我的全部家当。

  在我眼里,妓女这个种类,既不是人,也不是女性,倒像是白痴或狂人。在她们的怀抱里,我反倒能高枕无忧,安然成眠。她们没有一丁点儿的欲望,简直到达了令人悲哀的地步。或许是从我这里发现了一种同类的亲近感吧,那些妓女常常向我表现出自然的好意。这毫无算计之心,绝无勉强之意的好意,萍水相逢之人的好意,没有令我感到局促不安,使我在茫茫黑夜中,从白痴或狂人式的妓女那里,真切地看到了圣母玛利亚的圣洁光环。

  为了摆脱对人的恐惧,获得一宿安眠,我去她们那里。可就在“和我同类”的妓女玩乐的时候,一种无意识的讨厌氛围开始弥漫,这是连我自己都不曾设想过的“添加的附录”。渐渐地那“附录”浮出了水面,最终掘木点破了玄机。我不禁在愕然之余,深感厌恶。在旁人看来,说得通俗点,我是利用妓女进行着女人方面的修炼,长进显著。据说,通过妓女来磨炼与女人交往的本领,是最厉害也最富有成效的。我身上早已飘漾着那种“风月场上老手”的气息。女人(不仅限于妓女)凭本能嗅到了这种气息,并趋之若骛。人们竟把这种猥亵的、极不光彩的背景当作了我“添加的附录”,以致于它比我寻求休憩的本意更加醒目。

  或许掘木是半带着奉承说出那番话的,却不幸言中了。比如说,我就曾经收到酒馆女人写的稚拙的情书;还有樱木町邻居将军家那个二十来岁的姑娘,会在每天早晨专挑我上学的时间,故意略施粉黛踟躇于自家门前;我去吃牛肉饭时,即使一言不发,那儿的女佣也会……我经常光顾的那家香烟铺子的小姑娘,在递给我的香烟盒子里竟然也有……还有,去观赏歌舞伎时,那个邻座的女人……在深夜的市营电车上酩酊大醉而酣然入睡之时……还有,乡下亲戚家的姑娘出乎意料地寄来了缱绻缠绵的相思笺……还有,某个不知名的姑娘,在我外出时留给我一个手工制作的偶人……由于我的消极退避,每次罗曼史都如蜻蜓点水,停留于一些残缺的断片,没有深入进展。但有一点却不是信口雌黄,我身上某个地方萦绕着供女人做梦的氛围。这一点被掘木那家伙点破时,我感到一种近于屈辱的痛苦,对妓女的兴趣也倏然消失了。

  掘木出于爱慕虚荣和追赶时髦的心理(至今我也如此认为。除此之外,再也找不到别的理由)某天带我参加了一个叫做共产主义读书会的秘密研究会(大概是叫R.S吧,我也记不清了)。出席那个秘密集会只是掘木那种人领我“游览东京”的一过场罢了。我被介绍给那些所谓的“同志”,还被迫买下了一本宣传册子,听坐在上席的丑陋青年讲授马克思主义学说。而一切在我看来却是再明白也没有的内容了。或许他确实言之有理,但人的内心深处,分明存在着一种难以言喻的东西。称之为“欲望”吧,觉得言不尽意,谓之“虚荣心”也不确切,统称为“色情和欲望”仍然辞不达意。尽管我自己也是云里雾里,但我总认为,人世的底层毕竟存在某种绝不单纯是经济的、而是近于怪谭的东西。我是个极端害怕怪谭式东西的人,所以尽管赞成唯物论,就像肯定水往低处流,却不能仰仗这信仰来摆脱对人的恐惧,不能放眼绿叶而感受到希望的喜悦。不过我却一次不拉地参加了R.S的活动(仅凭记忆,可能有误)。“同志”们俨然大事临头,面孔紧绷,沉浸在“一加一等于二”那样初等算术式的理论研究中。见此情景,我觉得滑稽透顶,于是利用自己惯用的逗笑本领来活跃集会的气氛。渐渐研究会上拘谨古板的气氛得到了缓解,我成了集会上不可或缺的宠儿。那些貌似单纯的人认为我和他们一样单纯,把我看成一个乐观而诙谐的“同志”。假如当真如此,我便是彻头彻尾地欺骗了他们。我并不是他们的“同志”,却每次必到,奉上丑角的逗笑服务。

  我喜欢这样做,喜欢他们。并不是什么马克思主义建立起来的亲密感。

  不合法。这带给我小小的乐趣。不,毋宁说使我心旷神怡。其实,世上称为“合法”的东西才更可怕。(对此我预感到某种无比强大的东西)。其中的复杂构造更是不可理喻。我不能死守在一个没有门窗的寒冷房间里,既便外面是一片不合法的大海,我也要纵身跳下去。哪怕是马上死去,我也心甘情愿。

  有一个说法叫做“见不得人的人”。就是那些人间悲惨的失败者、悖德者。我觉得自打一出生我就是个“见不得人的人”,所以一旦遇到人世所谤的同类,就不由分说变得善良温柔了。这样的“温柔”足以令我自己如痴如醉。

  还有一种说法叫做“狂人意识”。我每时每刻都受着这种意识的折磨,它却又是与我休戚与共的糟糠之妻,厮磨着,进行凄寂的游戏。这已经成了我的生存方式。俗话说“腿上有伤痕,没脸来见人”。在襁褓中这种伤痕就赫然出现在我的一条腿上,随着长大非但没有治愈,反而日益加剧,扩散到骨髓深处。每夜的痛苦就如千变万化的地狱,但(说来也怪),那伤口逐渐变得比自己的血肉还要亲密无间。伤口的疼痛,仿佛有活生生的情感,如同爱情的呢喃。对我这样的男人,地下活动小组的氛围格外安心惬意。那运动的外壳比其追求的目的更为适合我。掘木则出于闹着玩的心理,把我介绍到那个集会中去,其实他自己总共只去了一次。他曾说过一句拙劣的俏皮话:“马克思主义者在研究生产这一方面的同时,也有必要观察消费这一方面嘛。”所以他不去集会,倒是一门心思拽住我到外面考察消费状况。回想当时各种各样的马克思主义者:有掘木那样爱慕虚荣、追赶时髦,心里自诩为“马克思主义者”的;也有我这样仅仅喜欢“不合法”气氛便一头扎入其中的。倘若我们的真实面目被真正的信仰者识破,无疑我俩都逃不过他们的愤怒斥责,被当成叛徒赶出组织。但我们却没有被开除,在不合法的世界里,我们比在绅士的合法世界里活得更加悠闲自在、游刃有余,显得“蓬勃健康”。以致于被当作前途无量的同志委以重任。真让人忍俊不禁。我一次也没有拒绝,泰然自若地受命,也不曾因举止反常而受到“狗”(同志们都这样称呼警察)的怀疑和审讯。我总是一边逗笑,一边准确无误地完成他们所谓的“危险”任务。(那帮从事运动的家伙常常如临大敌般高度紧张,甚至蹩脚地模仿侦探小说,警惕过了头。他们交给我的任务全是无聊透顶的,却煞有介事地制造紧张气氛)。我心情当时是,宁愿作为共产党而遭捕,即使终生身陷囹圄,也绝不反悔。我甚至觉得与其对世上的“实生活”感到恐惧,每晚在辗转难眠的地狱中呻吟叹息,还不如被关进牢房来得畅快轻松。

  父亲在樱木町的别墅里忙于接待客人,要么就是有事外出,所以虽然我和他住在同一屋檐下,有时连着三四天连一面都见不到。我总觉得父亲很难接近,严厉可怕,因此也琢磨着是不是该离开这个家搬到某个宿舍去住。还没说出口,就从别墅老管家那里听说了父亲有意出售这栋房子。

  父亲的议员任期即将届满,想必还有种种理由吧,他无意继续参选,打算在故乡建一个隐居的地方,对东京似乎并不留恋。我不过是个高中生,特地为我保留住宅和佣人在他看来是种不必要的浪费吧。(父亲的心事与世上所有人的心事一样,是我无法明白的)这样,这个家不久就转让给别人,我搬进了本乡森川町一栋名叫仙游馆的旧公寓的阴暗房间。过了一阵子,在经济上便陷入了窘境。

  在此之前我总是每月从父亲那里拿到固定金额的零花钱。即使这笔钱立马告罄,香烟、酒、乳酪、水果等等家里随时都有。书、文具、衣服和其他一切也可以在附近店铺赊帐。连款待掘木吃荞麦面或炸虾盖浇饭,只要是父亲经常光顾的这条街上的餐馆,都可以吃完后一声不响甩手而去。

  可现在一下子变成了宿舍独居的生活,一切都只能在每月的定额汇款中开销。我真是一筹莫展。汇款依旧是在两三天内花个精光,我不寒而栗,心中没底几近发狂,交替着给父亲、哥哥、姐姐又是打电报,又是写长信,催他们快点寄钱给我(信中所写之事,又全是逗人发笑的虚构。窃以为,求助他人的上策乃是引人发笑)。另外,我在掘木的教唆下,频繁出入当铺。可是手头照样拮据。

  我没有在无亲无故的宿舍中独立“生活”的能力。兀自待在宿舍房间里我感到是那么可怕,仿佛顷刻就会遭到某个人的袭击或暗算似的。所以我总是不由自主地往大街上跑,要么去帮助那种“运动”,要么和掘木一起到处寻找廉价的酒馆喝酒,学业和绘画也荒废了。进入高中翌年十一月,发生了我和那个年长于我的有夫之妇徇情的事件,彻底改变了我的命运。

  我上学经常缺席,学习也毫不用功,奇怪的是,考试答题却颇得要领,故而一直瞒过了家人。然而不久,终于因为我旷课太多,学校秘密通知了故乡的父亲。作为父亲的代理人,大哥给我寄来了一封措辞严厉的长信。不过比起这封信,倒是经济上的困境和那种运动交给我的任务给我带来了更直接、更剧烈的痛苦,使我无法以半游戏的心境来泰然处之。我当上了不知叫中央地区,还是什么地区的——反正包括本乡、小石川、下谷、神田那一带所有学校的马克思主义学生行动队的队长。听说要搞武装暴动,我买了一把小刀子(现在想来,不过是把纤细得连铅笔都削不好的水果刀),把它塞进雨衣口袋四处奔走,进行所谓的“联络”。真想喝了酒大睡一场,可手头没有钱。而且从P那儿(我记得P就是党的暗语,不过也可能记错)不停地下达了任务,连喘息的时间都没有。我这副羸弱的身子骨实在是吃不消了。本来我就是仅仅对“不合法”感兴趣而参加这种小组活动的,如今变成了假戏真做,忙得手忙脚乱,我就无法控制自己,不禁在心中恨恨地对P的人嘀咕:恐怕你们是弄错对象了吧?那些任务交给你们的嫡系成员不是更好吗?于是我逃走了。虽然逃走,心情却没有变好,我决定去死。

  那时,恰好有三个女人对我表现出特别的关心。其中一个是我寄宿的仙游馆老板娘的女儿。每当我参加运动后身心疲惫地回到房间,饭也不吃就躺下来时,那姑娘总会拿着便筏和钢笔走进我的房间,说道:

  “对不起,楼下的弟弟妹妹吵死人了,害我都没法写信了。”

  说罢就在桌子旁坐下来,一口气写上一个多小时。我本来可以佯装什么都不知道照旧躺着,可那姑娘的神情好像是希望我开口说点什么。所以我又发挥了惯用的那种被动服务的精神。尽管我其实一句话也不想说,还是拖着疲惫不堪的身体,强打精神,趴在那边一边吸烟一边“嗯嗯唔唔”地应付着。

  “听说呀有一种男人,用女人寄来的情书烧水洗澡。”

  “哎呀,那可真讨厌呐。是你吧?”

  “不,我嘛,只是用情书煮过牛奶喝。”

  “真是了不起。你喝吧。”

  我暗自忖度着:这人怎么还不快点回去?写什么信啊,不是明摆着在撒谎吗?其实不过在那儿鬼画桃符罢了。

  “把你写的信给我瞧瞧!”

  事实上我宁死也不想看。谁知这样一说,她竟连声嚷嚷:“哎呀,真讨厌,哎呀,真讨厌。”那兴奋的模样真是有失体面,让我大为扫兴。于是我想打发她去干点事。

  “对不起,你能不能去电车附近的药店,给我买点安眠药呢?我太累了,脸上发烫,反而睡不着。对不起,钱嘛……”

  “行啊,钱好说。”

  她愉快地起身走了。我深谙,打发女人去干活是不会惹她讨厌的。就是说,男人拜托女人做事,她会高兴的。

  另一个女人则是女子高等师范学校的文科学生,一个所谓的“同志”。因为运动的关系,我和她不管愿意与否,都每天碰头。碰头会结束后,这个女人总跟在我后面,不停地买东西给我。

  “你就把我当作你的亲姐姐好啦。”

  她这种酸溜溜的说法搞得我毛骨悚然。我做出一副不乏忧郁的微笑表情,说道:

  “我正是这么想的呐。”

  总之我深知,激怒女人是很可怕的。我心中只有一个想法,就是千方百计地敷衍过去。因此我甚至不惜为那个讨厌而丑陋的女人做出牺牲,让她买东西给我(其实那些东西都是些品味粗俗的东西,我大都当即送给了烤鸡肉串的老板),并装出兴高采烈的样子,开玩笑逗她开心。一个夏天的夜晚,她缠着我怎么也不肯离去,为了打发她早点回去,在街头一个阴暗角落里,我亲吻了她。谁知她却厚颜无耻地欣喜若狂,叫住一辆计程车,把我带到了一个狭窄的西式房间里(这房间是他们为了运动而秘密租借的办公室)。在那里我和她一直折腾到第二天早晨。“一个荒唐透顶的姐姐”,我暗自苦笑着想到。

  无论是房东家的女儿还是这个“同志”,都不得不每天见面,所以,不可能像从前遇到的种种女人那样巧妙避开。出于自己惯有的那种不安心理,我反而拼命讨好这两个女人,结果被她们牢牢地束缚住了。

  同时,我从银座一个大酒馆的女招待那里蒙受了意想不到的恩惠。尽管只是一面之交,但由于这种恩惠,我仍然感觉到一种被束缚住而无法动弹的忧虑和恐惧。那时,我已经毋需再借助掘木的向导,而摆出一副老油子的架势来了,比如可以一个人去乘坐电车,或是去歌舞伎剧场,亦或穿着碎花布和服光顾酒馆了。在内心深处,我依旧对人的自信心和暴力深感怀疑、恐惧和苦恼,但至少在表面上可以和他人面对面一本正经地寒暄了。不,不对,尽管就我的本性而言,不伴随败北的丑角式的苦笑,就无法与别人交谈,但我好歹磨炼出了一种“伎俩”,可以忘情地与人进行张口结舌的交谈了。莫非这应归功于我为那种运动四处奔波?亦或归功于女人?或者是酒精?但更主要得归功于经济上的窘境。无论在哪里,我都会感到恐惧。可要是在大酒吧里被一大群醉鬼或女招待、侍应生簇拥着,能够暂时忘却那种恐惧的话,那么,我这不断遭到追逐的心灵,不是也能获得片刻的宁静吗?我抱着这样的想法,揣上十块钱,一个人走进了银座的大酒吧里。我笑着对女招待说:

  “我身上只有十块钱,你看着办吧。”

  “你放心好了。”

  她的口音里夹杂着一点关西腔。她的这一句话竟然奇妙地平息了我这颗心的悸动。这倒不是因为她的话消解了我对钱的担忧,而是消解了我留在她身边的担忧。

  我喝开了酒。因为对她相当放心,所以反而无心进行滑稽表演了,只是不加掩饰地展示自己天生的沉默寡言和抑郁寡欢,一声不吭地呷着酒。

  “这种菜,你喜欢吗?”

  那女人把各式各样的菜肴摆放在我面前问我。我摇摇头。

  “只喝酒吗?那我也陪你喝吧。”

  那是一个寒冷的秋天之夜。我按照常子(我记得是叫这个名字,但记忆已经模糊不清了。瞧,我这个人竟然连一起殉情自杀的对方的名字都忘记了)所吩咐的那样,在银座背街的一个露天寿司摊铺上一边吃着难以下咽的寿司,一边等着她。(虽说忘了她的名字,可偏偏那寿司难以下咽的滋味,不知为何竟清晰地留在我的记忆里。而且,那个长着一副黄颔蛇脸相、脑袋已经秃顶的老板一边摇晃着头,一边像个行家似的捏着寿司的情景,至今仍历历在目。多年以后,好多次我乘坐在电车上,会忽然觉得某张面孔似曾相识,想来想去,才想起它原来与那个时候寿司店老板颇为相似,于是我不禁露出了苦涩的微笑。在她的名字和脸庞都从我地记忆中消隐而去了的今天,唯有那寿司店老板的面孔,我还能记得那么准确无误,以致于可以轻松地描摹出一张肖像画来。我想,这无疑是因为当时的寿司过于难吃,竟带给我寒冷与痛楚的缘故。我从没有这样的体验,被人带到一个所谓的美味无比的寿司店里去吃寿司,而真的会觉得好吃的体验。那寿司太大了。我常常想,难道不能捏成大拇指大小吗?)

  她在本所[东京的一个地名]租借了木匠家二楼的一个房间。在这儿,我一点也用不着隐匿自己平常那颗悒郁的心灵,就像受到剧烈牙痛的袭击一样,我一边用一只手捂住脸颊,一边喝茶。我的这种姿势反倒赢得了她的欢心。她给人的感觉,就像是一个完全孤立的女人,周遭刮着凛冽的寒风,只有落叶枯枝在四处飞舞。

  我一边躺着休息,一边听她唠叨自己的身世。她比我年长两岁,老家在广岛。她说道:“我是有丈夫的人呐。原本他在广岛开了个理发店。去年夏天,一起背井离乡来到了东京,可丈夫在东京却没干什么正经事。不久,被判了诈骗罪,现在还呆在监狱里呐。我呀,每天都要去监狱给他送点东西,但从明天起,我就再也不去了。”不知为什么,我这个人天生就对女人的身世毫无兴趣,不知是因为女人在这方面叙述方式拙劣,还是因为她们的谈话不得要领,反正对我来说,她们所说的话都不过是马耳东风。

  真是寂寞啊。

  比起女人连篇累牍的痛说家世,倒是这样一句短短的叹息更引发我的共鸣。尽管我一直期待着,却从来没有从这个世上的女人那儿听到过这样的叹息。不过,眼前这个女人尽管没有用言语说过一句”真是寂寞啊“,但是,她的身体轮廓中却流淌着一种剧烈而无言的寂寞,就像是一股一寸见方的气流一样,我的身体一旦考近她,就会被那股气流牢牢地包围住,与我自己所拥有的那种多少有些阴郁的气氛,恰到好处地交融在一起,宛若”枯叶落在水底的岩石之上“,使我得以从恐惧和不安中抽身逃遁。

  与躺在那些白痴妓女的怀中安然入睡的感觉截然不同(首先,那些妓女是快活的),跟这个诈骗犯之妻所度过的一夜,对我来说是获得了解放的幸福之夜(不加思索地在肯定意义上使用这样一种夸张的说法,我想,这在我的整篇手记中是绝无仅有的)

  但也仅仅只有一夜。早晨,我睁眼醒来翻身下床,又变成了原来那个浅薄无知、善于伪装的滑稽角色。胆小鬼甚至会惧怕幸福。棉花也能让人受伤。趁着还没有受伤,我想就这样赶快分道扬镳。我又放出了惯用的逗笑烟幕弹。

  “有一句话叫’钱一用完,缘分就断’,其实这句话的解释恰好被人颠倒了。并不是说钱一用光,男人就会被女人甩掉。而是说男人一旦没有钱,自个儿就会意志消沉,变得颓废窝囊。甚至连笑声都缺乏力量,而且性情出奇地乖戾,最终破罐子破摔,自个儿主动甩了女人。就是说近于半疯狂的彻底甩掉女人。据《金洋大辞林》上解释,就是这个意思呐。真可怜呀。我也多少懂得点那种心境。”

  的确,我记得自己当时说了上述那些蠢话,把常子逗得哈哈大笑。我觉得不宜久留,脸也没洗就跑了出来,可没想到我当时编造的关于“钱一用完,缘分就断”的胡言乱语,后来竟与我自己发生了意想不到的关联。

  在此后的一个月里我都没有去见那一夜的恩人。分手之后,随着日子的流逝,喜悦之情也逐渐淡漠,倒是蒙受了她恩惠这一点让我有一种隐隐的不安,感到了一种沉重的束缚。甚至对酒吧里的所有消费都由常子结的帐这种世俗的事情,也开始耿耿于怀了。常子最终也跟房东的女儿、女子高等师范学校那个女人一样,成了仅仅是胁迫着我的女人,所以即使相距甚远,我也会对常子感到恐惧,而且我觉得,一旦再遇到那些与自己睡过觉的女人,她们就会对我勃然大怒,所以对再见到她们颇为胆怯心虚。正因为我的性格如此,所以我对银座采取了敬而远之的态度。不过这种胆怯心虚的性格绝不是源于我的狡猾,而是因为我还不大明白这样一种不可思议的现象:女人这种生物在生存时,是把晚上一起睡觉与第二天早上起床之后这两者严格区分开来的,就像是彻底忘却了其间的关联一样,干净利落地斩断了那两个世界的联系。

  十一月末,我和掘木在神田的露天摊铺上喝廉价的酒。这个恶友主张离开现在的摊铺去另一个地方喝酒。可是我们已经花光了手头的钱,可在这种情况下他还是硬吵嚷着“喝呀,喝呀”。此时的我已经喝得醉醺醺的,胆子也变大了,我说道:

  “好吧,那我就带你去一个梦的国度。可别大惊小怪,那儿真可谓是’酒池肉林’……”

  “是一个酒馆?”

  “对。”

  “走吧。”

  事情就这样定了,两个人一起坐上了市营电车。掘木兴奋得欢蹦乱跳,说道:

  “今夜我可是好想要个女人呐。在那儿可以亲女招待吗?”

  平常我是不大愿意让掘木演出那种醉态的。掘木也知道这一点,所以又特意问了一句:

  “我亲她,行吗?坐在我旁边的女招待,我一定要亲给你瞧瞧。行不行?”

  “不要紧吧?”

  “那太好了!我真是太想要女人了。”

  在银座的四丁目下车后,仗着常子的关系,我们身无半文地走进了那家所谓酒池肉林的大酒馆。我和掘木挑了一个空着的包厢相对而坐,只见常子和另一个女招待迅速跑了过来。那另一个女招待坐在了我的身边,而常子则一屁股坐在了掘木的身边。我不由得吃了一惊:常子眼看就要被掘木亲吻了。

  但我并不是一种觉得可惜的感觉。我这个人本来就没有太强的占有欲,即使偶尔有可惜的感觉,也绝没有那种大胆主张自己的所有权,奋起与人抗争的力量,以致于在后来的某一天,我甚至默不做声地眼睁睁看着一个与自己同居的女人遭到了别人的玷污。

  我竭力避免介入人与人之间的芥蒂,害怕卷入那样的漩涡之中。常子与我不过是一夜的交情。她并不属于我。我不可能有觉得可惜的欲望,不过我毕竟还是吃了一惊。

  常子就在我的面前接受着掘木强烈的亲吻。我为常子的境遇感到可怜。这样一来,被掘木玷污过的常子或许就不得不与我分手了吧。而且我也不具备足够的热情来挽留住常子。啊,事情被迫到此结束了。我对常子的不幸涌起了瞬间的惊愕,但随即又如同流水般老老实实地彻底绝望了。我来回瞅着掘木与常子的面孔,嗤笑了起来。

  但事态却意想不到地恶化了。

  “算了吧!”掘木歪着嘴巴说道,“就连我这种穷光蛋也要的女人……”

  他就像是困窘至极似的交叉着双臂,目不转睛地盯着常子,苦笑了。

  “给我酒,我身上没有钱。”我小声地对常子说道。我真想喝个烂醉。从所谓的世俗眼光来看,常子的确是一个不值得醉汉亲近、丑陋而贫穷的女人。我感到自己就像是意外遭受到雷击一样。我喝呀,喝呀,从没喝过这么多酒,一直喝到烂醉如泥,与常子面面相觑,悲哀地微笑着。经掘木这么一说,我真的觉得她不过是一个疲惫不堪而又贫穷下贱的女人,可与此同时,一种同病相怜的亲近感又油然而生(我至今仍旧认为:贫富之间的矛盾尽管貌似陈腐,但却是戏剧家笔下永恒的主题)。我发现常子是那么可爱,以致于我平生第一次觉察到了自己萌发了一种虽然微弱却积极主动的恋爱之心。我吐了,吐得不省人事。喝酒喝得不省人事,这还是第一次。

  醒来一看,常子坐在我的枕边。原来我是睡在了本所木匠家二楼的房间里。

  “你说过’钱一用完,缘分就断’,我还以为是开玩笑来着。莫非你是真心说的?要不,你干嘛不来了?要断绝缘分也不是那么容易的。难道我挣钱给你用,还不行吗?”

  “不,那可不行。”

  然后那个女人也躺下睡了。拂晓时分,从女人的口中第一次迸出了“死”这个字眼。她早已被人世的生活折磨得筋疲力尽,而我一想到自己对人世的恐惧和生存的烦忧,还有金钱、女人、学业、运动等等,似乎就再也无法忍耐着活下去了。于是不加思索地赞同了她的提议。

  但当时我却没有真正做好去“死”的思想准备。其中的确隐含着某种“游戏”的成分。

  那天上午,我和她双双徜徉在浅草区,一块儿走进了一家咖啡馆,各自喝了一杯牛奶。

  “帐你先结了吧。”

  我站起身,从袖口里掏出小钱包,打开一看,里面仅有三块铜币。一种比羞耻更为凄烈的情愫一下子攫住了我。我的脑海里一闪而过的是自己在仙游馆的那个房间,那只剩下了学生制服和被褥,再也没有任何东西可以送进当铺的荒凉房间。除此之外,我的所有家当就只有此刻穿在身上的碎花布和服与斗篷了。这便是我的现实。我清醒地意识到自己已经是走投无路了。

  看见我不知所措的样子,那女人也站了起来,瞅了瞅我的钱包问道:

  “哎?!就这么点钱?!”

  尽管这句话有口无心,但分明有种疼痛感穿透了我的骨髓。这是我第一次因为自己所爱的人说的话而体验到的痛苦。三枚铜币说到底算不得是钱,它带给我从未咀嚼过的奇妙屈辱感,一种没脸再活下去的屈辱感。归根到底,那时的我还没彻底摆脱有钱人家纨绔子弟这一种属性吧。也就在这时候,我才真正地作为一种实感做出了去死的决定。

  那天夜里我们俩一块儿跳进了镰仓的海面。那女人嗫嚅着“这腰带还是从店里的朋友那儿借来的呐”,随即解了下来叠放在岩石上面。我也脱下了斗篷放在同一块岩石上,然后双双纵身跳进了海水里。

  女人死掉了,我却得救了。

  或许因为我是一个高中生,再加上父亲的名字多少具有一些所谓的新闻效应吧,情死的事儿被当作一起重大事件登载在报纸上。

  我被收容在海滨的医院里,一个亲戚还专程从故乡赶来,处理种种后事。故乡的父亲和一家人都勃然大怒,有可能就此与我断绝关系,那个亲戚这样告诉我以后就回去了。但我哪有心思顾及这些,我只是在想念死去的常子,禁不住潸然泪下。因为在我迄今为止交往的人中间,我只喜欢那个贫穷下贱的常子。

  房东的女儿给我寄来了一封长信,里面是她写的五十首短歌。这些短歌的开头一句全是清一色的“为我活着吧”这样一种奇特的句子。护士们快活地笑着到我的病房里来玩,其中有些护士总是在紧紧握过我的手之后才转身离去。

  在这所医院检查出我的左肺上有毛病。这对我来说,倒是一件好事。不久,我被警察以“协助自杀罪”为名带到了警局。在那里他们把我当病人对待,收容在特别看守室里。

  深夜,在特别看守室旁边的值班室内,一个通宵值班的年迈警察悄悄拉开两个房间中央的门,招呼我道:

  “冷吧。到这边来烤烤火吧。”

  我故作无精打采地走进值班室,坐在椅子上烤起火来。

  “到底还是舍不得那个死去的女人吧。”

  “嗯。”我故意用小得几乎听不见的声音回答道。

  “这就是所谓的人情吧。”

  接着他渐渐摆开了架势,俨然一副法官的样子装腔作势地问道。

  “最初和那女人搞上关系是在哪儿?”

  他当我是个小孩子,摆出一副审讯主任的派头,为了打发这个秋天的夜晚,企图从我身上套出什么近于猥亵的桃色新闻。我很快觉察出这一点,拼命忍住想笑的神经。尽管我也知道,对警察这种“非正式审讯”我有权利拒绝做出任何回答,但为了给这漫长的秋夜增添一点兴致,我始终在表面上奇妙地表现出一片诚意,仿佛从不怀疑他就是真正的审讯主任,而刑罚的轻重彻底取决于他的意志。我还进行了一番适当的“陈述”,以多少满足一下他那颗色迷迷的好奇心。

  “唔,这样我就大体上明白了。如果一切都照实回答。我嘛,自然会酌情从宽处理的。”

  “谢谢,还请您多多关照。”

  真是出神入化的演技。这是一种对自己毫无益处的卖力表演。

  天已经亮了。我被署长叫了过去。这一次是正式审讯。

  就在打开门走近署长室的当口,署长发话了:

  “哦,真是个好男儿啊。这倒怪不了你。怪只怪你的母亲,生下了你这样一个好男儿。”

  这是一个皮肤微黑、像是从大学毕业的年轻署长,听他突如其来地这样一说,我不禁萌发了一种悲哀的感觉,就像自己是一个半爿脸上长满了红斑的、丑陋的残疾人一样。

  这个署长的模样就像是一个柔道选手或剑道选手,他的审讯方式也显得干练爽快,与那个老警察在深夜进行的隐秘而执拗的的好色审讯相比,真可谓天壤之别。审讯结束后,署长一边整理送往检查局的文件,一边说道:

  “你得好好爱惜身体呐。你吐血了吧?”

  那天早晨我有些反常地咳嗽。一咳嗽,我就用手巾掩住嘴巴。只见手巾上就像是降了红色的霰子一样沾满了血。但那并不是从喉咙里咳出来的血,而是昨天夜里我抠耳朵下面的小疙瘩时流出来的血。我突然意识到,不挑明其间的真相或许对我更为有利,所以只是低下头,机敏地回答道:

  “是的。”

  署长写完文件后说道:

  “至于是否起诉,得由检察官来决定。不过,还是得用电报或电话通知你的担保人,让他到横滨检查局来一趟。总该有一个人吧,诸如你的担保人或监护人之类的。”

  我突然想起,一个曾经经常出入于父亲别墅、名叫涩田的书画古董商是我学校的担保人。这个叫涩田的人,和我们是同乡,常常拍我父亲的马屁,是一个长得又矮又胖、年届四十的独身男人。他的脸,特别是眼睛,与比目鱼十分相似,所以父亲总叫他“比目鱼”,我也就跟着那么叫惯了。

  我借助警察的电话簿,查到了“比目鱼”家的电话号码。我拨通了电话,请他到横滨检查局来一趟。没想到“比目鱼”就像是变了一个人似的,说起话来竟然装腔作势的,但还是答应了下来。

  “喂,那个电话话筒还是消毒一下为好。没看见他吐血了吗?”

  当我回到特别看守室坐下之后,听见署长正用大嗓门吩咐警察给电话话筒消毒。

  午饭以后,我被他们用细麻绳绑住胳膊,与一个年轻警察一起乘坐电车向横滨出发了。尽管他们准许我用斗篷遮住捆绑的痕迹,但麻绳的异端却被年轻的警察牢牢地握在手中。

  不过,我并没有丝毫的不安,倒是对警察署的特别看守和那个老警察依依不舍。呜呼,我怎么会沦落到这步田地呢?被作为犯人捆绑起来,竟反而使我如释重负,万般惬意。即使此刻我追忆当时的情形时,整个的我也不由自主地觉得心旷神怡了。

  但在那一段时期所有令人怀念的往事中,唯有一次悲惨的失败记录,它令我不胜汗颜,终生难忘。我在检查局一个阴暗的房间里接受了检察官简单的审讯。检察官年纪有四十岁左右,看起来像是一个性情温和、不乏气度的人(倘若说我长得漂亮的话,那也无疑室一种淫荡邪恶的漂亮,但这个检察官的脸上却萦绕着一种聪慧而且宁静的氛围,使你不得不承认那才是一种真正的漂亮)。所以我情不自禁地彻底放松了警惕,只是心不在焉地叙述着。突然我又咳嗽了起来。我从袖口掏出手巾,蓦地瞥见了那些血迹。顿时我涌起了一个浅薄的念头,以为或许我能够把这咳嗽作为一种筹码来进行讨价还价。“咯,咯”我夸张地大声假咳了两下,用手巾捂住嘴巴,顺势悄悄斜了检察官一眼。

  “你是在真咳吗?”

  他的微笑依旧是那么宁静。我直冒冷汗。不,即使现在我回想起来,依旧会紧张得手足无措。中学时代,当那个傻瓜竹一说我是“故意的,故意的”,戳穿了我的把戏时,我就像被一脚踢进了地狱里一样。可如果说我这一次的羞愧远远超过了那一次,也绝没有言过其实。那件事和这件事,是我整个生涯中演技惨败的两大记录,我有时甚至想:与其遭受检察官那宁静的侮辱,还不如被判处十年徒刑。

  我被予以缓期起诉,但我却高兴不起来。心中满是悲凉地坐在检查局休息室的长凳子上,等待着担保人“比目鱼”来领我出去。

  透过背后高高的窗户能望见晚霞燃烧的天空,一大群海鸥排成一个“女”字形飞走了。

手记之三

  竹一的两大预言,兑现了一个,落空了一个。“被女人迷恋上“这一并不光彩的预言化作了现实,而”肯定会成为一个伟大的画家“的这一祝福性的预言却归于泡影。

  我仅仅当上了给粗俗杂志投稿的无名的蹩脚漫画家而已。

  由于镰仓的殉情自杀事件,我遭到了学校的除名。于是,我不得不在“比目鱼“家二楼上一间三铺席大的房子里起居生活。每月从家里寄来极少金额的一点钱,并且不是直接寄给我,而是悄悄寄到“比目鱼”这儿来的。(好像是老家的哥哥们瞒着父亲寄来的)。除此之外,我与老家之间便被断绝了所有联系。而“比目鱼”也总是老大不高兴的样子,无论我怎样对着他讨好地笑,他也一笑也不笑,使我不得不怀疑:人怎么能如此轻易地变得面目全非呢?这令我感到可耻,不,毋宁说是滑稽。“比目鱼”一改过去的殷勤,只是对我反复絮叨着这样一句话:

  “不准出去。总之,请你不要出去。”

  看来,“比目鱼”认为我有自杀的嫌疑,换言之,存在着我跟随女人再度跳进大海的危险性,所以对我的外出严加禁止。我既不能喝酒,也不能抽烟,而只能从早到晚地蛰伏在二楼三铺席房间的被炉里翻一翻旧杂志,过着傻瓜一样的生活,甚至于连自杀的力气也丧失殆尽了。

  “比目鱼”的家位于大久保医专的附近,尽管招牌上堂而皇之地写着“书画古董商”、“青龙园”等等,可毕竟只占了这一栋房子两家住户中的一户。而且,店铺的门面也相当狭窄,店内落满了尘埃,堆放着很多的破烂货(本来“比目鱼”就不是靠着店里的破烂货在做生意,而是大肆活动于另一些场合,比如将某个所谓老板的珍藏品的所有权出让给另一个所谓的“老板”从中渔利)。他几乎从不呆坐在店里,而一清晨就扳起个脸,急匆匆地走出店门去了,只留下一个十七八岁的小伙计守店。当然他也是负责看守我的人了。一有闲工夫,他就跑到外面去,和邻近的孩子一起玩投球游戏,俨然把我这个二楼上的食客当作了傻瓜或是疯子,甚至有时像大人一样对我说教。这小伙计是涩田的私生子,只是其间有一些蹊跷的内幕,使得涩田和他没有父子相称。而且,涩田一直独身未娶,似乎与此也不无关系。我记得过去也从自己家里人那儿听到过一些有关的传闻,但我对别人的事情本来就没有太大的兴趣,所以对其中的详情一概不知。但那小伙计的眼神确实让人联想起那些鱼的眼睛来,所以,或许真的是“比目鱼”的私生子……倘若果然如此,他们俩倒也的确算得上一对凄凉的父子。夜深人静之时,他们常常瞒着二楼的我,一声不响地偷吃荞麦面什么的。

  在“比目鱼”家里,一直是由这个小伙计负责主厨的。我这个二楼的食客的饭菜,通常是由小伙计盛在托盘里送上来,而“比目鱼”和小伙计则在楼下四铺半席大的饮湿房间里匆匆忙忙地用餐,还一边把碗碟鼓捣得嗑嚓作响。

  在三月末的一个黄昏,或许是“比目鱼”找到了什么意料之外的赚钱门道,亦或是他另有计谋(即使这两种推测都没有错,至少也还有我等之辈无法推测的种种琐屑的原因吧),他破例把我叫到了楼下的餐桌旁。桌子上竟然很罕见地摆放着酒壶和生鱼片,而且那个生鱼片也不是廉价的比目鱼,而是昂贵的金枪鱼。就连款待我的主人家也大受感动,赞叹不已,甚至还向我这个茫然不知所措的食客劝了点酒。

  “你究竟打算怎么办呢,这以后?”

  我没有回答,只是从桌子上的盘子里夹起了一块干沙丁鱼片看着那小鱼身上银白色的眼珠子,酒劲便渐渐上来了。我开始怀念起那些四处乱转的时光,还有掘木。我是那么痛切地渴望起“自由”来了,以致差点脆弱得掩面哭泣。

  我搬进这个家以后,甚至于丧失了逗笑的欲望,只是任凭自己置身于“比目鱼”和小伙计的蔑视之中。“比目鱼”似乎也竭力避免与我进行推心置腹的长谈,而我自己也无意跟在他后面向他诉说衷肠,所以我几乎完全变成了一个湿乎乎的食客。

  “所谓缓期起诉,今后是不会变成一个人的前科的。所以就单凭你自己的决心就可以获得新生。若是你想洗心革面,正经八百地征求我的意见,那我自会加以考虑的。”

  “比目鱼”的说法,不,世上所有人的说法,总是显得转弯抹角,含糊不清,其中有一种试图逃避责任似的微妙性和复杂性。对于他们那种近于徒劳无益的严加防范的心理和无数小小的计谋,我总是感到困惑不已,最后只得听之任之,随他而去。要么我以滑稽的玩笑来敷衍塞责,要么我用无言的首肯来得过且过,总之,我采取的是一种败北者的消极态度。

  多年以后我才知道,其实当时要是“比目鱼”像下面这样简明扼要地告诉我,事情就会是另一个样子,可是……我为“比目鱼”多此一举的用心,不,为世人那不可理喻的虚荣心和面子观念,感到万般的凄凉和阴郁。

  “比目鱼”当时要是那么直截了当地告诉我就好了:

  “不管似乎官立学校还是私立学校,反正从四月开始,你得进一所学校。只要你肯进学校读书,老家就会寄来更充裕的生活费。”

  后来我才了解到,事实上,当时情况就是这样。那样说的话,我是会言听计从的吧。但是,由于“比目鱼”那种过分小心翼翼、过分转弯抹角的说法,我反倒闹起了别扭,以致于我的生活方向也完全改变了。

  “如果你没有诚心了来征求我的意见,那我就无可奈何了。”

  “征求什么意见?”我就像丈二和尚一样摸不到头脑。

  “关于你心中想的一些事情罢了。”

  “比如说?”

  “比如,你自己打算今后怎么办?”

  “还是找点活儿来干好吧?”

  “不,我是问你自己究竟是怎么想的?”

  “不过,即使我想进学校,也……”

  “那也需要钱。但问题不在钱上,而在于你的想法。”

  他为什么不挑明说一句“老家会寄钱过来”呢?仅此一句话,我就会下定决心的。可现在我却坠入了云里雾中。

  “怎么样?你对未来是否抱有希望之类的东西呢?照顾一个人有多难,这是受人照顾者所无法体会的。”

  “对不起您。”

  “这确实让我担心呐。我既然答应了照顾你,也就不希望你半途而废。我希望你拿出决心来,走上一条重新做人的道路。至于你将来的打算,如果你诚心诚意地告诉我征求我的意见,我是愿意与你一起商量着办的。当然,我“比目鱼”是个穷光蛋,但还是愿意资助你的。可是,如果你还奢望过从前那种阔绰的生活,那就大错特错了。不过,要是你的想法切实可行,明确地制定出了将来的方针,并愿意与我商量,那我会不厌其烦地帮助你获得新生。你明白吗?我的这种心情?你究竟以后打算怎么办?”

  “如果您真的不愿意收留我,我就出去找点活儿来干干……”

  “你是真心那么说的吗?在如今这个世上,就算是帝国大学的毕业生也还……”

  “不,我又不是去做什么白领阶层。”

  “那做什么呢?”

  “当画家。”我狠狠心说了出来。

  “嘿?!”

  我无法忘记当时“比目鱼”缩着脖子嗤笑的狡猾面影。那嗤笑的面影里潜藏着一种近于轻蔑却又不同于轻蔑的东西。倘若把人世间比作一片大海,那么,在大海的万丈深渊里就分明曳动着那种奇妙的影子。我正是透过那种嗤笑,管窥了成年人生活的深层奥秘。

  最后他说道:“想当画家的想法真是太荒唐了,你在情绪上一点也不稳定。你再考虑考虑吧,今天晚上你就好好地考虑一晚上吧。”被他这样一说,我就像是被人追撵着似的赶紧爬上了二楼。无论怎样辗转反侧地思考,也想不出什么别的主意。再过了一阵子,天破晓了。黎明时分,我从“比目鱼”家逃了出来。

  “傍晚时分我肯定回来,关于将来的打算,我这就去找下面所记的一位朋友商量,所以,请您不必为我担心。真的。”

  我用铅笔在便筏上写了上面的一番话。然后,又记下了浅草掘木正雄的住址和姓名,悄悄溜出了“比目鱼”家。

  我并不是因为讨厌“比目鱼”的说教才偷跑出来的。正如“比目鱼”所说的那样,我是一个情绪不稳定的男人。对于将来的打算,我一无所知,而且,如果一直呆在“比目鱼”家当食客的话,未免又对不起“比目鱼”。即使我想发奋图强,立下宏志,可一想到自己每个月都得从并不富裕的“比目鱼”那儿接受经济上的援助,不禁顿时黯然神伤,痛苦不堪。

  不过,我并不是真的想去找掘木商量什么“将来的打算”才逃离“比目鱼”家的。哪怕是片刻也好,我希望能先让“比目鱼”放下心来(而在他宽心的这段时间里,我便可以逃得再远一点,正是出于这种侦探小说式的策略,我才写下了那张留言条。不,不对,尽管不无这种心理,但更准确的说法是:我害怕自己冷不防带给“比目鱼”太大的打击,使他惊惶失措。尽管事情的真相迟早是要败露的,但我还是惧怕直截了当地说出来。因而必要进行某种掩饰。这正是我可悲的性格之一,尽管它与世人斥之为“撒谎”而百般鄙弃的性格颇为相似,但我却从来也没有为了牟取私利而那么做,我只是对那种气氛的骤然变化所造成的扫兴感到一种窒息感的恐惧,所以,即使明知事后对自己不利,也必定会进行那种拼死拼活的服务。纵然这种“服务”是一种被扭曲了的、微不足道而又愚蠢至极的东西,但恰恰是出于这种为人“服务”的心理,我才在许多场合下不由自主地添加上漂亮的修饰语。但这种习惯却常常被世上所谓的“正人君子”大肆利用),所以,就任凭记忆的驱使,把当时浮现在脑海中的掘木的住址和姓名随手写在便筏的一隅。

  我离开了“比目鱼”的家,一直步行着来到了新宿,卖掉了口袋里的书。这下我真是走投无路了。尽管我在朋友中人缘不错,可却一次也没有真切地体会到过那种所谓的“友情”。像掘木这样的耍耍朋友暂且不论,甚至所有的交往都只给我带来过痛楚。为了排遣那种痛楚,我拼命地扮演丑角,累得精疲力竭。即使是在大街上看到熟悉的面孔,哪怕只是与熟人相似的面孔,我都会大吃一惊,在一刹那间被那种令人头晕目眩的痛苦的战栗牢牢的地挟裹住。即使知道有人喜欢自己,我也缺乏去爱别人的能力(当然,我对世上的人是否真的拥有爱别人的能力这一点持怀疑态度)。这样的我是不可能拥有所谓“亲密朋友”的。而且,我甚至缺乏走访朋友的能力。对于我来说,他人的家门比《神曲》中的地狱之门还要阴森可怕。这并非危言耸听,我真有这样一种感觉:似乎有一种可怕的巨龙一般散发出腥臭的怪兽,正匍匐在别人家门的深处蠕动着。

  我和谁都没有来往,我哪儿都去不了。

  还是去掘木那儿吧。

  这是一种典型的假戏真做。我决定按照留言条上所写的那样去走访浅草的掘木。在这之前,我一次也没有主动去走访过掘木家,而大都是打电话叫掘木上我这儿来。眼下我甚至连电报费也掏不出来了,更何况凭我这副落魄潦倒之身,光发个电报,掘木恐怕是不会出来见我的吧。我决定做一次自己并不擅长的“走访“,于是叹息着坐上了电车。对于我来说,难道这个世上唯一的救命稻草就是那个掘木吗?一想到这儿,一种冷彻脊梁的凄凉感一下子笼罩了我。

  掘木在家。他的家是一栋位于肮脏的胡同深处的两层建筑。掘木占有的是二楼上一间仅有六铺席大的房间。掘木年迈的父母和三个年轻的工匠正在楼下制作木屐,一会儿敲敲打打,一会儿缝制木屐带子。

  那天,掘木向我展示了他作为都市人的崭新一面。即俗话所说的老奸巨猾的一面。他是一个冷酷狡诈的利己主义者,令我这个乡巴佬瞠目结舌。他远远不是一个像我这样永远飘泊流转的男人。

  “你真是让我吃了一惊呐。你家老爷子原谅你了吗?还没有?!”

  我没敢说自己是逃出来的。

  我像平常那样搪塞者。尽管马上就会被掘木察觉,但我还是搪塞着说道:

  “那总会有办法的。”

  “喂,那可不是闹着玩的。就算是我对你的忠告吧,干傻事到此该收手了。我嘛,今天还有点事呐,这阵子真是忙得不可开交。”

  “有事?!什么事?!”

  “喂,喂,你可别把坐垫上的带子扯断啦。”

我一边说话,一边无意识地用指尖鼓捣着铺在下面的坐垫的四个边上那穗子模样的绳子,也不知道那是坐垫上的线头子还是扎绳儿,我只是一个劲儿地扯拉着玩。只要是家里的东西,掘木似乎连坐垫上的一根细绳子都爱惜无比,甚至于不惜横眉竖眼,义正严辞地责备我。回想起来,掘木在以前与我交往中从来也没有吃过什么亏。

  掘木的老母亲把两碗年糕小豆汤放在托盘里送了上来。

  “哎呀,您这是……”

  掘木俨然一副不折不扣的孝顺儿子的模样,在老母亲面前显得诚惶诚恐的,就连说话的腔调也毕恭毕敬得有些不自然了:

  “对不起,是年糕小豆汤吗?真是太阔气了。原本用不着这么费心的,因为我们有事得马上出去呐。不过,一想到这是您特意做的拿手的年糕小豆汤,要是不吃又未免太可惜了。那我们就喝了吧。你也来一碗吧,怎么样?这可是我母亲特意做到呐。啊,这玩艺儿真好喝。太阔气啦!”

  他兴奋无比,津津有味地喝着,那神情也不完全像是在演戏。我也啜了一口小豆汤,只闻到一股白开水的味道。我又尝了尝年糕,觉得那压根儿就不是年糕,而是一种我全然不知的莫名其妙的物体。当然,我绝对不是在这里蔑视他们家的贫穷(其实当时我并不觉得难吃,而且老母亲的心意也令我大为感动。即使我对贫穷有一种恐惧感,也绝对没有什么轻蔑感)。多亏了那年糕小豆汤和因年糕小豆汤而兴高采烈的掘木,我才清楚地看到了都市人那节俭的本性,看到了东京人家庭那种内外有别、惨淡经营的真实面貌。我发现唯有愚蠢的我不分内外,接二连三地从别人的生活中四处逃窜,甚至还遭到了掘木这种人的嫌弃。这怎不令我惶恐?我鼓捣着涂漆剥落的筷子,一边喝年糕小豆汤,一边不由自主地陷入了一种难以忍受的寂寞和凄凉之中。我只想把这一点记录下来。

  “对不起,我今天有点事,”掘木站起身,一边穿上衣一边说道,“太失礼了,真是对不起。”

  这时,一个女客人来找掘木。谁知我的命运也随之发生了剧变。

  掘木一下子精神大振,说道:

  “哦,真是对不起。我正寻思着要去拜望您呐。可谁知来了个不速之客。不过没关系,喂,请吧。”

  他一副方寸大乱的样子。我把自己垫着的坐垫腾出来翻了个面递给他,他一把夺过去,又翻了个面放好,请那个女人就座。房间里除了掘木的坐垫之外,就剩下了一张客人用的坐垫。

  女人是一个瘦高个儿。她把坐垫往旁边挪了挪,在门口附近的角落边坐了下来。

  我茫然地听着他们俩的谈话,那女人像是某个杂志社的人,看样子不久前约请了掘木画什么插图,这一次是来取稿的。

  “因为很急,所以……”

  “已经画好了。而且是早就画好了的。这里就是。请过过目吧。”

  这时送来了一封电报。

  掘木看了看电报。只见他那本来兴高采烈的面孔一下子变得有些阴森可怖起来了。

  “喂,你说说,这究竟是怎么回事?”

  原来是“比目鱼”发来的电报。

  “总之,请你赶快回去。要是我能送你回去那固然好,可我眼下实在没那工夫。瞧你,从家里逃跑出来,还一副大摇大摆的模样。”

  “您住哪儿?”

  “大久保。”我不由得脱口而出道。

  “那正好是在敝公司的附近。”

  那女人出生在甲州,今年二十八岁。带着一个年满五岁的女儿住在高园寺的公寓里。据说她丈夫已去世快三年了。

  “您看起来像是吃了很多苦头才长大成人的呐。看得出您很机敏,够可怜的。”

  从此我第一次过上了男妾似的生活。在静子(就是那个女记者)去新宿的杂志社上班时,我就和她那个名叫繁子的五岁女儿一起照看家里。在此之前,当母亲外出时,繁子总是在公寓管理员的房间里玩耍,而现在有了一个“机敏”的叔叔陪着她玩,让她很是高兴。

  我在那儿稀里糊涂地呆了一周左右。透过公寓的窗户,能看见一只风筝绊在了不远的电线上。裹胁着尘土的春风把风筝吹得个七零八落,但它却牢牢地缠在电线上不肯离去,就像是在点头首肯似的。每当见此情景,我就忍不住苦笑起来,面红耳赤,甚至被恶梦所魇住。

  “我想要点钱。”

  “……要多少?”

  “要很多……俗话说‘钱一用完,缘分就断’,可真是一点儿也不假啊。“

  “你真傻。那不过是一句从前的老话而已……”

  “是吗?不过你是不会明白的。照这样下去,没准我会逃走的。”

  “到底是谁更没有钱呢?到底是谁要逃走呢?你真是奇怪呐。”

  “我要自己挣钱,用挣来的钱买酒,不,是买烟。就说画画吧,我也自认为比掘木画得好呐。”

  这种时候,我的脑子里会情不自禁地浮现出自己中学时代所画的那几张自画像,就是被竹一说成是“妖怪的画像”的那些自画像。那是一些丢失了的杰作。尽管它们在三番五次的迁徙中丢失了,但我总觉得,唯有它们才称得上优秀的画作。那以后我也尝试过画各种各样的画,但都远远及不上那记忆中的杰作,以致于我总是被一种失落感所折磨着,恍若整个胸膛都变成了一个空洞。

  一杯喝剩了的苦艾酒。

  我就这样暗暗地描述着那永远无法弥合的失落感。一提到画,那杯喝剩了的苦艾酒就会在我的面前忽隐忽现。我被一种焦躁感搅得心神不宁。啊,真想把那些画拿给她看看。我要让她相信我的绘画才能!

  “哼,怎么样?你竟然还会摆出一本正经的架势开玩笑,真是可爱呀。”

  这不是在开玩笑,而是真的!啊,真想把那些画拿给她瞧瞧。我就这样徒劳地想着。突然我改变了主意,断了那个念头,说道:

  “漫画,至少画漫画,我自认为比掘木强。”

  这句骗人的玩笑话,谁知她倒信以为真了。

  “是啊,其实我也蛮佩服你的。你平时给繁子画的那些漫画,让我看了都不禁捧腹大笑。你就试着画画看,怎么样?我也可以向我们社的总编引见你呐。”

  她们那家杂志社发行的是一种面向儿童的没有名气的月刊杂志。

  “……一看到你,大部分女人都巴不得为你做点什么呐……因为你总一副战战兢兢的样子,却又是一个出色的滑稽人物。……有时候你是那么茕茕孑然,郁郁寡欢,那模样更是让女人为之心动呐。”

  除此之外,静子还唠唠叨叨地说很多话来给我戴高帽子,可一想到那恰恰是隶属于男妾的可鄙特性,我就变得越发“郁闷消沉”、委靡不振了。我暗地里忖度到:金钱比女人更重要,我迟早都要离开静子去过自食其力的生活。可事实上,我却是越来越依赖于静子了。包括我从“比目鱼”家出走之后所有的事情,我都受到了这个胜过男性的甲州女人的关照,结果,我在静子面前更是不得不“战战兢兢”的了。

  在静子的安排下,“比目鱼”、掘木以及静子三人进行了三方会谈,达成了协议:我与老家彻底决裂,而与静子“堂堂正正”地同居。在静子的多方奔走下,我的漫画也意外地赚了些收入,我用钱来买酒和烟。谁知我的不安和悒郁却有增无减。郁郁不乐之至,使我在为静子他们的杂志画每月的连载漫画《金太郎与小太郎的冒险》时,情不自禁地回想起故乡的家人来。由于过分凄寂,手中的画笔有时会戛然停止运作,而我伏在桌子上早已是泪流满面了。

  这种时候,能稍微安慰我的就只有繁子了。繁子已经毫不忌讳地把我叫做“爸爸”了。

  “爸爸,有人说只要一祈祷,神什么都会答应的,这话可当真?”

  说来我倒是正需要这样的祈祷呐。

  啊,请赐给我冷静的意志!请告诉我“人”的本质!一个人排挤欺负另一个人,难道也不算罪过吗?请赐给我愤怒的面罩!

  “嗯,是的,对繁子嘛,神什么都会答应的。可是对爸爸呢,恐怕就不灵验了。”

  “为什么不灵验呢?”

  “因为爸爸违抗了父母之言。”

  “是吗?可大家都说,爸爸是个大好人呐。”

  那是因为我欺骗了他们。我也知道,这公寓里人人都向我表示出好感,可事实上,我是多么畏惧他们啊!我越是畏惧他们,就越是博得他们的喜欢,而越是博得他们的喜欢,我就越是畏惧他们,并不得不离他们远去。可是,要向繁子讲明我这种不幸的乖僻,分明是一件困难至极的事情。

  “繁子,你究竟想向神祈祷些什么呢?”我漫不经心地改变了话题。

  “繁子我想要自己真正的爸爸呐。”

  我吃了一惊,眼前一片晕眩。敌人。我是繁子的敌人?还是繁子是我的敌人?总之,这里也有一个威胁着我的可怕的大人。他人,不可思议的他人,尽是秘密的他人。顷刻间在我眼里,繁子一下子变成了那样一个他人。

  原以为只有繁子是个例外,没想到她的身上也隐藏着“无意中抽死牛虻的牛尾巴。”打那以后,我甚至在繁子面前也不得不提心吊胆了。

  “色魔!在家吗?”

  掘木又开始上这儿来找我了。我从“比目鱼”家出走的日子里,他曾经那么冷漠地对待我,可现在我却无法拒绝他,只能微笑着迎接他。

  “不是听人说你的漫画很受欢迎吗?像你这样的业余爱好者,倒很有点‘初生牛犊不怕虎’的胆量啊。不过也万万大意不得呀。你的素描就一点也不成样子呐!”

  他在我面前摆出一副绘画大师的架势。要是我把那些“妖怪的画像”拿给他看,他会是怎样一种表情呢?我又像惯常那样开始徒劳地焦虑不安起来。我说道:

  “你别那么说我,要不我会大哭一场的。”

  掘木越发得意了:

  “如果仅仅依靠为人处世的才能,迟早会露陷的哟。”

  为人处世的才能……听他这么一说,我除了苦笑之外无以对答。我居然具有为人处世的才能!莫非在别人眼里,我那种畏惧他人、躲避他人、搪塞他人的性格,竟然与遵从俗话所说的那种“明哲保身、得过且过”的处世训条的做法,在表现形式上是相同的吗?啊,人们彼此并不了解,相互截然不同,却自以为是亲密无间的挚友,一辈子也没有觉察到彼此的殊异。待等对方死去,不是还哭哭啼啼地念一番悼词吗?

  掘木是处理我离开“比目鱼”家之后各种问题的见证人(他肯定是在静子的央求之下才勉强答应下来的),所以,他摆出一副像是我重新做人的大恩人亦或月下老人的派头,要么煞有介事地对我进行说教,要么深更半夜喝得烂醉跑来借宿,要么从我这儿借走五块钱(每次都毫无例外是五块)。

  “不过,你玩女人也该到此为止了吧。再玩下去的话,世间是不会容忍的。”

  所谓世间,又是什么呢?是人的复数吗?可哪儿存在着“世间”这个东西的实体呢?迄今为止,我一直以为它是一种苛烈、严酷、而且可怕的东西,并且一直生活在这种想法之中,如今被掘木那么一说,有句话差一点就迸出了我的喉咙口:

  “所谓的世间,不就是你吗?”

  我害怕激怒了掘木,所以,话到嘴边又咽了回去。

  (世间是不会容许那么做的。)

  (不是世间,而是你不会容许那么做的吧。)

  (如果那么做,世间会让你头破血流的!)

  (你不久就会被世间埋葬。)

  (不是被世间,而是被你埋葬吧。)

  (对自己的可怕、怪异、恶毒、狡诈喝诡谲,你要有点自知之明!)

  诸如此类的话语在我胸中你来我往。尽管如此,我却只能用手巾揩拭着汗涔涔的脸庞,笑着嗫嚅道:

  “冷汗,冷汗!”

  打那时候起,我开始萌发了一种可以称之为“思想”的念头:所谓的世间,不就是个人吗?

  从我萌发了这个念头之后,与以前相比,我多多少少能够按照自己的意志行事了。借静子的话来说,我变得有点任性了,不再像以前那样战战兢兢了。再借掘木的话来说,我变得出奇地吝啬小气了。而借繁子的话,我不大宠着她了。

  我变得不苟言笑了,每天一边照看繁子,一边应各家杂志社之约(渐渐地,静子他们以外的出版社也开始向我约稿了,不过,那都是一些比静子她们更低级的所谓三流出版社的约稿)画一些连自己都不知所云的、以自暴自弃为题的连载漫画,诸如《金太郎与小太郎的冒险》,还有明显模仿《悠闲爸爸》而作的《悠闲和尚》,以及《急性子小阿乒》等等。我满心忧郁,慢条斯理地画着(我的运笔速度算是相当迟缓的),以此来挣点酒钱。静子从杂志社回到家里之后,就轮到我外出了。我阴沉着脸走出家门,在高园寺车站附近的滩铺上,或是简易酒馆里,啜饮着廉价而烈性的酒,等待心情变得快活之后,才又回到公寓里,我对着静子说道:

  “越看越觉得你长相怪怪的。其实啊,悠闲和尚的造型就是你睡觉时的模样中得到灵感的呐。”

  “你睡觉时的模样,也显得很苍老哟。就像是个四十岁的男人。”

  “还不是都怪你。我都被你吸干了。俗话说‘河里的水流,人的身体’,有什么闷闷不乐想不开的呢?”

  “别瞎嚷嚷了,早点休息吧。要不,你先吃点饭吧。”她是那么平心静气的,根本不理睬我那一套。

  “如果是酒的话,我倒很想喝一点……河里的水流和人的身体,人的水流和……不,是河里的水流和流水的身体……”

  我一边哼哼唧唧的,一边让静子给我脱下衣服。然后我就把额头埋在静子的胸脯里睡了过去。这便是我的日常生活。

  第二天也重复着同一件事情
  只需遵从与昨天相同的习性
  倘若愿意避免狂喜狂乐
  大惊大悲就不会降临
  躲开前方的挡路巨石
  像蟾蜍一般迂回前进

  当我读到由上田敏[日本诗人、翻译家],由夏尔・库洛所作的这首诗时,整个脸庞羞赧得就像火苗在燃烧一样。

  蟾蜍。

  (这就是我。世间对我已经无所谓容忍与不容忍,埋葬与不埋葬了。我是比狗和猫更劣等的动物。蟾蜍。只会趴在地上悉索蠕动的蟾蜍。)

  我的酒量越来越大了。不仅到高园寺车站附近,还到新宿、银座一带去喝酒,甚至有时还在外面过夜。为了避免“遵从与昨天相同的习性”,我要么在酒吧里装出无赖汉的模样,要么接二连三地乱亲女人,总之,我又回复到了情死之前的那种状态,不,甚至成了比那时候更粗野更卑鄙的酒鬼。被钱所困时,我还把静子的衣服拿出去当掉。

  自从我来到这个公寓,对着那被大风刮得七零八落的风筝露出苦涩的微笑之后,已经过去了一年多的时间。当樱花树长出嫩叶的时节,我悄悄偷走了静子和服上的腰带和衬衫,拿到当铺去典当,然后用换来的钱去银座喝酒。我连续在外面过了两夜,到了第三天的晚上,我感到身体不适,不知不觉地又蹑手蹑脚地来到了静子的房门前。只听到里面传来了静子和繁子的谈话声:

  “干吗要喝酒?”

  “爸爸可不是因为喜欢喝酒才喝的。只因为他人太好了,所以……”

  “好人就要喝酒吗?”

  “倒也不是那样,不过……”

  “爸爸没准会大吃一惊的。”

  “没准会讨厌呐。瞧,瞧,又从箱子里跳出来了。”

  “就像是急性子的小阿乒一样。”

  “说得也是。”

能听到静子那压低了嗓门却发自肺腑的幸福笑声。

  我把门打开了一条缝瞅了瞅里面,原来是一只小白兔。只见小白兔在房间里欢蹦乱跳,而静子母女俩正追着它玩。

  (真幸福啊,她们俩。可我这个混蛋却夹在她们中间,把她们俩的生活搅得一塌糊涂。节俭的幸福。一对好母女。啊,倘若神灵能够听见一次我这种人的祈求的话,那么,我会祈求神灵赐给我一次幸福,哪怕只是一生中唯一的一次幸福也罢。)

  我蹲在那里,真想合掌祈祷。我轻轻地拉上门,又回银座去了。从那以后,我就再也没有回过那个公寓。

  而我却又一次以男妾的形式寄宿于离京桥很近的一家简易酒吧的二楼上了。

  世间。我开始隐隐约约明白了世间的真相,它就是个人与个人之间的争斗,而且是即时即地的斗争。人需要在那种争斗中当场取胜。人是绝不可能服从他人的。即使是当奴隶,也会以奴隶的方式进行卑屈的反击。所以,人除了当场一决胜负之外,不可能有别的生存方式。虽然人们提倡大义名分,但努力的目标毕竟是属于个人的。超越了个人之后依旧还是个人。世间的不可思议其实也就是个人的不可思议。所谓的汪洋大盗,实际上并不是世间,而是个人。想到这儿,我多少从对所谓的世间这一汪洋大海的幻影所感到的恐惧中解放了出来。不再像以前那样漫无止境地劳心费神了。即是说,为了适应眼前的需要,我多少学会了一些厚颜无耻。

  离开高园寺的公寓后,我来到了京桥的一家简易酒吧。“我和她分手了。”我只对老板娘说了这一句话,但仅凭这一句话我已经决出了胜负。从那天夜里起,我便毫不客气地住进了那里的二楼。尽管如此,那本该十分可怕的“世间”却并没有施加给我任何伤害,而我自己也没有向“世间”进行任何辩解。只要老板娘不反对,一切的一切便不在话下了。

  我既像是店里的顾客,又像是店老板,也像个跑腿的侍从,还像是个亲戚。在旁人眼里,我无疑是一个来路不明的人。但“世间”却没有表现出丝毫的惊讶,而且店里的常客们也“阿叶、阿叶”地叫我,对我充满了善意,还向我劝酒。

  慢慢地我对世间不再小心翼翼了。我渐渐觉得,所谓的世间这个地方并非那么可怕了。换言之,迄今为止的那种恐怖感很有点杞人忧天的味道,就好比担心春风里有成千上万的咳细菌,担心澡堂里隐藏着成千上万导致人双目失明的细菌,担心理发店里潜伏着秃头病的病菌,担心生鱼片和生烤猪肉牛肉里埋伏着涤虫的幼虫啦、肝蛭啦,还有什么虫卵等等,担心赤脚走路时会有小小的玻璃渣扎破脚心,而那玻璃渣竟会进入体内循环,刺破眼珠,使人失明。的确,所谓“成千上万的细菌在那儿蠕动”或许从“科学”的角度看准确无误,但同时我开始懂得:只要我彻底抹煞他们的存在,他们也就成了和我毫无关联,转瞬即逝的“科学的幽灵”。人们常说,如果饭盒里剩下三粒饭,一千万人一天都剩三粒,那就等于白白浪费了好几袋大米;还有如果一千万人一天都节约一张擤鼻涕纸,就会汇聚成多么大的一池纸浆啊。这种“科学的统计”曾经使我多么胆战心惊啊。每当我吃剩一粒米饭时,或是擤一次鼻涕,我就觉得自己白白浪费了堆积如山的大米和纸浆。这种错觉死死地攫住我,使我黯然神伤,仿佛自己正犯下重大的罪孽一样。但这恰恰是“科学的谎言”、“统计的谎言”、“数学的谎言”。在黑灯瞎火的厕所粒,人们踩虚脚掉进粪坑里的事,会在多少次中出现一次呢?还有,乘客不小心跌进车站出入口与月台边缘缝隙中的事,又是会在多少人中有一个人发生呢?统计这种可能性是愚蠢可笑的,与此相同,三粒米饭也是不可能被汇集一处的。即使作为乘法除法的应用题,这也是过于原始而低能的题目。尽管它的确有可能发生,但真正在厕所的茅坑上踩虚了脚而受伤的事例却从没有听说过。不过,这样一种假设却被作为“科学的事实”灌输进我的大脑。直到昨天我还完全把它作为现实来接受并担惊受怕。我觉得自己是那么天真可爱,忍不住想笑。我开始一点一点地了解“世间”的实体了。

  尽管如此,人这种东西在我的眼里仍旧十分可怕。在下去见店里的顾客时,我必须得先喝干一杯才行。可我又是多么想看到那些可怕的东西啊,所以我每天晚上都到店堂里去,就像小孩子总是把自己害怕的小动物紧紧捏在手中一样,我开始在喝醉的时候向店里的客人吹嘘自己拙劣的艺术论。

  漫画家。啊,我只是一个没有大悲也没有大喜的无名漫画家。我内心中焦急地期盼着狂烈的巨大快乐,即使再大的悲哀紧随而来,我也在所不惜。可是,眼下我的乐趣却不外乎与客人闲聊神吹,喝客人请我喝的酒。

  来到京桥以后,我已过了一年如此无聊的生活。我的漫画也不再仅仅限于儿童杂志,而开始登载在车站上贩卖的粗俗猥亵的杂志上。我以“上司几太”(情死未遂)这个谐谑的笔名,画了一些龌鹾的裸体画,并大都插入了《鲁拜集》[波斯诗人欧玛儿・海亚姆所著四行诗集]中的诗句:

  停止做那些徒劳的祈祷,
  不要再让泪水白白流掉。
  来,干一杯吧,只想着美妙的事情
  忘记一切多余的烦恼。

  那用不安和恐怖威胁人的家伙
  惧怕自己制造的弥天罪恶,
  为了防备死者的愤然复仇,
  终日算计,不得安卧。

  叫喊吧!我的心因醉意而充满欢欣,
  今早醒来却只有一片凄清。
  真是怪我,相隔一夜,
  我的心竟判若两人!

  难道正义是人生的指针?
  那么,在血迹斑斑的战壕
  瞧那暗杀者的刀锋上
  又是何种正义在喧嚣?

  哪里有真理给我们的指示?
  又是何种睿智之光在照耀闪烁?
  美丽与恐惧并存于浮世,
  软弱的人子负起不堪忍受的重荷。

  因为我们被播撒了情欲的种子,
  所以总听到善与恶、罪与罚的咒语。
  我们只能束手无策彷徨踟躇,
  因为神没有赐给我们力量和意志。

  你在哪里彳亍徘徊?
  你在对什么进行抨击、思索和忏悔?
  是并不存在的幻觉,还是空虚的梦乡?
  哎,忘了喝酒,那全成了虚假的思量!

  请遥望那漫无边际的天空,
  我们乃是其中浮现的一小点。
  怎能知道这地球是凭什么自转?!
  自转,公转,反转,又与我们有何相干?!

  到处都有至高无上的力量,
  所有的国家,所有的民族,
  无不具有相同的人性。
  难道只有我一个是异端之族?

  人们都读了《圣经》,
  要不就是缺乏常识和智慧。
  竟然忌讳肉体之乐,还禁止喝酒,
  好啊,穆斯塔法,我最讨厌那种虚伪!

  (摘自掘井梁步译《鲁拜集》)

  那时,有一个处女劝我戒酒。她说道:

  “那可不行啊,你每天一吃午饭就开始喝得醉醺醺的。”

  她就是酒吧对面那家香烟铺子里的小女孩,年纪有十七八岁,名字叫良子。白白的肤色,长着一颗虎牙。每当我去买香烟时,她都会笑着给我忠告。

  “为什么不行呢?有什么不好呢?有多少酒就喝多少酒。’人之子呀,用酒来消除憎恨吧!’这是古代波斯一个诗人说的,哎呀,不用说这么复杂。他还说’给我这悲哀疲惫的心灵带来希望的,正是那让我微醉的玉杯’呐。这你懂吗?”

  “不懂。”

  “你这小家伙,让我来亲你一下吧。”

  “亲就亲呗。”

  她毫不胆怯地翘起了下嘴唇。

  “混蛋,居然没有一点贞操观念。”

  但良子的表情里分明却飘漾着一种没有被任何人玷污过的处女的气息。

  在开年后的一个严寒的夜晚,我喝得醉醺醺地出去买香烟。不料掉进了香烟铺前面那个下水道的出口里,我连声叫着:“良子,救救我救救我。”良子把我使劲拽了上来,还帮我治疗右手上的伤口。这时她一笑也不笑,恳切地说道:

  “你喝得太多了。”

  我对死倒是满不在乎,但若是受伤出血以致于身体残废,那我是死活不干的。就在良子给我护理手上的伤口时,我寻思我是不是真的该适当地戒酒了。

  “我戒酒。从明天起一滴也不沾。”

  “真的?!”

  “我一定戒。如果我戒了,良子肯嫁给我吗?”

  关于她嫁给我的事,其实只是一句玩笑话而已。

  “当然咯。”

  所谓“当然咯”,是“当然肯咯”的省略语。当时正流行各种各样的省略语,比如时男(时髦男子)呀,时女(时髦女子)等等。

  “那好哇。我们就拉拉勾一言为定吧。我一定戒酒。”

  可第二天我从吃午饭时又开始喝酒了。

  傍晚时分,我踉踉跄跄地走到外面,站在良子的店铺前面,高喊道:

  “良子,对不起,我又喝了。”

  “哎呀,真讨厌,故意装出一副醉了的样子。”

  我被她的话惊了一跳,仿佛酒也醒了许多。

  “不,是真的。我真喝了呐。我可不是故意装出醉了的样子。”

  “别作弄我,你真坏。”

  她一点也不怀疑我。

  “不是一眼就明白了吗?我今天从中午起又喝酒了。原谅我吧。”

  “你可真会演戏呐。”

  “不是演戏,你这个傻瓜。让我亲亲你吧。”

  “亲呀!”

  “不,我可没有资格呀。娶你做媳妇的事也只有死心了。瞧我的脸,该是通红吧。我喝了酒呐。”

  “那是因为夕阳照着脸上的缘故。你想耍弄我可不行。昨天不是说定了吗?你不可能去喝酒的。因为我们拉了勾的。你说你喝了酒,肯定是在撒谎,撒谎,撒谎!”

  良子坐在昏暗的店铺里微笑着。她那白皙的脸庞,啊,还有她那不知污秽为何物的“童贞”,是多么宝贵的东西。迄今为止,我还没和比我年轻的处女一起睡过觉。和她结婚吧,即使再大的悲哀因此而降临吾身,我也在所不惜。我要体验那近于狂暴的巨大欢乐,哪怕一生中仅有一次也行。尽管我曾经认为,童贞的美丽不过是愚蠢的诗人所抱有的天真而悲伤的幻觉罢了,可我现在发现,它确实真真切切地存在于这个世界上。结婚吧,等到春天到来,我和她一起骑着自行车去看绿叶掩映的瀑布吧!我当即下了决心,也就是抱着所谓的“一决胜负”的心理,毫不犹豫地决定:偷摘这朵美丽的鲜花。

  不久我们便结婚了。由此而获得的快乐并不一定很大,但其后降临的悲哀却可以形容为凄烈之至,难以想象。对于我来说,“世间”的确是一个深不可测的可怕地方,也绝不是可以依靠“一决胜负”便可以轻易解决一切的场所。

  掘木与我。

  相互轻蔑却又彼此来往,并一起自我作践——倘若这就是世上所谓“朋友”的真面目,那我和掘木的关系无疑正好属于“朋友”的范畴。

  仰仗着京桥那家酒吧老板娘的狭义之心(尽管所谓女人的狭义之心乃是语言的一种奇妙用法,但据我的经验来看,至少在都市的男女中,女人比男人更具有可以称之为狭义之心的东西。男人大都心虚胆怯,只知道装点门面,其实吝啬无比),我得以和那香烟铺子的良子同居在一起了。我们在筑地[东京的一个地名]靠近隅田川的一栋木结构的两层公寓处租借了楼下一个房间住了下来。我把酒也戒掉了,开始拼命地从事那日渐成为我固定职业的漫画创作。晚饭后我们俩一起去看电影,在回家的路上或是双双折进咖啡馆喝点什么,或是买下一个花钵,不,这一切都算不了什么,我最大的乐趣乃是和由衷信赖自己的这个小新娘子呆在一起,倾听她说出的每一句话,观赏她做出的每一个动作。我甚至觉得自己正变得越来越像一个真正的人了,用不着再悲惨地死去。就在我心中慢慢酝酿着这种天真的想法时,掘木又出现在了我的面前。

  “哟,色魔!哎呀,从你的表情看来,像是多少变得通晓事理了。今天我是从高圆寺那个女士那儿派来的使者呐。”他开口说道,又突然降低了嗓门,朝正在厨房里砌茶的良子那边翘起下巴,问我:“不要紧吧?”

  “没什么,说什么都无所谓。”我平静地回答道。

  事实上,良子真是算得上信赖的天才。我和京桥那家酒吧的老板娘之间的关系自不用说,就连我告诉她自己在镰仓发生的那件事时,她对我和常子之间的事也毫不怀疑。这倒不是因为我自己善于撒谎,有时候我甚至采取的是一种再明白不过的说法,可良子也只当是笑话来听。

  “你还是那么自命不凡呐。也没什么大不了的事,她让我转告你,偶尔也去高圆寺那边玩玩吧。”

  就在我刚要忘却之际,一只怪鸟扑打着翅膀飞了过来,用嘴啄破了我记忆的伤口。于是,转眼之间,过去那些耻辱与罪恶的记忆又在脑海里复苏了,使我感到一种禁不住要高声呐喊的恐怖,再也不能平心而坐了。

  “去喝一杯吧。”我说道。

  “好的。”掘木回答道。

  我和掘木。我们俩在外表上是那么相似,甚至被误认为是一模一样的人。当然这也仅仅局限于四处游荡着喝那种廉价酒的时候。总之,两个人一碰面,就顷刻变成了外表相同、毛色相同的两条狗,一起在下着雪的小巷里来回窜动。

  打那天以后,我们又开始重温过去的交情,还结伴去了京桥那家酒吧。最后,两条醉成烂泥的狗还造访了高圆寺静子的公寓,在那里过夜留宿。

  那是一个无法遗忘的闷热的夏夜。黄昏时分,掘木穿着一件皱巴巴的浴衣来到了我在筑地的公寓。他说他今天有急用当掉了夏天的衣服,但倘若被他的老母知道了,事情就会变得很糟糕,所以想马上用钱赎回来,让我借点钱给他。不巧我手头也没有钱,所以就按照惯例,让良子拿她的衣服去当铺换点现钱回来。可借给掘木后还剩了点钱,于是让良子去买了烧酒。隅田川上不时吹来夹杂着泥土味的凉风,我们来到屋顶上摆了一桌不干不净的纳凉晚宴。

  这时,我们开始了喜剧名词和悲剧名词的字谜游戏。这是我发明的一种游戏。所有的名词都有阴性名词、阳性名词、中性名词之分,同样,也应该有喜剧名词与悲剧名词之分。比如说,轮船和火车就属于悲剧名词,而市营电车和公共汽车就属于喜剧名词。如果不懂得如此划分的缘由,是无权奢谈什么艺术的。作为一个剧作家,哪怕是喜剧中只夹杂了一个悲剧名词,也会因此而丧失资格。当然,悲剧场合亦然。

  “准备好了没有?香烟是什么名词?”我问道。

  “悲剧(悲剧名词的略称)”掘木立即回答道。

  “药品呢?”

  “药粉还是药丸?”

  “针剂。”

  “悲剧。”

  “是吗?可还有荷尔蒙针剂呐。”

  “不,绝对是悲剧。你说,注射用的针首先不就是一个出色的悲剧吗?”

  “好吧,先算我输给你了吧。不过你说,药品和医生不都意外地属于喜剧吗?那么,死亡呢?”

  “喜剧。牧师与和尚也一样。”

  “棒极了!那么,生存就该是悲剧了吧。”

  “不,生存也是喜剧。”

  “这样一来,不是什么都变成了喜剧了吗?我再问你一个,漫画家呢?不能再说是喜剧了吧?”

  “悲剧,悲剧,一个极大的悲剧名词呐。”

  一旦变成了这样一种粗俗的谐谑,的确是有些无聊了,但我们却自命不凡地把这种游戏看作世界上所有沙龙都不曾有过的巧妙的东西。

  当时我还发明了另一种与此类似的游戏。那就是反义词的字谜游戏。比如,黑色的反义(反义词的略称)是白色,白色的反义却是红色,而红色的反义是黑色。

  “花的反义词呢?”我问道。

  掘木撇着嘴巴,想了想说道:

  “哎,有一个餐馆的名字叫‘花月’,这样说来,就该是月亮吧。”

  “不,那可不能成其为反义词呐,毋宁说是同义词。星星和紫罗兰,不就是同义词吗?那绝对不是反义词。”

  “我明白了。那就是蜜蜂。”

  “蜜蜂?!”

  “莫非牡丹与蚂蚁相配?”

  “什么呀,那是画题呐。你可别想蒙混过关。”

  “我明白了。花儿是与云朵相对吧。”

  “对,对,花与风呐。是风。花的反义词是风。”

  “这可太蹩脚了。那不是浪花节[一种三弦伴奏的民间说唱歌曲,类似中国的评弹]中的句子吗?你这下可真是泄漏了老底儿呐。”

  “要不,就是琵琶。”

  “这就更不对了。关于花的反义词嘛,应该是举出这个世界上最不像花的东西才对。”

  “所以……等一等,什么呀,莫非是女人?”

  “顺便问一句,女人的同义词是什么?”

  “是内脏呗。”

  “你真是个对诗一窍不通的人。那么,内脏的反义词呢?”

  “是牛奶。”

  “这倒是有点精彩。按照这个样子再来一个。耻辱的反义词是什么?”

  “是无耻。是流行漫画家上司几太。”

  “那掘木正雄呢?”

  说到这里,我们俩却再也笑不起来了。一种阴郁的气氛笼罩住了我们,就仿佛喝醉了烧酒之后所特有的那种玻璃碎片扎着脑袋似的感觉。

  “你别出言不逊!我还没有像你那样蒙受过当罪犯的耻辱呐。”

  这让我大吃一惊。原来在掘木心中,并没有把我当作真正的人来看待,而只是把我视为一个自杀未遂的、不知廉耻的愚蠢怪物,即所谓“活着的僵尸”。他仅仅是为了自己的快乐而在最大限度上利用我罢了。一想到我和他的交情仅止于此,我不禁耿耿于怀。但转念一想,掘木那样对待我也是在所难免的。打一开始我就像是一个没有做人资格的小男孩一样。遭到掘木的蔑视也是理所当然的。

  “罪。罪的反义词是什么呢?这可是一道难题哟。”我装着若无其事的表情说道。

  “法律。”掘木平静地回答道。

  我不由得再一次审视着掘木的面孔。附近那栋大楼上的霓虹灯闪烁着照耀在掘木身上,使他的脸看起来就像是魔鬼刑警一般威风凛凛。我煞是惊讶地说道:

  “你说什么呀?罪的反义词不会是那种东西吧。”

  他竟然说罪的反义词是法律!或许世人都是抱着那样一种简单的想法而装模作样地生活着。以为罪恶只是在没有警察的地方蠢蠢欲动。

  “那么,你说是什么呢?是神吧?因为在你身上有一种恍若僧侣的东西,真让人讨厌。”

  “别那么轻易下结论,让我们俩再想想看吧。不过,这不是一个有趣的题目吗?我觉得,单凭对这个题目的回答,就可以知晓那个人的全部秘密。”

  “未必吧。……罪的反义词是善。善良的市民,也就是像我们这样的人。”

  “别再开这种玩笑了。不过,善是恶的反义词,而不是罪的反义词呐。”

  “恶与罪难道有什么不同吗?”

  “我想是不同的。善恶的概念是由人创造出来的,是人随随便便创造出来的道德词语。”

  “真讨厌呐。那么,还是神吧。神,神。把什么都归结为神,总不会有错吧。哎呀,我的肚子都饿了呐。”

  “良子现在正在楼下煮蚕豆呐。”

  “那太棒了。那可是好东西呀。”

  他把两只手交叉着枕在脑袋后面,仰面躺在了地上。

  “你好像对罪一点兴趣也没有。”

  “说来也是,因为我不像你那样是个罪人呀。即使我玩女人,也决不会让女人去死,我也没有卷走女人的钱财。”

  并不是我让女人去死的,我也没有卷走女人的钱财。只听见我的内心深处某个角落里回荡着这低沉的、但却竭尽全力的抗议之声。随即我又转念想到,那一切都是自己的不是。而这正是我奇特的特性。

  我怎么也无法与人当面抗辩。我拼命克制着,不让自己的心情因烧酒阴郁的醉意而变得更加阴森可怕。我几乎是在自言自语的嗫嚅着:

  “不过,唯有被关进监狱这一点,不算是我的罪。我觉得,只要弄清了罪的反义词,那么也就把握住了罪的实体。神……拯救……爱……光明……但是,神本身有撒旦这个反义词,而拯救的反义词却是苦恼,爱的反义词则是恨,光明的反义词则是黑暗,善的反义词则是恶。罪与祈祷,罪与忏悔,罪与告白,罪与……呜呼,全是同义词。罪的反义词究竟是什么呢?”

  “罪的反义词是蜜,如蜂蜜般甘甜。哎呀,我肚子都恶了,快去拿点吃的东西来吧。“

  “你自己去拿来不就得了吗?”

  我用平生从未有过的愤怒的声音说道。

  “好吧,那我就到楼下去,和良子一起犯罪后再上来吧。与其空谈大论,还不如实地考察呐。罪的反义词是蜜兜,不,是蚕豆吗?”

  他已经酩酊大醉,语无伦次了。

  “随你的便,随你滚到哪儿去都行!”

  “罪与饥饿,饥饿与蚕豆,不对,这是同义词吧?”

  他一边信口雌黄,一边站了起来。

  罪与罚。陀斯妥耶夫斯基。这念头倏然间掠过了我大脑的某个角落,使我大吃一惊。倘若那个陀斯妥耶夫斯基不是把罪与罚作为同义词,而是作为反义词并列在一切的话,那么……罪与罚,绝无相通之处的两样东西,水火不相容的两样东西。把罪与罚作为反义词的陀氏,他笔下的绿藻,腐烂的水池、一团乱麻的内心世界……我开始明白了,不,还没有……这一个个念头如走马灯一般闪过我的脑海。这时,忽然传来了掘木的叫声:

  “喂,他妈的什么蚕豆呀!快来看!”

  他的声音和脸色都恍然变了个人。他是刚刚才蹒跚着起身下楼去的,没想到马上就折了回来。

  “什么事?!”

  周围的气氛蓦然变得紧张起来。我和他从楼顶上下到二楼,又从二楼往下走。在中途的楼梯上掘木停下了脚步,用手指着说道:

  “瞧!”

  我自己那间屋子上方的小窗户正敞开着,从那儿可以看到房间的里面。只见房间里亮着电灯,有两只“动物”正在干着什么。

  我感到头晕目眩,呼吸急促。“这也不失为人间景象之一。这也是人类的面目之一。大可不必大惊小怪。”我在心里嘀咕着,以致于忘记了该去救出良子,而只是久久地呆立在楼梯上。

  掘木大声地咳嗽。我就像是一个人逃命似的又跑回到了屋顶上,躺在地上仰望着夏夜布满水汽的天空,此时,席卷我心灵的情感不是愤怒,也不是厌恶,更不是悲哀,而是剧烈的恐惧。它并非那种对墓地幽灵的恐惧,而是在神社的杉树林中撞上身着白衣的神体时所感到的那种不容分说的来自远古的极端的恐惧。从那天夜里起,我的头发开始出现少年白,对所有的一切越来越丧失了信心,对他人越来越感到怀疑,从此永久地远离了对人世生活所抱有的全部期待、喜悦与共鸣等等。事实上,这在我的整个生涯中也是一件决定性的事件,仿佛有人迎面砍伤了我前额的中央,使我无论与谁接近,都会感到那道伤口在隐隐作痛。

  “尽管我很同情你、但你也该多少识点相吧。我再也不到这儿来了。这儿完全是一座地狱。……不过,关于良子嘛,你可得原谅她哟。因为你自己也不是一条好汉呐。我这就告辞了。”

  掘木绝不是那种傻瓜蛋,会甘愿驻留在一个令人尴尬的地方。

  我站起身来,兀自一个人喝着烧酒,然后便“哇”地一声放声痛哭起来。哭啊,哭啊,我就那么一直痛哭着。

  不知不觉间,良子已怔怔地站在我身后,手里端着盛满蚕豆的盘子。

  “要是我说我什么都没有干……”

  “好啦,好啦什么都别说了。你是一个不知道怀疑别人的人。坐下一起吃蚕豆吧。”

  我们并排坐下吃着蚕豆。呜呼,难道信赖别人也算是罪过?!对方是个三十岁左右的小个子男人,是一个不学无术的商人。他常常请我给他画一点漫画,然后煞有介事地留下很多报酬扬长而去。

  打那以后,那个商人就再也没来过。不知为什么,比起那个商人,我倒是更恨掘木。是他第一个目睹了那幅场景,可他却什么都没有做——比如故意干咳一声等等——就直接折回到屋顶上诡秘地通知了我。对掘木的憎恶和愤怒会在不眠之夜油然而生,使我叹息呻吟。

  不存在什么原谅与不原谅的问题。良子是一个信赖的天才。她不知道怀疑他人。也正因为如此,才愈加悲惨。

  我不禁问神灵:难道信赖他人也算是罪过吗?

  在我看来,比起良子的身体遭到玷污,倒是良子对他人的信赖遭到玷污这件事,在以后漫长的岁月中埋下了我无法生活下去的苦恼的种子。我是一个畏畏缩缩、光看别人脸色行事、对他人的信赖之心已经裂纹丛生的人。对于这样的我来说,良子那种纯真无瑕的信赖之心就恰如绿叶掩映的瀑布一般赏心悦目。谁知它却在一夜之间蜕变为发黄的污水。这不,从那夜起,良子甚至对我的一颦一笑都开始大加注意了。

  “喂,”我的一声叫喊便会让她胆战心惊。她似乎不知道该把视线投向哪里。无论我多么想逗她发笑而大肆进行滑稽表演,她都一直战战兢兢、畏首畏尾的,甚至在和我说话时滥用敬语。

  难道纯真无瑕的信赖之心真的是罪恶之源吗?

  我四处搜罗那些描写妻子被人奸污的故事书来看,但我认为,没有一个女人遭到良子那样悲惨的奸污。她的遭遇是不能成其为故事的。在那个小个子商人与良子之间,倘若存在着哪怕是一丁点儿近似于恋爱的情感,那么,或许我的心境反而会获得拯救。然而,就是在夏天的那个夜晚,良子相信了那个家伙。事情不过如此而已,却害得我被人迎面砍伤了额头,声音变得嘎哑,头发出现少年白,而良子也不得不一辈子提心吊胆了。大部分故事都把重点放在丈夫是否原谅妻子那种“行为”之上,但这一点对我来说,却并不是那么令人苦恼的重大问题。原谅与不原谅,拥有这种权利的丈夫无疑是幸运的,倘若认为自己无法原谅妻子,那么也毋用大声喧哗,只要立即与她分道扬镳,然后再娶一个新娘子不就一了百了了吗?如果做不到这一点,那就只好“原谅”对方,自我忍耐罢了。不管怎么说,单凭丈夫自己的心情就能够平息八方事态的吧。总之,在我看来,即使是那种事件是对丈夫的一个巨大打击,但也仅限于“打击”而已。与那种永不休止地冲击海岸的波涛不同,它是一种可以借助拥有权利的丈夫的愤怒来加以处置和化解的纠葛。而我的情形又是如何呢?作为丈夫不具备任何权利,不用说发怒,甚至连一句怨言也不能吐露。而妻子恰恰是被她自己的那种罕见的美好品质残酷地奸污了。并且,那种美好的品质正好是丈夫久已向往的、被称之为“纯真无瑕的信赖之心”的这样一种可怜之物。

  难道纯真无瑕的信赖之心也算是罪过吗?

  我甚至对这种唯一值得依傍的美好品质也产生了疑惑,一切的一切都变得越发不可理喻,以致于我的前方只剩下了酒精。我脸上的表情变得极度的卑微,一大早就喝开了烧酒,而牙齿也落得残缺不全了,手头的漫画也只是一些近似于淫画的东西了。不,还是让我坦白地说吧。那时候我开始复制春画进行秘密贩卖,因为我急需喝酒的钱。每当我看到良子把视线从我身上挪开,一副惴惴不安的模样时,我甚至会胡思乱想到:她是一个完全不知道防备别人的女人,没准和那个商人之间并非只有一次吧?——疑心生疑心,结果形成了一个恶性循环的怪圈。可我却没有勇气去加以证实,以致于被那惯有的不安和恐惧纠缠着,只能在喝得醉醺醺之后,才敢小心翼翼地试着进行卑屈的诱导性审讯。尽管内心深处是忽而高兴忽而沮丧,可表面上我却拼命地进行滑稽表演,在对良子施加地狱般可憎的爱抚之后,如同一滩烂泥似的酣然大睡。

  那一年的年末,到了夜深人静之时我才酩酊大醉地回到家里。当时我很想喝一杯白糖开水,可良子像是已经睡着了,所以我只好自个儿去厨房找出白糖罐。打开盖子一看,里面却没有白糖,只有一个细长的黑色纸盒。我漫不经心地拿在手里一看,只见盒子上贴着一张标签,使我目瞪口呆。尽管那标签被人用指甲抠去了一大半,但标有洋文的部分却留了下来,上面一目了然地写着:DIAL。

  巴比妥酸。那时我全是喝烧酒,并没有服用安眠药。不过,不眠症似乎成了我的宿疴,所以对大部分安眠药都相当了解。单凭这一盒巴比妥酸就足以致人于死地。盒子尚未开封,想必她曾经涌起过轻生的念头,才会撕掉上面的标签把药盒子隐藏在这种地方吧。也真够可怜的,这孩子因为读不懂标签上的洋文,所以只用指甲抠掉其中的一半,以为这样一来就无人知晓了。(你是无辜的。)

  我没有发出声响,只是悄悄地倒满一杯水,然后慢慢地给盒子开了封,一口气把药全部塞进了嘴巴里,冷静地喝干杯中的水,随即关掉电灯就那么躺下睡了。

  据说整整三个昼夜,我就像死掉了一般。医生认为是过失所致,所以一直犹豫着没有报警。据说我苏醒过来第一句话就是“回家”。所谓的“家”,究竟指的哪儿,就连我自己也不得而知。总之,听说我是那么说了,并且号啕大哭了一场。

  渐渐地眼前的雾散开了,我定睛一看,原来是“比目鱼”一副老大不高兴的样子坐在我的枕边。

  “上一次也是发生在年末的时候。这种时候谁不是忙得个团团转呐。可他偏偏爱挑准年末来干这种事,这不是要我的命吗?”

  在一旁听比目鱼发牢骚的,是京桥那家酒吧的老板娘。

  “夫人。”我叫道。

  “嗯,有什么事?你醒过来了?”

  老板娘一边说着,一边把她的那张笑脸贴在了我的脸上。

  我不由得泪如泉涌。

  “就让我和良子分手吧。”

  脱口而出的竟是这样一句连我自己也意想不到的话。

  老板娘欠起身,流露出轻微的叹息。

  接下来我又失言了,而且这一次的失言是那么唐突,简直无法断言到底是滑稽还是愚蠢。

  “我要到没有女人的地方去。”

  “哈——哈——哈—”首先是“比目鱼”大声地笑了,然后老板娘也哧哧地笑出了声。最后连我自己也一边流着眼泪,一边红着脸苦笑了起来。

  “唔,那样倒是好呀。”“比目鱼”一直在粗俗地笑着,他说道,“最好是到没有女人的地方去。要是有女人的话,怎么着都不行,去没有女人的地方,这倒是个好主意呐。”

  没有女人的地方。但我这近于痴人说梦般的胡言乱语,不久居然悲惨地化作了现实。

  良子似乎一直认为,我是作为她的替代而吞下毒品的,因此在我面前比过去更加胆战心惊了。无论我说什么,她都不苟言笑,所以,呆在公寓的房间里我会感到胸闷气短,忍不住又跑到外面酗酒去了。但自从巴比妥酸事件以后,我的身体明显消瘦了,手脚也变得软弱兀立,画漫画稿时也常常偷懒怠工。那时,作为探望费,“比目鱼”留给我一笔钱(“比目鱼”说“这是我的一点心意”,随即递给我那笔钱,就好像是从他自己的荷包里掏出来的一样。可事实上这也是老家的哥哥们寄来的钱。这时,我已经不同于当初逃离“比目鱼”家时的我了,能够隐隐约约地看穿“比目鱼”那种装腔作势的把戏了,所以我也就能狡猾地装出不知内情的样子,向“比目鱼”道了谢。但是,“比目鱼”等人干吗要弃简从繁,不直截了当地说出真相呢?其中的缘由我似懂非懂,觉得十分蹊跷)。我打定主意用那笔钱独自到南伊豆温泉去看看。不过,我不属于那种能够长时间地绕着温泉悠闲旅行的人,一想到良子,我就感到无限的悲凉。而我自己与那种透过旅馆房间的窗户眺望山峦的平和心境更是相距甚远,在那里我既没有换穿棉和服,也没有泡温泉澡,只是跑进外面一家并不干净的茶馆似的地方,拼命地喝酒,把身体糟蹋得更加羸弱之后才回到了东京。

  那是在一场大雪降临于东京的某个夜晚。我醉醺醺地沿着银座的背街漫步走着,一边小声地反复哼唱着“这儿离故乡有几百里,这儿离故乡有几百里”。我一边唱一边用鞋尖踹开街头的积雪,突然间我呕吐了,这是我第一次吐血。只见雪地上出现了一面硕大的太阳旗。好一阵子我都蹲在原地,然后用双手捧起那些没有弄脏的白雪,一面洗脸一面哭了起来。

  这儿是何方的小道?

  这儿是何方的小道?

  一个女孩哀婉的歌声恍若幻听一般隐隐约约地从远处传了过来。不幸。在这个世上不乏不幸之人,不,尽是些不幸之人。即使这么说也绝非过激之辞。但是,他们的不幸却可以堂而皇之地向世间发出抗议,并且,“世间”也很容易理解和同情他们的抗议。可是,我的不幸却全部缘于自己的罪恶,所以不可能向任何人进行抗议。假如我斗胆结巴着说出某一句近于抗议的话,不仅是“比目鱼”,甚至世间的所有人都无疑会因我口出狂言而惊讶无比的。到底我是像俗话所说的那样“刚愎自用”呢?还是与此相反,显得过分怯懦萎缩呢?这一点连我自己都弄不明白。总之,我是罪孽的凝固体,所以,我只能变得越来越不幸,而这是无法阻止和防范的。

  我站起身来,琢磨着:应该先吃点什么对症的药。于是,我走进了附近的一家药店。就在我与店老板双目交汇的那一瞬间,我看见她就像是被闪光灯照花了眼睛一样,抬起头瞪大了双眼,呆呆地伫立着。但那瞪大的眼睛里既没有惊愕的神色,也没有厌恶的感觉,而是流露出一副像是在求救、又像是充满了渴慕般的表情。啊,她也肯定是一个不幸的人,因为不幸的人总是对别人的不幸敏感万分。正当我如此思忖着的时候,我发现那个女人是柱着拐杖、颤巍巍地站立着的。我遏制住了朝她飞奔过去的念头,在她和我面面相觑之时,我的眼泪不禁夺眶而出。于是,从她那双睁大的眼睛里也流出了泪水。

  仅此而已。我一言不发地走出了那家药店,踉踉跄跄地回到了公寓,让良子化了杯盐水给我喝。然后默默地睡下了。第二天我慌称是感冒,昏睡了一整天。晚上,我对自己的吐血(尽管谁也不知道)感到很是不安,于是起身去了那家药店。这一次我是笑着向老板娘坦诉了自己的身体情况,向她咨询治疗方法。

  “你必须得戒酒。”

  我们就像是亲生骨肉一般。

  “或许是酒精中毒吧。我现在都还想喝酒呐。”

  “那可不行。我的丈夫得了肺结核,却偏说酒可以杀菌,整天都泡在酒里,结果是自己缩短了自己的寿命。”

  “我真是担心得很。我好害怕,我已经不行了。”

  “我这就给你药。可唯独酒这一样,你必须得戒掉哟。”

  老板娘(她是个寡妇,膝下有一个男孩,考上了千叶或是什么地方的医科大学,但不久就患上了与父亲相同的病,现在正休学住院。家里还躺着一个中风的公公,而她自己在五岁时因患小儿麻痹症,有一只脚已经彻底不行了)柱着松树的拐杖,翻箱倒柜地找出各种药品来了。

  这是造血剂。

  这是维生素注射液,而这是注射器。

  这是钙片。这是淀粉酶,可以治疗肠胃不好。

  这是什么,那是什么,她满怀爱心地给我介绍了五六种药品。但这个不幸的夫人的爱情,对我来说是过于深厚了。最后她说道“这是你实在忍不住想喝酒时用的药”,说罢迅速地将那种药品包在了一个纸盒子里。

  原来这是吗啡的注射液。

  夫人说“这药至少比酒的危害要小”,我也就听信了她的话,再则那正好是在我自己也认为酗酒颇为丢人现眼的当口,所以,暗自庆幸自己终于能够摆脱酒精这个恶魔的纠缠了,于是毫不犹豫地将吗啡注射进了自己的手臂。不安、焦躁、腼腆等等,一下子全都被扫荡一空了,我甚至变成了一个神清气爽的雄辩家。而且每当注射了吗啡以后,我就会忘记自己身体的虚弱,而拼命地工作,一边创作漫画,一边在脑子里构思出令人捧腹大笑的绝妙方案。

  本打算一天注射一针的,没想到一天增加到了两针,最后增加到一天四针的时候,一旦缺少了那玩意儿,我就简直无法工作了。

  “那可不行哟。一旦中了毒,那就要命了。”

  经药店的夫人一提醒,我才发现自己已经成了一个相当严重的中毒者(我这个人天性脆弱,动不动就听信别人的暗示。比如有人说,尽管这笔钱是用不得的,可既然是你嘛,那就……一听这话,我就会产生一种奇妙的错觉:仿佛不用掉那笔钱,反倒会辜负对方的期待似的,于是马上把它花掉了)。出于对中毒的担心,我反倒开始大肆需求那种药品了。

  “拜托,再给我一盒。月底我一定会付钱的。”

  “钱嘛,什么时候付都没关系,只是警察管起来就很讨厌了。”

  啊,我的周围总是笼罩着某种浑浊而灰暗的、见不得人的可疑气氛。

  “请你无论如何得搪塞过去,求求你了,夫人。让我吻你一下吧。”

  夫人的脸一下子红到了耳根。

  我趁势央求道:

  “如果没有药的话,工作就一点也进展不了。对于我来说,那就像是强精剂一样。”

  “那样的话,还不如注射荷尔蒙吧。”

  “你开什么玩笑呀。要么是借助酒,要么是用那种药,否则我是没法工作的。”

  “酒可不行。”

  “对吧?自从我用那种药以后,就一直滴酒未沾呐。多亏了这样,我的身体状况可谓好得很哩。我也不认为自己会永远画蹩脚的漫画,从今以后,我要把酒戒掉,调节好身体、努力地学习,成为一个伟大的画家给你们瞧瞧。眼下正处于节骨眼上,所以我求求你啦,让我吻你吧。”

  夫人噗哧笑了起来:

  “这可为难啊,自个儿中毒了还不知道呐。”

  她“嗑吱嗑吱”地柱着拐杖,从药品架上取下那种药,说道:

  “不能给你一整盒,你马上就会用完的。给你一半吧。”

  “真小气,哎,没办法呀。”

  回到家以后,我立即注射了一针。

  “不疼吗?”良子战战兢兢地问我。

  “那当然疼啦。不过,为了提高工作效率,即使不愿意也得这样啊。这阵子我很精神吧?好,我这就开始工作。工作,工作。”我兴奋地嚷嚷着。

  我甚至还在夜深人静之时扣打过药店的店门。夫人身上裹着睡衣,“嗑吱嗑吱”地柱着拐杖走了出来。我扑上去抱住她,一边吻她,一边做出一副痛哭流涕的样子。

  夫人只是一声不吭地递给我一盒药品。

  药品与烧酒一样,不,甚至是更讨厌更龌龊的东西——当我深切地体会到这一点时,我已经变成了一个彻彻底底的中毒者。那真可谓无耻至极。为了得到药品,我又开始了复制春画,并且与那家药店的残废女老板建立了一种彻头彻尾的丑恶关系。

  我想死。索性死掉算了。事态已经不可挽回。无论干什么,都是徒劳一场,都只会丢人现眼,雪上加霜。骑自行车去观赏绿叶掩映的瀑布,这只是我难以企及的奢望罢了。只会在污秽的罪恶上增添可耻的罪恶,让烦恼变得更多更强烈。我想死,我必须得死。活着便是罪恶的种子。尽管我如此这般地左思右想着,却依旧不改那种半疯狂的模样,只是往返穿梭于公寓与药店之间。

  无论我多么拼命地工作,由于药品的用量随之递增,所以,欠下的药费也达到了令人恐惧的额度。夫人一看到我的脸,就会泪流满面,而我也禁不住潸然泪下。

  地狱。

  倘若为了逃出地狱的最后手段也归于失败了的话,那么,往后便只有勒颈自尽了。我决定不惜把神的存在与否作为赌注,斗胆给老家的父亲写了一封长信,坦白地告诉他关于我自己的一切实情(有关女人的事儿,最终还是没能写上)。

  没想到结果更加糟糕。无论我怎么等待,都一直杳无音讯。等待的焦灼与不安反而使我加大了药量。

  今夜,索性一口气注射十针,然后跳进大海里一死方休——就在我如此暗下决心的那天下午,“比目鱼“就像是用恶魔的直觉嗅到了什么似的,带着掘木出现在我面前。

  “听说你咳血了。”

  掘木说着,在我面前盘腿坐下。他脸上的微笑荡漾着一种我从未见过的温柔。那温柔的微笑使我感激涕零,兴奋不已,以致于我不由得背过身子潸然泪下。仅仅因为他那温柔的微笑,我便被彻底打碎了,被一下子埋葬了。

  他们把我强行送上汽车。无论如何我必须得住院治疗,而且其他的事情全部由他们解决,“比目鱼”就这样用平静的语气规劝着我(那是一种平静得甚至可以形容为大慈大悲的语调)。我就俨然是一个没有意志、没有判断力的人一般,只是抽抽嗒嗒地哭着,唯唯诺诺地服从他们俩的指示。加上良子,我们一共是四个人在汽车上颠簸了许久,直到周围变得有些昏暗的时候,才抵达了森林中一所大医院的门口。

  我以为这是一所结核病疗养院。

  我接受了一个年轻医生温柔而周到的检查,然后他有些腼腆地笑着说道:

  “那就在这里静养一阵子吧。”

  “比目鱼”、掘木和良子撂下我一个人回去了。临走时良子递给我一个装有换洗衣服的包袱,接着一声不响地从腰带中间取出注射器和没有用完的药品给我。她还蒙在鼓里,以为那是强精剂。

  “不,我不要那个。”

  这可是一件罕见的事情。在别人劝我的情况下,敢于加以拒绝,这是我迄今为止的生涯中,是绝无仅有的例外,这样说一点也不夸张。我的不幸乃是一个缺乏拒绝能力的人的不幸。我时常陷入一种恐惧之中,以为如果别人劝我干什么而自己加以拒绝的话,就会在对方的心灵和自己的心灵中剜开一道永远无法修复的裂痕。可是,在良子递给我药品时,我却自然而然地拒绝了自己几近疯狂地四处寻求的吗啡。或许是我被良子那种“神灵一般的无知”所打动了吧。在那一瞬间,难道我不是并没有中毒吗?

  我被那个有些腼腆地微笑着的年轻医生带着,进入了某一栋病房。大门上“喀嚓”一声挂上了大锁。原来这是一所精神病医院。

  “去一个没有女人的地方。”我在服用巴比妥酸时的胡言乱语竟然奇妙地化作了现实。在这栋病房里,全部是发疯的男人。甚至连护士也是男的,没有一个女人。

  如今我已不再是罪人,而是狂人。不,我绝对没有发狂。哪怕是一瞬间,我不曾疯狂过。但是,被关进这所医院的人全是狂人,而逍遥在外的全都是正常人。

  我问神灵:难道不反抗也是一种罪过吗?

  面对掘木那不可思议的美丽微笑,我曾经感激涕零,甚至忘记了判断和反抗便坐上了汽车,被他们带进这儿,变成了一个狂人。即使再从这里出去,我的额头上也会被打上“狂人”,不,是“废人”的烙印。

  我已丧失了做人的资格。

  我已彻底变得不是一个人了。

  来到这儿时,还是在初夏时节。从镶有铁格子的窗户向外望去,能看见庭院内的小小池塘里盛开的红色睡莲花,又是三个月过去了,庭院里开始绽放出波斯菊花了。这时,意想不到的事情发生了:老家的大哥带着“比目鱼”前来接我出院了。大哥用他惯有的那种一本正经而又不失紧张的语气说道:“父亲在上个月的月末因患胃溃疡去世了。我们对你既往不咎,也不想让你为生活操心费神,你什么都不用做。不过,有一个前提条件,尽管你肯定是依依不舍的,但必须离开东京,回老家去过一种疗养生活。你在东京所闯下的祸,涩田先生已大体帮你了结了,你不必记挂在心。”

  蓦然间故乡的山水栩栩如生地浮现在我的眼前。我轻轻地点了点头。

  我已完全变成了一个废人。

  得知父亲病故后,我越发变得委靡颓废了。父亲已经去了。父亲作为片刻也不曾离开我心际的、一种可亲又可怕的存在,已经消失而去了,我觉得自己那收容苦恼的器皿也陡然变得空空荡荡的。我甚至觉得,自己那苦恼的器皿之所以曾经那么沉重,也完全是因为父亲的缘故。于是我顷刻之间变成了一只泄了气的皮球,甚至丧失了苦恼的能力。

  大哥不折不扣地履行了对我的诺言。在从我生长的城镇坐火车南下四五个小时的地方,有一处东北地区少有的温暖的海滨温泉。村边有五栋破旧的茅屋,里面的墙壁已经剥落,柱子也被虫蛀了,几乎无法修缮。但大哥却为我买下了那些房子,并为我雇了一个年近六十、长着一头红发的丑陋女佣。

  那以后又过去了三年的光阴。其间我多次奇妙地遭到那个名叫阿铁的老女佣的强暴。有时我和她甚至还像一对夫妻似的吵架顶嘴。我肺上的毛病时好时坏,忽而胖了,忽然瘦了,甚至还咳出了血痰。昨天我让阿铁去村里的药铺买点卡尔莫钦[一种烈性镇静安眠药]谁知她买回来的药和我平时服用的那种药,其药盒形状上就大为不同。对此我也没有特别留意,可睡前我连吃了十粒也无法入睡。正当我觉得蹊跷时,肚子开始七上八下的,于是急急忙忙地跑进厕所,结果腹泻得厉害。那以后又接连上了三次厕所。我觉得好生奇怪,这才仔仔细细地看了装药的盒子,原来是一种名叫“海诺莫钦”的泻药。

  我仰面躺在床上,把热水袋放在腹部,恨不得对阿铁发一通牢骚。

  “你呀,这不是卡尔莫钦,而是海诺莫钦呐。”

  我刚一开口,就哈哈地笑了。“废人”,这的确像是一个喜剧名词。本想入睡,却吃成了泻药,而那泻药的名字正好叫海诺莫钦。

  对于我来说,如今已经不再存在着什么幸福与不幸福了。

  只是一切都将过去。

  在迄今为止我一直痛苦不堪地生活过来的这个所谓“人”的世界里,唯一可以视为真理的东西,就只有这一样。

  只是一切都将过去。

  今年我才刚满二十七岁。因为白发明显增多的缘故,人们大都认为我已经四十有余了。

后记

  我与写下上述手记的狂人,其实并不直接相识,但我却与另一个人略有交情,她可能就是上述手记中所出现的京桥那家酒吧的老板娘。她是一个个头不大的女人,脸色苍白,细细的眼睛向上挑着,高高的鼻梁给人一种硬派的感觉,与其说是一个美人,不如说更像一个英俊青年。这三篇手记主要描写了昭和五至七年那段时间的东京风情。我曾在朋友的带领下顺道去京桥的酒吧喝过三次加冰的威士忌酒,当时正是昭和十年前后,恰逢日本的“军部”越来越露骨地猖獗于世之时。所以,我不可能见到过写下这些手记的那个男人。

  然而今年二月,我去拜访了疏散在千叶县船桥的一位朋友。他是我大学时代的所谓学友,现在是某女子大学的讲师。事实上,我曾经拜托这个朋友给我的一个亲戚说媒,也因为有这层原因,再加上我打算顺道采购一下新鲜的海产品给家里人吃,所以就背上帆布包向船桥出发了。

  船桥是一个濒临泥海的大城镇。无论我怎样告诉当地人那个朋友的门牌号数,因为是新搬过去的缘故,也没人知道。天气格外寒冷,我背着帆布包的肩膀也早已疼痛不已,这时我被唱机里发出的提琴声吸引住了,于是我推开了一家咖啡馆的大门。

  那儿的老板娘似曾相识,一问才知道,原来她就是十年前京桥那家酒吧的老板娘。她似乎也马上想起了我似的。我们彼此都很吃惊,然后又相视而笑了。我们没有像当时的惯例那样彼此询问遭到空袭的经历,而是非常自豪地相互寒暄道:

  “你呀,可真是一点也没变呐。”

  “不,都成老太婆了。身子骨都快散架了。倒是你才年轻呐。”

  “哪里哪里。小孩都有三个了。今天就是为了他们才出来买东西的。”

  我们彼此寒暄着,说了一通久别重逢的人之间常说的话,然后相互打听着共同的朋友以后的消息。过了一会儿,老板娘突然改变了语调问我道:“你认识阿叶吗?”我说:“不认识。”老板娘走到里面去,拿来了三本笔记本和三张照片,交给我说道:

  “或许可以成为小说的素材呐。”

  我的天性如此,对于别人硬塞给我的材料是无法加工写成小说的,所以,我当场就打算还给她,但却被那些照片吸引住了(关于那三张照片的怪异,我在前言中已经提及)以致于决定暂且保管一下那些笔记本。我说:“我回来时还会顺道来的,不过,你认识××街××号的××人吗?他在女子大学当老师。”毕竟她也是新近搬来的,所以她倒认识。她还说,我的那个朋友也常常光顾这家咖啡馆,他的家就在附近。

  那天夜里,我和那个朋友一起喝了点酒,决定留宿在他那里。直到早晨我都没能入眠,一直出神地阅读那三篇手记。

  手记上所记述的都是些过去的事了,但即使现代的人们读来,想必也会兴致勃勃的。我想,与其拙劣地加以添笔,还不如原封不动地让哪家杂志社发表出来更有意义。

  给孩子买的海产品,尽是一些干货。背上帆布包,告别了朋友,我又折进那家酒吧。

  “昨天真是太感谢你了。不过……”我马上直奔主题,说道,“能不能把那些笔记本借给我一段时间?”

  “行啊,你就拿去吧。”

  “这个人还活着吗?”

  “哎呀,这可就不知道了。大约十年前,一个装着笔记本和照片的邮包寄到了京桥的店里。寄件人肯定是阿叶,不过,邮包上却没有写阿叶的住址和名字。在空袭期间,这些东西和别的东西混在了一起,竟然神奇地逃过了劫难,这阵子我才把它全部读完了……”

  “你哭了?”

  “不,与其说是哭,……不行啊,人一旦变成那个样子,就已经不行了。”

  “如果是已经过了十年,那么,或许他已经不在这个世上了吧。这是作为对你的感谢而寄给你的吧,尽管有些地方言过其实,但好像的确是蒙受了相当大的磨难呐。倘若这些全部都是事实,而且我也是他的朋友的话,那么,说不定我也会带他去精神病医院的。”

  “都是他的父亲不好。”她漫不经心地说道,“我们所认识的阿叶,又诚实又乖巧,要是不喝酒的话,不,即使是喝酒……也是一个神一样的好孩子呐。”

人間失格

太宰たいさいおさむ

はしがき

わたしは、そのおとこ写真しゃしん三葉みつば見たみたことがある。
一葉いちようは、そのおとこの、幼年ようねん時代じだい、とでも言ういうべきであろうか、じゅうさい前後ぜんごかと推定すいていされるころ写真しゃしんであって、その子供こども大勢おおぜいおんなのひとに取りかこまとりかこまれ、(それは、その子供こどもあねたち、いもうとたち、それから、従姉妹いとこたちかと想像そうぞうされる)庭園ていえんいけのほとりに、荒いあらいしまはかまをはいて立ちたちくびを三十ほどひだり傾けかたむけ醜くみにくく笑ってわらっている写真しゃしんである。醜くみにくく? けれども、鈍いにぶいひとたち(つまり、美醜びしゅうなどに関心かんしん持たもたひとたち)は、面白くおもしろく何ともなんとも無いないようなかおをして、
可愛いかわいい坊ちゃんぼっちゃんですね」
いい加減ないいかげんなお世辞おせじ言っていっても、まんざらそら世辞せじ聞えきこえないくらいの、謂わばいわば通俗つうぞくの「可愛らしかわいらしさ」みたいなかげもその子供こども笑顔えがお無いないわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜びしゅう就いてついて訓練くんれん経てへて来たきたひとなら、ひとめ見てみてすぐ、
「なんて、いやな子供こどもだ」
と頗る不快ふかいそうに呟きつぶやき毛虫けむしでも払いのけるはらいのけるときのような手つきてつきで、その写真しゃしんほうり投げるほうりなげるかも知れしれない。
まったく、その子供こども笑顔えがおは、よく見ればみれば見るみるほど、何ともなんとも知れしれず、イヤないやな薄気味悪いうすきみわるいものが感ぜかんぜられて来るくる。どだい、それは、笑顔えがおでない。このは、少しもすこしも笑ってわらってはいないのだ。その証拠しょうこには、このは、両方りょうほうのこぶしを固くかたく握ってにぎって立ってたっている。人間にんげんは、こぶしを固くかたく握りにぎりながら笑えるわらえるものでは無いないのである。さるだ。さる笑顔えがおだ。ただ、かお醜いみにくいしわ寄せてよせているだけなのである。「しわくちゃ坊ちゃんぼっちゃん」とでも言いいいたくなるくらいの、まことに奇妙なきみょうな、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカむかむかさせる表情ひょうじょう写真しゃしんであった。わたしはこれまで、こんな不思議なふしぎな表情ひょうじょう子供こども見たみたことが、いちども無かったなかった
だいよう写真しゃしんかおは、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生がくせい姿すがたである。高等こうとう学校がっこう時代じだい写真しゃしんか、大学だいがく時代じだい写真しゃしんか、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌びぼう学生がくせいである。しかし、これもまた、不思議にふしぎにも、生きていきている人間にんげん感じかんじはしなかった。学生がくせいふく着てきてむねポケットぽけっとから白いしろいハンケチを覗かのぞかせ、籐椅子いす腰かけてこしかけてあし組みくみ、そうして、やはり、笑ってわらっている。こんどの笑顔えがおは、しわくちゃのさる笑いわらいでなく、かなり巧みなたくみな微笑びしょうになってはいるが、しかし、人間にんげん笑いわらいと、どこやら違うちがうおもさ、とでも言おういおうか、生命せいめいしぶさ、とでも言おういおうか、そのような充実じゅうじつかん少しもすこしも無くなく、それこそ、とりのようではなく、羽毛うもうのように軽くかるく、ただ白紙はくしいちまい、そうして、笑ってわらっている。つまり、いちからじゅうまで造りつくりもの感じかんじなのである。キザと言っていって足りたりない。軽薄けいはく言っていって足りたりない。ニヤケと言っていって足りたりない。おしゃれと言っていっても、もちろん足りたりない。しかも、よく見てみていると、やはりこの美貌びぼう学生がくせいにも、どこか怪談かいだんじみた気味きみ悪いわるいものが感ぜかんぜられて来るのである。わたしはこれまで、こんな不思議なふしぎな美貌びぼう青年せいねん見たみたことが、いちども無かったなかった
もういちよう写真しゃしんは、最ももっとも奇怪なきかいなものである。まるでもう、としのころがわからない。あたまはいくぶん白髪しらがのようである。それが、ひどく汚いきたない部屋へや部屋へやかべさん箇所かしょほど崩れ落ちてくずれおちているのが、その写真しゃしんハッキリはっきり写ってうつっている)の片隅かたすみで、小さいちいさい火鉢ひばち両手りょうてをかざし、こんどは笑ってわらっていない。どんな表情ひょうじょう無いない謂わばいわば坐ってすわって火鉢ひばち両手りょうてをかざしながら、自然にしぜんに死んでしんでいるような、まことにいまわしい、不吉なふきつなにおいのする写真しゃしんであった。奇怪なきかいなのは、それだけでない。その写真しゃしんには、わりにかお大きくおおきく写ってうつっていたので、わたしは、つくづくそのかお構造こうぞう調べるしらべること出来たできたのであるが、がく平凡へいぼんがくしわ平凡へいぼんまゆ平凡へいぼん平凡へいぼんはなくちあごも、ああ、このかおには表情ひょうじょう無いないばかりか、印象いんしょうさえ無いない特徴とくちょう無いないのだ。たとえば、わたしがこの写真しゃしん見てみてをつぶる。既にすでにわたしはこのかお忘れてわすれている。部屋へやかべや、小さいちいさい火鉢ひばち思い出すおもいだすこと出来るできるけれども、その部屋へや主人公しゅじんこうかお印象いんしょうは、すっときり消してけして、どうしても、何となんとしても思い出せおもいだせない。にならないかおである。漫画まんがにも何もなにもならないかおである。をひらく。あ、こんなかおだったのか、思い出したおもいだした、というようなよろこびさえ無いない極端なきょくたんな言いいいかたをすれば、をひらいてその写真しゃしん再びふたたび見てみても、思い出せおもいだせない。そうして、ただもう不愉快ふゆかいイライラいらいらして、ついがんをそむけたくなる。
所謂「死相しそう」というものにだって、もっとなに表情ひょうじょうなり印象いんしょうなりがあるものだろうに、人間にんげんのからだに駄馬のくびでもくっつけたなら、こんな感じかんじのものになるであろうか、とにかく、どこということなく、見るみるものをして、ぞっとさせ、いやな気持きもちにさせるのだ。わたしはこれまで、こんな不思議なふしぎなおとこかお見たみたことが、やはり、いちども無かったなかった
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だいいち手記しゅき

はじ多いおおい生涯しょうがい送っておくってました。
自分じぶんには、人間にんげん生活せいかつというものが、見当けんとうつかないのです。自分じぶん東北とうほく田舎いなか生れうまれましたので、汽車きしゃをはじめて見たみたのは、よほど大きくおおきくなってからでした。自分じぶん停車場ていしゃばブリッジぶりっじを、上ってのぼって降りておりて、そうしてそれが線路せんろをまたぎ越えるこえるために造らつくられたものだということには全然ぜんぜん気づかきづかず、ただそれは停車場ていしゃば構内こうない外国がいこく遊戯ゆうぎじょうみたいに、複雑にふくざつに楽しくたのしくハイカラにはいからにするためにのみ、設備せつびせられてあるものだとばかり思っておもっていました。しかも、かなり永いながいあいだそう思っておもっていたのです。ブリッジぶりっじ上ったりのぼったり降りたりおりたりは、自分じぶんにはむしろ、ずいぶん垢抜けあかぬけのした遊戯ゆうぎで、それは鉄道てつどうのサーヴィスのなかでも、最ももっとものきいたサーヴィスのいちつだと思っておもっていたのですが、のちにそれはただ旅客りょかく線路せんろをまたぎ越えるこえるための頗る実利じつり的なてきな階段かいだん過ぎすぎないのを発見はっけんして、にわかにきょう覚めさめました。
また、自分じぶん子供こどもころ絵本えほん地下ちか鉄道てつどうというものを見てみて、これもやはり、実利じつり的なてきな必要ひつようからあん出せだせられたものではなく、地上ちじょうくるま乗るのるよりは、地下ちかくるま乗ったのったほうが風がわりでふうがわりで面白いおもしろい遊びあそびだから、とばかり思っておもっていました。
自分じぶん子供こどもころから病弱でびょうじゃくで、よく込みこみましたが、ながら、敷布しきふまくらのカヴァ、かかり蒲団ふとんのカヴァを、つくづく、つまらない装飾そうしょくだと思いおもい、それが案外にあんがいに実用じつようひんだったことを、二十さいちかくになってわかって、人間にんげんのつましさに暗然とし、悲しいかなしい思いしいをしました。
また、自分じぶんは、空腹くうふくということ知りしりませんでした。いや、それは、自分じぶん衣食住いしょくじゅう困らこまらないいえ育ったそだったという意味いみではなく、そんな馬鹿なばかな意味いみではなく、自分じぶんには「空腹くうふく」という感覚かんかくはどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いいいかたですが、おなかが空いてあいていても、自分じぶんでそれにがつかないのです。小学校しょうがっこう中学校ちゅうがっこう自分じぶん学校がっこうから帰ってかえって来るくると、周囲しゅういひとたちが、それ、おなかが空いたろうあいたろう自分じぶんたちにも覚えおぼえがある、学校がっこうから帰ってかえって来たきたとき空腹くうふく全くまったくひどいからな、甘納豆はどう? カステラかすてらも、パンぱんもあるよ、などと言っていって騒ぎさわぎますので、自分じぶん持ち前もちまえのおべっか精神せいしん発揮はっきして、おなかが空いたあいた、と呟いてつぶやいて、甘納豆をじゅうつぶばかりくちにほうり込むこむのですが、空腹くうふくかんとは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。
自分じぶんだって、それは勿論もちろん大いにおおいにものを食べたべますが、しかし、空腹くうふくかんから、ものを食べたたべた記憶きおくは、ほとんどありません。めずらしいと思わおもわれたものを食べたべます。豪華ごうか思わおもわれたものを食べたべます。また、よそへ行っておこなって出さだされたものも、無理むりをしてまで、たいてい食べたべます。そうして、子供こどもころ自分じぶんにとって、最ももっとも苦痛くつう時刻じこくは、実にじつに自分じぶんいえ食事しょくじ時間じかんでした。
自分じぶん田舎いなかいえでは、じゅうにんくらいの家族かぞく全部ぜんぶ、めいめいのおぜんれつに向い合せあわせ並べてならべて末っ子すえっこ自分じぶんは、もちろん一ばんひとばんでしたが、その食事しょくじ部屋へや薄暗くうすぐらくひるごはんのときなど、じゅういくにん家族かぞくが、ただ黙々ともくもくとしてめしを食ってくっている有様ありさまには、自分じぶんはいつも肌寒いはださむい思いしいをしました。それに田舎いなか昔気質のむかしかたぎのいえでしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なごうかなもの、そんなものは望むのぞむべくもなかったので、いよいよ自分じぶん食事しょくじ時刻じこく恐怖きょうふしました。自分じぶんはその薄暗いうすぐらい部屋へや末席まっせきに、さむさにがたがた震えるふるえる思いしいくちにごはんを少量しょうりょうずつ運びはこび押しおし込みこみ人間にんげんは、どうしていちにちさん々々ごはんを食べるたべるのだろう、実にじつにみな厳粛なげんしゅくなかおをして食べてたべている、これも一種いっしゅ儀式ぎしきのようなもので、家族かぞくさん々々、時刻じこくをきめて薄暗いうすぐらいいち部屋へやしゅうり、おぜん順序じゅんじょ正しくただしく並べならべ食べたべたくなくても無言むごんでごはんを噛みかみながら、うつむき、家中いえじゅうにうごめいているれいたちに祈るいのるためのものかも知れしれない、とさえ考えたかんがえたことがあるくらいでした。
めしを食べたべなければ死ぬしぬ、という言葉ことばは、自分じぶんみみには、ただイヤないやなおどかしとしか聞えきこえませんでした。その迷信めいしんは、(いまでも自分じぶんには、何だかなんだか迷信めいしんのように思わおもわれてならないのですが)しかし、いつも自分じぶん不安ふあん恐怖きょうふ与えあたえました。人間にんげんは、めしを食べたべなければ死ぬしぬから、そのために働いてはたらいて、めしを食べたべなければならぬ、という言葉ことばほど自分じぶんにとって難解でなんかいで晦渋で、そうして脅迫きょうはくめいた響きひびき感じかんじさせる言葉ことばは、無かったなかったのです。
つまり自分じぶんには、人間にんげん営みいとなみというものが未だにいまだに何もなにもわかっていない、ということになりそうです。自分じぶん幸福こうふく観念かんねんと、のすべてのひとたちの幸福こうふく観念かんねんとが、まるで食いちがってくいちがっているような不安ふあん自分じぶんはその不安ふあんのために夜々、転輾し、呻吟しんぎんし、発狂はっきょうしかけたことさえあります。自分じぶんは、いったい幸福なこうふくなのでしょうか。自分じぶん小さいちいさいときから、実にじつにしばしば、仕合せしゃだとひと言わいわれてましたが、自分じぶんではいつも地獄じごく思いしいで、かえって、自分じぶん仕合しあいしゃだと言ったいったひとたちのほうが、比較ひかくにも何もなにもならぬくらいずっとずっと安楽なあんらくなように自分じぶんには見えるみえるのです。
自分じぶんには、禍いのかたまりがじゅうあって、そのなかいちでも、隣人りんじんが脊負ったらおったら、そのいちだけでも充分にじゅうぶんに隣人りんじん生命せいめい取りとりになるのではあるまいかと、思ったおもったことさえありました。
つまり、わからないのです。隣人りんじん苦しみくるしみ性質せいしつ程度ていどが、まるで見当けんとうつかないのです。プラクテカルな苦しみくるしみ、ただ、めしを食えたらくえたらそれで解決かいけつできる苦しみくるしみ、しかし、それこそ最ももっとも強いつよい痛苦つうくで、自分じぶんれいじゅうの禍いなど、吹っ飛んでふっとんでしまうほどの、凄惨なせいさんな阿鼻地獄じごくなのかも知れしれない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺じさつもせず、発狂はっきょうもせず、政党せいとう論じろんじ絶望ぜつぼうせず、屈せくっせ生活せいかつのたたかいを続けてつづけて行けるいける苦しくくるしくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然のとうぜんのこと確信かくしんし、いちども自分じぶん疑ったうたがったこと無いないんじゃないか? それなら、楽だらくだ、しかし、人間にんげんというものは、みんなそんなもので、またそれで満点まんてんなのではないかしら、わからない、……よるはぐっすり眠りねむりあさ爽快なそうかいなのかしら、どんなゆめ見てみているのだろう、みちを步きながらなに考えてかんがえているのだろう、金? まさか、それだけでも無いないだろう、人間にんげんは、めしを食うくうために生きていきているのだ、というせつ聞いたきいたことがあるようながするけれども、きんのために生きていきている、という言葉ことばは、みみにしたこと無いない、いや、しかし、ことに依るよると、……いや、それもわからない、……考えればかんがえれば考えるかんがえるほど、自分じぶんには、わからなくなり、自分じぶんひとり全くまったく変ってかわっているような、不安ふあん恐怖きょうふ襲わおそわれるばかりなのです。自分じぶん隣人りんじんと、ほとんど会話かいわ出来できません。なにを、どう言ったらいったらいいのか、わからないのです。
そこで考えかんがえ出しただしたのは、道化どうけでした。
それは、自分じぶんの、人間にんげん対するたいする最後のさいごの求愛きゅうあいでした。自分じぶんは、人間にんげん極度にきょくどに恐れておそれていながら、それでいて、人間にんげんを、どうしても思い切れおもいきれなかったらしいのです。そうして自分じぶんは、この道化どうけ一線いっせんでわずかに人間にんげんにつながること出来たできたのでした。おもてでは、絶えずたえず笑顔えがおをつくりながらも、内心ないしん必死のひっしの、それこそせんばん一番いちばん兼ね合いかねあいとでもいうべき危機一髪ききいっぱつの、あぶらあせ流してながしてのサーヴィスでした。
自分じぶん子供こどもころから、自分じぶん家族かぞくものたちに対してたいしてさえ、かれとうがどんなに苦しくくるしく、またどんなこと考えてかんがえて生きていきているのか、まるでちっとも見当けんとうつかず、ただおそろしく、その気まずきまずさに堪えるたえること出来できず、既にすでにみち上手うわてになっていました。つまり、自分じぶんは、いつのまにやら、一言ひとこと本当のほんとうのこと言わいわないになっていたのです。
その頃そのころの、家族かぞくたちと一緒にいっしょにうつした写真しゃしんなどを見るみると、ものたちはみんなまじめなかおをしているのに、自分じぶんひとり、必ずかならず奇妙にきみょうにかおをゆがめて笑ってわらっているのです。これもまた、自分じぶん幼くおさなく悲しいかなしい道化どうけ一種いっしゅでした。
また自分じぶんは、肉親にくしんたちになに言わいわれて、くち応えこたえしたことはいちども有りありませんでした。そのわずかなおこごとは、自分じぶんには霹靂へきれき如くごとく強くつよく感ぜかんぜられ、狂うくるうみたいになり、くち応えこたえどころか、そのおこごとこそ、謂わばいわば万世一系ばんせいいっけい人間にんげんの「真理しんり」とかいうものに違いちがいない、自分じぶんにはその真理しんり行うおこなうちから無いないのだから、もはや人間にんげん一緒にいっしょに住めすめないのではないかしら、と思いおもい込んでこんでしまうのでした。だから自分じぶんには、言い争いいいあらそい自己じこ弁解べんかい出来できないのでした。ひとから悪くわるく言わいわれると、いかにも、もっとも、自分じぶんがひどい思い違いおもいちがいをしているようながして来てきて、いつもその攻撃こうげき黙してもくして受けうけ内心ないしん狂うくるうほどの恐怖きょうふ感じかんじました。
それはだれでも、ひとから非難ひなんせられたり、怒らいかられたりしていい気持きもちがするものでは無いないかも知れしれませんが、自分じぶん怒っておこっている人間にんげんかおに、獅子ししよりもわによりもりゅうよりも、もっとおそろしい動物どうぶつ本性ほんしょう見るみるのです。ふだんは、その本性ほんしょうをかくしているようですけれども、なにかの機会きかいに、たとえば、うし草原そうげんでおっとりしたかたち寝てねていて、突如とつじょ尻尾しっぽでピシッとはらあぶ打ちうち殺すころすみたいに、不意にふいに人間にんげんのおそろしい正体しょうたいを、怒りいかり依ってよって暴露ばくろする様子ようす見てみて自分じぶんはいつもかみぎゃく立つたつほどの戦慄せんりつ覚えおぼえ、この本性ほんしょうもまた人間にんげん生きていきて行くいく資格しかくいちつなのかも知れしれないと思えばおもえば、ほとんど自分じぶん絶望ぜつぼう感じるかんじるのでした。
人間にんげん対してたいして、いつも恐怖きょうふしんいおののき、また、人間にんげんとしての自分じぶん言動げんどうに、みじんも自信じしん持てもてず、そうして自分じぶんひとりの懊悩はむねなかの小箱に秘めひめ、その憂鬱ゆううつ、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠してかくして、ひたすら無邪気むじゃき楽天らくてんせい装いよそおい自分じぶんはお道化どうけたお変人へんじんとして、次第にしだいに完成かんせいされて行きいきました。
なにでもいいから、笑わわらわせておればいいのだ、そうすると、人間にんげんたちは、自分じぶんかれとうの所謂「生活せいかつ」のそとにいても、あまりそれをにしないのではないかしら、とにかく、かれとう人間にんげんたちの目障りにめざわりになってはいけない、自分じぶんだ、かぜだ、からだ、というような思いしいばかりが募りつのり自分じぶんはお道化どうけ依ってよって家族かぞく笑わわらわせ、また、家族かぞくよりも、もっと不可解でふかかいでおそろしい下男や下女にまで、必死のひっしの道化どうけのサーヴィスをしたのです。
自分じぶんなつに、浴衣ゆかたした赤いあかい毛糸けいとのセエターを着てきて廊下ろうかを步き、家中いえじゅうもの笑わわらわせました。めったに笑わわらわない長兄ちょうけいも、それを見てみて噴き出しふきだし
「それあ、ちゃん、似合わにあわない」
と、可愛くてかわいくてたまらないような口調くちょう言いいいました。なに、自分じぶんだって、真夏まなつ毛糸けいとのセエターを着てきて步くほど、いくら何でもなんでも、そんな、あつさむさを知らしらぬお変人へんじんではありません。あね脚絆きゃはん両腕りょううでにはめて、浴衣ゆかた袖口そでぐちから覗かのぞかせ、以てセエターを着てきているように見せかけてみせかけていたのです。
自分じぶんちちは、東京とうきょう用事ようじ多いおおいひとでしたので、上野うえの桜木さくらぎちょう別荘べっそう持ってもっていて、つき大半たいはん東京とうきょうのその別荘べっそう暮してくらしていました。そうして帰るかえるときには家族かぞくものたち、また親戚しんせきものたちにまで、実にじつにおびただしくお土産みやげ買ってかって来るくるのが、まあ、ちち趣味しゅみみたいなものでした。
いつかのちち上京じょうきょう前夜ぜんやちち子供こどもたちを客間きゃくま集めあつめ、こんど帰るかえるときには、どんなお土産みやげがいいか、いちにん々々に笑いわらいながら尋ねたずね、それに対するたいする子供こどもたちのこたえをいちいち手帖てちょう書きとめるかきとめるのでした。ちちが、こんなに子供こどもたちと親しくしたしくするのは、めずらしいことでした。
「葉蔵は?」
聞かきかれて、自分じぶんは、口ごもってくちごもってしまいました。
なに欲しいほしい聞かきかれると、とたんに、何もなにも欲しくほしくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分じぶん楽しくたのしくさせてくれるものなんか無いないんだという思いしいが、ちらと動くうごくのです。と、同時にどうじにひとから与えあたえられるものを、どんなに自分じぶん好みよしみ合わあわなくても、それを拒むこばむこと出来できませんでした。イヤないやなことを、イヤいや言えいえず、また、好きなすきなことも、おずおずと盗むぬすむように、極めてきわめてにがくあじい、そうして言いいい知れしれ恐怖きょうふかんにもだえるのでした。つまり、自分じぶんには、しゃ選一せんいつちからさえ無かったなかったのです。これが、後年こうねんに到り、いよいよ自分じぶんところ謂「はじ多いおおい生涯しょうがい」の、重大なじゅうだいな原因げんいんともなる性癖せいへきいちつだったように思わおもわれます。
自分じぶん黙ってだまって、もじもじしているので、ちちはちょっと不機嫌なふきげんなかおになり、
「やはり、ほんか。浅草あさくさなかてんにお正月しょうがつ獅子しし舞いまいのお獅子しし子供こどもがかぶって遊ぶあそぶのには手頃なてごろな大きおおきさのが売ってうっていたけど、欲しくほしくないか」
欲しくほしくないか、と言わいわれると、もうダメなだめなんです。お道化どうけ返事へんじ何もなにも出来できやしないんです。お道化どうけ役者やくしゃは、完全にかんぜんに落第らくだいでした。
ほんが、いいでしょう」
ちょうあには、まじめなかおをして言いいいました。
「そうか」
ちちは、きょう覚めさめかお手帖てちょう書きとめかきとめもせず、パチぱち手帖てちょう閉じとじました。
何というなんという失敗しっぱい自分じぶんちち怒らいからせた、ちち復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いちがいない、いまのうちに何とかなんとかして取りかえとりかえしのつかぬものか、とそのよる蒲団ふとんなかでがたがた震えふるえながら考えかんがえ、そっと起きておきて客間きゃくま行きいきちち先刻せんこく手帖てちょうをしまい込んだまいこんだはずつくえ引き出しひきだしをあけて、手帖てちょう取りとり上げあげパラパラぱらぱらめくって、お土産みやげ注文ちゅうもん記入きにゅう個所かしょ見つけみつけ手帖てちょう鉛筆えんぴつをなめて、シシししマイまい、と書いてかいてました。自分じぶんはその獅子しし舞いまいのお獅子ししを、ちっとも欲しくほしく無かったなかったのです。かえって、ほんのほうがいいくらいでした。けれども、自分じぶんは、ちちがそのお獅子しし自分じぶん買ってかって与えあたえたいのだということがつき、ちちのその意向いこう迎合げいごうして、ちち機嫌きげん直しなおしたいばかりに、深夜しんや客間きゃくま忍び込むしのびこむという冒険ぼうけんを、敢えてあえておかしたのでした。
そうして、この自分じぶん非常ひじょう手段しゅだんは、果してはたして思いどおりのおもいどおりのだい成功せいこうを以て報いむくいられました。やがて、ちち東京とうきょうから帰ってかえって来てきてはは大声おおごえ言っていっているのを、自分じぶん子供こども部屋へや聞いてきいていました。
なかてんのおもちゃで、この手帖てちょう開いてひらいてみたら、これ、ここに、シシししマイまい、と書いてかいてある。これは、わたしではない。はてな? とくびをかしげて、思い当りおもいあたりました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、わたし聞いたきいたときには、にやにやして黙ってだまっていたが、あとで、どうしてもお獅子しし欲しくてほしくてたまらなくなったんだね。何せなにせ、どうも、あれは、変ったかわった坊主ぼうずですからね。知らん振りしらんふりして、ちゃんと書いてかいている。そんなに欲しかったほしかったのなら、そう言えばいえばよいのに。わたしは、おもちゃ店先みせさき笑いわらいましたよ。葉蔵を早くはやくここへ呼びよびなさい」
また一方いっぽう自分じぶんは、下男や下女たちを洋室ようしつ集めてあつめて、下男のひとりに滅茶めちゃちゃピアノぴあののキイをたたかせ、(田舎いなかではありましたが、そのいえには、たいていのものが、そろっていました)自分じぶんはその出鱈目でたらめきょく合せてあわせて、インデヤンやん踊りおどり踊っておどって見せてみせてみんな大笑いおおわらいさせました。次兄じけいは、フラッシュふらっしゅ焚いてたいて自分じぶんインいんデヤン踊りおどり撮影さつえいして、その写真しゃしん出来たできたのを見るみると、自分じぶんこしぬの(それは更紗さらさ風呂敷ふろしきでした)の合せあわせから、小さいちいさいおチンポが見えてみえていたので、これがまた家中いえなか大笑いおおわらいでした。自分じぶんにとって、これまた意外のいがいの成功せいこうというべきものだったかも知れしれません。
自分じぶん毎月まいつき新刊しんかん少年しょうねん雑誌ざっしじゅうさつ以上いじょうも、とっていて、またその他そのたにも、さまざまのほん東京とうきょうから取り寄せてとりよせて黙ってだまって読んでよんでいましたので、メチャめちゃラクらくチャラ博士はかせだの、また、ナンジャモンジャ博士はかせなどとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談かいだん講談こうだん落語らくご江戸えど小咄こばなしなどのるいにも、かなり通じてつうじていましたから、剽軽なことをまじめなかおをして言っていっていえものたちを笑わわらわせるのにはこと欠きかきませんでした。
しかし、嗚呼、学校がっこう
自分じぶんは、そこでは、尊敬そんけいされかけていたのです。尊敬そんけいされるという観念かんねんもまた、甚だはなはだ自分じぶんを、おびえさせました。ほとんど完全にかんぜんに近くちかくひとをだまして、そうして、或るあるひとりの全知全能ぜんちぜんのうもの見破らみやぶられ、みじんにやられて、ぬる以上いじょうあかはじをかかせられる、それが、「尊敬そんけいされる」という状態じょうたい自分じぶん定義ていぎでありました。人間にんげんをだまして、「尊敬そんけいされ」ても、だれかひとりが知ってしっている、そうして、人間にんげんたちも、やがて、そのひとりから教えおしえられて、だまされたこと気づいたきづいたとき、そのとき人間にんげんたちの怒りいかり復讐ふくしゅうは、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像そうぞうしてさえ、がよだつ心地ここちがするのです。
自分じぶんは、金持ちかねもちいえ生れたうまれたということよりも、俗にぞくにいう「できる」こと依ってよって学校がっこうちゅう尊敬そんけいそうになりました。自分じぶんは、子供こどもころから病弱でびょうじゃくで、よくいちつきつき、またいち学年がくねんちかくも込んでこんで学校がっこう休んだやすんださえあったのですが、それでも、病みやみ上りのぼりのからだで人力車じんりきしゃ乗ってのって学校がっこう行きいき学年がくねんまつ試験しけん受けてうけてみると、クラスくらすだれよりも所謂「できて」いるようでした。からだ合いあいのよいときでも、自分じぶんは、さっぱり勉強べんきょうせず、学校がっこう行っていって授業じゅぎょう時間じかん漫画まんがなどを書きかき休憩きゅうけい時間じかんにはそれをクラスくらすものたちに説明せつめいして聞かきかせて、笑わわらわせてやりました。また、綴りつづりがたには、滑稽こっけいはなしばかり書きかき先生せんせいから注意ちゅういされても、しかし、自分じぶんは、やめませんでした。先生せんせいは、実はじつはこっそり自分じぶんのその滑稽こっけいはなし楽しみにたのしみにしていること自分じぶんは、知ってしっていたからでした。或るある自分じぶんは、れいに依ってよって自分じぶんはは連れつれられて上京じょうきょう途中とちゅう汽車きしゃで、おしっこを客車きゃくしゃ通路つうろにある痰壺たんつぼにしてしまった失敗しっぱいだん(しかし、その上京じょうきょうときに、自分じぶん痰壺たんつぼ知らしらずにしたのではありませんでした。子供こども無邪気むじゃきをてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しかなしそうな筆致ひっち書いてかいて提出ていしゅつし、先生せんせいは、きっと笑うわらうという自信じしんがありましたので、職員しょくいんしつ引き揚げてひきあげて行くいく先生せんせいのあとを、そっとつけて行きいきましたら、先生せんせいは、教室きょうしつ出るでるとすぐ、自分じぶんのその綴りつづりかたを、クラスくらすものたちの綴りつづりかたなかから選びえらび出しだし廊下ろうかを步きながら読みよみはじめて、クスクスくすくす笑いわらい、やがて職員しょくいんしつにはいって読みよみ終えたおえたのか、かおを真赤にして大声おおごえ挙げてあげて笑いわらい先生せんせいに、さっそくそれを読まよませているのを見とどけみとどけ自分じぶんは、たいへん満足でしたまんぞくでした
茶目ちゃめ
自分じぶんは、所謂お茶目にちゃめにられること成功せいこうしました。尊敬そんけいされることから、のがれること成功せいこうしました。通信つうしん簿ぜん学科がっかともじゅうてんでしたが、みさおこうというものだけは、ななてんだったり、ろくてんだったりして、それもまた家中いえなか大笑いおおわらいしゅでした。
けれども自分じぶんほんせいは、そんなお茶目ちゃめさんなどとは、凡そおよそ対蹠的なてきなものでした。その頃そのころ既にすでに自分じぶんは、おんなちゅうや下男から、哀しいかなしいこと教えおしえられ、犯さおかされていました。幼少ようしょうもの対してたいして、そのようなこと行うおこなうのは、人間にんげん行いおこない得るえる犯罪はんざいなか最ももっとも醜悪でしゅうあくで下等でかとうで残酷なざんこくな犯罪はんざいだと、自分じぶんはいまでは思っておもっています。しかし、自分じぶんは、忍びしのびました。これでまたいちつ、人間にんげん特質とくしつ見たみたというような気持きもちさえして、そうして、力無くちからなく笑ってわらっていました。もし自分じぶんに、本当のほんとうのこと言ういう習慣しゅうかんがついていたなら、悪びれわるびれず、かれとう犯罪はんざいちちはは訴えるうったえること出来たできたのかも知れしれませんが、しかし、自分じぶんは、そのちちははをもぜん理解りかいすること出来できなかったのです。人間にんげん訴えるうったえる自分じぶんは、その手段しゅだんには少しもすこしも期待きたいできませんでした。ちち訴えてうったえても、はは訴えてうったえても、お巡りめぐり訴えてうったえても、政府せいふ訴えてうったえても、結局けっきょく世渡りよわたり強いつよいひとの、世間せけん通りとおりのいい言いいいぶんに言いいいまくられるだけのことでは無いないかしら。
必ずかならず片手かたておとしのあるのが、わかり切ってきっている、所詮しょせん人間にんげん訴えるうったえるのは無駄であるむだである自分じぶんはやはり、本当のほんとうのこと何もなにも言わいわず、忍んでしのんで、そうしてお道化どうけをつづけているよりほか無いない気持きもちなのでした。
なんだ、人間にんげんへの不信ふしん言っていっているのか? へえ? おまえはいつクリスチャンくりすちゃんになったんだい、と嘲笑ちょうしょうするひと或いはあるいはあるかも知れしれませんが、しかし、人間にんげんへの不信ふしんは、必ずしもかならずしもすぐに宗教しゅうきょうみち通じてつうじているとは限らかぎらないと、自分じぶんには思わおもわれるのですけど。現にげんにその嘲笑ちょうしょうするひとをも含めてふくめて人間にんげんは、お互いおたがい不信ふしんなかで[#「お互いおたがい不信ふしんなかで」に傍点ぼうてん]、エホバえほば何もなにも念頭ねんとう置かおかず、平気でへいきで生きていきているではありませんか。やはり、自分じぶん幼少ようしょうころことでありましたが、ちち属してぞくしていた或るある政党せいとう有名ゆうめいじんが、このまち演説えんぜつに来て、自分じぶんは下男たちに連れつれられて劇場げきじょう聞ききき行きいきました。満員まんいんで、そうして、このまち特にとくにちち親しくしたしくしているひとたちのかおみんな見えてみえて大いにおおいに拍手はくしゅなどしていました。演説えんぜつがすんで、聴衆ちょうしゅうゆき夜道よみち三々五々さんさんごごかたまって家路いえじ就きつきクソくそミソみそ今夜こんや演説えんぜつかい悪口わるくち言っていっているのでした。なかには、ちち特にとくに親しいしたしいひとこえもまじっていました。ちち開会かいかい下手したて、れいの有名ゆうめいじん演説えんぜつなに何やらなにやら、わけがわからぬ、とその所謂父の「同志どうしたち」が怒声どせい似たにた口調くちょう言っていっているのです。そうしてそのひとたちは、自分じぶんいえ立ち寄ってたちよって客間きゃくま上りのぼり込みこみ今夜こんや演説えんぜつかいだい成功せいこうだったと、しんから嬉しうれしそうなかおをしてちち言っていっていました。下男たちまで、今夜こんや演説えんぜつかいはどうだったとはは聞かきかれ、とても面白かったおもしろかった、と言っていってけろりとしているのです。演説えんぜつかいほど面白くおもしろくないものはない、と帰るかえる途々、下男たちが嘆きなげき合ってあっていたのです。
しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例いちれい過ぎすぎません。互いにたがいにあざむき合ってあって、しかもいずれも不思議ふしぎ何のなんのきずもつかず、あざむき合ってむきあっていることにさえがついていないみたいな、実にじつにあざやかな、それこそ清くきよく明るくあかるくほがらかな不信ふしんれいが、人間にんげん生活せいかつ充満じゅうまんしているように思わおもわれます。けれども、自分じぶんには、あざむき合ってむきあっているということには、さして特別のとくべつの興味きょうみもありません。自分じぶんだって、お道化どうけ依ってよってあさから晚まで人間にんげんをあざむいているのです。自分じぶんは、修身しゅうしん教科きょうかしょ的なてきな正義せいぎとか何とかなんとかいう道徳どうとくには、あまり関心かんしん持てもてないのです。自分じぶんには、あざむき合ってむきあっていながら、清くきよく明るくあかるく朗らかにほがらかに[#「清くきよく明るくあかるく朗らかにほがらかに」に傍点ぼうてん生きていきている、或いはあるいは生きいき得るえる自信じしん持ってもっているみたいな人間にんげん難解ななんかいなのです。人間にんげんは、ついに自分じぶんにその妙諦を教えておしえてはくれませんでした。それさえわかったら、自分じぶんは、人間にんげんをこんなに恐怖きょうふし、また、必死のひっしのサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間にんげん生活せいかつ対立たいりつしてしまって、夜々の地獄じごくのこれほどの苦しみくるしみ嘗めなめずにすんだのでしょう。つまり、自分じぶんが下男下女たちの憎むにくむべきあの犯罪はんざいをさえ、だれにも訴えうったえなかったのは、人間にんげんへの不信ふしんからではなく、また勿論もちろんクリスト主義しゅぎのためでもなく、人間にんげんが、葉蔵という自分じぶん対してたいして信用しんようから固くかたく閉じてとじていたからだったと思いおもいます。父母ふぼでさえ、自分じぶんにとって難解ななんかいなものを、時折ときおり見せるみせることがあったのですから。
そうして、その、だれにも訴えうったえない、自分じぶん孤独こどく匂いにおいが、多くおおく女性じょせいに、本能ほんのう依ってよって嗅ぎかぎ当てあてられ、後年こうねんさまざま、自分じぶんつけ込まつけこまれる誘因ゆういんいちつになったようなもするのです。
つまり、自分じぶんは、女性じょせいにとって、こい秘密ひみつ守れるまもれるおとこであったというわけなのでした。
[#改頁]

だい手記しゅき

うみの、波打なみうちさい、といってもいいくらいにうみにちかい岸辺きしべに、真黒いじゅはだ山桜やまざくらの、かなり大きいおおきいのが二十ほん以上いじょう立ちたちならび、しん学年がくねんがはじまると、山桜やまざくらは、褐色かっしょくのねばっこいような嫩葉どんよう共にともに青いあおいうみ背景はいけいにして、その絢爛けんらんたるはなをひらき、やがて、はな吹雪ふぶきときには、花びらはなびらがおびただしくうみ散りちり込みこみ海面かいめん鏤めてちりばめて漂いただよいなみ乗せのせられ再びふたたび波打なみうちさい打ちうちかえされる、そのさくら砂浜すなはまが、そのまま校庭こうていとして使用しようせられている東北とうほく或るある中学校ちゅうがっこうに、自分じぶん受験じゅけん勉強べんきょうもろくにしなかったのに、どうやら無事にぶじに入学にゅうがくできました。そうして、その中学ちゅうがく制帽せいぼうの徽章にも、制服せいふくボタンぼたんにも、さくらはな図案ずあん化せかせられて咲いてさいていました。
その中学校ちゅうがっこうのすぐ近くちかくに、自分じぶんいえ遠いとおい親戚しんせき当るあたるものいえがありましたので、その理由りゆうもあって、ちちがそのうみさくら中学校ちゅうがっこう自分じぶん選んでえらんでくれたのでした。自分じぶんは、そのいえにあずけられ、何せなにせ学校がっこうのすぐ近くちかくなので、朝礼ちょうれいかね鳴るなるのを聞いてきいてから、走ってはしって登校とうこうするというような、かなり怠惰なたいだな中学生ちゅうがくせいでしたが、それでも、れいのお道化どうけ依ってよって日一日ひいちにちクラスくらす人気にんき得てえていました。
生れてうまれてはじめて、謂わばいわば他郷へ出たでたわけなのですが、自分じぶんには、その他そのたごうのほうが、自分じぶん生れうまれ故郷こきょうよりも、ずっと気楽なきらくな場所ばしょのように思わおもわれました。それは、自分じぶんのおみちもそのころにはいよいよぴったりについて来てきてひとをあざむくのに以前いぜんほどの苦労くろう必要ひつようとしなくなっていたからである、と解説かいせつしてもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉親にくしん他人たにん故郷こきょうと他郷、そこには抜くぬくべからざる演技えんぎ難易なんいが、どのような天才てんさいにとっても、たとい神の子かみのこのイエスにとっても、存在そんざいしているものなのではないでしょうか。俳優はいゆうにとって、最ももっとも演じえんじにくい場所ばしょは、故郷こきょう劇場げきじょうであって、しかもろく親眷ぞく全部ぜんぶそろって坐ってすわっているいち部屋へやなか在ってあっては、いかな名優めいゆう演技えんぎどころでは無くなるなくなるのではないでしょうか。けれども自分じぶん演じてえんじてました。しかも、それが、かなりの成功せいこう収めたおさめたのです。それほどの曲者くせものが、他郷に出てでて万が一まんがいちにも演じえんじ損ねるそこねるなどということ無いないわけでした。
自分じぶん人間にんげん恐怖きょうふは、それは以前いぜんにまさるとも劣らおとらぬくらい烈しくむねそこ蠕動ぜんどうしていましたが、しかし、演技えんぎ実にじつにのびのびとして来てきて教室きょうしつにあっては、いつもクラスくらすものたちを笑わわらわせ、教師きょうしも、このクラスくらす大庭おおばさえいないと、とてもいいクラスくらすなんだが、と言葉ことばではなげきじながら、くち覆っておおって笑ってわらっていました。自分じぶんは、あのかみなり如きごとき蛮声を張り上げるはりあげる配属はいぞく将校しょうこうをさえ、実にじつに容易によういに噴き出ふきでさせること出来たできたのです。
もはや、自分じぶん正体しょうたい完全にかんぜんに隠蔽いんぺい得たえたのではあるまいか、とほっとしかけた矢先やさきに、自分じぶん実にじつに意外にいがいに背後はいごから突き刺さつきさされました。それは、背後はいごから突き刺すつきさすおとこのごたぶんにもれず、クラスくらす最ももっとも貧弱なひんじゃくな肉体にくたいをして、かおあおぶくれで、そうしてたしかに父兄ふけいのおいにしえ思わおもわれるそで聖徳太子しょうとくたいしそでみたいにながすぎる上衣じょうい着てきて学課がっか少しもすこしも出来できず、教練や体操たいそうはいつも見学けんがくという白痴はくち似たにた生徒せいとでした。自分じぶんもさすがに、その生徒せいとにさえ警戒けいかいする必要ひつよう認めてみとめていなかったのでした。
その体操たいそう時間じかんに、その生徒せいとせいはいま記憶きおくしていませんが、は竹一といったかと覚えておぼえています)その竹一は、れいに依ってよって見学けんがく自分じぶんたちは鉄棒てつぼう練習れんしゅうをさせられていました。自分じぶんは、わざと出来るできるだけ厳粛なげんしゅくなかおをして、鉄棒てつぼうめがけて、えいっと叫んでさけんで飛びとび、そのままはば飛びとびのように前方ぜんぽう飛んでとんでしまって、砂地すなじドスンどすん尻餅しりもちをつきました。すべて、計画けいかく的なてきな失敗しっぱいでした。果してはたしてみんな大笑いおおわらいになり、自分じぶん苦笑くしょうしながら起き上っておきあがってズボンずぼんすな払ってはらっていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分じぶん背中せなかをつつき、低いひくいこえでこう囁きささやきました。
ワザわざワザわざ
自分じぶん震撼しんかんしました。ワザわざ失敗しっぱいしたということを、ひともあろうに、竹一に見破らみやぶられるとは全くまったく思いおもい掛けかけないことでした。自分じぶんは、世界せかい一瞬にしていっしゅんにして地獄じごくの業火に包まつつまれて燃えもえ上るのぼるのを眼前がんぜん見るみるような心地ここちがして、わあっ! と叫んでさけんで発狂はっきょうしそうな気配けはい必死のひっしのちから抑えおさえました。
それからの日々ひびの、自分じぶん不安ふあん恐怖きょうふ
表面ひょうめんあい変らかわら哀しいかなしい道化どうけ演じてえんじてみんな笑わわらわせていましたが、ふっと思わずおもわず重苦しいおもくるしい溜息ためいき出てでてなにをしたってすべて竹一にみじんに見破らみやぶられていて、そうしてあれは、そのうちにきっとだれかれとなく、それを言いふらしていいふらして步くに違いないちがいないのだ、と考えるかんがえると、がくにじっとりあぶらあせがわいて来てきて狂人きょうじんみたいに妙なみょうなつきで、あたりをキョロキョロきょろきょろむなしく廻したりまわしたりしました。できることなら、あさひる、晚、四六時中しろくじちゅう、竹一のそばから離れはなれかれ秘密ひみつ口走らくちばしらないように監視かんししていたい気持きもちでした。そうして、自分じぶんが、かれにまつわりついているあいだに、自分じぶんのおみちは、所謂「ワザわざ」では無くてなくて、ほんものであったというよう思いおもい込まこませるようにあらゆる努力どりょく払いはらい、あわよくば、かれ無二むに親友しんゆうになってしまいたいものだ、もし、そのことみんな不可能ふかのうなら、もはや、かれ祈るいのるより無いない、とさえ思いおもいつめました。しかし、さすがに、かれ殺そうころそうというだけは起りおこりませんでした。自分じぶんは、これまでの生涯しょうがい於いておいてひと殺さころされたいと願望がんぼうしたこといくとなくありましたが、ひと殺しころしたいと思ったおもったことは、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手あいてに、かえって幸福こうふく与えるあたえるだけのことだと考えてかんがえていたからです。
自分じぶんは、かれ手なずけるてなずけるため、まず、かおにせクリスチャンくりすちゃんのような「優しいやさしい」媚笑を湛えたたえくびを三十くらいひだり曲げてまげてかれ小さいちいさいかた軽くかるく抱きいだき、そうして猫撫で声ねこなでごえ似たにた甘ったるいあまったるいこえで、かれ自分じぶん寄宿きしゅくしているいえ遊びあそびに来るようしばしば誘いさそいましたが、かれは、いつも、ぼんやりしたつきをして、黙ってだまっていました。しかし、自分じぶんは、或るある放課後ほうかご、たしか初夏しょかころことでした、ゆう立ちたち白くしろく降ってふって生徒せいとたちは帰宅きたく困ってこまっていたようでしたが、自分じぶんいえがすぐ近くちかくなので平気でへいきでそと飛び出そうとびだそうとして、ふと下駄げたはこのかげに、竹一がしょんぼり立ってたっているのを見つけみつけ行こういこうかさ貸してかしてあげる、と言いいい臆するおくする竹一の引っぱってひっぱって一緒にいっしょに夕立ゆうだちちのちゅう走りはしりいえ着いてついてにん上衣じょういを小母さんに乾かしてかわかしてもらうようにたのみ、竹一をかい自分じぶん部屋へや誘いさそい込むこむのに成功せいこうしました。
そのいえには、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡めがねをかけて、病身びょうしんらしい高いたかい姉娘(このむすめは、いちどよそへおよめ行っていって、それからまた、いえ帰ってかえっているひとでした。自分じぶんは、このひとを、ここのいえのひとたちにならって、アネサと呼んでよんでいました)それと、最近さいきん女学校じょがっこう卒業そつぎょうしたばかりらしい、セッちゃんというあね低くひくく丸顔まるがおの妹娘と、さんにんだけの家族かぞくで、したみせには、文房具ぶんぼうぐやら運動うんどう用具ようぐ少々しょうしょう並べてならべていましたが、主なおもな収入しゅうにゅうは、なくなった主人しゅじん建ててたてて残してのこして行ったおこなった五六むね長屋ながや家賃やちんのようでした。
みみ痛いいたい
竹一は、立ったたったままでそう言いいいました。
あめ濡れたらぬれたら痛くいたくなったよ」
自分じぶんが、見てみてみると、両方りょうほうみみが、ひどいみみだれでした。うみが、いまにも耳殻のそと流れ出ようながれでようとしていました。
「これは、いけない。痛いいたいだろう」
自分じぶん大袈裟におおげさにおどろいて見せてみせて
あめなかを、引っぱり出したりひっぱりだしたりして、ごめんね」
おんな言葉ことばみたいな言葉ことば遣ってつかって優しくやさしく謝りあやまり、それから、した行っていって綿めんアルコールあるこーるをもらって来てきて、竹一を自分じぶんひざまくらにして寝かせねかせ念入りにねんいりにみみ掃除そうじをしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善ぎぜんの悪計であることには附かなかったようで、
お前おまえは、きっと、おんな惚れほれられるよ」
自分じぶん膝枕ひざまくらながら、無智なお世辞おせじ言ったいったくらいでした。
しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識いしきしなかったほどの、おそろしい悪魔あくま予言よげんのようなものだったということを、自分じぶん後年こうねんに到って思い知りおもいしりました。惚れるほれる言いいい惚れほれられると言いいい、その言葉ことばはひどく下品でげひんで、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じかんじで、どんなに所謂「厳粛げんしゅく」のであっても、そこへこの言葉ことば一言いちげんでもひょいとかお出すだすと、みるみる憂鬱ゆううつ伽藍がらん崩壊ほうかいし、ただのっぺらぼうになってしまうような心地ここちがするものですけれども、惚れほれられるつらさ、などという俗語ぞくごでなく、愛せあいせられる不安ふあん、とでもいう文学ぶんがく用いるもちいると、あながち憂鬱ゆううつ伽藍がらんをぶちこわすことにはならないようですから、奇妙なきみょうなものだと思いおもいます。
竹一が、自分じぶんみみだれのうみつかえすえをしてもらって、おまえ惚れほれられるという馬鹿なばかな世辞せじ言いいい自分じぶんはそのとき、ただかお赤らめてあからめて笑ってわらって何もなにも答えこたえませんでしたけれども、しかし、実はじつは、幽かに思い当るおもいあたるところもあったのでした。でも、「惚れほれられる」というような卑な言葉ことば依ってよって生じるしょうじるやにさがった雰囲気ふんいき対してたいして、そう言わいわれると、思い当るおもいあたるところもある、などと書くかくのは、ほとんど落語らくごの若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしいかんふところ示すしめすようなもので、まさか、自分じぶんは、そんなふざけた、やにさがった気持きもちで、「思い当るおもいあたるところもあった」わけでは無いないのです。
自分じぶんには、人間にんげん女性じょせいのほうが、男性だんせいよりもさらにすうばい難解でしたなんかいでした自分じぶん家族かぞくは、女性じょせいのほうが男性だんせいよりもかず多くおおく、また親戚しんせきにも、女の子おんなのこがたくさんあり、またれいの「犯罪はんざい」のおんなちゅうなどもいまして、自分じぶん幼いおさないときから、おんなとばかり遊んであそんで育ったそだったといっても過言かごんではないと思っておもっていますが、それは、また、しかし、実にじつに薄氷はくひょう踏むふむ思いしいで、そのおんなのひとたちと附き合ってあって来たきたのです。ほとんど、まるで見当けんとうが、つかないのです。五里霧中ごりむちゅうで、そうして時たまときたまとら踏むふむ失敗しっぱいをして、ひどい痛手いたで負いおい、それがまた、男性だんせいから受けるうける笞とちがって、内出血ないしゅっけつみたいに極度にきょくどに不快にふかいに内攻して、なかなか治癒ちゆ難いがたいきずでした。
おんな引き寄せてひきよせて、つっ放すはなす或いはあるいはまた、おんなは、ひとのいるところでは自分じぶんをさげすみ、邪慳にし、だれもいなくなると、ひしと抱きしめるだきしめるおんな死んだしんだように深くふかく眠るねむるおんな眠るねむるために生きていきているのではないかしら、その他そのほかおんな就いてついてのさまざまの観察かんさつを、すでに自分じぶんは、幼年ようねん時代じだいから得てえていたのですが、同じおなじ人類じんるいのようでありながら、おとことはまた、全くまったく異った生きものいきもののような感じかんじで、そうしてまた、この不可解でふかかいで油断ゆだんのならぬ生きものいきものは、奇妙にきみょうに自分じぶんをかまうのでした。「惚れほれられる」なんていう言葉ことばも、また「好かすかれる」という言葉ことばも、自分じぶん場合ばあいにはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったいったほうが、まだしも実状の説明せつめい適しててきしているかも知れしれません。
おんなは、おとこよりも更にさらに道化どうけには、くつろぐようでした。自分じぶんがお道化どうけ演じえんじおとこはさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってわらってもいませんし、それに自分じぶんおとこのひとに対したいし調子ちょうし乗ってのってあまりお道化どうけ演じえんじすぎると失敗しっぱいするということ知ってしっていましたので、必ずかならず適当てきとうのところで切り上げるきりあげるように心掛けてこころがけていましたが、おんな適度てきどということ知らしらず、いつまでもいつまでも、自分じぶんにお道化どうけ要求ようきゅうし、自分じぶんはその限りかぎりないアンコールあんこーる応じておうじて、へとへとになるのでした。実にじつに、よく笑うわらうのです。いったいに、おんなは、おとこよりも快楽かいらくをよけいに頬張るほおばること出来るできるようです。
自分じぶん中学ちゅうがく時代じだい世話せわになったそのいえの姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、かい自分じぶん部屋へやにやって来てきて自分じぶんはそのたびごと飛び上らとびあがらんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、
勉強べんきょう?」
「いいえ」
微笑びしょうしてほん閉じとじ
「きょうね、学校がっこうでね、コンボウという地理ちり先生せんせいがね」
とするするくちから流れ出るながれでるものは、こころにも無いない滑稽こっけいはなしでした。
ちゃん、眼鏡めがねをかけてごらん」
或るある晚、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒にいっしょに自分じぶん部屋へや遊びあそびに来て、さんざん自分じぶんにお道化どうけ演じえんじさせた揚句あげくに、そんなこと言いいい出しだしました。
「なぜ?」
「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡めがね借りかりなさい」
いつでも、こんな乱暴ならんぼうな命令めいれい口調くちょう言ういうのでした。道化どうけは、素直にすなおにアネサの眼鏡めがねをかけました。とたんに、にんむすめは、笑いころげわらいころげました。
「そっくり。ロイドに、そっくり」
当時とうじ、ハロルド.ロイドとかいう外国がいこく映画えいが喜劇きげき役者やくしゃが、日本にほん人気にんきがありました。
自分じぶん立ってたって片手かたて挙げあげ
諸君しょくん
言いいい
「このたび、日本にっぽんファンふぁん皆様みなさまがたに、……」
一場いちじょう挨拶あいさつ試みこころみ、さらに大笑いおおわらいさせて、それから、ロイドの映画えいががそのまちの劇場げきじょうに来るたびごと行っていって、ひそかにかれ表情ひょうじょうなどを研究けんきゅうしました。
また、或るあるあきよる自分じぶんながらほん読んでよんでいると、アネサがとりのように素早くすばやく部屋へやへはいって来てきて、いきなり自分じぶんかかり蒲団ふとんうえ倒れてたおれて泣きなき
ちゃんが、あたしを助けてたすけてくれるのだわね。そうだわね。こんないえ一緒にいっしょに出てでてしまったほうがいいのだわ。助けてたすけてね。助けてたすけて
などと、はげしいこと口走ってくちばしっては、また泣くなくのでした。けれども、自分じぶんには、おんなから、こんな態度たいど見せつけみせつけられるのは、これが最初さいしょではありませんでしたので、アネサの過激なかげきな言葉ことばにも、さして驚かおどろかず、かえってその陳腐ちんぷ内容ないようきょう覚めたさめた心地ここちで、そっと蒲団ふとんから脱け出しぬけだしつくえうえかきをむいて、そのいちきれをアネサに手渡しててわたしてやりました。すると、アネサは、しゃくり上げしゃくりあげながらそのかき食べたべ
なに面白いおもしろいほん無いない? 貸してかしてよ」
言いいいました。
自分じぶんは漱石の「吾輩わがはいねこである」というほんを、本棚ほんだなから選んでえらんであげました。
「ごちそうさま」
アネサは、恥ずかしはずかしそうに笑ってわらって部屋へやから出てでて行きいきましたが、このアネサに限らかぎらず、いったいおんなは、どんな気持きもち生きていきているのかを考えるかんがえることは、自分じぶんにとって、蚯蚓みみず思いしいをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、うす気味のぎみの悪いわるいものに感ぜかんぜられていました。ただ、自分じぶんは、おんながあんなに急にきゅうに泣きなき出したりだしたりした場合ばあいなに甘いあまいものを手渡しててわたしてやると、それを食べてたべて機嫌きげん直すなおすということだけは、幼いおさないときから、自分じぶん経験けいけん依ってよって知ってしっていました。
また、妹娘のセッちゃんは、その友だちともだちまで自分じぶん部屋へや連れてつれて来てきて自分じぶんがれいに依ってよって公平にこうへいにみんな笑わわらわせ、友だちともだち帰るかえると、セッちゃんは、必ずかならずその友だちともだち悪口わるくち言ういうのでした。あのひとは不良ふりょう少女しょうじょだから、をつけるように、ときまって言ういうのでした。そんなら、わざわざ連れてつれてなければ、よいのに、おかげで自分じぶん部屋へや来客らいきゃくの、ほとんど全部ぜんぶおんな、ということになってしまいました。
しかし、それは、竹一のお世辞おせじの「惚れほれられる」こと実現じつげんでは未だいまだ決してけっして無かったなかったのでした。つまり、自分じぶんは、日本にっぽん東北とうほくのハロルド.ロイドに過ぎすぎなかったのです。たけいちの無智なお世辞せじが、いまわしい予言よげんとして、なまなまと生きていきて来てきて不吉なふきつな形貌を呈するていするようになったのは、更にさらにそれから、すうねん経ったたったあとことでありました。
竹一は、また、自分じぶんにもういちつ、重大なじゅうだいな贈り物おくりものをしていました。
お化けおばけだよ」
いつか竹一が、自分じぶんかい遊びあそびに来たとき、ご持参じさんの、いちまい原色げんしょくはん口絵くちえ得意とくいそうに自分じぶん見せてみせて、そう説明せつめいしました。
おや? と思いおもいました。その瞬間しゅんかん自分じぶん落ちおち行くいくみち決定けっていせられたように、後年こうねんに到って、そんながしてなりません。自分じぶんは、知ってしっていました。それは、ゴッホの例のれいの自画じがぞう過ぎすぎないのを知ってしっていました。自分じぶんたちの少年しょうねんころには、日本にほんではフランスふらんすの所謂印象いんしょうだい流行りゅうこうしていて、洋画ようが鑑賞かんしょうだいいち步を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルナアルなどというひとのは、田舎いなか中学生ちゅうがくせいでも、たいていその写真しゃしんはん見てみて知ってしっていたのでした。自分じぶんなども、ゴッホの原色げんしょくはんをかなりたくさん見てみてタッチたっち面白おもしろさ、色彩しきさい鮮やかあざやかさに興趣を覚えておぼえてはいたのですが、しかし、お化けおばけ、だとは、いちども考えたかんがえたこと無かったなかったのでした。
「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けおばけかしら」
自分じぶん本棚ほんだなから、モジリアニの画集がしゅう出しだし焼けたやけた赤銅しゃくどうのようなはだの、れいの裸婦らふぞうを竹一に見せみせました。
「すげえなあ」
竹一は丸くまるくして感嘆かんたんしました。
地獄じごくうまみたい」
「やっぱり、お化けおばけかね」
「おれも、こんなお化けおばけがかきたいよ」
あまりに人間にんげん恐怖きょうふしているひとたちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪ようかい確実にかくじつにこのたいと願望がんぼうするに到る心理しんり神経質なしんけいしつな、ものにおびえ易いやすいひとほど、暴風ぼうふう更にさらに強からつよから祈るいのる心理しんり、ああ、この一群いちぐん画家がかたちは、人間にんげんという化け物ばけもの傷めいためつけられ、おびやかされた揚句あげく、ついに幻影げんえい信じしんじ白昼はくちゅう自然しぜんなかに、ありありと妖怪ようかい見たみたのだ、しかもかれとうは、それを道化どうけなどでごまかさず、見えたみえたままの表現ひょうげん努力どりょくしたのだ、竹一の言ういうように、敢然とかんぜんとお化けおばけ」をかいてしまったのだ、ここに将来しょうらい自分じぶんの、仲間なかまがいる、と自分じぶんは、なみだ出たでたほどに興奮こうふんし、
ぼくかくくよ。お化けおばけかくくよ。地獄じごくうまを、かくくよ」
と、なぜだか、ひどくこえをひそめて、竹一に言ったいったのでした。
自分じぶんは、小学校しょうがっこうころから、はかくのも、見るみるのも好きでしたすきでした。けれども、自分じぶんのかいたは、自分じぶん綴りつづりかたほどには、周囲しゅうい評判ひょうばんが、よくありませんでした。自分じぶんは、どだい人間にんげん言葉ことば一向にいっこうに信用しんようしていませんでしたので、綴りつづりかたなどは、自分じぶんにとって、ただお道化どうけ御挨拶ごあいさつみたいなもので、小学校しょうがっこう中学校ちゅうがっこう、と続いてつづいて先生せんせいたちを狂喜きょうきさせてましたが、しかし、自分じぶんでは、さっぱり面白くおもしろくなく、だけは、(漫画まんがなどは別ですべつですけれども)その対象たいしょう表現ひょうげんに、幼いおさない我流がりゅうながら、多少たしょう苦心くしん払ってはらっていました。学校がっこう図画ずがお手おてほんはつまらないし、先生せんせい下手くそだへたくそだし、自分じぶんは、全くまったく出鱈目でたらめにさまざまの表現ひょうげんほう自分じぶん工夫くふうして試みこころみなければならないのでした。中学校ちゅうがっこうへはいって、自分じぶん油絵あぶらえ道具どうぐいち揃いそろい持ってもっていましたが、しかし、そのタッチたっち手本てほんを、印象いんしょう画風がふう求めてもとめても、自分じぶんいたものは、まるで千代紙ちよがみ細工さいくのようにのっぺりして、ものになりそうもありませんでした。けれども自分じぶんは、竹一の言葉ことば依ってよって自分じぶんのそれまでの絵画かいが対するたいする心構えこころがまえが、まるで間違ってまちがっていたことが附きました。美しいうつくしい感じたかんじたものを、そのまま美しくうつくしく表現ひょうげんしようと努力どりょくするあまさ、おろかしさ。マイまいスターすたーたちは、何でもなんでも無いないものを、主観しゅかん依ってよって美しくうつくしく創造そうぞうし、或いはあるいは醜いみにくいものに嘔吐おうとをもよおしながらも、それに対するたいする興味きょうみ隠さかくさず、表現ひょうげんのよろこびにひたっている、つまり、ひと思惑おもわく少しもすこしもたよっていないらしいという、画法がほうのプリミチヴな虎の巻とらのまきを、竹一から、さずけられて、れいのおんな来客らいきゃくたちには隠してかくして少しずつすこしずつ自画じがぞう制作せいさく取りかかってとりかかってみました。
自分じぶんでも、ぎょっとしたほど、陰惨ないんさんな出来でき上りのぼりました。しかし、これこそむねそこひた隠しひたかくし隠してかくしている自分じぶん正体しょうたいなのだ、おもては陽気にようきに笑いわらい、またひと笑わわらわせているけれども、実はじつは、こんなかげうつこころ自分じぶん持ってもっているのだ、仕方しかた無いない、とひそかに肯定こうていし、けれどもそのは、竹一以外いがいひとには、さすがにだれにも見せみせませんでした。自分じぶんのお道化どうけそこ陰惨いんさん見破らみやぶられ、急にきゅうにケチけちくさく警戒けいかいせられるのもいやでしたし、また、これを自分じぶん正体しょうたいとも気づかきづかず、やっぱりしん趣向しゅこうのお道化どうけ見なさみなされ、大笑いおおわらいしゅにせられるかも知れしれぬという懸念けねんもあり、それは何よりなによりもつらいことでしたので、そのはすぐに押入れおしいれ奥深くおくふかくまい込みまいこみました。
また、学校がっこう図画ずが時間じかんにも、自分じぶんはあの「お化けおばけしき手法しゅほう」は秘めてひめて、いままでどおりの美しいうつくしいものを美しくうつくしくかくしきの凡庸なタッチたっちかくいていました。
自分じぶんは竹一にだけは、まえから自分じぶん傷みいたみ易いやすい神経しんけい平気でへいきで見せてみせていましたし、こんどの自画じがぞう安心あんしんして竹一に見せみせ、たいへんほめられ、さらにまいさんまいと、お化けおばけきつづけ、竹一からもういちつの、
お前おまえは、偉いえらい絵画かいがきになる」
という予言よげん得たえたのでした。
惚れほれられるという予言よげんと、偉いえらい絵画かいがきになるという予言よげんと、このつの予言よげん馬鹿ばかの竹一に依ってよってがく刻印こくいんせられて、やがて、自分じぶん東京とうきょう出てでてました。
自分じぶんは、美術びじゅつ学校がっこうにはいりたかったのですが、ちちは、まえから自分じぶん高等こうとう学校がっこうにいれて、すえ官吏かんりにするつもりで、自分じぶんにもそれを言いいい渡してわたしてあったので、くち応えこたえいち出来できないたちの自分じぶんは、ぼんやりそれに従ったしたがったのでした。よんねんから受けてうけて見よみよ、と言わいわれたので、自分じぶんさくらうみちゅうがくはもういい加減いいかげんあきていましたし、ねん進級しんきゅうせず、よんねん修了しゅうりょうのままで、東京とうきょう高等こうとう学校がっこう受験じゅけんして合格ごうかくし、すぐにりょう生活せいかつにはいりましたが、その不潔ふけつ粗暴にそぼうに辟易へきえきして、道化どうけどころではなく、医師いしに肺浸潤の診断しんだんしょ書いてかいてもらい、りょうから出てでて上野うえの桜木さくらぎちょうちち別荘べっそう移りうつりました。自分じぶんには、団体だんたい生活せいかつというものが、どうしても出来できません。それにまた、青春せいしゅん感激かんげきだとか、若人わこうど誇りほこりだとかいう言葉ことばは、聞いてきいて寒気かんきがして来てきて、とても、あの、ハイはいスクールすくーる.スピリットとかいうものには、ついて行けいけなかったのです。教室きょうしつりょうも、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいなさえして、自分じぶん完璧にかんぺきに近いちかいみちも、そこでは何のなんのやくにも立ちたちませんでした。
ちち議会ぎかい無いないときは、つきいち週間しゅうかん週間しゅうかんしかそのいえ滞在たいざいしていませんでしたので、ちち留守るすときは、かなり広いひろいそのいえに、別荘べっそうばんろう夫婦ふうふ自分じぶんさんにんだけで、自分じぶんは、ちょいちょい学校がっこう休んでやすんで、さりとて東京とうきょう見物けんぶつなどをする起らおこらず(自分じぶんはとうとう、明治めいじ神宮じんぐうも、くすのき正成の銅像どうぞうも、泉岳寺の四十七はかずに終りおわりそうです)いえいちにちちゅうほん読んだりよんだりをかいたりしていました。ちち上京じょうきょうして来るくると、自分じぶんは、毎朝まいあさそそくさと登校とうこうするのでしたが、しかし、本郷ほんごう千駄木せんだぎちょう洋画ようが安田やすだ新太郎しんたろう画塾がじゅく行きいきさん時間じかんよん時間じかんも、デッサンでっさん練習れんしゅうをしていることもあったのです。高等こうとう学校がっこうりょうからだつけたら、学校がっこう授業じゅぎょう出てでても、自分じぶんはまるで聴講ちょうこう生みうみたいな特別のとくべつの位置いちにいるような、それは自分じぶんのひがみかも知れしれなかったのですが、何ともなんとも自分じぶん自身じしん白々しいしらじらしい気持きもちがして来てきて、いっそう学校がっこう行くいくのが、おっくうになったのでした。自分じぶんには、小学校しょうがっこう中学校ちゅうがっこう高等こうとう学校がっこう通じてつうじて、ついに愛校あいこうこころというものが理解りかいできずに終りおわりました。校歌こうかなどというものも、いちども覚えようおぼえようとしたことがありません。
自分じぶんは、やがて画塾がじゅくで、或るある学生がくせいから、さけ煙草たばこと淫売質屋しちや左翼さよく思想しそうとを知らしらされました。妙なみょうなとり合せあわせでしたが、しかし、それは事実じじつでした。
その学生がくせいは、堀木正雄まさおといって、東京とうきょう下町したまち生れうまれ自分じぶんよりろく年長ねんちょうしゃで、私立しりつ美術びじゅつ学校がっこう卒業そつぎょうして、いえアトリエあとりえ無いないので、この画塾がじゅく通いかよい洋画ようが勉強べんきょうをつづけているのだそうです。
えん貸してかしてくれないか」
お互いおたがいただかお知ってしっているだけで、それまで一言ひとことはなし合ったあったこと無かったなかったのです。自分じぶんは、へどもどしてえん差し出しさしだしました。
「よし、飲もうのもう。おれが、お前おまえにおごるんだ。よかチゴじゃのう」
自分じぶん拒否きょひ切れきれず、その画塾がじゅく近くちかくの、蓬莱ほうらいちょうのカフエに引っぱってひっぱって行かいかれたのが、かれとの交友こうゆうのはじまりでした。
まえから、お前おまえがんをつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑びしょう、それが見込みみこみのある芸術げいじゅつ特有のとくゆうの表情ひょうじょうなんだ。お近づきちかづきのしるしに、乾杯かんぱい! キヌさん、こいつは美男びなんだろう? 惚れちゃほれちゃいけないぜ。こいつがじゅくへ来たおかげで、残念ざんねんながらおれは、だいばん美男びなんということになった」
堀木は、いろ浅黒くあさぐろく端正なたんせいなかおをしていて、学生がくせいにはちんらしく、ちゃんとした脊広を着てきてネクタイねくたい好みよしみ地味でじみで、そうして頭髪とうはつもポマードをつけてまんちゅうからぺったりとわけていました。
自分じぶん馴れなれ場所ばしょでもあり、ただもうおそろしく、うで組んだりくんだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑びしょうばかりしていましたが、ビイルをさんはい飲んでのんでいるうちに、妙にみょうに解放かいほうせられたようなかるさを感じてかんじて来たきたのです。
ぼくは、美術びじゅつ学校がっこうにはいろうと思っておもっていたんですけど、……」
「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校がっこうは、つまらん。われらの教師きょうしは、自然しぜんなかにあり! 自然にしぜんに対するたいするパアぱあトスとす!」
しかし、自分じぶんは、かれ言ういうこと一向にいっこうに敬意けいい感じかんじませんでした。馬鹿なばかなひとだ、下手にしたてにちがいない、しかし、遊ぶあそぶのには、いい相手あいてかも知れしれないと考えかんがえました。つまり、自分じぶんはそのとき生れてうまれてはじめて、ほんものの都会とかい与太者よたもの見たみたのでした。それは、自分じぶんかたち違ってちがっていても、やはり、この世このよ人間にんげん営みいとなみから完全にかんぜんに遊離ゆうりしてしまって、迷いまよいしているてん於いておいてだけは、たしかにどうるいなのでした。そうして、かれはそのお道化どうけ意識いしきせずに行いおこない、しかも、そのお道化どうけ悲惨にひさんに全くまったくがついていないのが、自分じぶん本質ほんしつ的にてきに異色のいしょくのところでした。
ただ遊ぶあそぶだけだ、遊びあそび相手あいてとして附き合ってあっているだけだ、とつねにかれ軽蔑けいべつし、ときにはかれとの交友こうゆう恥ずかしくはずかしくさえ思いおもいながら、かれ連れ立ってつれだって步いているうちに、結局けっきょく自分じぶんは、このおとこにさえ打ち破らうちやぶられました。
しかし、はじめは、このおとここう人物じんぶつ、まれに見るみるこう人物じんぶつとばかり思いおもい込みこみ、さすが人間にんげん恐怖きょうふ自分じぶん全くまったく油断ゆだんをして、東京とうきょうのよい案内あんないしゃ出来たできた、くらいに思っておもっていました。自分じぶんは、実はじつは、ひとりでは、電車でんしゃ乗るのる車掌しゃしょうがおそろしく、歌舞伎かぶきへはいりたくても、あの正面しょうめん玄関げんかんの緋の絨緞じゅうたん敷かしかれてある階段かいだん両側りょうがわ並んでならんで立ってたっている案内あんないじょうたちがおそろしく、レストランれすとらんへはいると、自分じぶん背後はいごにひっそり立ってたってさらのあくのを待ってまっている給仕きゅうじボーイぼーいがおそろしく、殊にことに勘定かんじょう払うはらうとき、ああ、ぎごちない自分じぶん手つきてつき自分じぶん買い物かいものをしておかね手渡すてわたすときには、吝嗇ゆえでなく、あまりの緊張きんちょう、あまりの恥ずかしはずかしさ、あまりの不安ふあん恐怖きょうふに、くらくらまいして、世界せかいまこと暗にあんになり、ほとんどはん狂乱きょうらん気持きもちになってしまって、値切るねぎるどころか、お釣おつり受け取るうけとるのを忘れるわすれるばかりでなく、買ったかった品物しなもの持ち帰るもちかえるのを忘れたわすれたさえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで東京とうきょうのまちを步けず、それで仕方なくしかたなくいちにちいちぱいなかで、ごろごろしていたという内情ないじょうもあったのでした。
それが、堀木に財布さいふ渡してわたして一緒にいっしょに步くと、堀木は大いにおおいに値切ってねぎって、しかも遊びあそび上手じょうずというのか、わずかなおかね最大のさいだいの効果こうかのあるような支払いしはらい振りふり発揮はっきし、また、高いたかいえんタクは敬遠けいえんして、電車でんしゃバスばすポンポンぽんぽん蒸気じょうきなど、それぞれ利用りよう分けてわけて最短さいたん時間じかん目的もくてき着くつくという手腕しゅわんをも示ししめし、淫売のところからあさ帰るかえる途中とちゅうには、なん々という料亭りょうてい立ち寄ってたちよってあさ風呂ふろへはいり、湯豆腐ゆどうふ軽くかるくさけ飲むのむのが、安いやすいわりに、ぜいたくな気分きぶんになれるものだと実地じっち教育きょういくをしてくれたり、その他そのた屋台やたいうしめしやきとりの安価にあんかにして滋養じよう富むとむものたること説きとき酔いよい早くはやく発するはっするのは、電気でんきブランのみぎ出るでるものはないと保証ほしょうし、とにかくその勘定かんじょう就いてついて自分じぶんに、いちつも不安ふあん恐怖きょうふ覚えおぼえさせたことがありませんでした。
さらにまた、堀木と附合って救わすくわれるのは、堀木が聞ききき思惑おもわくなどをてんで無視むしして、その所謂情熱じょうねつ噴出ふんしゅつするがままに、(或いはあるいは情熱じょうねつとは、相手あいて立場たちば無視むしすることかも知れしれませんが)四六時中しろくじちゅう、くだらないおしゃべりを続けつづけ、あの、にんで步いて疲れつかれ気まずいきまずい沈黙ちんもくにおちいる危懼が、全くまったく無いないということでした。ひと接しせっし、あのおそろしい沈黙ちんもくがそのにあらわれること警戒けいかいして、もともとくち重いおもい自分じぶんが、ここを先途と必死のひっしの道化どうけ言っていって来たきたものですが、いまこの堀木の馬鹿ばかげが、意識いしきせずに、そのお道化どうけやくをみずからすすんでやってくれているので、自分じぶんは、返事へんじもろくにせずに、ただ聞き流しききながし時折ときおり、まさか、などと言っていって笑ってわらっておれば、いいのでした。
さけ煙草たばこ、淫売、それはみんな人間にんげん恐怖きょうふを、たといいちでも、まぎらすこと出来るできるずいぶんよい手段しゅだんであることが、やがて自分じぶんにもわかってました。それらの手段しゅだん求めるもとめるためには、自分じぶん持ち物もちもの全部ぜんぶ売却ばいきゃくしても悔いくいない気持きもちさえ、抱くいだくようになりました。
自分じぶんには、淫売というものが、人間にんげんでも、女性じょせいでもない、白痴はくち狂人きょうじんのように見えみえ、そのふところのなかで、自分じぶんはかえって全くまったく安心あんしんして、ぐっすり眠るねむること出来できました。みんな、哀しいかなしいくらい、実にじつにみじんも慾というものが無いないのでした。そうして、自分じぶんに、どうるい親和しんわかんとでもいったようなものを覚えるおぼえるのか、自分じぶんは、いつも、その淫売たちから、窮屈できゅうくつでない程度ていど自然のしぜんの好意こうい示さしめされました。何のなんの打算ださん無いない好意こうい押し売りおしうりでは無いない好意こうい二度とにどと来ないかも知れしれぬひとへの好意こうい自分じぶんには、その白痴はくち狂人きょうじんの淫売たちに、マリヤの円光を現実げんじつ見たみたよるもあったのです。
しかし、自分じぶんは、人間にんげんへの恐怖きょうふからのがれ、幽かな一夜いちや休養きゅうよう求めるもとめるために、そこへ行きいき、それこそ自分じぶんと「どうるい」の淫売たちと遊んであそんでいるうちに、いつのまにやら無意識むいしきの、或るあるいまわしい雰囲気ふんいき身辺しんぺんにいつもただよわせるようになった様子ようすで、これは自分じぶんにも全くまったく思いおもい設けもうけなかった所謂「おまけの附録ふろく」でしたが、次第にしだいにその「附録ふろく」が、鮮明にせんめいに表面ひょうめん浮きうき上ってのぼって来てきて、堀木にそれを指摘してきせられ、愕然とがくぜんとして、そうして、いやな致しいたしました。はたから見てみて俗なぞくな言いいいかたをすれば、自分じぶんは、淫売依ってよっておんな修行しゅぎょうをして、しかも、最近さいきんめっきりうでをあげ、おんな修行しゅぎょうは、淫売依るよるのが一ばんひとばん厳しくきびしく、またそれだけに効果こうかのあがるものだそうで、既にすでに自分じぶんには、あの、「おんな達者たっしゃ」という匂いにおいがつきまとい、女性じょせいは、(淫売限らかぎらず)本能ほんのう依ってよってそれを嗅ぎかぎ当てあて寄り添ってよりそって来るくる、そのような、卑猥で不名誉なふめいよな雰囲気ふんいきを、「おまけの附録ふろく」としてもらって、そうしてそのほうが、自分じぶん休養きゅうようなどよりも、ひどく目立ってめだってしまっているらしいのでした。
堀木はそれを半分はんぶんはお世辞せじ言ったいったのでしょうが、しかし、自分じぶんにも、重苦しくおもくるしく思い当るおもいあたることがあり、たとえば、喫茶きっさてんおんなから稚拙なちせつな手紙てがみをもらった覚えおぼえもあるし、桜木さくらぎちょういえ隣りとなり将軍しょうぐんのはたちくらいのむすめが、毎朝まいあさ自分じぶん登校とうこう時刻じこくには、ようさそうなのに、ご自分じぶんいえもん薄化粧うすげしょうして出たりでたりはいったりしていたし、牛肉ぎゅうにく食いくい行くいくと、自分じぶん黙ってだまっていても、そこのおんなちゅうが、……また、いつも買いかいつけの煙草たばこむすめから手渡さてわたされた煙草たばこはこなかに、……また、歌舞伎かぶき行っていって隣りとなりせきのひとに、……また、深夜しんや市電しでん自分じぶん酔ってよって眠ってねむっていて、……また、思いがけなくおもいがけなく故郷こきょう親戚しんせきむすめから、思いおもいつめたような手紙てがみが来て、……また、だれかわからぬむすめが、自分じぶん留守るすちゅうにお手製てせいらしい人形にんぎょうを、……自分じぶん極度にきょくどに消極しょうきょく的なてきなので、いずれも、それっきりのはなしで、ただ断片だんぺん、それ以上いじょう進展しんてんいちつもありませんでしたが、なにおんなゆめさせる雰囲気ふんいきが、自分じぶんのどこかにつきまとっていることは、それは、のろけだのなにだのといういい加減ないいかげんな冗談じょうだんでなく、否定ひていできないのでありました。自分じぶんは、それを堀木ごときしゃ指摘してきせられ、屈辱くつじょく似たにたにがさを感ずるかんずる共にともに、淫売遊ぶあそぶことにも、にわかにきょう覚めさめました。
堀木は、また、その見栄坊みえぼうのモダニティから、(堀木の場合ばあい、それ以外いがい理由りゆうは、自分じぶんには今もっていまもって考えかんがえられませんのですが)或るある自分じぶん共産きょうさん主義しゅぎ読書どくしょかいとかいう(R.しょうわとかいっていたか、記憶きおくがはっきり致しいたしません)そんな、秘密のひみつの研究けんきゅうかい連れてつれて行きいきました。堀木などという人物じんぶつにとっては、共産きょうさん主義しゅぎ秘密ひみつ会合かいごうも、れいの「東京とうきょう案内あんない」のいちつくらいのものだったのかも知れしれません。自分じぶんは所謂「同志どうし」に紹介しょうかいせられ、パンフレットぱんふれっと一部いちぶ買わかわされ、そうして上座かみざのひどい醜いみにくいかお青年せいねんから、マルクス経済けいざいがく講義こうぎ受けうけました。しかし、自分じぶんには、それはわかり切ってきっていることのように思わおもわれました。それは、そうに違いないちがいないだろうけれども、人間にんげんこころには、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っていっても、言いいいたりない、ヴァニティ、と言っていっても、言いいいたりない、いろと慾、とこう並べてならべても、言いいいたりない、何だかなんだか自分じぶんにもわからぬが、人間にんげんそこに、経済けいざいだけでない、へんに怪談かいだんじみたものがあるようながして、その怪談かいだんにおびえ切ってきっている自分じぶんには、所謂唯物論ゆいぶつろんを、みず低きひくき流れるながれるように自然しぜん肯定こうていしながらも、しかし、それに依ってよって人間にんげん対するたいする恐怖きょうふから解放かいほうせられ、青葉あおばに向ってをひらき、希望きぼうのよろこびを感ずるかんずるなどということ出来できないのでした。けれども、自分じぶんは、いちども欠席けっせきせずに、そのR.S(と言ったいったかと思いおもいますが、間違ってまちがっているかも知れしれません)なるものに出席しゅっせきし、「同志どうし」たちが、いやに一大事いちだいじ如くごとく、こわばったかおをして、いちプラスぷらすいち、というような、ほとんど初等しょとう算術さんじゅつめいた理論りろん研究けんきゅうにふけっているのが滑稽にこっけいに見えてみえてたまらず、れいの自分じぶんのお道化どうけで、会合かいごうをくつろがせること努めつとめ、そのためか、次第にしだいに研究けんきゅうかい窮屈なきゅうくつな気配けはいもほぐれ、自分じぶんはその会合かいごう無くてなくてかなわぬ人気者にんきものというかたちにさえなって来たきたようでした。この、単純たんじゅんそうなひとたちは、自分じぶんことを、やはりこのひとたちと同じおなじ様にように単純でたんじゅんで、そうして、楽天らくてん的なてきなおどけ者おどけものの「同志どうし」くらいに考えてかんがえていたかも知れしれませんが、もし、そうだったら、自分じぶんは、このひとたちをいちからじゅうまで、あざむいていたわけです。自分じぶんは、同志どうしでは無かったなかったんです。けれども、その会合かいごうに、いつも欠かさかかさ出席しゅっせきして、みんなにおみちのサーヴィスをしてました。
好きだったすきだったからなのです。自分じぶんには、そのひとたちが、気にいってきにいっていたからなのです。しかし、それは必ずしもかならずしも、マルクスに依ってよって結ばむすばれた親愛しんあいかんでは無かったなかったのです。
非合法ひごうほう自分じぶんには、それが幽かに楽しかったたのしかったのです。むしろ、居心地いごこちがよかったのです。世の中よのなか合法ごうほうというもののほうが、かえっておそろしく、(それには、そこ知れしれ強いつよいものが予感よかんせられます)そのからくりが不可解でふかかいで、とてもそのまど無いない底冷えそこびえのする部屋へやには坐ってすわっておられず、がい非合法のひごうほうのうみであっても、それに飛びとび込んでこんで泳いでおよいで、やがて死にしに到るほうが、自分じぶんには、いっそ気楽きらくのようでした。
日蔭しゃ、という言葉ことばがあります。人間にんげん於いておいて、みじめな、敗者はいしゃ悪徳あくとくしゃ指差してゆびさしていう言葉ことばのようですが、自分じぶんは、自分じぶん生れたうまれたときからの日蔭しゃ[#「生れたうまれたときからの日蔭しゃ」に傍点ぼうてん]のようながしていて、世間せけんから、あれは日蔭しゃだと指差さゆびさされているほどのひとと逢うあうと、自分じぶんは、必ずかならず優しいやさしいこころになるのです。そうして、その自分じぶんの「優しいやさしいこころ」は、自身じしんでうっとりするくらい優しいやさしいこころでした。
また、犯人はんにん意識いしき、という言葉ことばもあります。自分じぶんは、この人間にんげん世の中よのなか於いておいて一生いっしょうその意識いしき苦しめくるしめられながらも、しかし、それは自分じぶんの糟糠の妻の如きごときこう伴侶はんりょで、そいつと人きりひときり侘びわびしく遊びあそびたわむれているというのも、自分じぶん生きていきている姿勢しせいいちつだったかも知れしれないし、また、俗にぞくにすねきず持つもつ、という言葉ことばもあるようですが、そのきずは、自分じぶん赤ん坊あかんぼうときから、自然にしぜんに片方かたほうすねにあらわれて、長ずるちょうずる及んでおよんで治癒ちゆするどころか、いよいよ深くふかくなるばかりで、ほねにまで達したっし、夜々の痛苦つうく千変万化せんぺんばんか地獄じごくとは言いいいながら、しかし、(これは、たいへん奇妙なきみょうな言いいいかたですけど)そのきずは、次第にしだいに自分じぶん血肉けつにくよりも[#「血肉けつにくよりも」に傍点ぼうてん親しくしたしくなり、そのきず痛みいたみは、すなわちきず生きていきている感情かんじょう、または愛情あいじょう囁きささやきのようにさえ思わおもわれる、そんなおとこにとって、れいの地下ちか運動うんどうのグルウプの雰囲気ふんいきが、へんに安心であんしんで居心地いごこちがよく、つまり、その運動うんどう本来ほんらい目的もくてきよりも、その運動うんどうはだが、自分じぶん合ったあった感じかんじなのでした。堀木の場合ばあいは、ただもう阿呆あほのひやかしで、いちど自分じぶん紹介しょうかいしにその会合かいごう行ったいったきりで、マルキシストは、生産せいさんめん研究けんきゅう同時にどうじに消費しょうひめん視察しさつ必要だひつようだなどと下手なへたな洒落しゃれ言っていって、その会合かいごうには寄りつかよりつかず、とかく自分じぶんを、その消費しょうひめん視察しさつのほうにばかり誘いさそいたがるのでした。思えばおもえば当時とうじは、さまざまのかたのマルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄きょえいのモダニティから、それを自称じしょうするものもあり、また自分じぶんのように、ただ非合法のひごうほうの匂いにおい気にいってきにいって、そこに坐りすわり込んでこんでいるものもあり、もしもこれらの実体じったいが、マルキシズムのしん信奉しんぽうしゃ見破らみやぶられたら、堀木も自分じぶんも、烈火の如くごとく怒らいかられ、卑劣なるひれつなる裏切者として、たちどころに追い払わおいはらわれたことでしょう。しかし、自分じぶんも、また、堀木でさえも、なかなか除名じょめい処分しょぶん遭わあわず、殊にことに自分じぶんは、その非合法のひごうほうの世界せかい於いておいては、合法ごうほう紳士しんしたちの世界せかい於けるおけるよりも、かえってのびのびと、所謂「健康けんこう」に振舞うふるまうこと出来できましたので、見込みみこみのある「同志どうし」として、噴き出しふきだしたくなるほど過度にかどに秘密ひみつめかした、さまざまの用事ようじをたのまれるほどになったのです。また、事実じじつ自分じぶんは、そんな用事ようじをいちども断ったたったことは無くなく平気でへいきでなんでも引受けひきうけ、へんにぎくしゃくして、いぬどうこころざしは、ポリスをそう呼んでよんでいました)にあやしまれ不審ふしん訊問じんもんなどを受けてうけてしくじるようなこと無かったなかったし、笑いわらいながら、また、ひとを笑わわらわせながら、そのあぶない(その運動うんどう連中れんちゅうは、一大事いちだいじ如くごとく緊張きんちょうし、探偵たんてい小説しょうせつ下手なしたてな真似まねみたいなことまでして、極度のきょくどの警戒けいかい用いもちい、そうして自分じぶんにたのむ仕事しごとは、まことに、あっけにとられるくらい、つまらないものでしたが、それでも、かれとうは、その用事ようじを、さかんに、あぶながって力んでりきんでいるのでした)と、かれとう称するしょうする仕事しごとを、とにかく正確にせいかくにやってのけていました。自分じぶんのその当時とうじ気持きもちとしては、党員とういんになって捕えとらえられ、たとい終身しゅうしん刑務所けいむしょ暮すくらすようになったとしても、平気だったへいきだったのです。世の中よのなか人間にんげんの「実生みしょうかつ」というものを恐怖きょうふしながら、毎夜まいよ不眠ふみん地獄じごく呻いてうめいているよりは、いっそ牢屋ろうやのほうが、らくかも知れしれないとさえ考えてかんがえていました。
ちちは、桜木さくらぎちょう別荘べっそうでは、来客らいきゃくやら外出がいしゅつやら、同じおなじいえにいても、さんにちよんにち自分じぶんかお合せるあわせること無いないほどでしたが、しかし、どうにも、ちちけむったくけむたく、おそろしく、このいえ出てでて、どこか下宿げしゅくでも、と考えかんがえながらもそれを言いいい出せだせずにいた矢先やさきに、ちちがそのいえ売払ううりはらうつもりらしいということ別荘べっそうばんの老爺から聞きききました。
ちち議員ぎいん任期にんきもそろそろ満期まんき近づきちかづき、いろいろ理由りゆうのあったこと違いちがいありませんが、もうこれきり選挙せんきょ出るでる意志いし無いない様子ようすで、それに、故郷こきょういちむね隠居いんきょしょなど建てたりたてたりして、東京とうきょう未練みれん無いないらしく、たかが、高等こうとう学校がっこういち生徒せいと過ぎすぎない自分じぶんのために、邸宅ていたく召使いめしつかい提供ていきょうして置くおくのも、むだなことだとでも考えたかんがえたのか、(ちちしんもまた、世間せけんひとたちの気持ちきもち同様にどうように自分じぶんにはよくわかりません)とにかく、そのいえは、間も無くまもなく人手ひとでにわたり、自分じぶんは、本郷ほんごう森川ちょうの仙遊かんという古いふるい下宿げしゅくの、薄暗いうすぐらい部屋へや引越ひっこしして、そうして、たちまちかね困りこまりました。
それまで、ちちから月々つきづき、きまったがく小遣いこづかい手渡さてわたされ、それはもう、さんにち無くなってなくなっても、しかし、煙草たばこも、さけも、チイズも、くだものも、いつでもいえにあったし、ほん文房具ぶんぼうぐその他そのた服装ふくそう関するかんするものなど一切いっさい、いつでも、近所きんじょみせから所謂「ツケつけ」で求めもとめられたし、堀木におそばか天丼てんどんなどをごちそうしても、ちちのひいきのまちないみせだったら、自分じぶん黙ってだまってそのみせ出てでてもかまわなかったのでした。
それが急にきゅうに下宿げしゅくのひとり住いすまいになり、何もかもなにもかも月々つきづき定額ていがく送金そうきん間に合わまにあわせなければならなくなって、自分じぶんは、まごつきました。送金そうきんは、やはり、さんにち消えてきえてしまい、自分じぶん慄然とりつぜんとし、心細こころぼそさのために狂うくるうようになり、ちちあにあねなどへ交互にこうごにかね頼むたのむ電報でんぽうと、イサイフミの手紙てがみ(その手紙てがみ於いておいて訴えてうったえている事情じじょうは、ことごとく、お道化どうけ虚構きょこうでした。ひとにものを頼むたのむのに、まず、そのひと笑わわらわせるのがうえさく考えてかんがえていたのです)を連発れんぱつする一方いっぽう、また、堀木に教えおしえられ、せっせと質屋しちやがよいをはじめ、それでも、いつもおかね不自由ふじゆうをしていました。
所詮しょせん自分じぶんには、何のなんの縁故えんこ無いない下宿げしゅくに、ひとりで「生活せいかつ」して行くいく能力のうりょく無かったなかったのです。自分じぶんは、下宿げしゅくのその部屋へやに、ひとりでじっとしているのが、おそろしく、いまにもだれかに襲わおそわれ、一撃いちげきせられるようながして来てきてまち飛び出してとびだしては、れいの運動うんどう手伝いてつだいをしたり、或いはあるいは堀木と一緒にいっしょに安いやすいさけ飲みのみ廻ったりまわったりして、ほとんど学業がくぎょうも、また勉強べんきょう放棄ほうきし、高等こうとう学校がっこう入学にゅうがくして、ねんの十一がつ自分じぶんより年上としうえゆうおっと婦人ふじんと情死事件じけんなどを起しおこし自分じぶん身の上みのうえは、一変いっぺんしました。
学校がっこう欠席けっせきするし、学科がっか勉強べんきょうも、すこしもしなかったのに、それでも、妙にみょうに試験しけん答案とうあん要領ようりょうのいいところがあるようで、どうやらそれまでは、故郷こきょう肉親にくしんをあざむき通してとおして来たきたのですが、しかし、もうそろそろ、出席しゅっせき日数にっすう不足ふそくなど、学校がっこうのほうから内密にないみつに故郷こきょうちち報告ほうこく行っておこなっているらしく、ちち代理だいりとして長兄ちょうけいが、いかめしい文章ぶんしょう長いながい手紙てがみを、自分じぶん寄こすよこすようになっていたのでした。けれども、それよりも、自分じぶん直接のちょくせつの苦痛くつうは、きん無いないことと、それから、れいの運動うんどう用事ようじが、とても遊び半分のあそびはんぶんの気持きもちでは出来できないくらい、はげしく、いそがしくなって来たきたでした。中央ちゅうおう地区ちく言ったいったか、なん地区ちく言ったいったか、とにかく本郷ほんごう小石川こいしかわ下谷したや神田かんだ、あのへん学校がっこう全部ぜんぶの、マルクス学生がくせい行動こうどう隊々長というものに、自分じぶんはなっていたのでした。武装ぶそう蜂起ほうき、と聞ききき小さいちいさいナイフないふ買いかい(いま思えばおもえば、それは鉛筆えんぴつをけずるにも足りたりない、きゃしゃなナイフないふでした)それを、レンコオトのポケットぽけっとにいれ、あちこち飛びとび廻ってまわって、所謂「聯絡れんらく」をつけるのでした。おさけ飲んでのんで、ぐっすり眠りねむりたい、しかし、おかねがありません。しかも、P(とうことを、そういう隠語いんご呼んでよんでいたと記憶きおくしていますが、或いはあるいは違ってちがっているかも知れしれません)のほうからは、次々つぎつぎいきをつくひまも無いないくらい、用事ようじ依頼いらいがまいります。自分じぶん病弱のびょうじゃくのからだでは、とても勤まりつとまりそうも無くなりなくなりました。もともと、非合法のひごうほうの興味きょうみだけから、そのグルウプの手伝いてつだいをしていたのですし、こんなに、それこそ冗談じょうだんからこま出たでたように、いやにいそがしくなって来るくると、自分じぶんは、ひそかにPのひとたちに、それはお門ちがいおかどちがいでしょう、あなたたちの直系ちょっけいのものたちにやらせたらどうですか、というようないまいましいかん抱くいだくのを禁ずるきんずること出来できず、逃げにげました。逃げてにげて、さすがに、いい気持きもちはせず、死ぬしぬことにしました。
その頃そのころ自分じぶん特別のとくべつの好意こうい寄せてよせているおんなが、さんにんいました。ひとりは、自分じぶん下宿げしゅくしている仙遊かんむすめでした。このむすめは、自分じぶんがれいの運動うんどう手伝いてつだいでへとへとになって帰りかえり、ごはんも食べたべずに寝てねてしまってから、必ずかならず用箋と万年筆まんねんひつ持ってもって自分じぶん部屋へやにやって来てきて
「ごめんなさい。したでは、いもうとおとうとがうるさくて、ゆっくり手紙てがみ書けかけないのです」
言っていって何やらなにやら自分じぶんつくえに向っていち時間じかん以上いじょう書いてかいているのです。
自分じぶんもまた、知らん振りしらんふりをして寝てねておればいいのに、いかにもそのむすめなに自分じぶん言っていってもらいたげの様子ようすなので、れいの受け身のうけみの奉仕ほうし精神せいしん発揮はっきして、実にじつに一言いちげんくちをききたくない気持きもちなのだけれども、くたくたに疲れつかれ切ってきっているからだに、ウムと気合いきあいをかけて腹這いはらばいになり、煙草たばこ吸いすい
おんなから来たラヴらヴレターれたーで、風呂ふろをわかしてはいったおとこがあるそうですよ」
「あら、いやだ。あなたでしょう?」
ミルクみるくをわかして飲んだのんだことはあるんです」
光栄だこうえいだわ、飲んでのんでよ」
早くはやくこのひと、帰らかえらねえかなあ、手紙てがみだなんて、見えすいてみえすいているのに。へへののもへじでも書いてかいているのに違いないちがいないんです。
見せてみせてよ」
死んでしんでたくない思いしいでそう言えばいえば、あら、いやよ、あら、いやよ、と言っていって、そのうれしがる、ひどくみっともなく、きょう覚めるさめるばかりなのです。そこで自分じぶんは、用事ようじでも言いつけていいつけてやれ、と思うおもうんです。
「すまないけどね、電車でんしゃ通りどおり薬屋くすりや行っていって、カルモチンを買ってかって来てきてくれない? あんまり疲れつかれすぎて、かおがほてって、かえって眠れねむれないんだ。すまないね。おかねは、……」
「いいわよ、おかねなんか」
よろこんで立ちたちます。よう言いつけるいいつけるというのは、決してけっしておんなをしょげさせることではなく、かえっておんなは、おとこ用事ようじをたのまれると喜ぶよろこぶものだということも、自分じぶんはちゃんと知ってしっているのでした。
もうひとりは、女子じょし高等こうとう師範しはん文科もんかなまところ謂「同志どうし」でした。このひととは、れいの運動うんどう用事ようじで、いやでも毎日まいにちかお合せあわせなければならなかったのです。打ち合せうちあわせがすんでからも、そのおんなは、いつまでも自分じぶんについて步いて、そうして、やたらに自分じぶんに、ものを買ってかってくれるのでした。
わたし本当のほんとうのあねだと思っておもっていてくれていいわ」
そのキザに身震いみぶるいしながら、自分じぶんは、
「そのつもりでいるんです」
と、愁えうれえ含んだふくんだ微笑びしょう表情ひょうじょう作ってつくって答えこたえます。とにかく、怒らおこらせては、こわい、何とかなんとかして、ごまかさなければならぬ、という思いしいいちつのために、自分じぶんはいよいよその醜いみにくい、いやなおんな奉仕ほうしをして、そうして、ものを買ってかってもらっては、(その買い物かいものは、実にじつに趣味しゅみ悪いわるいひんばかりで、自分じぶんはたいてい、すぐにそれを、焼きやきとりの親爺などにやってしまいました)うれしそうなかおをして、冗談じょうだん言っていって笑わわらわせ、或るあるなつよる、どうしても離れはなれないので、まち暗いくらいところで、そのひとに帰ってかえってもらいたいばかりに、キスきすをしてやりましたら、あさましく狂乱きょうらん如くごとく興奮こうふんし、自動車じどうしゃ呼んでよんで、そのひとたちの運動うんどうのために秘密にひみつに借りてかりてあるらしいビルびる事務じむしょみたいな狭いせまい洋室ようしつ連れてつれて行きいきあさまで大騒ぎおおさわぎということになり、とんでもないあねだ、と自分じぶんはひそかに苦笑くしょうしました。
下宿げしゅくむすめ言いいい、またこの「同志どうし」と言いいい、どうしたって毎日まいにちかお合せあわせなければならぬ具合ぐあいになっていますので、これまでの、さまざまのおんなのひとのように、うまく避けさけられず、つい、ずるずるに、れいの不安ふあん心からこころから、このにんご機嫌ごきげんをただ懸命にけんめいに取りとり結びむすび、もはや自分じぶんは、金縛りかなしばり同様のどうようのかたちになっていました。
同じおなじころまた自分じぶんは、銀座ぎんざ或るあるだいカフエの女給じょきゅうから、思いがけぬおもいがけぬおん受けうけ、たったいちど逢ったあっただけなのに、それでも、そのおんにこだわり、やはり身動きみうごき出来できないほどの、心配しんぱいやら、空おそろしそらおそろしさを感じてかんじていたのでした。その頃そのころになると、自分じぶんも、敢えてあえて堀木の案内あんない頼らたよらずとも、ひとりで電車でんしゃにも乗れるのれるし、また、歌舞伎かぶきにも行けるいけるし、または、絣の着物きもの着てきて、カフエにだってはいれるくらいの、多少たしょう々しさを装えるよそおえるようになっていたのです。こころでは、そう変らかわらず、人間にんげん自信じしん暴力ぼうりょくとを怪しみあやしみ恐れおそれ悩みなやみながら、うわべだけは、少しずつすこしずつ他人たにん真顔まがお挨拶あいさつ、いや、ちがう、自分じぶんはやはり敗北はいぼくのお道化どうけ苦しいくるしい笑いわらい伴わともなわずには、挨拶あいさつできないたちなのですが、とにかく、無我むが夢中のむちゅうのへどもどの挨拶あいさつでも、どうやら出来るできるくらいの「伎倆」を、れいの運動うんどう走りはしり廻ったまわったおかげ? または、おんなの? または、さけ? けれども、おもに金銭きんせん不自由ふじゆうのおかげで修得しゅうとくしかけていたのです。どこにいても、おそろしく、かえってだいカフエでたくさんの酔客または女給じょきゅうボーイぼーいたちにもまれ、まぎれ込むこむこと出来たらできたら自分じぶんのこの絶えずたえず追わおわれているようなこころ落ちつくおちつくのではなかろうか、とじゅうえん持ってもって銀座ぎんざのそのおおカフエに、ひとりではいって、笑いわらいながら相手あいて女給じょきゅうに、
じゅうえんしか無いないんだからね、そのつもりで」
言いいいました。
心配しんぱい要りいりません」
どこかに関西かんさい訛りなまりがありました。そうして、その一言いちげんが、奇妙にきみょうに自分じぶんの、震えふるえおののいているこころをしずめてくれました。いいえ、おかね心配しんぱい要らいらなくなったからではありません、そのひとのそばにいること心配しんぱい要らいらないようながしたのです。
自分じぶんは、おさけ飲みのみました。そのひとに安心あんしんしているので、かえっておみちなど演じるえんじる気持きもち起らおこらず、自分じぶん地金じがね無口でむくちで陰惨ないんさんなところを隠さかくさ見せてみせて黙ってだまってさけ飲みのみました。
「こんなの、おすきか?」
おんなは、さまざまの料理りょうり自分じぶんまえ並べならべました。自分じぶんくび振りふりました。
「おさけだけか? うちも飲もうのもう
あきの、寒いさむいよるでした。自分じぶんは、ツネつね(といったと覚えておぼえていますが、記憶きおく薄れうすれ、たしかではありません。情死の相手あいて名前なまえをさえ忘れてわすれているような自分じぶんなのです)に言いつけいいつけられたとおりに、銀座ぎんざうらの、或るある屋台やたいのおすしやで、少しもすこしもおいしくないすし食べたべながら、(そのひとの名前なまえ忘れてわすれても、そのときすしのまずさだけは、どうした事かことか、はっきり記憶きおく残ってのこっています。そうして、青大将あおだいしょうかお似たにた顔つきかおつきの、まる坊主ぼうずのおやじが、くび振りふり振りふり、いかにも上手じょうずみたいにごまかしながらすし握ってにぎっているようも、眼前がんぜん見るみるように鮮明にせんめいに思い出さおもいだされ、後年こうねん電車でんしゃなどで、はて見たみたかおだ、といろいろ考えかんがえ、なんだ、あのときすしやの親爺おやじ似てにているんだ、とが附き苦笑くしょうしたこと再三さいさんあったほどでした。あのひとの名前なまえも、また、顔かたちかおかたちさえ記憶きおくから遠ざかってとおざかっている現在げんざいなお、あのすしやの親爺のかおだけはにかけるほど正確にせいかくに覚えておぼえているとは、よっぽどあのときすしがまずく、自分じぶんさむさと苦痛くつう与えたあたえたものと思わおもわれます。もともと、自分じぶんは、うまいすし食わくわせるてんというところに、ひとに連れつれられて行っておこなって食ってくっても、うまいと思ったおもったことは、いちどもありませんでした。大きおおき過ぎるすぎるのです。親指おやゆびくらいの大きおおきさにキチッと握れにぎれないものかしら、といつも考えてかんがえていました)そのひとを、待ってまっていました。
本所の大工だいくさんのかいを、そのひとが借りてかりていました。自分じぶんは、そのかいで、日頃ひごろ自分じぶんかげうつこころ少しもすこしもかくさず、ひどい歯痛に襲わおそわれてでもいるように、片手かたてほおをおさえながら、おちゃ飲みのみました。そうして、自分じぶんのそんな姿態したいが、かえって、そのひとには、気にいったきにいったようでした。そのひとも、のまわりに冷たいつめたい木枯しが吹いてふいて落葉らくようだけが舞いまい狂いくるい完全にかんぜんに孤立こりつしている感じかんじおんなでした。
一緒にいっしょにやすみながらそのひとは、自分じぶんより年上としうえであること、故郷こきょう広島ひろしま、あたしには主人しゅじんがあるのよ、広島ひろしま床屋とこやさんをしていたの、昨年さくねんはる一緒にいっしょに東京とうきょう家出いえでして逃げてにげて来たきたのだけれども、主人しゅじんは、東京とうきょうで、まともな仕事しごとをせずそのうちに詐欺さぎざい問わとわれ、刑務所けいむしょにいるのよ、あたしは毎日まいにち何やらなにやらかやら差し入れさしいれしに、刑務所けいむしょへかよっていたのだけれども、あすから、やめます、などと物語るものがたるのでしたが、自分じぶんは、どういうものか、おんな身の上みのうえはなしというものには、少しもすこしも興味きょうみ持てもてないたちで、それはおんな語りかたりかた下手なへたなせいか、つまり、はなし重点じゅうてん置きおきかた間違ってまちがっているせいなのか、とにかく、自分じぶんには、つねに、馬耳東風ばじとうふうなのでありました。
侘びわびしい。
自分じぶんには、おんなの千万げん身の上みのうえはなしよりも、その一言いちげん呟きつぶやきのほうに、共感きょうかんをそそられるに違いないちがいない期待きたいしていても、この世の中よのなかおんなから、ついにいちども自分じぶんは、その言葉ことば聞いたきいたことがないのを、奇怪きかいとも不思議ふしぎとも感じてかんじております。けれども、そのひとは、言葉ことばで「侘びわびしい」とは言いいいませんでしたが、無言むごんのひどい侘びわびしさを、からだの外郭がいかくに、いちすんくらいのはば気流きりゅうみたいに持ってもっていて、そのひとに寄り添うよりそうと、こちらのからだもその気流きりゅう包まつつまれ、自分じぶん持ってもっている多少たしょうトゲトゲとげとげしたかげうつ気流きりゅう程よくほどよく溶けとけ合いあい、「水底すいていがん落ちおち附く枯葉かれは」のように、わが身わがみは、恐怖きょうふからも不安ふあんからも、離れるはなれること出来るできるのでした。
あの白痴はくちの淫売たちのふところのなかで、安心あんしんしてぐっすり眠るねむる思いしいとは、また、全くまったく異って、(だいいち、あのプロステチュウトたちは、陽気でしたようきでした)その詐欺さぎざい犯人はんにんつました一夜いちやは、自分じぶんにとって、幸福なこうふくな(こんな大それただいそれた言葉ことばを、なんの躊躇ちゅうちょ無くなく肯定こうていして使用しようすることは、自分じぶんのこのぜん手記しゅき於いておいて再びふたたび無いないつもりです)解放かいほうせられたよるでした。
しかし、ただ一夜いちやでした。あさ覚めてさめて、はね起きおき自分じぶんはもとの軽薄なけいはくな装えるよそおえる道化どうけしゃになっていました。弱虫よわむしは、幸福こうふくをさえおそれるものです。綿めん怪我けがをするんです。幸福にこうふくに傷つけきずつけられることもあるんです。傷つけきずつけられないうちに、早くはやく、このまま、わかれたいとあせり、れいのお道化どうけ煙幕えんまく張りめぐらすはりめぐらすのでした。
きん切れめきれめえん切れめきれめ、ってのはね、あれはね、解釈かいしゃく逆なぎゃくなんだ。かね無くなるなくなるおんなにふられるって意味いみ、じゃあ無いないんだ。おとこかね無くなるなくなると、おとこは、ただおのずから意気いき銷沈して、ダメにだめになり、笑うわらうこえにもちから無くなく、そうして、妙にみょうにひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれにやぶれかぶれになり、おとこのほうからおんな振るふるはん狂乱きょうらんになって振ってふって振ってふって振りふり抜くぬくという意味いみなんだね、金沢かなざわ大辞林というほん依ればよればね、可哀そうにかわいそうにぼくにも、その気持きもちわかるがね」
たしか、そんなふうの馬鹿げたばかげたこと言っていってツネつね噴き出さふきださせたような記憶きおくがあります。ちょう無用むよう、おそれありと、かお洗わあらわずに素早くすばやく引上げたひきあげたのですが、そのとき自分じぶんの、「きん切れめきれめえん切れめきれめ」という出鱈目でたらめ放言ほうげんが、のちに到って、意外のいがいのひっかかりを生じたしょうじたのです。
それから、ひとつき、自分じぶんは、そのよる恩人おんじんとは逢いあいませんでした。別れてわかれて経つたつにつれて、よろこびは薄れうすれ、かりそめのおん受けたうけたことがかえってそらおそろしく、自分勝手にじぶんかってにひどい束縛そくばく感じてかんじて来てきて、あのカフエのお勘定かんじょうを、あのとき全部ぜんぶツネつね負担ふたんにさせてしまったという俗事さえ、次第にしだいにになりはじめて、ツネつねもやはり、下宿げしゅくむすめや、あの女子じょし高等こうとう師範しはん同じくおなじく自分じぶん脅迫きょうはくするだけのおんなのように思わおもわれ、遠くとおく離れてはなれていながらも、絶えずたえずツネつねにおびえていて、そのうえ自分じぶんは、一緒にいっしょに休んだやすんだことのあるおんなに、また逢うあうと、そのときにいきなりなにか烈火の如くごとく怒らいかられそうながしてたまらず、逢うあうのに頗るおっくうがる性質せいしつでしたので、いよいよ、銀座ぎんざ敬遠けいえんかたちでしたが、しかし、そのおっくうがるという性質せいしつは、決してけっして自分じぶん狡猾こうかつさではなく、女性じょせいというものは、休んでやすんでからのことと、あさ起きておきてからのこととのあいだに、いちつの、ちりほどの、つながりをも持たもたせず、完全かんぜん忘却ぼうきゃく如くごとく見事にみごとにつの世界せかい切断せつだんさせて生きていきているという不思議なふしぎな現象げんしょうを、まだよく呑みのみこんでいなかったからなのでした。
十一がつすえ自分じぶんは、堀木と神田しんでん屋台やたいで安酒を飲みのみ、この悪友あくゆうは、その屋台やたい出てでてからも、さらにどこかで飲もうのもう主張しゅちょうし、もう自分じぶんたちにはおかね無いないのに、それでも、飲もうのもう飲もうのもうよ、とねばるのです。そのとき自分じぶんは、酔ってよって大胆にだいたんになっているからでもありましたが、
「よし、そんなら、ゆめくに連れてつれて行くいく。おどろくな、酒池肉林という、……」
「カフエか?」
「そう」
行こういこう!」
というようなことになってにん市電しでん乗りのり、堀木は、はしゃいで、
「おれは、今夜こんやは、おんな飢えうえ渇いてかわいているんだ。女給じょきゅうキスきすしてもいいか」
自分じぶんは、堀木がそんな酔態を演じるえんじることを、あまり好んでこのんでいないのでした。堀木も、それを知ってしっているので、自分じぶんにそんなねん押すおすのでした。
「いいか。キスきすするぜ。おれのそば坐ったすわった女給じょきゅうに、きっとキスきすして見せるみせる。いいか」
「かまわんだろう」
「ありがたい! おれはおんな飢えうえ渇いてかわいているんだ」
銀座ぎんざよん丁目ちょうめ降りておりて、その所謂酒池肉林のだいカフエに、ツネつねたのみの綱たのみのつなとしてほとんど無一文でむいちもんではいり、あいているボックスぼっくすに堀木と向い合ってむかいあってこしをおろしたとたんに、ツネつねともういちにん女給じょきゅう走りはしり寄ってよって来てきて、そのもういちにん女給じょきゅう自分じぶんそばに、そうしてツネつねは、堀木のそばに、ドサンと腰かけたこしかけたので、自分じぶんは、ハッとはっとしました。ツネつねは、いまにキスきすされる。
惜しいおしいという気持きもちではありませんでした。自分じぶんには、もともと所有しょゆう慾というものは薄くうすく、また、たまに幽かに惜しむおしむ気持きもちはあっても、その所有しょゆうけん敢然とかんぜんと主張しゅちょうし、ひと争うあらそうほどの気力きりょく無いないのでした。のちに、自分じぶんは、自分じぶん内縁ないえんつま犯さおかされるのを、黙ってだまって見てみていたさえあったほどなのです。
自分じぶんは、人間にんげんのいざこざに出来るできるだけ触りさわりたくないのでした。そのうず巻きまき込まこまれるのが、おそろしいのでした。ツネつね自分じぶんとは、一夜いちやだけの間柄あいだがらです。ツネつねは、自分じぶんのものではありません。惜しいおしい、など思い上ったおもいあがった慾は、自分じぶん持てるもてるはずはありません。けれども、自分じぶんは、ハッとはっとしました。
自分じぶんまえで、堀木の猛烈なもうれつなキスきす受けるうける、そのツネつね身の上みのうえを、ふびんに思ったおもったからでした。堀木によごされたツネつねは、自分じぶんとわかれなければならなくなるだろう、しかも自分じぶんにも、ツネつね引き留めるひきとめるほどのポジティヴなねつ無いない、ああ、もう、これでおしまいなのだ、とツネつね不幸にふこうに一瞬いっしゅんハッとはっとしたものの、すぐに自分じぶんみずのように素直にすなおにあきらめ、堀木とツネつねかお較べ、にやにやと笑いわらいました。
しかし、事態じたいは、実にじつに思いがけなくおもいがけなく、もっと悪くわるく展開てんかいせられました。
「やめた!」
と堀木は、くちをゆがめて言いいい
「さすがのおれも、こんな貧乏びんぼうくさいおんなには、……」
閉口へいこうし切ったしきったように、腕組みうでぐみしてツネつねをじろじろ眺めながめ苦笑くしょうするのでした。
「おさけを。おかね無いない
自分じぶんは、小声こごえツネつね言いいいました。それこそ、浴びるあびるほど飲んでのんでみたい気持きもちでした。しょ謂俗物のから見るみると、ツネつねは酔漢のキスきすにもいしない、ただ、みすぼらしい、貧乏びんぼうくさいおんなだったのでした。案外あんがいとも、意外いがいとも、自分じぶんには霹靂へきれき撃ちうちくだかれた思いしいでした。自分じぶんは、これまで例のれいの無かったなかったほど、いくらでも、いくらでも、おさけ飲みのみ、ぐらぐら酔ってよってツネつねかお見合せみあわせ哀しくかなしく微笑びしょうみ合いみあい、いかにもそう言わいわれてみると、こいつはへんに疲れてつかれて貧乏びんぼうくさいだけのおんなだな、と思うおもう同時にどうじにきん無いないものどうしの親和しんわ貧富ひんぷ不和ふわは、陳腐ちんぷのようでも、やはりドラマどらま永遠のえいえんのテーマてーまいちつだと自分じぶん今ではいまでは思っておもっていますが)そいつが、その親和しんわかんが、むね込み上げてこみあげて来てきてツネつねがいとしく、生れてうまれてこのときはじめて、われから積極せっきょく的にてきに微弱びじゃくながらこいこころ動くうごくのを自覚じかくしました。吐きはきました。前後不覚ぜんごふかくになりました。おさけ飲んでのんで、こんなにわれ失ううしなうほど酔ったよったのも、そのときがはじめてでした。
覚めたらさめたらまくらもとにツネつね坐ってすわっていました。本所ほんじょ大工だいくさんのかい部屋へや寝てねていたのでした。
きん切れめきれめえん切れめきれめ、なんておっしゃって、冗談じょうだんかと思うおもうていたら、本気ほんきか。来てくれないのだもの。ややこしい切れめきれめやな。うちが、かせいであげても、だめか」
「だめ」
それから、おんな休んでやすんでよる明けがたあけがたおんなくちから「」という言葉ことばがはじめて出てでておんな人間にんげんとしての営みいとなみ疲れつかれ切ってきっていたようでしたし、また、自分じぶんも、世の中よのなかへの恐怖きょうふ、わずらわしさ、かね、れいの運動うんどうおんな学業がくぎょう考えるかんがえると、とてもこの上このうえこらえて生きていきて行けいけそうもなく、そのひとの提案ていあん気軽にきがるに同意どういしました。
けれども、そのときにはまだ、実感じっかんとしての「死のうしのう」という覚悟かくごは、出来てできていなかったのです。どこかに「遊びあそび」がひそんでいました。
その午前ごぜんにん浅草あさくさろくをさまよっていました。喫茶きっさてんにはいり、牛乳ぎゅうにゅう飲みのみました。
「あなた、はらいうて置いておいて
自分じぶん立ってたってたもとからがま口がまぐち出しだし、ひらくと、銅銭がさんまい羞恥しゅうちよりも凄惨せいさん思いしい襲わおそわれ、たちまち脳裡に浮ぶうかぶものは、仙遊かん自分じぶん部屋へや制服せいふく蒲団ふとんだけが残さのこされてあるきりで、あとはもう、質草になりそうなもののいちつも無いない荒涼たるこうりょうたる部屋へやほかには自分じぶんのいま着てきて步いている絣の着物きものと、マントまんと、これが自分じぶん現実げんじつなのだ、生きていきて行けいけない、とはっきり思い知りおもいしりました。
自分じぶんがまごついているので、おんな立ってたって自分じぶんがま口がまぐちをのぞいて、
「あら、たったそれだけ?」
無心のむしんのこえでしたが、これがまた、じんと骨身ほねみにこたえるほどに痛かったいたかったのです。はじめて自分じぶんが、恋したこいしたひとのこえだけに、痛かったいたかったのです。それだけも、これだけもない、銅銭さんまいは、どだいおかねでありません。それは、自分じぶん未だかつていまだかつて味わったあじわったこと無いない奇妙なきみょうな屈辱くつじょくでした。とても生きていきておられない屈辱くつじょくでした。所詮しょせんその頃そのころ自分じぶんは、まだお金持ちかねもち坊ちゃんぼっちゃんというたねぞくから脱しだっし切ってきっていなかったのでしょう。そのとき自分じぶんは、みずからすすんでも死のうしのうと、実感じっかんとして[#「実感じっかんとして」に傍点ぼうてん決意けついしたのです。
そのよる自分じぶんたちは、鎌倉かまくらうみ飛びとび込みこみました。おんなは、このおびはおみせのお友達ともだちから借りてかりているおびやから、と言っていっておびをほどき、畳んでたたんでがんうえ置きおき自分じぶんマントまんと脱ぎぬぎ同じおなじところ置いておいて一緒にいっしょに入水じゅすいしました。
おんなのひとは、死にしにました。そうして、自分じぶんだけ助かりたすかりました。
自分じぶん高等こうとう学校がっこう生徒せいとではあり、またちちにもいくらか、所謂ニュウス.ヴァリュがあったのか、新聞しんぶんにもかなり大きなおおきな問題もんだいとして取りとり上げあげられたようでした。
自分じぶん海辺うみべ病院びょういん収容しゅうようせられ、故郷こきょうから親戚しんせきものがひとり駈けつけ、さまざまの始末しまつをしてくれて、そうして、くにのちちをはじめ一家いっかちゅう激怒げきどしているから、これっきり生家せいかとは義絶ぎぜつになるかも知れしれぬ、と自分じぶん申し渡してもうしわたして帰りかえりました。けれども自分じぶんは、そんなことより、死んだしんだツネつね恋いこいしく、めそめそ泣いてないてばかりいました。本当にほんとうに、いままでのひとのなかで、あの貧乏びんぼうくさいツネつねだけを、すきだったのですから。
下宿げしゅくむすめから、短歌たんかを五十も書きつらねたかきつらねた長いながい手紙てがみが来ました。「生きいきくれよ」というへんな言葉ことばではじまる短歌たんかばかり、五十でした。また、自分じぶん病室びょうしつに、看護かんごたちが陽気にようきに笑いわらいながら遊びあそびに来て、自分じぶんをきゅっと握ってにぎって帰るかえる看護かんごもいました。
自分じぶんの左肺に故障こしょうのあるのを、その病院びょういん発見はっけんせられ、これがたいへん自分じぶん好都合なこうつごうなことになり、やがて自分じぶん自殺じさつ幇助ほうじょつみという罪名ざいめい病院びょういんから警察けいさつ連れてつれて行かいかれましたが、警察けいさつでは、自分じぶん病人びょうにんあつかいにしてくれて、特にとくに保護ほごしつ収容しゅうようしました。
深夜しんや保護ほごしつ隣りとなり宿直しゅくちょくしつで、寝ずの番ねずのばんをしていた年寄りとしよりのお巡りめぐりが、あいだドアどあをそっとあけ、
「おい!」
自分じぶんこえをかけ、
寒いさむいだろう。こっちへ来て、あたれ」
言いいいました。
自分じぶんは、わざとしおしおと宿直しゅくちょくしつにはいって行きいき椅子いす腰かけてこしかけて火鉢ひばちにあたりました。
「やはり、死んだしんだおんな恋いこいしいだろう」
「はい」
ことさらに、消えきえ入るはいるような細いほそいこえ返事へんじしました。
「そこが、やはり人情にんじょうというものだ」
かれ次第にしだいに大きくおおきく構えてかまえてました。
「はじめ、おんな関係かんけい結んだむすんだのは、どこだ」
ほとんど裁判さいばんかん如くごとく、もったいぶって尋ねるたずねるのでした。かれは、自分じぶん子供こどもとあなどり、あきよるのつれづれに、あたかもかれ自身じしん取調べとりしらべ主任しゅにんでもあるかのように装いよそおい自分じぶんから猥談わいだんめいた述懐じゅっかい引き出そうひきだそうという魂胆こんたんのようでした。自分じぶん素早くすばやくそれを察しさっし噴き出しふきだしたいのを怺えるこらえるのにほね折りおりました。そんなお巡りめぐりの「非公式なひこうしきな訊問じんもん」には、いっさいこたえ拒否きょひしてもかまわないのだということは、自分じぶん知ってしっていましたが、しかし、あきよるながにきょう添えるそえるため、自分じぶんは、あくまでも神妙にしんみょうに、そのお巡りめぐりこそ取調べとりしらべ主任しゅにんであって、刑罰けいばつ軽重けいちょう決定けっていもそのお巡りめぐり思召しおぼしめしいちつに在るあるのだ、ということ固くかたく信じてしんじて疑わうたがわないような所謂誠意せいいをおもてにあらわし、かれ助平すけべい好奇心こうきしんを、やや満足まんぞくさせる程度ていどいい加減ないいかげんな陳述ちんじゅつ」をするのでした。
「うん、それでだいたいわかった。何でもなんでも正直にしょうじきに答えるこたえると、わしらのほうでも、そこは手心てごころ加えるくわえる
「ありがとうございます。よろしくお願いねがいいたします」
ほとんど入神にゅうしん演技えんぎでした。そうして、自分じぶんのためには、何もなにもいちつも、とくにならないちからえんじなのです。
よる明けてあけて自分じぶん署長しょちょう呼びよび出さだされました。こんどは、本式ほんしき取調べとりしらべなのです。
ドアどあをあけて、署長しょちょうしつにはいったとたんに、
「おう、いいおとこだ。これあ、お前おまえ悪いわるいんじゃない。こんな、いいおとこ産んだうんだお前おまえのおふくろが悪いわるいんだ」
いろ浅黒いあさぐろい大学だいがくみたいな感じかんじのまだ若いわかい署長しょちょうでした。いきなりそう言わいわれて自分じぶんは、自分じぶんかお半面はんめんにべったりあかあざでもあるような、みにくいしゃのような、みじめながしました。
この柔道じゅうどう剣道けんどう選手せんしゅのような署長しょちょう取調べとりしらべは、実にじつにあっさりしていて、あの深夜しんやろう巡査じゅんさのひそかな、執拗しつようきわまるこういろの「取調べとりしらべ」とは、雲泥うんでいがありました。訊問じんもんがすんで、署長しょちょうは、検事けんじきょく送るおくる書類しょるいをしたためながら、
「からだを丈夫にじょうぶにしなけれゃ、いかんね。血痰が出てでているようじゃないか」
言いいいました。
そのちょう、へんにせき出てでて自分じぶんせき出るでるたびに、ハンケチでくち覆っておおっていたのですが、そのハンケチに赤いあかいあられ降ったふったみたいにがついていたのです。けれども、それは、のどから出たでたではなく、昨夜さくやみみした出来たできた小さいちいさいおできをいじって、そのおできから出たでたなのでした。しかし、自分じぶんは、それを言いいいめいさないほうが、便宜べんぎこともあるようながふっとしたものですから、ただ、
「はい」
と、伏眼になり、殊勝しゅしょうげに答えてこたえて置きおきました。
署長しょちょう書類しょるい書きかき終えておえて
起訴きそになるかどうか、それは検事けんじ殿どのがきめることだが、お前おまえ身元みもと引受ひきうけじんに、電報でんぽう電話でんわで、きょう横浜よこはま検事けんじきょくに来てもらうように、たのんだほうがいいな。だれか、あるだろう、お前おまえ保護ほごしゃとか保証人ほしょうにんとかいうものが」
ちち東京とうきょう別荘べっそう出入りでいりしていた書画しょが骨董こっとうしょうの渋田という、自分じぶんたちとどう郷人ごうじんで、ちちのたいこ持ちもちみたいなやく勤めてつとめていたずんぐりした独身どくしんの四十おとこが、自分じぶん学校がっこう保証人ほしょうにんになっているのを、自分じぶん思い出しおもいだしました。そのおとこかおが、殊にことにつきが、ヒラメひらめ似てにているというので、ちちはいつもそのおとこヒラメひらめ呼びよび自分じぶんも、そう呼びよびなれていました。
自分じぶん警察けいさつ電話でんわちょう借りてかりてヒラメひらめいえ電話でんわ番号ばんごう捜しさがし見つかったみつかったので、ヒラメひらめ電話でんわして、横浜よこはま検事けんじきょくに来てくれるように頼みたのみましたら、ヒラメひらめひと変ったかわったみたいな威張ったいばった口調くちょうで、それでも、とにかく引受けてひきうけてくれました。
「おい、その電話でんわ、すぐ消毒しょうどくしたほうがいいぜ。何せなにせ、血痰が出てでているんだから」
自分じぶんが、また保護ほごしつ引き上げてひきあげてから、お巡りめぐりたちにそう言いつけていいつけている署長しょちょう大きなおおきなこえが、保護ほごしつ坐ってすわっている自分じぶんみみにまで、とどきました。
ひるすぎ、自分じぶんは、細いほそい麻繩でどう縛らしばられ、それはマントまんと隠すかくすことを許さゆるされましたが、その麻繩のはし若いわかい巡りめぐりが、しっかり握ってにぎっていて、にん一緒にいっしょに電車でんしゃ横浜よこはまに向いました。
けれども、自分じぶんには少しすこし不安ふあん無くなく、あの警察けいさつ保護ほごしつも、ろう巡査じゅんさもなつかしく、嗚呼、自分じぶんはどうしてこうなのでしょう、罪人ざいにんとして縛らしばられると、かえってほっとして、そうしてゆったり落ちついておちついて、そのとき追憶ついおくを、いま書くかく当ってあたっても、本当にほんとうにのびのびした楽しいたのしい気持きもちになるのです。
しかし、その時期じきのなつかしい[#「なつかしい」に傍点ぼうてん思い出おもいでなかにも、たったいちつ、冷あせさんの、生涯しょうがいわすれられぬ悲惨なひさんなしくじりがあったのです。自分じぶんは、検事けんじきょく薄暗いうすぐらい一室いっしつで、検事けんじ簡単なかんたんな取調べとりしらべ受けうけました。検事けんじは四十さい前後ぜんご物静かなものしずかな、(もし自分じぶん美貌びぼうだったとしても、それは謂わばいわば邪淫の美貌びぼうだったに違いちがいありませんが、その検事けんじかおは、正しいただしい美貌びぼう、とでも言いいいたいような、聡明なそうめいな静謐の気配けはい持ってもっていました)コセコセこせこせしない人柄ひとがらのようでしたので、自分じぶん全くまったく警戒けいかいせず、ぼんやり陳述ちんじゅつしていたのですが、突然とつぜん、れいのせき出てでて来てきて自分じぶんたもとからハンケチを出しだし、ふとその見てみて、このせきもまたなにかのやく立つたつかも知れしれぬとあさましい駈け引きひきこころ起しおこし、ゴホン、ゴホンとつばかり、おまけのにせせき大袈裟におおげさに附け加えてくわえて、ハンケチでくち覆ったおおったまま検事けんじかおをちらと見たみた間一髪かんいっぱつ
「ほんとうかい?」
ものしずかな微笑びしょうでした。冷あせさん、いいえ、いま思い出しておもいだしても、きりきり舞いきりきりまいをしたくなります。中学ちゅうがく時代じだいに、あの馬鹿ばかげたけいちから、ワザわざワザわざ、と言わいわれて脊中を突かつつかれ、地獄じごく蹴落さけおとされた、そのとき思いしい以上いじょう言っていっても、決してけっして過言かごんでは無いない気持きもちです。あれと、これと、つ、自分じぶん生涯しょうがい於けるおける演技えんぎだい失敗しっぱい記録きろくです。検事けんじのあんな物静かなものしずかな侮蔑ぶべつ遭うあうよりは、いっそ自分じぶんじゅうねんけい言いいい渡さわたされたほうが、ましだったと思うおもうことさえ、時たまときたまあるほどなのです。
自分じぶん起訴きそ猶予ゆうよになりました。けれども一向にいっこうにうれしくなく、世にもよにもみじめな気持きもちで、検事けんじきょく控室ひかえしつベンチべんち腰かけこしかけ引取りひきとりじんヒラメひらめが来るのを待ってまっていました。
背後はいご高いたかいまどから夕焼けゆうやけそら見えみえかもめが、「おんな」というみたいなかたち飛んでとんでいました。
[#改頁]

だいさん手記しゅき

いち

竹一の予言よげんの、いちつは当りあたりいちつは、はずれました。惚れほれられるという、名誉でめいよで無いない予言よげんのほうは、あたりましたが、きっと偉いえらい絵画かいがきになるという、祝福しゅくふく予言よげんは、はずれました。
自分じぶんは、わずかに、粗悪なそあくな雑誌ざっしの、無名むめい下手なへたな漫画まんがになること出来たできただけでした。
鎌倉かまくら事件じけんのために、高等こうとう学校がっこうからは追放ついほうせられ、自分じぶんは、ヒラメひらめいえかいの、さんじょう部屋へや寝起きねおきして、故郷こきょうからは月々つきづき極めてきわめて小額のしょうがくのきんが、それも直接にちょくせつに自分じぶんあてではなく、ヒラメひらめのところにひそかに送らおくられて来てきている様子ようすでしたが、(しかも、それは故郷こきょうあにたちが、ちちにかくして送っておくってくれているという形式けいしきになっていたようでした)それっきり、あとは故郷こきょうとのつながりを全然ぜんぜん断ち切らたちきられてしまい、そうして、ヒラメひらめはいつも不機嫌ふきげん自分じぶんがあいそ笑いわらいをしても、笑わわらわず、人間にんげんというものはこんなにも簡単にかんたんに、それこそ手のひらてのひらをかえすが如くごとく変化へんかできるものかと、あさましく、いや、むしろ滑稽にこっけいに思わおもわれるくらいの、ひどい変りかわりさまで、
出ちゃでちゃいけませんよ。とにかく、ないで下さいくださいよ」
そればかり自分じぶん言っていっているのでした。
ヒラメひらめは、自分じぶん自殺じさつのおそれありと、にらんでいるらしく、つまり、おんなあと追っておってまたうみ飛びとび込んだりこんだりする危険きけんがあると見てとってみてとっているらしく、自分じぶん外出がいしゅつ固くかたく禁じてきんじているのでした。けれども、さけ飲めのめないし、煙草たばこ吸えすえないし、ただ、あさから晚までかいさんじょうのこたつにもぐって、いにしえ雑誌ざっしなんか読んでよんで阿呆あほ同然のどうぜんのくらしをしている自分じぶんには、自殺じさつ気力きりょくさえ失わうしなわれていました。
ヒラメひらめいえは、大久保おおくぼの医専の近くちかくにあり、書画しょが骨董こっとうしょう青竜せいりゅうえん、だなどと看板かんばん文字もじだけは相当にそうとうに気張ってきばっていても、いちむねの、そのいちで、みせ間口まぐち狭くせまくてんないホコリほこりだらけで、いい加減ないいかげんなガラクタがらくたばかり並べならべ、(もっとも、ヒラメひらめはそのみせガラクタがらくたにたよって商売しょうばいしているわけではなく、こっちの所謂旦那だんな秘蔵ひぞうのものを、あっちの所謂旦那だんなにその所有しょゆうけんをゆずる場合ばあいなどに活躍かつやくして、おかねをもうけているらしいのです)てん坐ってすわっていること殆どほとんど無くなく、たいていあさから、むずかしそうなかおをしてそそくさと出かけでかけ留守るすは十七、はち小僧こぞうひとり、これが自分じぶん見張りみはりばんというわけで、ひまさえあれば近所きんじょ子供こどもたちとそとキャッチボールきゃっちぼーるなどしていても、かい居候いそうろうをまるで馬鹿ばか違いちがいくらいに思っておもっているらしく、大人おとな説教せっきょうくさいことまで自分じぶん言い聞かせいいきかせ自分じぶんは、ひとと言い争いいいあらそい出来できないしつなので、疲れたつかれたような、また、感心かんしんしたようなかおをしてそれにみみ傾けかたむけ服従ふくじゅうしているのでした。このしょうそうは渋田のかくし子ししで、それでもへんな事情じじょうがあって、渋田は所謂親子おやこ名乗りなのりをせず、また渋田がずっと独身どくしんなのも、何やらなにやらその辺そのへん理由りゆうがあってのことらしく、自分じぶん以前いぜん自分じぶんいえものたちからそれに就いてついてうわさを、ちょっと聞いたきいたようなもするのですが、自分じぶんは、どうも他人たにん身の上みのうえには、あまり興味きょうみ持てもてないほうなので、深いふかいこと何もなにも知りしりません。しかし、その小僧こぞうつきにも、妙にみょうにさかなを聯想させるところがありましたから、或いはあるいは本当にほんとうにヒラメひらめのかくし子しし、……でも、それならば、にん実にじつに淋しいさびしい親子おやこでした。よるおそく、かい自分じぶんには内緒ないしょで、にんでおそばなどを取寄せてとりよせて無言むごん食べてたべていることがありました。
ヒラメひらめいえでは食事しょくじはいつもその小僧こぞうがつくり、かいのやっかいしゃ食事しょくじだけは別にべつにぜん載せてのせて小僧こぞうさん々々二階にかい持ちもち運んではこんで来てきてくれて、ヒラメひらめしょうそうは、階段かいだんしたのじめじめしたよんじょうはん何やらなにやら、カチャカチャ皿小鉢の触れ合うふれあうおとをさせながら、いそがしげに食事しょくじしているのでした。
さんがつまつ或るある夕方ゆうがたヒラメひらめ思わぬおもわぬもうけくちにでもありついたのか、またはなに策略さくりゃくでもあったのか、(そのつの推察すいさつが、ともに当ってあたっていたとしても、おそらくは、さらにまたいくつかの、自分じぶんなどにはとても推察すいさつのとどかないこまかい原因げんいんもあったのでしょうが)自分じぶん階下かいかちんらしくお銚子ちょうしなど附いている食卓しょくたく招いてまねいてヒラメひらめならぬマグロまぐろ刺身さしみに、ごちそうの主人しゅじんみずから感服かんぷくし、賞讃し、ぼんやりしている居候いそうろうにも少しすこしくおさけをすすめ、
「どうするつもりなんです、いったい、これから」
自分じぶんはそれに答えこたえず、卓上たくじょうさらから畳鰯をつまみ上げあげ、その小魚こざかなたちのぎんたま眺めてながめていたら、酔いよいがほのぼの発してはっして来てきて遊びあそび廻ってまわっていたころがなつかしく、堀木でさえなつかしく、つくづく「自由じゆう」が欲しくほしくなり、ふっと、かぼそく泣きなきそうになりました。
自分じぶんがこのいえへ来てからは、道化どうけ演ずるえんずる張合いはりあいさえ無くなく、ただもうヒラメひらめ小僧こぞう蔑視べっしなか横たえよこたえヒラメひらめのほうでもまた、自分じぶん打ち解けたうちとけた長噺をするのを避けてさけている様子ようすでしたし、自分じぶんもそのヒラメひらめ追いおいかけてなにかを訴えるうったえるなどは起らおこらず、ほとんど自分じぶんは、間抜けまぬけづらの居候いそうろうなり切ってなりきっていたのです。
起訴きそ猶予ゆうよというのは、前科ぜんかなにはんとか、そんなものには、ならない模様もようです。だから、まあ、あなたの心掛けこころがけいちつで、更生こうせい出来るできるわけです。あなたが、もし、改心かいしんして、あなたのほうから、真面目にまじめにわたし相談そうだん持ちかけてもちかけてくれたら、わたし考えてかんがえてみます」
ヒラメひらめはなしがたには、いや、世の中よのなか全部ぜんぶひとはなしがたには、このようにややこしく、どこか朦朧ともうろうとして、逃腰にげごしとでもいったみたいな微妙なびみょうな複雑ふくざつさがあり、そのほとんど無益むえき思わおもわれるくらいの厳重なげんじゅうな警戒けいかいと、無数むすうといっていいくらいのしょううるさい駈けひきとには、いつも自分じぶん当惑とうわくし、どうでもいいやという気分きぶんになって、お道化どうけ茶化したりちゃかしたり、または無言むごん首肯しゅこう一さいいっさいおまかせという、謂わばいわば敗北はいぼく態度たいどをとってしまうのでした。
このときヒラメひらめが、自分じぶんに向って、だいたいつぎのように簡単にかんたんに報告ほうこくすれば、それですむことだったのを自分じぶん後年こうねんに到って知りしりヒラメひらめ不必要なふひつような用心ようじん、いや、世の中よのなかひとたちの不可解なふかかいな見栄みえ、おていさいに、何ともなんともかげうつ思いしいをしました。
ヒラメひらめは、そのとき、ただこう言えばいえばよかったのでした。
「官立でも私立しりつでも、とにかくよんがつから、どこかの学校がっこうへはいりなさい。あなたの生活せいかつは、学校がっこうへはいると、くにから、もっと充分にじゅうぶんに送っておくって来るくることになっているのです。」
ずっとあとになってわかったのですが、事実じじつは、そのようになっていたのでした。そうして、自分じぶんもその言いつけいいつけ従ったしたがったでしょう。それなのに、ヒラメひらめのいやに用心深くようじんぶかく持ってもって廻ったまわった言いいいかたのために、妙にみょうにこじれ、自分じぶん生きていきて行くいく方向ほうこうもまるで変ってかわってしまったのです。
真面目にまじめにわたし相談そうだん持ちかけてもちかけてくれる気持きもち無ければなければ仕様しようがないですが」
「どんな相談そうだん?」
自分じぶんには、本当にほんとうに何もなにも見当けんとうがつかなかったのです。
「それは、あなたのむねにあることでしょう?」
「たとえば?」
「たとえばって、あなた自身じしん、これからどうするなんです」
働いたはたらいたほうが、いいんですか?」
「いや、あなたの気持きもちは、いったいどうなんです」
「だって、学校がっこうへはいるといったって、……」
「そりゃ、おかね要りいります。しかし、問題もんだいは、おかねでない。あなたの気持きもちです」
かねは、くにから来ることになっているんだから、となぜいちこと、言わいわなかったのでしょう。その一言いちげん依ってよって自分じぶん気持きもちも、きまったはずなのに、自分じぶんには、ただ五里霧中ごりむちゅうでした。
「どうですか? なんか、将来しょうらい希望きぼう、とでもいったものが、あるんですか? いったい、どうも、ひとをひとり世話せわしているというのは、どれだけむずかしいものだか、世話せわされているひとには、わかりますまい」
「すみません」
「そりゃ実にじつに心配なしんぱいなものです。わたしも、いったんあなたの世話せわ引受けたひきうけた以上いじょう、あなたにも、生半可ななまはんかな気持きもちでいてもらいたくないのです。立派にりっぱに更生こうせいみちをたどる、という覚悟かくごのほどを見せてみせてもらいたいのです。たとえば、あなたの将来しょうらい方針ほうしん、それに就いてついてあなたのほうからわたしに、まじめに相談そうだん持ちかけてもちかけて来たきたなら、わたしもその相談そうだんには応ずるおうずるつもりでいます。それは、どうせこんな、貧乏なびんぼうなヒラメひらめ援助えんじょなのですから、以前いぜんのようなぜいたくを望んだらのぞんだら、あてがはずれます。しかし、あなたの気持きもちがしっかりしていて、将来しょうらい方針ほうしんをはっきり打ちうちじゅて、そうしてわたし相談そうだんをしてくれたら、わたしは、たといわずかずつでも、あなたの更生こうせいのために、お手伝いてつだいしようとさえ思っておもっているんです。わかりますか? わたし気持きもちが。いったい、あなたは、これから、どうするつもりでいるのです」
「ここのかいに、置いておいてもらえなかったら、働いてはたらいて、……」
本気でほんきで、そんなこと言っていっているのですか? いまのこの世このよなかに、たとい帝国ていこく大学だいがくこう出たでたって、……」
「いいえ、サラリイマンになるんでは無いないんです」
「それじゃ、なにです」
画家がかです」
思い切っておもいきって、それを言いいいました。
「へええ?」
自分じぶんは、そのときの、頸をちぢめて笑ったわらったヒラメひらめかおの、いかにもずるそうなかげ忘れるわすれること出来できません。軽蔑けいべつかげにも似てにて、それとも違いちがい世の中よのなかうみにたとえると、そのうみ千尋ちひろふかさの箇所かしょに、そんな奇妙なきみょうなかげがたゆとうていそうで、なにか、おとなの生活せいかつ奥底おくそこチラちら覗かのぞかせたような笑いわらいでした。
そんなことでははなしにも何もなにもならぬ、ちっとも気持きもちがしっかりしていない、考えかんがえなさい、今夜こんやいち晚まじめに考えてかんがえてみなさい、と言わいわれ、自分じぶん追わおわれるようにかい上ってのぼって寝てねても、別にべつに何のなんの考えかんがえ浮びうかびませんでした。そうして、あけがたになり、ヒラメひらめいえから逃げにげました。
夕方ゆうがた間違いまちがいなく帰りかえります。左記さき友人ゆうじんきょへ、将来しょうらい方針ほうしん就いてついて相談そうだん行っていって来るくるのですから、心配しんぱい無くなく。ほんとうに。
と、用箋に鉛筆えんぴつ大きくおおきく書きかき、それから、浅草あさくさの堀木正雄まさお住所じゅうしょ姓名せいめい記してしるして、こっそり、ヒラメひらめいえました。
ヒラメひらめ説教せっきょうせられたのが、くやしくて逃げたにげたわけではありませんでした。まさしく自分じぶんは、ヒラメひらめ言ういうとおり、気持きもちのしっかりしていないおとこで、将来しょうらい方針ほうしん何もなにも自分じぶんにはまるで見当けんとうがつかず、この上このうえヒラメひらめいえのやっかいになっているのは、ヒラメひらめにも気の毒ですきのどくですし、そのうちに、もし万一まんいち自分じぶんにも発奮はっぷん気持きもち起りおこりこころざし立てたたてたところで、その更生こうせい資金しきんをあの貧乏なびんぼうなヒラメひらめから月々つきづき援助えんじょせられるのかと思うおもうと、とても心苦しくてこころぐるしくて、いたたまらない気持きもちになったからでした。
しかし、自分じぶんは、所謂「将来しょうらい方針ほうしん」を、堀木ごときに、相談そうだん行こういこうなどと本気にほんきに思っておもってヒラメひらめいえ出たでたのでは無かったなかったのでした。それは、ただ、わずかでも、つかのまでも、ヒラメひらめ安心あんしんさせて置きおきたくて、(そのあいだ自分じぶんが、少しすこしでも遠くとおく逃げのびてにげのびていたいという探偵たんてい小説しょうせつ的なてきな策略さくりゃくから、そんな置手紙おきてがみ書いたかいた、というよりは、いや、そんな気持きもちも幽かにあったに違いないちがいないのですが、それよりも、やはり自分じぶんは、いきなりヒラメひらめショックしょっく与えあたえかれ混乱こんらん当惑とうわくさせてしまうのが、おそろしかったばかりに、とでも言ったいったほうが、いくらか正確せいかくかも知れしれません。どうせ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに言ういうのが、おそろしくて、必ずかならず何かしらなにかしら飾りかざりをつけるのが、自分じぶん哀しいかなしい性癖せいへきいちつで、それは世間せけんひとが「嘘つきうそつき」と呼んでよんで卑しめていやしめている性格せいかく似てにていながら、しかし、自分じぶん自分じぶん利益りえきをもたらそうとしてその飾りつけかざりつけ行ったおこなったことはほとんど無くなく、ただ雰囲気ふんいききょう覚めたさめた一変いっぺんが、窒息ちっそくするくらいにおそろしくて、あと自分じぶん不利益にふりえきになるということがわかっていても、れいの自分じぶんの「必死のひっしの奉仕ほうし」それはたといゆがめられ微弱でびじゃくで馬鹿らしいばからしいものであろうと、その奉仕ほうし気持きもちから、つい一言ひとこと飾りつけかざりつけをしてしまうという場合ばあい多かったおおかったようなもするのですが、しかし、この習性しゅうせいもまた、世間せけんところ謂「正直しょうじきしゃ」たちから、大いにおおいに乗ぜじょうぜられるところとなりました)そのとき、ふっと、記憶きおくそこから浮んでうかんで来たきたままに堀木の住所じゅうしょ姓名せいめいを、用箋のはしにしたためたまでのことだったのです。
自分じぶんヒラメひらめいえ出てでて新宿しんじゅくまで步き、懐中かいちゅうほん売りうり、そうして、やっぱり途方とほうにくれてしまいました。自分じぶんは、みんなにあいそがいいかわりに、「友情ゆうじょう」というものを、いちども実感じっかんしたこと無くなく、堀木のような遊びあそび友達ともだちべつとして、いっさいの附き合いあいは、ただ苦痛くつう覚えるおぼえるばかりで、その苦痛くつうをもみほぐそうとして懸命にけんめいに道化どうけ演じてえんじて、かえって、へとへとになり、わずかに知合ってしりあっているひとのかおを、それに似たにたかおをさえ、往来おうらいなどで見掛けてみかけても、ぎょっとして、一瞬いっしゅん、めまいするほどの不快なふかいな戦慄せんりつ襲わおそわれる有様ありさまで、ひと好かすかれること知ってしっていても、ひと愛するあいする能力のうりょく於いておいて欠けてかけているところがあるようでした。(もっとも、自分じぶんは、世の中よのなか人間にんげんにだって、果してはたして、「あい」の能力のうりょくがあるのかどうか、たいへん疑問ぎもん思っておもっています)そのような自分じぶんに、所謂「親友しんゆう」など出来るできるはず無くなく、そのうえ自分じぶんには、「訪問ほうもん」の能力のうりょくさえ無かったなかったのです。他人たにんいえもんは、自分じぶんにとって、あの神曲しんきょく地獄じごくもん以上いじょう薄気味わるくうすきみわるく、そのもんおくには、おそろしいりゅうみたいな生臭いなまぐさい奇獣がうごめいている気配けはいを、誇張こちょうでなしに、実感じっかんせられていたのです。
だれとも、附き合いあい無いない。どこへも、訪ねてたずねて行けいけない。
堀木。
それこそ、冗談じょうだんからこま出たでたかたちでした。あの置手紙おきてがみに、書いたかいたとおりに、自分じぶん浅草あさくさの堀木をたずねて行くいくことにしたのです。自分じぶんはこれまで、自分じぶんのほうから堀木のいえをたずねて行ったおこなったことは、いちども無くなく、たいてい電報でんぽうで堀木を自分じぶんのほうに呼び寄せてよびよせていたのですが、いまはその電報でんぽうりょうさえ心細くこころぼそく、それに落ちぶれたおちぶれたのひがみから、電報でんぽう打ったうっただけでは、堀木は、来てくれぬかも知れしれぬと考えてかんがえて何よりなにより自分じぶん苦手のにがての訪問ほうもん」を決意けついし、溜息ためいきをついて市電しでん乗りのり自分じぶんにとって、この世の中よのなかでたったいちつの頼みの綱たのみのつなは、あの堀木なのか、と思い知ったらおもいしったらなにか脊筋の寒くさむくなるようなすごみじい気配けはい襲わおそわれました。
堀木は、在宅ざいたくでした。汚いきたないおくの、かいで、堀木はかいのたったいち部屋へやろくじょう使いつかいしたでは、堀木の老父ろうふははと、それから若いわかい職人しょくにんさんにん下駄げた鼻緒はなお縫ったりぬったり叩いたりたたいたりして製造せいぞうしているのでした。
堀木は、そのかれ都会とかいじんとしての新しいあたらしいいちめん自分じぶん見せてみせてくれました。それは、俗にぞくにいうチャッカリせいでした。田舎いなかしゃ自分じぶんが、愕然とがくぜんとをみはったくらいの、冷たくつめたく、ずるいエゴイズムでした。自分じぶんのように、ただ、とめどなく流れるながれるたちのおとこでは無かったなかったのです。
お前おまえには、全くまったく呆れたあきれた。親爺さんから、お許しゆるし出たでたかね。まだかい」
逃げてにげて来たきた、とは、言えいえませんでした。
自分じぶんは、れいに依ってよって、ごまかしました。いまに、すぐ、堀木に附かれるに違いないちがいないのに、ごまかしました。
「それは、どうにかなるさ」
「おい、笑いごとわらいごとじゃ無いないぜ。忠告ちゅうこくするけど、馬鹿ばかげもこのへんでやめるんだな。おれは、きょうは、用事ようじがあるんだがね。この頃このごろ、ばかにいそがしいんだ」
用事ようじって、どんな?」
「おい、おい、座蒲だんいと切らきらないでくれよ」
自分じぶんはなしをしながら、自分じぶん敷いてしいている座蒲だんつづりいとというのか、くくりひもというのか、あの総のような四隅よすみいといちつを無意識にむいしきに指先ゆびさきでもてあそび、ぐいと引っぱったりひっぱったりなどしていたのでした。堀木は、堀木のいえ品物しなものなら、座蒲だんいといちほんでも惜しいおしいらしく、恥じるはじるいろ無くなく、それこそ、かど立ててたてて自分じぶんをとがめるのでした。考えてかんがえてみると、堀木は、これまで自分じぶんとの附き合いあい於いておいて何一つなにひとつ失ってうしなってはいなかったのです。
堀木の老母ろうぼが、おしるこをお盆おぼん載せてのせて持ってもってました。
「あ、これは」
と堀木は、しんからの孝行こうこう息子むすこのように、老母ろうぼに向って恐縮きょうしゅくし、言葉づかいことばづかい不自然なふしぜんなくらい丁寧にていねいに
「すみません、おしるこですか。豪気だなあ。こんな心配しんぱいは、要らいらなかったんですよ。用事ようじで、すぐ外出がいしゅつしなけれゃいけないんですから。いいえ、でも、せっかくの自慢じまんのおしるこを、もったいない。いただきます。お前おまえいちつ、どうだい。おふくろが、わざわざ作ってつくってくれたんだ。ああ、こいつあ、うめえや。豪気だなあ」
と、まんざら芝居しばいでも無いないみたいに、ひどく喜びよろこび、おいしそうに食べるたべるのです。自分じぶんもそれを啜りましたが、おのにおいがして、そうして、おもちをたべたら、それはおもちでなく、自分じぶんにはわからないものでした。決してけっして、その貧しまずしさを軽蔑けいべつしたのではありません。(自分じぶんは、そのときそれを、あじいとは思いおもいませんでしたし、また、老母ろうぼ心づくしこころづくしにしみました。自分じぶんには、貧しまずしさへの恐怖きょうふかんはあっても、軽蔑けいべつかんは、無いないつもりでいます)あのおしること、それから、そのおしるこを喜ぶよろこぶ堀木に依ってよって自分じぶんは、都会とかいじんのつましい本性ほんしょう、また、うちそとをちゃんと区別くべつしていとなんでいる東京とうきょうひと家庭かてい実体じったい見せつけみせつけられ、うちがい変りかわりなく、ただのべつまく無しなし人間にんげん生活せいかつから逃げにげ廻ってまわってばかりいるうす馬鹿ばかげ自分じぶんひとりだけ完全にかんぜんにとり残さのこされ、堀木にさえ見捨てみすてられたような気配けはいに、狼狽ろうばいし、おしるこのはげた塗箸をあつかいながら、たまらなく侘びわびしい思いしいをしたということを、記してしるして置きおきたいだけなのです。
「わるいけど、おれは、きょうは用事ようじがあるんでね」
堀木は立ってたって上衣じょういながらそう言いいい
失敬しっけいするぜ、わるいけど」
そのとき、堀木におんな訪問ほうもんしゃがあり、自分じぶん身の上みのうえ急転きゅうてんしました。
堀木は、にわかに活気づいてかっきづいて
「や、すみません。いまね、あなたのほうへお伺いおうかがいしようと思っておもっていたのですがね、このひとが突然とつぜんやって来てきて、いや、かまわないんです。さあ、どうぞ」
よほど、あわてているらしく、自分じぶん自分じぶん敷いてしいている座蒲だんをはずして裏がえしうらがえしにして差し出したさしだしたのを引ったくってひったくって、また裏がえしうらがえしにして、そのおんなのひとにすすめました。部屋へやには、堀木の座蒲だんほかには、客座蒲団ふとんがたったいちまいしか無かったなかったのです。
おんなのひとは痩せてやせて、脊の高いたかいひとでした。その座蒲だんそばにのけて、入口いりぐちちかくの片隅かたすみ坐りすわりました。
自分じぶんは、ぼんやりにん会話かいわ聞いてきいていました。おんな雑誌ざっししゃのひとのようで、堀木にカットかっとだか、何だかなんだかをかねて頼んでたのんでいたらしく、それを受取りうけとりに来たみたいな合いあいでした。
「いそぎますので」
出来てできています。もうとっくに出来てできています。これです、どうぞ」
電報でんぽうが来ました。
堀木が、それを読みよみ上機嫌じょうきげんのそのかおがみるみる険悪にけんあくになり、
ちぇっちえっ! お前おまえ、こりゃ、どうしたんだい」
ヒラメひらめからの電報でんぽうでした。
「とにかく、すぐに帰ってかえってくれ。おれが、お前おまえ送りとどけるおくりとどけるといいんだろうが、おれにはいま、そんなひまは、無えねえや。家出いえでしていながら、その、のんきそうなめんったら」
「おたくは、どちらなのですか?」
大久保おおくぼです」
ふいと答えてこたえてしまいました。
「そんなら、しゃ近くちかくですから」
おんなは、甲州こうしゅう生れうまれで二十八さいでした。つになる女児じょじと、高円寺のアパートあぱーと住んですんでいました。おっと死別しべつして、さんねんになると言っていっていました。
「あなたは、ずいぶん苦労くろうして育ってそだって来たきたみたいなひとね。よくがきくわ。可哀そうにかわいそうに
はじめて、おとこめかけみたいな生活せいかつをしました。シヅ(というのが、そのおんな記者きしゃ名前なまえでした)が新宿しんじゅく雑誌ざっししゃ勤めつとめ出たでたあとは、自分じぶんとそれからシゲしげというつの女児じょじにん、おとなしくお留守番るすばんということになりました。それまでは、はは留守るすには、シゲしげアパートあぱーと管理人かんりにん部屋へや遊んであそんでいたようでしたが、「のきく」おじさんが遊びあそび相手あいてとして現われたあらわれたので、大いにおおいに御機嫌ごきげんがいい様子ようすでした。
いち週間しゅうかんほど、ぼんやり、自分じぶんはそこにいました。アパートあぱーとまどのすぐ近くちかく電線でんせんに、奴凧がいちひっからまっていて、はるのほこりかぜ吹かふかれ、破らやぶられ、それでもなかなか、しつっこくしつこく電線でんせんにからみついて離れはなれず、何やらなにやら首肯いたりうなずいたりなんかしているので、自分じぶんはそれを見るみるたびごと苦笑くしょうし、赤面せきめんし、ゆめにさえ見てみて、うなされました。
「おかねが、ほしいな」
「……いくらくらい?」
「たくさん。……きん切れ目きれめが、えん切れ目きれめ、って、本当のほんとうのことだよ」
「ばからしい。そんな、古くさいふるくさい、……」
「そう? しかし、きみには、わからないんだ。このままでは、ぼくは、逃げるにげることになるかも知れしれない」
「いったい、どっちが貧乏なびんぼうなのよ。そうして、どっちが逃げるにげるのよ。へんねえ」
自分じぶんでかせいで、そのおかねで、おさけ、いや、煙草たばこ買いかいたい。だってぼくは、堀木なんかより、ずっと上手なじょうずなつもりなんだ」
このようなとき自分じぶんのうにおのずから浮びうかびあがって来るくるものは、あの中学ちゅうがく時代じだいかくいたたけいちところ謂「お化けおばけ」の、すうまい自画じがぞうでした。失わうしなわれた傑作けっさく。それは、たびたびの引越しひっこしあいだに、失わうしなわれてしまっていたのですが、あれだけは、たしかに優れてすぐれているだったようながするのです。その後そのご、さまざまいてみても、その思い出おもいでなか逸品いっぴんには、遠くとおく遠くとおく及ばおよばず、自分じぶんはいつも、むねがからっぽになるような、だるい喪失そうしつかんになやまされ続けてつづけて来たきたのでした。
飲みのみ残したのこした一杯のいっぱいのアブサン。
自分じぶんは、その永遠にえいえんに償いつぐない難いがたいような喪失そうしつかんを、こっそりそう形容けいようしていました。はなし出るでると、自分じぶん眼前がんぜんに、その飲みのみ残したのこした一杯のいっぱいのアブサンがちらついて来てきて、ああ、あのをこのひとに見せてみせてやりたい、そうして、自分じぶんの画才を信じしんじさせたい、という焦燥しょうそうにもだえるのでした。
「ふふ、どうだか。あなたは、まじめなかおをして冗談じょうだん言ういうから可愛いかわいい
冗談じょうだんではないのだ、本当なほんとうなんだ、ああ、あの見せてみせてやりたい、と空転くうてんの煩悶をして、ふいとをかえ、あきらめて、
漫画まんがさ。すくなくとも、漫画まんがなら、堀木よりは、うまいつもりだ」
その、ごまかしの道化どうけ言葉ことばのほうが、かえってまじめに信ぜしんぜられました。
「そうね。わたしも、実はじつは感心かんしんしていたの。シゲしげにいつもかいてやっている漫画まんが、ついわたしまで噴き出してふきだしてしまう。やってみたら、どう? わたししゃの編輯ちょうに、たのんでみてあげてもいいわ」
そのしゃでは、子供こども相手あいてのあまり名前なまえ知らしられていない月刊げっかん雑誌ざっし発行はっこうしていたのでした。
……あなたを見るみると、たいていのおんなのひとは、なにかしてあげたくて、たまらなくなる。……いつも、おどおどしていて、それでいて、滑稽こっけい家なんかなんだもの。……時たまときたま、ひとりで、ひどく沈んでしずんでいるけれども、そのさまが、いっそうおんなのひとのこころを、かゆがらせる。
シヅに、そのほかさまざまのこと言わいわれて、おだてられても、それが即ちおとこめかけのけがらわしい特質とくしつなのだ、と思えばおもえば、それこそいよいよ「沈むしずむ」ばかりで、一向にいっこうに元気げんきず、おんなよりはきん、とにかくシヅからのがれて自活じかつしたいとひそかに念じねんじ工夫くふうしているものの、かえってだんだんシヅにたよらなければならぬやぶけになって、家出いえでの後仕末やら何やらなにやら、ほとんど全部ぜんぶ、このおとこまさりの甲州こうしゅうおんな世話せわ受けうけ、いっそう自分じぶんは、シヅ対したいし、所謂「おどおど」しなければならぬ結果けっかになったのでした。
シヅ取計らいとりはからいで、ヒラメひらめ、堀木、それにシヅさんにん会談かいだん成立せいりつして、自分じぶんは、故郷こきょうから全くまったく絶縁ぜつえんせられ、そうしてシヅと「天下てんか晴れてはれて同棲どうせいということになり、これまた、シヅ奔走ほんそうのおかげで自分じぶん漫画まんが案外あんがいかねになって、自分じぶんはそのおかねで、おさけも、煙草たばこ買いかいましたが、自分じぶん心細こころぼそさ、うっとうしさは、いよいよつのるばかりなのでした。それこそ「沈みしずみ」に「沈みしずみ切ってきって、シヅ雑誌ざっし毎月まいつき連載れんさい漫画まんが「キンタさんとオタおたさんの冒険ぼうけん」をいていると、ふいと故郷こきょういえ思い出さおもいだされ、あまりの侘びわびしさに、ペンぺん動かうごかなくなり、うつむいてなみだをこぼしたこともありました。
そういうとき自分じぶんにとって、幽かな救いすくいは、シゲしげでした。シゲしげは、その頃そのころになって自分じぶんことを、何もなにもこだわらずに「お父ちゃんとうちゃん」と呼んでよんでいました。
「お父ちゃんとうちゃん。お祈りいのりをすると、神様かみさまが、何でもなんでも下さるくださるって、ほんとう?」
自分じぶんこそ、そのお祈りいのりをしたいと思いおもいました。
ああ、われに冷き意志いし与えあたえ給えたまえ。われに、「人間にんげん」の本質ほんしつ知らしらしめ給えたまえひとひと押しのけておしのけても、つみならずや。われに、怒りいかりマスクますく与えあたえ給えたまえ
「うん、そう。シゲちゃんには何でもなんでも下さるくださるだろうけれども、お父ちゃんとうちゃんには、駄目だめかも知れしれない」
自分じぶんかみにさえ、おびえていました。かみあい信ぜしんぜられず、かみばちだけを信じてしんじているのでした。信仰しんこう。それは、ただかみの笞を受けるうけるために、うなだれて審判しんぱんだいに向うことのようながしているのでした。地獄じごく信ぜしんぜられても、天国てんごく存在そんざいは、どうしても信ぜしんぜられなかったのです。
「どうして、ダメなだめなの?」
おや言いつけいいつけに、そむいたから」
「そう? お父ちゃんとうちゃんはとてもいいひとだって、みんな言ういうけどな」
それは、だましているからだ、このアパートあぱーとひとたちみんなに、自分じぶん好意こうい示さしめされているのは、自分じぶん知ってしっている、しかし、自分じぶんは、どれほどみんな恐怖きょうふしているか、恐怖きょうふすればするほど好かれほどよかれ、そうして、こちらは好かすかれると好かすかれるほど恐怖きょうふし、みんなから離れてはなれて行かいかねばならぬ、この不幸なふこうなびょうくせを、シゲしげ説明せつめいして聞かきかせるのは、至難のしなんのことでした。
「シゲちゃんは、いったい、神様かみさまなにをおねだりしたいの?」
自分じぶんは、何気無なにげなさそうにはなしあたま転じてんじました。
シゲしげはね、シゲしげ本当のほんとうの父ちゃんとうちゃんがほしいの」
ぎょっとして、くらくらまいしました。てき自分じぶんシゲしげてきなのか、シゲしげ自分じぶんてきなのか、とにかく、ここにも自分じぶんをおびやかすおそろしい大人おとながいたのだ、他人たにん不可解なふかかいな他人たにん秘密ひみつだらけの他人たにんシゲしげかおが、にわかにそのように見えてみえてました。
シゲしげだけは、と思っておもっていたのに、やはり、このものも、あの「不意にふいにあぶ叩きたたき殺すころすうしのしっぽ」を持ってもっていたのでした。自分じぶんは、それ以来いらいシゲしげにさえおどおどしなければならなくなりました。
「色魔! いるかい?」
堀木が、また自分じぶんのところへたずねて来るくるようになっていたのです。あの家出いえでに、あれほど自分じぶん淋しくさびしくさせたおとこなのに、それでも自分じぶん拒否きょひできず、幽かに笑ってわらって迎えるむかえるのでした。
お前おまえ漫画まんがは、なかなか人気にんき出てでているそうじゃないか。アマあまチュアには、こわいもの知らしらずのくそ度胸どきょうがあるからかなわねえ。しかし、油断ゆだんするなよ。デッサンでっさんが、ちっともなってやしないんだから」
師匠ししょうみたいな態度たいどをさえ示すしめすのです。自分じぶんのあの「お化けおばけ」のを、こいつに見せたらみせたら、どんなかおをするだろう、とれいの空転くうてん悶えもだえをしながら、
「それを言っていってくれるな。ぎゃっという悲鳴ひめい出るでる
堀木は、いよいよ得意とくいそうに、
世渡りよわたり才能さいのうだけでは、いつかは、ボロが出るでるからな」
世渡りよわたり才能さいのう。……自分じぶんには、ほんとうに苦笑くしょうはありませんでした。自分じぶんに、世渡りよわたり才能さいのう! しかし、自分じぶんのように人間にんげんをおそれ、避けさけ、ごまかしているのは、れいの俗諺の「さわらぬかみにたたりなし」とかいう怜悧狡猾こうかつの処生訓を遵奉しているのと、同じおなじかたちだ、ということになるのでしょうか。ああ、人間にんげんは、お互いおたがい何もなにも相手あいてをわからない、まるっきり間違ってまちがって見てみていながら、無二むに親友しんゆうのつもりでいて、一生いっしょう、それに附かず、相手あいて死ねばしねば泣いてないて弔詞ちょうしなんかを読んでよんでいるのではないでしょうか。
堀木は、何せなにせ、(それはシヅ押しておしてたのまれてしぶしぶ引受けたひきうけた違いないちがいないのですが)自分じぶん家出いえでの後仕末に立ち合ったたちあったひとなので、まるでもう、自分じぶん更生こうせいの大恩ひとか、月下げっかこおりじんのように振舞いふるまい、もっともらしいかおをして自分じぶんにお説教せっきょうめいたこと言ったりいったり、また、深夜しんや酔っぱらってよっぱらって訪問ほうもんして泊ったりとまったり、また、えん(きまってえんでした)借りてかりて行ったりいったりするのでした。
「しかし、お前おまえの、おんな道楽どうらくもこのへんでよすんだね。これ以上いじょうは、世間せけんが、ゆるさないからな」
世間せけんとは、いったい、何のなんのことでしょう。人間にんげん複数ふくすうでしょうか。どこに、その世間せけんというものの実体じったいがあるのでしょう。けれども、何しろなにしろ強くつよく、きびしく、こわいもの、とばかり思っておもってこれまで生きていきて来たきたのですが、しかし、堀木にそう言わいわれて、ふと、
世間せけんというのは、きみじゃないか」
という言葉ことばが、したさきまでかかって、堀木を怒らおこらせるのがイヤでいやで、ひっこめました。
(それは世間せけんが、ゆるさない)
世間せけんじゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんなことをすると、世間せけんからひどいめに逢うあうぞ)
世間せけんじゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間せけんから葬らほうむられる)
世間せけんじゃない。ほうむりむるのは、あなたでしょう?)
汝は、汝個人こじんのおそろしさ、怪奇かいき悪辣あくらつ、古狸せい、妖婆せい知れしれ! などと、さまざまの言葉ことば胸中きょうちゅう去来きょらいしたのですが、自分じぶんは、ただかおあせをハンケチで拭いてふいて
「冷汗、冷あせ
言っていって笑ったわらっただけでした。
けれども、その以来いらい自分じぶんは、(世間せけんとは個人こじんじゃないか)という、思想しそうめいたものを持つもつようになったのです。
そうして、世間せけんというものは、個人こじんではなかろうかと思いおもいはじめてから、自分じぶんは、いままでよりは多少たしょう自分じぶん意志いし動くうごくこと出来るできるようになりました。シヅ言葉ことば借りてかりて言えばいえば自分じぶん少しすこしわがままになり、おどおどしなくなりました。また、堀木の言葉ことば借りてかりて言えばいえば、へんにケチにけちになりました。また、シゲしげ言葉ことば借りてかりて言えばいえば、あまりシゲしげ可愛がらかわいがらなくなりました。
無口でむくちで笑わわらわず、毎日まいにち々々、シゲしげのおもりをしながら、「キンタさんとオタおたさんの冒険ぼうけん」やら、またノンキのんきなトウサンの歴然たるれきぜんたる亜流ありゅうの「ノンキのんき和尚おしょう」やら、また、「セッカチピンチャンちゃん」という自分じぶんながらわけのわからぬヤケクソのだい連載れんさい漫画まんがやらを、各社かくしゃ注文ちゅうもん(ぽつりぽつり、シヅしゃほかからも注文ちゅうもんが来るようになっていましたが、すべてそれは、シヅしゃよりも、もっと下品なげひんな謂わばいわば三流さんりゅう出版しゅっぱんしゃからの注文ちゅうもんばかりでした)に応じおうじ実にじつに実にじつにかげうつ気持きもちで、のろのろと、(自分じぶん運筆うんぴつは、非常にひじょうにおそいほうでした)いまはただ、さけだいがほしいばかりにかくいて、そうして、シヅしゃから帰るかえるとそれと交代こうたいにぷいとそと出てでて、高円てらえき近くちかく屋台やたいスタンドすたんど.バアで安くてやすくて強いつよいさけ飲みのみ少しすこし陽気にようきになってアパートあぱーと帰りかえり
見ればみれば見るみるほど、へんなかおをしているねえ、おまえは。ノンキのんき和尚おしょうかおは、実はじつはお前おまえ寝顔ねがおからヒントひんと得たえたのだ」
「あなたの寝顔ねがおだって、ずいぶんお老けふけになりましてよ。四十おとこみたい」
お前おまえのせいだ。吸い取らすいとられたんだ。みず流れながれと、ひとはあサ。なにをくよくよ川端かわばたやなあぎいサ」
騒がさわがないで、早くはやくおやすみなさいよ。それとも、ごはんをあがりますか?」
落ちついておちついていて、まるで相手あいてにしません。
さけなら飲むのむがね。みず流れながれと、ひとはあサ。ひと流れながれと、いや、みず流れながれえと、みずはあサ」
唄いうたいながら、シヅ衣服いふくをぬがせられ、シヅむね自分じぶんがく押しつけておしつけて眠ってねむってしまう、それが自分じぶん日常にちじょうでした。

[#ここから下げさげ
してその翌日よくじつ同じおなじこと繰返してくりかえして
昨日きのうに異らぬ慣例かんれい従えばしたがえばよい。
即ち荒っぽいあらっぽい大きなおおきな歓楽かんらく避けてさけてさえいれば、
自然しぜんまた大きなおおきな悲哀ひあいもやってないのだ。
ゆくてを塞ぐふさぐ邪魔なじゃまないし
蟾蜍ひきがえる廻ってまわって通るとおる
[#ここで下げさげ終わりおわり

上田うえださとしやくギイぎい.シャルル.クロオくろおとかいうひとの、こんな見つけたみつけたとき自分じぶんはひとりでかお燃えるもえるくらいに赤くあかくしました。
蟾蜍ひきがえる
(それが、自分じぶんだ。世間せけんがゆるすも、ゆるさぬもない。ほうむりむるも、ほうむりむらぬもない。自分じぶんは、いぬよりもねこよりも劣等れっとう動物どうぶつなのだ。蟾蜍ひきがえる。のそのそ動いてうごいているだけだ)
自分じぶん飲酒いんしゅは、次第にしだいにりょうがふえてました。高円てらえき附近ふきんだけでなく、新宿しんじゅく銀座ぎんざのほうにまで出かけてでかけて飲みのみ外泊がいはくすることさえあり、ただもう「慣例かんれい」に従わしたがわぬよう、バアで無頼漢の振りふりをしたり、片端かたわからキスきすしたり、つまり、また、あの情死以前いぜんの、いや、あのころよりさらに荒んですさんで野卑な酒飲みさけのみになり、かね窮してきゅうして、シヅ衣類いるい持ち出すもちだすほどになりました。
ここへ来て、あの破れたやぶれた奴凧に苦笑くしょうしてからいちねん以上いじょう経ってたって葉桜はざくらころ自分じぶんは、またもシヅおびやら襦袢じゅばんやらをこっそり持ち出してもちだして質屋しちや行きいき、おかね作ってつくって銀座ぎんざ飲みのみ晚つづけて外泊がいはくして、さんにちの晚、さすがに合いあい悪いわるい思いしいで、無意識にむいしきに足音あしおとをしのばせて、アパートあぱーとのシヅ部屋へやまえまで来ると、なかから、シヅシゲしげ会話かいわ聞えきこえます。
「なぜ、おさけ飲むのむの?」
「お父ちゃんとうちゃんはね、おさけ好きですきで飲んでのんでいるのでは、ないんですよ。あんまりいいひとだから、だから、……」
「いいひとは、おさけ飲むのむの?」
「そうでもないけど、……」
「お父ちゃんとうちゃんは、きっと、びっくりするわね」
「おきらいかも知れしれない。ほら、ほら、はこから飛び出したとびだした
「セッカチピンチャンちゃんみたいね」
「そうねえ」
シヅの、しんから幸福こうふくそうな低いひくい笑い声わらいごえ聞えきこえました。
自分じぶんが、ドアどあ細くほそくあけてなかをのぞいてますと、白兎はくとでした。ぴょんぴょん部屋へやちゅうを、はね廻りまわり親子おやこはそれを追っておっていました。
幸福なこうふくなんだ、このひとたちは。自分じぶんという馬鹿ばかしゃが、このにんのあいだにはいって、いまににん滅茶めちゃちゃにするのだ。つつましい幸福こうふく。いい親子おやこ幸福こうふくを、ああ、もし神様かみさまが、自分じぶんのようなもの祈りいのりでも聞いてきいてくれるなら、いちどだけ、生涯しょうがいにいちどだけでいい、祈るいのる
自分じぶんは、そこにうずくまって合掌がっしょうしたい気持きもちでした。そっと、ドアどあ閉めしめ自分じぶんは、また銀座ぎんざ行きいき、それっきり、そのアパートあぱーとには帰りかえりませんでした。
そうして、京橋きょうばしのすぐ近くちかくスタンドすたんど.バアのかい自分じぶんは、またもおとこめかけのかたちで、寝そべるねそべることになりました。
世間せけん。どうやら自分じぶんにも、それがぼんやりわかりかけて来たきたようながしていました。個人こじん個人こじん争いあらそいで、しかも、その争いあらそいで、しかも、その場でそのばで勝てばかてばいいのだ、人間にんげん決してけっして人間にんげん服従ふくじゅうしない[#「人間にんげん決してけっして人間にんげん服従ふくじゅうしない」に傍点ぼうてん]、奴隷どれいでさえ奴隷どれいらしい卑屈なひくつなシッペがえしをするものだ、だから、人間にんげんにはそのいちほん勝負しょうぶにたよるほか生きいき伸びるのびる工夫くふうがつかぬのだ、大義たいぎ名分めいぶんらしいものを称えてたたえていながら、努力どりょく目標もくひょう必ずかならず個人こじん個人こじん乗り越えてのりこえてまた個人こじん世間せけん難解なんかいは、個人こじん難解なんかいだいよう世間せけんでなくて、個人こじんなのだ、と世の中よのなかという大海たいかい幻影げんえいにおびえることから、多少たしょう解放かいほうせられて、以前いぜんほど、あれこれと際限さいげん無いない心遣いこころづかいすることなく、謂わばいわば差しさし当ってあたって必要にひつように応じておうじて、いくぶん図々しく振舞うふるまうこと覚えておぼえて来たきたのです。
高円てらアパートあぱーと捨てすて京橋きょうばしスタンドすたんど.バアのマダムに、
「わかれて来たきた
それだけ言っていって、それで充分じゅうぶん、つまりいちほん勝負しょうぶはきまって、そのよるから、自分じぶん乱暴にらんぼうにもそこのかい泊りとまり込むこむことになったのですが、しかし、おそろしいはずの「世間せけん」は、自分じぶん何のなんの危害きがい加えくわえませんでしたし、また自分じぶんも「世間せけん」に対してたいして何のなんの弁明べんめいもしませんでした。マダムが、そのだったら、それですべてがいいのでした。
自分じぶんは、そのみせのおきゃくのようでもあり、亭主ていしゅのようでもあり、走り使いはしりづかいのようでもあり、親戚しんせきもののようでもあり、はたから見てみて甚だはなはだ得態の知れしれない存在そんざいだったはずなのに、「世間せけん」は少しもすこしもあやしまず、そうしてそのみせ常連じょうれんたちも、自分じぶんを、ちゃん、ちゃんと呼んでよんで、ひどく優しくやさしく扱いあつかい、そうしておさけ飲まのませてくれるのでした。
自分じぶん世の中よのなか対してたいして次第にしだいに用心ようじんしなくなりました。世の中よのなかというところは、そんなに、おそろしいところでは無いない、と思うおもうようになりました。つまり、これまでの自分じぶん恐怖きょうふかんは、はるかぜにはひゃくにちせき黴菌ばいきんが何十万、銭湯せんとうには、のつぶれる黴菌ばいきんが何十万、床屋とこやには禿頭とくとうびょう黴菌ばいきんが何十万、省線のつりかわには疥癬かいせんむしがうようよ、または、おさしみ、うし豚肉ぶたにくなま焼けやけには、さなだむし幼虫ようちゅうやら、ジストマやら、何やらなにやらたまごなどが必ずかならずひそんでいて、また、はだしで步くとあしうらからガラスがらす小さいちいさい破片はへんがはいって、その破片はへんたいないを駈けめぐりたま突いてついて失明しつめいさせることもあるとかいう謂わばいわば科学かがく迷信めいしん」におびやかされていたようなものなのでした。それは、たしかに何十万もの黴菌ばいきん浮びうかび泳ぎおよぎうごめいているのは、「科学かがくてき」にも、正確なせいかくなことでしょう。と同時にとどうじに、その存在そんざい完全にかんぜんに黙殺もくさつさえすれば、それは自分じぶんとみじんのつながりも無くなってなくなってたちまち消え失せるきえうせる科学かがく幽霊ゆうれい」に過ぎすぎないのだということをも、自分じぶん知るしるようになったのです。お弁当べんとうはこ食べたべ残しのこしのごはんさんつぶ、千万にんいちにちさんつぶずつ食べたべ残してのこして既にすでにそれは、べいなにたわらをむだに捨てたすてたことになる、とか、或いはあるいはいちにち鼻紙はながみいちまい節約せつやくを千万にん行うおこなうならば、どれだけのパルプぱるぷ浮くうくか、などという「科学かがくてき統計とうけい」に、自分じぶんは、どれだけおびやかされ、ごはんをいちつぶでも食べたべ残すのこす度毎に、またはなをかむたびごとに、山ほどやまほどこめ山ほどやまほどパルプぱるぷ空費くうひするような錯覚さっかく悩みなやみ自分じぶんがいま重大なじゅうだいなつみ犯しておかしているみたいな暗いくらい気持きもちになったものですが、しかし、それこそ「科学かがくうそ」「統計とうけいうそ」「数学すうがくうそ」で、さんつぶのごはんは集めあつめられるものでなく、掛算かけざん割算わりざん応用おうよう問題もんだいとしても、まことに原始げんし的でてきでていのうテーマてーまで、電気でんきのついてない暗いくらい便所べんじょの、あのあなひと何度なんどにいちどかたあし踏みはずしてふみはずして落下らっかさせるか、または、省線電車でんしゃ出入しゅつにゅうくちと、プラットホームぷらっとほーむえんとのあの隙間すきまに、乗客じょうきゃくなんにんちゅうなんにんあし落としおとし込むこむか、そんなプロバビリティを計算けいさんするのと同じおなじ程度ていどにばからしく、それは如何にもいかにも有りあり得るえることのようでもありながら、お便所べんじょあなをまたぎそこねて怪我けがをしたというれいは、少しもすこしも聞かきかないし、そんな仮説かせつを「科学かがくてき事実じじつ」として教えおしえ込まこまれ、それを全くまったく現実げんじつとして受取りうけとり恐怖きょうふしていた昨日きのうまでの自分じぶんをいとおしく思いおもい笑いわらいたく思ったおもったくらいに、自分じぶんは、世の中よのなかというものの実体じったい少しずつすこしずつ知ってしって来たきたというわけなのでした。
そうは言っていっても、やはり人間にんげんというものが、まだまだ、自分じぶんにはおそろしく、みせのおきゃく逢うあうのにも、おさけコップこっぷいちはいぐいと飲んでのんでからでなければいけませんでした。こわいもの見たみたさ。自分じぶんは、毎晚、それでもおみせ出てでて子供こどもが、実はじつは少しすこしこわがっている小動ものなどを、かえって強くつよくぎゅっと握ってにぎってしまうみたいに、みせのおきゃくに向って酔ってよってつたない芸術げいじゅつろん吹きかけるふきかけるようにさえなりました。
漫画まんが。ああ、しかし、自分じぶんは、大きなおおきな歓楽かんらくも、また、大きなおおきな悲哀ひあいもない無名むめい漫画まんが。いかに大きなおおきな悲哀ひあいがあとでやって来てきてもいい、荒っぽいあらっぽい大きなおおきな歓楽かんらく欲しいほしい内心ないしんあせってはいても、自分じぶん現在げんざいのよろこびたるや、おきゃくとむだこと言いいい合いあい、おきゃくさけ飲むのむことだけでした。
京橋きょうばしへ来て、こういうくだらない生活せいかつ既にすでにいちねんちかく続けつづけ自分じぶん漫画まんがも、子供こども相手あいて雑誌ざっしだけでなく、えき売りうり粗悪でそあくで卑猥な雑誌ざっしなどにも載るのるようになり、自分じぶんは、上司じょうしいくふと(情死、生きたいきた)という、ふざけ切ったきった匿名とくめいで、汚いきたないはだかのなどき、それにたいていルバイヤットのを插入しました。

[#ここから下げさげ
無駄なむだな祈りいのりなんか止せったら
なみだ誘うさそうものなんか かなぐりすてろ
まア一杯いっぱいいこう 好いことばかり思出おもいだしして
よけいな心づかいこころづかいなんか忘れっわすれちまいな

不安やふあんや恐怖きょうふもてひとおびえやかす奴輩は
作りつくり大それただいそれたつみ怯えおびえ
にしものの復讐ふくしゅう備えそなえんと
あたまにたえずけいいを為す

よべ 酒充ちてわれハートはーと喜びよろこびみちる
けさ さめてただ荒涼こうりょう
いぶかし 一夜いちやさのなか
様変りさまがわりたる此気分きぶん

祟りたたりなんて思うおもうこと止めてやめてくれ
遠くとおくから響くひびく太鼓たいこのように
なにがなしそいつは不安だふあんだ
ひったひたこと迄一々罪に勘定かんじょうされたら助からたすからんわい

正義せいぎ人生じんせい指針ししんたりとや?
さらば塗らぬられたる戦場せんじょう
暗殺あんさつしゃきりとがり
何のなんの正義せいぎ宿れるやどれるや?

いずこに指導しどう原理げんりありや?
いかなる叡智のひかりありや?
わしくも怖れしきは浮世うきよなれ
かよわきひと背負せおい切れきれをば負わおわされ

どうにもできない情慾の種子しゅし植えうえつけられた許りに
ぜんあくざいばちだと呪わのろわるるばかり
どうにもできないただまごつくばかり
抑えおさえ摧くりょく意志いし授けさずけられぬ許りに

どこをどう彷徨さまよいまわってたんだい
ナニなに批判ひはん 検討けんとう さい認識にんしき
ヘッ 空しきむなしきゆめを ありもしないまぼろし
エヘッ さけ忘れたわすれたんで みんな虚仮こけ思案しあん

どうだ 此涯もない大空おおぞら御覧ごらん
ちゅうにポッチリ浮んだうかんだてんじゃい
地球ちきゅうなにんで自転じてんするのか分るもんか
自転じてん 公転こうてん 反転はんてん勝手ですかってですわい

至る処いたるところに 至高しこうちから感じかんじ
あらゆるくににあらゆる民族みんぞく
同一のどういつの人間にんげんせい発見はっけんする
われ異端いたんしゃなりとかや

みんなせいきょうをよみ違えてみちがえてんのよ
でなきゃ常識じょうしきも智慧もないのよ
生身なまみ喜びよろこび禁じたりきんじたり さけ止めたりやめたり
いいわ ムスタッファ わたしそんなの 大嫌いだいきらい
[#ここで下げさげ終わりおわり

けれども、その頃そのころ自分じぶんさけ止めよやめよ、とすすめる処女しょじょがいました。
「いけないわ、毎日まいにち、おひるから、酔ってよっていらっしゃる」
バアの向いの、小さいちいさい煙草たばこの十七、はちむすめでした。ヨシよしちゃんと言いいいいろ白いしろい八重歯やえばのあるでした。自分じぶんが、煙草たばこ買いかい行くいくたびに、笑ってわらって忠告ちゅうこくするのでした。
「なぜ、いけないんだ。どうして悪いわるいんだ。あるだけのさけをのんで、ひとよ、憎悪ぞうお消せけせ消せけせ消せけせ、ってね、むかしペルシャのね、まあよそう、悲しみかなしみ疲れつかれたるハートはーと希望きぼう持ちもちらいすは、ただ微醺をもたらす玉杯なれ、ってね。わかるかい」
「わからない」
「この野郎やろうキスきすしてやるぞ」
「してよ」
ちっとも悪びれわるびれ下唇したくちびる突き出すつきだすのです。
馬鹿ばか野郎やろう。貞操観念かんねん、……」
しかし、ヨシよしちゃんの表情ひょうじょうには、あきらかにだれにも汚さよごされていない処女しょじょのにおいがしていました。
としが明けてあけて厳寒げんかんよる自分じぶん酔ってよって煙草たばこ買いかい出てでて、その煙草たばこまえマンホールまんほーる落ちておちてヨシよしちゃん、たすけてくれえ、と叫びさけびヨシよしちゃんに引き上げひきあげられ、右腕みぎうできず手当てあてを、ヨシよしちゃんにしてもらい、そのときヨシよしちゃんは、しみじみ、
飲みのみすぎますわよ」
笑わわらわずに言いいいました。
自分じぶん死ぬしぬのは平気なへいきなんだけど、怪我けがをして出血しゅっけつしてそうしてしゃなどになるのは、まっぴらごめんのほうですので、ヨシよしちゃんにうできず手当てあてをしてもらいながら、さけも、もういい加減にいいかげんによそうかしら、と思ったおもったのです。
「やめる。あしたから、いちてき飲まのまない」
「ほんとう?」
「きっと、やめる。やめたら、ヨシよしちゃん、ぼくのおよめになってくれるかい?」
しかし、およめけん冗談じょうだんでした。
モチもちよ」
モチもちとは、「勿論もちろん」の略語りゃくごでした。モボだの、モガだの、その頃そのころいろんな略語りゃくごがはやっていました。
「ようし。ゲンげんマンまんしよう。きっとやめる」
そうしてよく自分じぶんは、やはりひるから飲みのみました。
夕方ゆうがた、ふらふらそと出てでてヨシよしちゃんのみせまえ立ちたち
ヨシよしちゃん、ごめんね。飲んじゃのんじゃった」
「あら、いやだ。酔ったよった振りふりなんかして」
ハッとはっとしました。酔いよいもさめた気持きもちでした。
「いや、本当なほんとうなんだ。本当にほんとうに飲んだのんだのだよ。酔ったよった振りふりなんかしてるんじゃない」
「からかわないでよ。ひとがわるい」
てんで疑おううたがおうとしないのです。
見ればみればわかりそうなものだ。きょうも、おひるから飲んだのんだのだ。ゆるしてね」
「お芝居しばいが、うまいのねえ」
芝居しばいじゃあないよ、馬鹿ばか野郎やろうキスきすしてやるぞ」
「してよ」
「いや、ぼくには資格しかく無いない。およめにもらうのもあきらめなくちゃならん。かおなさい、赤いあかいだろう? 飲んだのんだのだよ」
「それあ、夕陽ゆうひ当ってあたっているからよ。かつごうたって、だめよ。きのう約束やくそくしたんですもの。飲むのむはず無いないじゃないの。ゲンげんマンまんしたんですもの。飲んだのんだなんて、ウソうそウソうそウソうそ
薄暗いうすぐらいみせなか坐ってすわって微笑びしょうしているヨシよしちゃんの白いしろいかお、ああ、よごれを知らしらぬヴァジニティてぃ尊いとうといものだ、自分じぶんいままで、自分じぶんよりも若いわかい処女しょじょ寝たねたことがない、結婚けっこんしよう、どんな大きなおおきな悲哀ひあいがそのためにあとからやって来てきてもよい、荒っぽいあらっぽいほどの大きなおおきな歓楽かんらくを、生涯しょうがいにいちどでいい、処女しょじょせい美しうつくしさとは、それは馬鹿なばかな詩人しじん甘いあまい感傷かんしょうまぼろし過ぎすぎぬと思っておもっていたけれども、やはりこの世の中よのなか生きていきて在るあるものだ、結婚けっこんしてはるになったらにん自転車じてんしゃ青葉あおばたき行こういこう、と、その場でそのばで決意けついし、所謂「いちほん勝負しょうぶ」で、そのはな盗むぬすむのにためらうことをしませんでした。
そうして自分じぶんたちは、やがて結婚けっこんして、それに依ってよって得たえた歓楽かんらくは、必ずしもかならずしも大きくおおきくはありませんでしたが、その後そのごに来た悲哀ひあいは、凄惨せいさん言っていって足りたりないくらい、実にじつに想像そうぞう絶してぜっして大きくおおきくやってました。自分じぶんにとって、「世の中よのなか」は、やはりそこ知れしれず、おそろしいところでした。決してけっして、そんないちほん勝負しょうぶなどで、なにからなにまできまってしまうような、なまやさしいところでも無かったなかったのでした。

堀木と自分じぶん
互いにたがいに軽蔑けいべつしながら附き合いあい、そうして互いにたがいに自らみずからをくだらなくして行くいく、それがこの世このよところ謂「交友こうゆう」というものの姿すがただとするなら、自分じぶんと堀木との間柄あいだがらも、まさしく「交友こうゆう」に違いちがいありませんでした。
自分じぶんがあの京橋きょうばしスタンドすたんど.バアのマダムの義侠心にすがり、(おんなのひとの義侠心なんて、言葉ことば奇妙なきみょうな遣いつかいかたですが、しかし、自分じぶん経験けいけん依るよると、少くすくなくとも都会とかいの[#「都会とかいの」に傍点ぼうてん男女だんじょ場合ばあいおとこよりもおんなのほうが、その、義侠心とでもいうべきものをたっぷりと持ってもっていました。おとこはたいてい、おっかなびっくりで、おていさいばかり飾りかざり、そうして、ケチでしたけちでした)あの煙草たばこのヨシ子を内縁ないえんつまにすること出来てできて、そうして築地つきじ隅田川すみだがわ近くちかく木造もくぞうかい建てたて小さいちいさいアパートあぱーと階下かいか一室いっしつ借りかり、ふたりで住みすみさけ止めてとめて、そろそろ自分じぶんていった職業しょくぎょうになりかけて来たきた漫画まんが仕事しごとせい出しだし夕食ゆうしょくにん映画えいが出かけでかけ帰りかえりには、喫茶きっさてんなどにはいり、また、はなはち買ったりかったりして、いや、それよりも自分じぶんをしんから信頼しんらいしてくれているこの小さいちいさい花嫁はなよめ言葉ことば聞ききき動作どうさ見てみているのが楽しくたのしく、これは自分じぶんもひょっとしたら、いまにだんだん人間にんげんらしいものになること出来てできて悲惨なひさんなかたなどせずにすむのではなかろうかという甘いあまい思いしいを幽かにむねにあたためはじめていた矢先やさきに、堀木がまた自分じぶん眼前がんぜん現われあらわれました。
「よう! 色魔。おや? これでも、いくらか分別ぶんべつくさいかおになりやがった。きょうは、高円寺女史じょしからのお使者ししゃなんだがね」
言いいいかけて、急にきゅうにこえをひそめ、お勝手でかってでちゃ仕度したくをしているヨシ子のほうをあごでしゃくって、大丈夫だいじょうぶかい? とたずねますので、
「かまわない。なに言っていってもいい」
自分じぶん落ちついておちついて答えこたえました。
じっさい、ヨシ子は、信頼しんらい天才てんさい言いいいたいくらい、京橋きょうばしのバアのマダムとのあいだはもとより、自分じぶん鎌倉かまくら起したおこした事件じけん知らせてしらせてやっても、ツネつねとのあいだ疑わうたがわず、それは自分じぶんうそがうまいからというわけでは無くなくときには、あからさまな言いいいかたをすることさえあったのに、ヨシ子には、それがみな冗談じょうだんとしか聞きききとれぬ様子ようすでした。
そう変らかわらず、しょっていやがる。なに、たいしたじゃないがね、たまには、高円寺のほうへも遊びあそびに来てくれってくれていう伝言でんごんさ」
忘れわすれかけると、怪鳥が羽ばたいてはばたいてやって来てきて記憶きおく傷口きずぐちをその嘴で突き破りつきやぶります。たちまち過去かこはじつみ記憶きおくが、ありありと眼前がんぜん展開てんかいせられ、わあっと叫びさけびたいほどの恐怖きょうふで、坐ってすわっておられなくなるのです。
飲もうのもうか」
自分じぶん
「よし」
と堀木。
自分じぶんと堀木。かたちは、ふたり似てにていました。そっくりの人間にんげんのようながすることもありました。もちろんそれは、安いやすいさけをあちこち飲みのみ步いているときだけのことでしたが、とにかく、ふたりかお合せるあわせると、みるみる同じおなじかたち同じおなじ毛並けなみいぬ変りかわり降雪こうせつのちまたを駈けめぐるという合いあいになるのでした。
そのにち以来いらい自分じぶんたちは再びふたたび旧交きゅうこうをあたためたというかたちになり、京橋きょうばしのあの小さいちいさいバアにも一緒にいっしょに行きいき、そうして、とうとう、高円寺のシヅアパートあぱーとにもその泥酔でいすいひきいぬ訪問ほうもんし、宿泊しゅくはくして帰るかえるなどということにさえなってしまったのです。
忘れわすれも、しません。むし暑いむしあついなつよるでした。堀木は日暮ころ、よれよれの浴衣ゆかた着てきて築地つきじ自分じぶんアパートあぱーとにやって来てきて、きょう或るある必要ひつようがあって夏服なつふくを質入したが、その質入が老母ろうぼ知れるしれるとまことに合いあい悪いわるい、すぐ受けうけ出しだしたいから、とにかくかね貸してかしてくれ、ということでした。あいにく自分じぶんのところにも、おかね無かったなかったので、れい依ってよって、ヨシ子に言いつけいいつけ、ヨシ子の衣類いるい質屋しちや持ってもって行かいかせておかね作りつくり、堀木に貸してかしても、まだ少しすこし余るあまるのでその残金ざんきんでヨシ子に焼酎しょうちゅう買わかわせ、アパートあぱーと屋上おくじょう行きいき隅田川すみだがわから時たまときたま幽かに吹いてふいて来るくるどぶ臭いくさいかぜ受けてうけて、まことに薄汚いうすぎたない納涼のうりょうえん張りはりました。
自分じぶんたちはそのとき喜劇きげき名詞めいし悲劇ひげき名詞めいし当てあてっこをはじめました。これは、自分じぶん発明はつめいした遊戯ゆうぎで、名詞めいしには、すべて男性だんせい名詞めいし女性じょせい名詞めいし中性ちゅうせい名詞めいしなどのべつがあるけれども、それと同時にどうじに喜劇きげき名詞めいし悲劇ひげき名詞めいし区別くべつがあって然るべきだ、たとえば、汽船きせん汽車きしゃはいずれも悲劇ひげき名詞めいしで、市電しでんバスばすは、いずれも喜劇きげき名詞めいし、なぜそうなのか、それのわからぬもの芸術げいじゅつだんずるに足らたらん、喜劇きげきいちでも悲劇ひげき名詞めいしをさしはさんでいる劇作げきさくは、既にすでにそれだけで落第らくだい悲劇ひげき場合ばあいもまた然りしかり、といったようなわけなのでした。
「いいかい? 煙草たばこは?」
自分じぶん問いといます。
トラとら。(悲劇ひげきりゃく)」
と堀木が言下げんか答えこたえます。
くすりは?」
粉薬こなぐすりかい? 丸薬がんやくかい?」
注射ちゅうしゃ
トラとら
「そうかな? ホルモンほるもん注射ちゅうしゃもあるしねえ」
「いや、断然だんぜんトラとらだ。はりだいいちお前おまえ立派なりっぱなトラとらじゃないか」
「よし、負けてまけて置こうおこう。しかし、きみやく医者いしゃはね、あれで案外あんがいコメこめ喜劇きげきりゃく)なんだぜ。は?」
コメこめ牧師ぼくし和尚おしょうも然りじゃね」
「大出。そうして、せいトラとらだなあ」
「ちがう。それも、コメこめ
「いや、それでは、何でもなんでもかでもみんなコメこめになってしまう。ではね、もういちつおたずねするが、漫画まんがは? よもや、コメこめとは言えいえませんでしょう?」
トラとらトラとら。大悲げき名詞めいし!」
「なんだ、だいトラとらきみのほうだぜ」
こんな、下手なへたな駄洒落だじゃれみたいなことになってしまっては、つまらないのですけど、しかし自分じぶんたちはその遊戯ゆうぎを、世界せかいサロンさろんにもなめつて存しなかった頗るのきいたものだと得意とくいがっていたのでした。
またもういちつ、これに似たにた遊戯ゆうぎ当時とうじ自分じぶん発明はつめいしていました。それは、対義語たいぎご当てあてっこでした。くろのアント(対義語たいぎごりゃく)は、しろ。けれども、しろのアントは、あかあかのアントは、くろ
はなのアントは?」
自分じぶん問うとうと、堀木はくち曲げてまげて考えかんがえ
「ええっと、花月かげつという料理りょうりがあったから、つきだ」
「いや、それはアントになっていない。むしろ、同義語どうぎごだ。ほしと菫だって、シノニムじゃないか。アントでない」
「わかった、それはね、はちだ」
ハチはち?」
牡丹ぼたんに、……ありか?」
「なあんだ、それは画題がだいだ。ごまかしちゃいけない」
「わかった! はなにむらくも、……」
つきにむらくもだろう」
「そう、そう。はなかぜかぜだ。はなのアントは、かぜ
「まずいなあ、それは浪花節なにわぶし文句もんくじゃないか。おさとが知れるしれるぜ」
「いや、琵琶びわだ」
「なおいけない。はなのアントはね、……およそこの世このよ最ももっともはならしくないもの、それをこそ挙げるあげるべきだ」
「だから、その、……待てよまてよ、なあんだ、おんなか」
「ついでに、おんなのシノニムは?」
臓物ぞうもつ
きみは、どうも、知らしらんね。それじゃあ、臓物ぞうもつのアントは?」
牛乳ぎゅうにゅう
「これは、ちょっとうまいな。その調子ちょうしでもういちつ。はじ。オントのアント」
恥知らずはじしらずさ。流行りゅうこう漫画まんが上司じょうし幾太」
「堀木正雄まさおは?」
このへんからにんだんだん笑えわらえなくなって、焼酎しょうちゅう酔いよい特有のとくゆうの、あのガラスがらす破片はへんあたま充満じゅうまんしているような、かげうつ気分きぶんになって来たきたのでした。
生意気なまいき言ういうな。おれはまだお前おまえのように、繩目の恥辱ちじょくなど受けたうけたこと無えんだむえんだ
ぎょっとしました。堀木は内心ないしん自分じぶんを、まこと人間にんげんあつかいにしていなかったのだ、自分じぶんをただ、にぞこないの、恥知らずのはじしらずの阿呆あほのばけものの、謂わばいわば生けるいけるしかばね」としか解してかいしてくれず、そうして、かれ快楽かいらくのために、自分じぶん利用りようできるところだけは利用りようする、それっきりの「交友こうゆう」だったのだ、と思ったらおもったら、さすがにいい気持きもちはしませんでしたが、しかしまた、堀木が自分じぶんをそのように見てみているのも、もっともなはなしで、自分じぶんむかしから、人間にんげん資格しかく無いないみたいな子供こどもだったのだ、やっぱり堀木にさえ軽蔑けいべつせられて至当なのかも知れしれない、と考えかんがえ直しなおし
つみつみのアントニムは、なにだろう。これは、むずかしいぞ」
何気無なにげなさそうな表情ひょうじょう装ってよそおって言ういうのでした。
法律ほうりつさ」
堀木が平然とへいぜんとそう答えこたえましたので、自分じぶんは堀木のかお見直しみなおしました。近くちかくビルびる明滅めいめつするネオンねおんサインさいん赤いあかいひかり受けてうけて、堀木のかおは、おに刑事けいじ如くごとく威厳いげんありげに見えみえました。自分じぶんは、つくづく呆れあきれかえり、
つみってのは、きみ、そんなものじゃないだろう」
つみ対義語たいぎごが、法律ほうりつとは! しかし、世間せけんひとたちは、みんなそれくらいに簡単にかんたんに考えてかんがえて澄ましてすまして暮してくらしているのかも知れしれません。刑事けいじのいないところにこそつみがうごめいている、と。
「それじゃあ、なんだい、かみか? お前おまえには、どこかヤソ坊主ぼうずくさいところがあるからな。いや味だいやみだぜ」
「まあそんなに、軽くかるく片づけるかたづけるなよ。も少しすこしにん考えてかんがえて見ようみよう。これはでも、面白いおもしろいテーマてーまじゃないか。このテーマてーま対するたいするこたえいちつで、そのひとの全部ぜんぶがわかるようながするのだ」
「まさか。……つみのアントは、さ。善良なるぜんりょうなる市民しみん。つまり、おれみたいなものさ」
冗談じょうだんは、よそうよ。しかし、ぜんあくのアントだ。つみのアントではない」
あくつみとは違うちがうのかい?」
違うちがう、と思うおもう善悪ぜんあく概念がいねん人間にんげん作ったつくったものだ。人間にんげん勝手にかってに作ったつくった道徳どうとく言葉ことばだ」
「うるせえなあ。それじゃ、やっぱり、かみだろう。かみかみ。なんでも、かみにして置けばおけば間違いまちがいない。はらがへったなあ」
「いま、したでヨシ子がそら豆を煮てにている」
「ありがてえ。好物こうぶつだ」
両手りょうてあたまのうしろに組んでくんで仰向あおむきにごろりとました。
きみには、つみというものが、まるで興味きょうみないらしいね」
「そりゃそうさ、お前おまえのように、罪人ざいにんでは無いないんだから。おれは道楽どうらくはしても、おんな死なしなせたり、おんなからきん巻き上げたりまきあげたりなんかはしねえよ」
死なしなせたのではない、巻き上げたまきあげたのではない、とこころ何処どこかで幽かな、けれども必死のひっしの抗議こうぎこえ起っておこっても、しかし、また、いや自分じぶん悪いわるいのだとすぐに思いおもいかえしてしまうこの習癖。
自分じぶんには、どうしても、正面切ってしょうめんきって議論ぎろん出来できません。焼酎しょうちゅうかげうつ酔いよいのために刻一刻こくいっこく気持きもち険しくけわしくなって来るくるのを懸命にけんめいに抑えておさえて、ほとんど独りひとりごとのようにして言いいいました。
「しかし、牢屋ろうやにいれられることだけがざいじゃないんだ。つみのアントがわかれば、つみ実体じったいもつかめるようながするんだけど、……かみ、……救いすくい、……あい、……ひかり、……しかし、かみにはサタンというアントがあるし、救いすくいのアントは苦悩くのうだろうし、あいには憎しみにくしみひかりにはやみというアントがあり、ぜんにはあくつみ祈りいのりつみ悔いくいつみ告白こくはくつみと、……嗚呼、みんなシノニムだ、つみ対語ついごなにだ」
「ツミの対語ついごは、ミツさ。みつ如くごとく甘しあましだ。はらがへったなあ。なに食うくうものを持ってもって来いこいよ」
きみ持ってもって来たらきたらいいじゃないか!」
ほとんど生れてうまれてはじめてと言っていっていいくらいの、烈しい怒りいかりこえました。
「ようし、それじゃ、したへ行っていってヨシよしちゃんとにんつみ犯しておかして来ようこよう議論ぎろんより実地じっち検分。つみのアントは、蜜豆、いや、そら豆か」
ほとんど、ろれつの廻らまわらぬくらいに酔ってよっているのでした。
勝手にかってにしろ。どこかへ行っいっちまえ!」
つみ空腹くうふく空腹くうふくとそら豆、いや、これはシノニムか」
出鱈目でたらめ言いいいながら起き上りおきあがります。
つみばち。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳ずのう片隅かたすみをかすめて通りとおり、はっと思いおもいました。もしも、あのドストが、つみばちをシノニムと考えかんがえず、アントニムとして置きおき並べたならべたものとしたら? つみばち絶対ぜったいあい通ぜつうぜざるもの、氷炭相容れざるもの。つみばちをアントとして考えたかんがえたドストのあおみどろ、腐ったくさったいけ、乱麻の奥底おくそこの、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……などと頭脳ずのう走馬そうま燈がくるくる廻ってまわっていたときに、
「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」
堀木のこえ顔色かおいろ変ってかわっています。堀木は、たったいまふらふら起きておきてしたへ行ったいった、かと思うおもうとまたひき返してかえして来たきたのです。
「なんだ」
異様にいように殺気さっき立ちたち、ふたり、屋上おくじょうからかい降りふりかいから、さらに階下かいか自分じぶん部屋へや降りるおりる階段かいだん中途ちゅうとで堀木は立ち止りたちどまり
見ろみろ!」
小声こごえ言っていって指差しゆびさします。
自分じぶん部屋へやうえの小窓があいていて、そこから部屋へやなか見えみえます。電気でんきがついたままで、ひき動物どうぶつがいました。
自分じぶんは、ぐらぐらまいしながら、これもまた人間にんげん姿すがただ、これもまた人間にんげん姿すがただ、おどろくこと無いない、などげきしい呼吸こきゅう共にともにむねなか呟きつぶやき、ヨシ子を助けるたすけること忘れわすれ階段かいだん立ちたちつくしていました。
堀木は、大きいおおきい咳ばらいせきばらいをしました。自分じぶんは、ひとり逃げるにげるようにまた屋上おくじょうに駈け上りのぼり寝ころびねころびあめ含んだふくんだなつ夜空よぞら仰ぎあおぎ、そのとき自分じぶん襲ったおそった感情かんじょうは、怒りいかりでも無くなく嫌悪けんおでも無くなく、また、悲しみかなしみでも無くなく、もの凄まじい恐怖きょうふでした。それも、墓地ぼち幽霊ゆうれいなどに対するたいする恐怖きょうふではなく、神社じんじゃすぎ木立こだち白衣はくい神体しんたい逢ったあったとき感ずるかんずるかも知れしれないような、よん言わいわさぬ古代こだい荒々しいあらあらしい恐怖きょうふかんでした。自分じぶんわか白髪しらがは、そのよるからはじまり、いよいよ、すべてに自信じしん失いうしない、いよいよ、ひとをそこ知れしれ疑いうたがいこの世このよ営みいとなみ対するたいする一さいいっさい期待きたい、よろこび、共鳴きょうめいなどから永遠にえいえんにはなれるようになりました。実にじつに、それは自分じぶん生涯しょうがい於いておいて決定けってい的なてきな事件じけんでした。自分じぶんは、まっこうから眉間みけん割らわられ、そうしてそれ以来いらいそのきずは、どんな人間にんげんにでも接近せっきんするごと痛むいたむのでした。
どうじょうはするが、しかし、お前おまえもこれで、少しすこし思い知ったろうおもいしったろう。もう、おれは、二度とにどとここへは来ないよ。まるで、地獄じごくだ。……でも、ヨシよしちゃんは、ゆるしてやれ。お前おまえだって、どうせ、ろくなやつじゃないんだから。失敬しっけいするぜ」
気まずいきまずい場所ばしょに、永くながくとどまっているほど抜けたぬけた堀木ではありませんでした。
自分じぶん起き上っておきあがって、ひとりで焼酎しょうちゅう飲みのみ、それから、おいおいこえ放ってはなって泣きなきました。いくらでも、いくらでも泣けるなけるのでした。
いつのまにか、背後はいごに、ヨシ子が、そら豆を山盛りやまもりにしたおさら持ってもってぼんやり立ってたっていました。
「なんにも、しないからって言っていって、……」
「いい。何もなにも言ういうな。おまえは、ひとを疑ううたがうこと知らしらなかったんだ。お坐りすわりまめ食べようたべよう
並んでならんで坐ってすわってまめ食べたべました。嗚呼、信頼しんらいつみなりや? 相手あいておとこは、自分じぶん漫画まんがをかかせては、わずかなおかねもったい振ってもったいぶって置いておいて行くいく三十さい前後ぜんご無学むがくな小男の商人しょうにんなのでした。
さすがにその商人しょうにんは、その後そのごやってはませんでしたが、自分じぶんには、どうしてだか、その商人しょうにん対するたいする憎悪ぞうおよりも、さいしょに見つけたみつけたすぐそのとき大きいおおきい咳ばらいせきばらい何もなにもせず、そのまま自分じぶん知らせしらせにまた屋上おくじょうひき返してかえして来たきた堀木に対するたいする憎しみにくしみ怒りいかりが、眠らねむられぬよるなどにむらむら起って呻きうめきました。
ゆるすも、ゆるさぬもありません。ヨシ子は信頼しんらい天才てんさいなのです。ひとを疑ううたがうこと知らしらなかったのです。しかし、それゆえの悲惨ひさん
かみ問うとう信頼しんらいつみなりや。
ヨシ子が汚さよごされたということよりも、ヨシ子の信頼しんらい汚さよごされたということが、自分じぶんにとってそののち永くながく生きていきておられないほどの苦悩くのうしゅになりました。自分じぶんのような、いやらしくおどおどして、ひとのかおいろばかり伺いうかがいひと信じるしんじる能力のうりょくが、ひび割れてひびわれてしまっているものにとって、ヨシ子の無垢のむくの信頼しんらいこころは、それこそ青葉あおばたきのようにすがすがしく思わおもわれていたのです。それが一夜いちやで、黄色いきいろい汚水おすい変ってかわってしまいました。見よみよ、ヨシ子は、そのよるから自分じぶんいちひそめ一笑いっしょうにさえ遣うつかうようになりました。
「おい」
呼ぶよぶと、ぴくっとして、もうがんやり場やりば困ってこまっている様子ようすです。どんなに自分じぶん笑わわらわせようとして、お道化どうけ言っていっても、おろおろし、びくびくし、やたらに自分じぶん敬語けいご遣うつかうようになりました。
果してはたして無垢のむくの信頼しんらいこころは、つみ原泉げんせんなりや。
自分じぶんは、人妻ひとづま犯さおかされた物語ものがたりほんを、いろいろ捜してさがして読んでよんでみました。けれども、ヨシ子ほど悲惨なひさんな犯さおかさかたをしているおんなは、ひとりも無いない思いおもいました。どだい、これは、てんで物語ものがたりにも何もなにもなりません。あの小男の商人しょうにんと、ヨシ子とのあいだに、少しすこしでもこい似たにた感情かんじょうでもあったなら、自分じぶん気持きもちもかえってたすかるかも知れしれませんが、ただ、なつ一夜いちや、ヨシ子が信頼しんらいして、そうして、それっきり、しかもそのために自分じぶん眉間みけんは、まっこうから割らわらこえ嗄れてしわがれてわか白髪しらががはじまり、ヨシ子は一生いっしょうおろおろしなければならなくなったのです。たいていの物語ものがたりは、そのつまの「行為こうい」をおっと許すゆるすかどうか、そこに重点じゅうてん置いておいていたようでしたが、それは自分じぶんにとっては、そんなに苦しいくるしいだい問題もんだいでは無いないように思わおもわれました。許すゆるす許さゆるさぬ、そのような権利けんり留保りゅうほしているおっとこそ幸いなるさいわいなる哉、とても許すゆるすこと出来できぬと思ったおもったなら、何もなにもそんなに大騒ぎおおさわぎせずとも、さっさとつま離縁りえんして、新しいあたらしいつま迎えたらむかえたらどうだろう、それが出来できなかったら、所謂「許してゆるして我慢がまんするさ、いずれにしてもおっと気持きもちいちつで四方八方しほうはっぽうがまるくおさむるだろうに、というさえするのでした。つまり、そのような事件じけんは、たしかにおっとにとって大いなるおおいなるショックしょっくであっても、しかし、それは「ショックしょっく」であって、いつまでも尽きるつきること無くなく打ちうち返しかえし打ち寄せるうちよせるなみ違いちがい権利けんりのあるおっと怒りいかりでもってどうにでも処理しょりできるトラブルとらぶるのように自分じぶんには思わおもわれたのでした。けれども、自分じぶんたちの場合ばあいおっと何のなんの権利けんり無くなく考えるかんがえる何もかもなにもかも自分じぶんがわるいようながして来てきて怒るおこるどころか、おこごといちつも言えいえず、また、そのつまは、その所有しょゆうしている稀なまれなしち依ってよって犯さおかされたのです。しかも、そのしつは、おっとのかねてあこがれの、無垢のむくの信頼しんらいこころというたまらなく可憐なかれんなものなのでした。
無垢のむくの信頼しんらいこころは、つみなりや。
唯一ゆいいつのたのみのしちにさえ、疑惑ぎわく抱きいだき自分じぶんは、もはや何もかもなにもかも、わけがわからなくなり、おもむくところは、ただアルコールあるこーるだけになりました。自分じぶんかお表情ひょうじょう極度にきょくどにいやしくなり、あさから焼酎しょうちゅう飲みのみがぼろぼろに欠けてかけて漫画まんがもほとんど猥画に近いちかいものをかくくようになりました。いいえ、はっきり言いいいます。自分じぶんその頃そのころから、春画しゅんがのコピイをして密売みつばいしました。焼酎しょうちゅう買うかうかねがほしかったのです。いつも自分じぶんから視線しせんをはずしておろおろしているヨシ子を見るみると、こいつは全くまったく警戒けいかい知らしらおんなだったから、あの商人しょうにんといちどだけでは無かったなかったのではなかろうか、また、堀木は? いや、或いはあるいは自分じぶん知らしらないひととも? と疑惑ぎわく疑惑ぎわく生みうみ、さりとて思い切っておもいきってそれを問いとい正すただす勇気ゆうき無くなく、れいの不安ふあん恐怖きょうふにのたうち廻るまわる思いしいで、ただ焼酎しょうちゅう飲んでのんで酔ってよっては、わずかに卑屈なひくつな誘導ゆうどう訊問じんもんみたいなものをおっかなびっくり試みこころみ内心ないしんおろかしく一喜一憂いっきいちゆうし、うわべは、やたらにお道化どうけて、そうして、それから、ヨシ子にいまわしい地獄じごく愛撫あいぶ加えくわえどろのように眠りこけるねむりこけるのでした。
その年の暮、自分じぶんよるおそく泥酔でいすいして帰宅きたくし、砂糖さとうみず飲みのみたく、ヨシ子は眠ってねむっているようでしたから、自分じぶんでお勝手にかってに行きいき砂糖さとうつぼ捜しさがし出しだし、ふたを開けてあけてみたら砂糖さとう何もなにもはいってなくて、黒くくろく細長いほそながいかみしょうはこがはいっていました。何気なくなにげなく取りとり、そのはこにはられてあるレッテルれってる見てみて愕然とがくぜんとしました。そのレッテルれってるは、つめ半分はんぶん以上いじょう掻きかきはがされていましたが、洋字の部分ぶぶん残ってのこっていて、それにはっきり書かかかれていました。DIAL。
ジアール。自分じぶんその頃そのころもっぱら焼酎しょうちゅうで、催眠さいみんざい用いてもちいてはいませんでしたが、しかし、不眠ふみん自分じぶん持病じびょうのようなものでしたから、たいていの催眠さいみんざいにはお馴染みなじみでした。ジアールのこのはこいちつは、たしかに致死ちしりょう以上いじょうはずでした。まだはこふう切ってきってはいませんでしたが、しかし、いつかは、やるで[#「やるで」に傍点ぼうてん]こんなところに、しかもレッテルれってる掻きかきはがしたりなどして隠してかくしていたのに違いちがいありません。可哀想にかわいそうに、あのにはレッテルれってるよう読めよめないので、つめ半分はんぶん掻きかきはがして、これで大丈夫だいじょうぶ思っておもっていたのでしょう。(お前おまえつみ無いない
自分じぶんは、おと立てたてないようにそっとコップこっぷみず満たしみたし、それから、ゆっくりはこふう切ってきって全部ぜんぶ一気にいっきにくちなかにほうり、コップこっぷみず落ちついておちついて飲みほしのみほし、電燈を消してけしてそのままました。
さん昼夜ちゅうや自分じぶん死んだしんだようになっていたそうです。医者いしゃ過失かしつ見なしてみなして警察けいさつにとどけるのを猶予ゆうよしてくれたそうです。覚醒かくせいしかけて、一ばんひとばんさきに呟いたつぶやいたうわごとは、うちへ帰るかえる、という言葉ことばだったそうです。うちとは、どこのこと差してさして言ったいったのか、当のとうの自分じぶんにも、よくわかりませんが、とにかく、そう言っていって、ひどく泣いたないたそうです。
次第にしだいにきりがはれて、見るみると、枕元まくらもとヒラメひらめが、ひどく不機嫌なふきげんなかおをして坐ってすわっていました。
「このまえも、年の暮のことでしてね、お互いおたがいもう、廻るまわるくらいいそがしいのに、いつも、年の暮をねらって、こんなことをやられたひには、こっちのいのちがたまらない」
ヒラメひらめはなし聞きききになっているのは、京橋きょうばしのバアのマダムでした。
「マダム」
自分じぶん呼びよびました。
「うん、何? がついた?」
マダムは笑い顔わらいがお自分じぶんかおうえにかぶせるようにして言いいいました。
自分じぶんは、ぽろぽろなみだ流しながし
「ヨシ子とわかれさせて」
自分じぶんでも思いがけなかったおもいがけなかった言葉ことばました。
マダムは起しおこし、幽かな溜息ためいきをもらしました。
それから自分じぶんは、これもまた実にじつに思いがけないおもいがけない滑稽こっけいとも阿呆らしいあほらしいとも、形容けいよう苦しむくるしむほどの失言しつげんをしました。
ぼくは、おんなのいないところに行くいくんだ」
うわっはっは、とまず、ヒラメひらめ大声おおごえ挙げてあげて笑いわらい、マダムもクスクスくすくす笑いわらい出しだし自分じぶんなみだ流しながしながら赤面せきめんの態になり、苦笑くしょうしました。
「うん、そのほうがいい」
ヒラメひらめは、いつまでもだらし無くなく笑いわらいながら、
おんなのいないところに行ったいったほうがよい。おんながいると、どうもいけない。おんなのいないところとは、いい思いしいつきです」
おんなのいないところ。しかし、この自分じぶん阿呆あほくさいうわごとは、のちに到って、非常にひじょうに陰惨にいんさんに実現じつげんせられました。
ヨシ子は、なにか、自分じぶんがヨシ子の身代りみがわりになってどく飲んだのんだとでも思いおもい込んでこんでいるらしく、以前いぜんよりもなおいっそう、自分じぶん対してたいして、おろおろして、自分じぶんなに言っていって笑わわらわず、そうしてろくにくちもきけないような有様ありさまなので、自分じぶんアパートあぱーと部屋へやなかにいるのが、うっとうしく、ついそと出てでてそう変らかわら安いやすいさけをあおることになるのでした。しかし、あのジアールのいちけん以来いらい自分じぶんのからだがめっきり痩せ細ってやせほそって手足てあしがだるく、漫画まんが仕事しごと怠けなまけがちになり、ヒラメひらめがあのとき見舞いみまいとして置いておいて行ったおこなったかねヒラメひらめはそれを、渋田のこころざしです、と言っていっていかにもご自身じしんから出たでたかねのようにして差出しさしだしましたが、これも故郷こきょうあにたちからのおかねのようでした。自分じぶんもそのころには、ヒラメひらめいえから逃げにげ出しただしたあのときとちがって、ヒラメひらめのそんなもったい振ったふった芝居しばいを、おぼろげながら見抜くみぬくこと出来るできるようになっていましたので、こちらもずるく、全くまったく気づかきづか振りふりをして、神妙にしんみょうにそのおかねお礼おれいヒラメひらめに向って申し上げたもうしあげたのでしたが、しかし、ヒラメひらめたちが、なぜ、そんなややこしいカラクリからくりをやらかすのか、わかるような、わからないような、どうしても自分じぶんには、へんながしてなりませんでした)そのおかねで、思い切っておもいきってひとりで南伊豆みなみいず温泉おんせん行っていってみたりなどしましたが、とてもそんな悠長なゆうちょうな温泉おんせんめぐりなど出来るできるがらではなく、ヨシ子を思えばおもえば侘びわびしさ限りなくかぎりなく宿やど部屋へやからやま眺めるながめるなどの落ちついたおちついた心境しんきょうには甚だはなはだ遠くとおく、ドテラにもちゃく換えかえず、おにもはいらず、そと飛び出してとびだして薄汚いうすぎたない茶店ちゃみせみたいなところに飛びとび込んでこんで焼酎しょうちゅうを、それこそ浴びるあびるほど飲んでのんで、からだ合いあい一そういっそう悪くわるくして帰京ききょうしただけのことでした。
東京とうきょう大雪おおゆき降ったふったでした。自分じぶん酔ってよって銀座ぎんざうらを、ここはお国おくにを何百さと、ここはお国おくにを何百さと、と小声こごえ繰り返しくりかえし繰り返しくりかえし呟くつぶやくように歌いうたいながら、なおも降りつもるふりつもるゆきくつさき蹴散らしてけちらして步いて、突然とつぜん吐きはきました。それは自分じぶん最初のさいしょの喀血かっけつでした。ゆきうえに、大きいおおきい日の丸ひのまるはた出来できました。自分じぶんは、しばらくしゃがんで、それから、よごれていない個所かしょゆき両手りょうて掬い取ってすくいとってかお洗いあらいながら泣きなきました。
こうこは、どうこの細道ほそみちじゃ?
こうこは、どうこの細道ほそみちじゃ?
哀れなあわれな童女の歌声うたごえが、幻聴げんちょうのように、かすかに遠くとおくから聞えきこえます。不幸ふこうこの世このよには、さまざまの不幸なふこうなひとが、いや、不幸なふこうなじんばかり、と言っていって過言かごんではないでしょうが、しかし、そのひとたちの不幸ふこうは、所謂世間せけん対してたいして堂々とどうどうと抗議こうぎ出来でき、また「世間せけん」もそのひとたちの抗議こうぎ容易によういに理解りかい同情どうじょうします。しかし、自分じぶん不幸ふこうは、すべて自分じぶん罪悪ざいあくからなので、だれにも抗議こうぎ仕様しよう無いないし、また口ごもりくちごもりながら一言ひとことでも抗議こうぎめいたこと言いいいかけると、ヒラメひらめならずとも世間せけんひとたち全部ぜんぶ、よくもまあそんなくちがきけたものだと呆れあきれかえるに違いないちがいないし、自分じぶんはいったい俗にぞくにいう「わがままもの」なのか、またはその反対はんたいに、よわすぎるのか、自分じぶんでもわけがわからないけれども、とにかく罪悪ざいあくのかたまりらしいので、どこまでも自らみずからどんどん不幸にふこうになるばかりで、防ぎふせぎ止めるとめる具体ぐたいさくなど無いないのです。
自分じぶん立ってたって取り敢えずとりあえずなに適当なてきとうなくすりをと思いおもい近くちかく薬屋くすりやにはいって、そこの奥さんおくさんかお見合せみあわせ瞬間しゅんかん奥さんおくさんは、フラッシュふらっしゅ浴びたあびたみたいにくびをあげ見はりみはり棒立ちぼうだちになりました。しかし、その見はったみはったには、驚愕きょうがくいろ嫌悪けんおいろ無くなく、ほとんど救いすくい求めるもとめるような、慕うしたうようないろがあらわれているのでした。ああ、このひとも、きっと不幸なふこうなひとなのだ、不幸なふこうなひとは、ひとの不幸にふこうに敏感なびんかんなものなのだから、と思ったおもったとき、ふと、その奥さんおくさん松葉杖まつばづえをついて危かしく立ってたっているのにがつきました。駈け寄りよりたい思いしい抑えておさえて、なおもその奥さんおくさんかお見合せてみあわせているうちになみだ出てでてました。すると、奥さんおくさん大きいおおきいからも、なみだがぽろぽろとあふれてました。
それっきり、一言ひとことくちをきかずに、自分じぶんはその薬屋くすりやから出てでて、よろめいてアパートあぱーと帰りかえり、ヨシ子に塩水しおみず作らつくらせて飲みのみ黙ってだまって寝てねてよくも、風邪かぜ気味だぎみだうそをついていちにちいちぱい寝てねてよる自分じぶん秘密のひみつの喀血かっけつがどうにも不安でふあんでたまらず、起きておきて、あの薬屋くすりや行きいき、こんどは笑いわらいながら、奥さんおくさんに、実にじつに素直にすなおに今迄のからだ合いあい告白こくはくし、相談そうだんしました。
「おさけをおよしにならなければ」
自分じぶんたちは、にくのようでした。
アルあるなかになっているかも知れしれないんです。いまでも飲みのみたい」
「いけません。わたし主人しゅじんも、テーベのくせに、きんさけ殺すころすんだなんて言っていってさけびたりになって、自分じぶんから寿命じゅみょうをちぢめました」
不安でふあんでいけないんです。こわくて、とても、だめなんです」
「おくすり差し上げさしあげます。おさけだけは、およしなさい」
奥さんおくさん未亡人みぼうじんで、男の子おとこのこがひとり、それは千葉ちばだかどこだかのおおにはいって、間もなくまもなくちち同じおなじ病いにかかり、休学きゅうがく入院にゅういんちゅうで、いえにはなかふうしゅうと寝てねていて、奥さんおくさん自身じしんさいおり小児しょうに痲痺で片方かたほうあし全然ぜんぜんだめなのでした)は、松葉杖まつばづえコトコトことこと突きつきながら、自分じぶんのためにあっちのたな、こっちの引出しひきだし、いろいろと薬品やくひんとりそろえてくれるのでした。
これは、造血ぞうけつざい
これは、ヴィタミンの注射ちゅうしゃえき注射ちゅうしゃは、これ。
これは、カルシウムかるしうむ錠剤じょうざい胃腸いちょうをこわさないように、ジアスターゼ。
これは、なに。これは、なに、とろくしゅ薬品やくひん説明せつめい愛情あいじょうこめてしてくれたのですが、しかし、この不幸なふこうな奥さんおくさん愛情あいじょうもまた、自分じぶんにとってふかすぎました。最後にさいごに奥さんおくさんが、これは、どうしても、なんとしてもおさけ飲みのみたくて、たまらなくなったときのおやく、と言っていって素早くすばやく包んだつつんだ小箱。
モルヒネもるひね注射ちゅうしゃえきでした。
さけよりは、がいにならぬと奥さんおくさん言いいい自分じぶんもそれを信じてしんじて、また一つにはひとつにはさけ酔いよいもさすがに不潔にふけつに感ぜかんぜられて来たきた矢先やさきでもあったし、久し振りにひさしぶりにアルコールあるこーるというサタンからのがれること出来るできる喜びよろこびもあり、何のなんの躊躇ちゅうちょ無くなく自分じぶん自分じぶんうでに、そのモルヒネもるひね注射ちゅうしゃしました。不安ふあんも、焦燥しょうそうも、はにかみも、綺麗にきれいに除去じょきょせられ、自分じぶん甚だはなはだ陽気なようきな能弁家のうべんかになるのでした。そうして、その注射ちゅうしゃをすると自分じぶんは、からだの衰弱すいじゃく忘れてわすれて漫画まんが仕事しごとせい出てでて自分じぶんきながら噴き出してふきだしてしまうほど珍妙なちんみょうな趣向しゅこう生れるうまれるのでした。
いちにちいちほんのつもりが、ほんになり、よんほんになったころには、自分じぶんはもうそれが無ければなければ仕事しごと出来できないようになっていました。
「いけませんよ、中毒ちゅうどくになったら、そりゃもう、たいへんです」
薬屋くすりや奥さんおくさんにそう言わいわれると、自分じぶんはもう成りなり中毒ちゅうどく患者かんじゃになってしまったようながして来てきて、(自分じぶんは、ひとの暗示あんじ実にじつにもろくひっかかるたちなのです。このおかね使っちゃつかっちゃいけないよ、と言っていっても、お前おまえことだものなあ、なんて言わいわれると、何だかなんだか使わつかわないと悪いわるいような、期待きたいにそむくような、へんな錯覚さっかく起っておこって必ずかならずすぐにそのおかね使ってつかってしまうのでした)その中毒ちゅうどく不安ふあんのため、かえって薬品やくひんをたくさん求めるもとめるようになったのでした。
「たのむ! もういちはこ勘定かんじょうげつまつにきっと払いはらいますから」
勘定かんじょうなんて、いつでもかまいませんけど、警察けいさつのほうが、うるさいのでねえ」
ああ、いつでも自分じぶん周囲しゅういには、何やらなにやら濁ってにごって暗くくらくうさん臭いうさんくさい日蔭しゃ気配けはいがつきまとうのです。
「そこを何とかなんとか、ごまかして、たのむよ、奥さんおくさんキスきすしてあげよう」
奥さんおくさんは、かお赤らめあからめます。
自分じぶんは、いよいよつけ込みつけこみ
くすり無いない仕事しごとがちっとも、はかどらないんだよ。ぼくには、あれは強精剤みたいなものなんだ」
「それじゃ、いっそ、ホルモンほるもん注射ちゅうしゃがいいでしょう」
「ばかにしちゃいけません。おさけか、そうでなければ、あのくすりか、どっちかで無ければなければ仕事しごと出来できないんだ」
「おさけは、いけません」
「そうでしょう? ぼくはね、あのくすり使うつかうようになってから、おさけいちてき飲まのまなかった。おかげで、からだの調子ちょうしが、とてもいいんだ。ぼくだって、いつまでも、下手くそなへたくそな漫画まんがなどをかいているつもりは無いない、これから、さけをやめて、からだを直してなおして勉強べんきょうして、きっと偉いえらい絵画かいがきになって見せるみせる。いまが大事なだいじなところなんだ。だからさ、ね、おねがい。キスきすしてあげようか」
奥さんおくさん笑いわらい出しだし
困るこまるわねえ。中毒ちゅうどくになっても知りしりませんよ」
コトことコトこと松葉杖まつばづえおとをさせて、その薬品やくひんたなから取り出しとりだし
いちはこは、あげられませんよ。すぐ使ってつかってしまうのだもの。半分はんぶんね」
ケチだけちだなあ、まあ、仕方が無いしかたがないや」
いえ帰ってかえって、すぐにいちほん注射ちゅうしゃをします。
痛くいたくないんですか?」
ヨシ子は、おどおど自分じぶんにたずねます。
「それあ痛いいたいさ。でも、仕事しごと能率のうりつをあげるためには、いやでもこれをやらなければいけないんだ。ぼくこの頃このごろ、とても元気だろうげんきだろう? さあ、仕事しごとだ。仕事しごと仕事しごと
とはしゃぐのです。
深夜しんや薬屋くすりやをたたいたこともありました。寝巻ねまき姿すがたで、コトことコトこと松葉杖まつばづえをついて出てでて来たきた奥さんおくさんに、いきなり抱きついてだきついてキスきすして、泣くなく真似まねをしました。
奥さんおくさんは、黙ってだまって自分じぶんいちはこ手渡してわたしました。
薬品やくひんもまた、焼酎しょうちゅう同様どうよう、いや、それ以上いじょうに、いまわしく不潔なふけつなものだと、つくづく思い知ったおもいしったときには、既にすでに自分じぶん完全なかんぜんな中毒ちゅうどく患者かんじゃになっていました。真にしんに恥知らずのはじしらずのきょくでした。自分じぶんはその薬品やくひんたいばかりに、またも春画しゅんがのコピイをはじめ、そうして、あの薬屋くすりや奥さんおくさん文字どおりもじどおりみにく関係かんけいをさえ結びむすびました。
死にしにたい、いっそ、死にしにたい、もうとり返しかえしがつかないんだ、どんなことをしても、なにをしても、駄目にだめになるだけなんだ、恥の上塗りはじのうわぬりをするだけなんだ、自転車じてんしゃ青葉あおばたきなど、自分じぶんには望むのぞむべくも無いないんだ、ただけがらわしいつみにあさましいつみ重なりかさなり苦悩くのう増大ぞうだい強烈にきょうれつになるだけなんだ、死にしにたい、死なしななければならぬ、生きていきているのがつみしゅなのだ、などと思いおもいつめても、やっぱり、アパートあぱーと薬屋くすりやあいだはん狂乱きょうらん姿すがた往復おうふくしているばかりなのでした。
いくら仕事しごとをしても、くすり使用しようりょうもしたがってふえているので、薬代やくだい借りかりがおそろしいほどのがくにのぼり、奥さんおくさんは、自分じぶんかお見るみるなみだ浮べうかべ自分じぶんなみだ流しながしました。
地獄じごく
この地獄じごくからのがれるための最後のさいごの手段しゅだん、これが失敗しっぱいしたら、あとはもうくびをくくるばかりだ、というかみ存在そんざい賭けるかけるほどの決意けついを以て、自分じぶんは、故郷こきょうちちあてに長いながい手紙てがみ書いてかいて自分じぶん実情じつじょう一さいいっさいを(おんなことは、さすがに書けかけませんでしたが)告白こくはくすることにしました。
しかし、結果けっか一そういっそう悪くわるく待てまて暮せくらせ何のなんの返事へんじ無くなく自分じぶんはその焦燥しょうそう不安ふあんのために、かえってくすりりょうをふやしてしまいました。
今夜こんやじゅうほん一気にいっきに注射ちゅうしゃし、そうして大川おおかわ飛びとび込もうこもうと、ひそかに覚悟かくご極めたきわめたその午後ごごヒラメひらめが、悪魔あくまかん嗅ぎつけたかぎつけたみたいに、堀木を連れてつれてあらわれました。
お前おまえは、喀血かっけつしたんだってな」
堀木は、自分じぶんまえにあぐらをかいてそう言いいい、いままで見たみた無いないくらいに優しくやさしく微笑みほおえみました。その優しいやさしい微笑びしょうが、ありがたくて、うれしくて、自分じぶんはついかおをそむけてなみだ流しながしました。そうしてかれのその優しいやさしい微笑びしょういちつで、自分じぶん完全にかんぜんに打ち破らうちやぶられ、葬りほうむり去らさられてしまったのです。
自分じぶん自動車じどうしゃ乗せのせられました。とにかく入院にゅういんしなければならぬ、あとは自分じぶんたちにまかせなさい、とヒラメひらめも、しんみりした口調くちょうで、(それは慈悲じひ深いふかいとでも形容けいようしたいほど、もの静かなものしずかな口調くちょうでした)自分じぶんにすすめ、自分じぶん意志いし判断はんだん何もなにも無いないもの如くごとく、ただメソメソめそめそ泣きなきながら唯々諾々とにん言いつけいいつけ従うしたがうのでした。ヨシ子もいれてよんにん自分じぶんたちは、ずいぶん永いながいこと自動車じどうしゃにゆられ、あたりが薄暗くうすぐらくなったころもりなか大きいおおきい病院びょういんの、玄関げんかん到着とうちゃくしました。
サナトリアムとばかり思っておもっていました。
自分じぶん若いわかい医師いしのいやに物やわらかなものやわらかな鄭重ていちょう診察しんさつ受けうけ、それから医師いしは、
「まあ、しばらくここで静養せいようするんですね」
と、まるで、はにかむように微笑びしょうして言いいいヒラメひらめと堀木とヨシ子は、自分じぶんひとりを置いておいて帰るかえることになりましたが、ヨシ子はちゃくかえ衣類いるいをいれてある風呂敷ふろしきつつみ自分じぶん手渡してわたし、それから黙ってだまっておびあいだから注射ちゅうしゃ使いつかい残りのこりのあの薬品やくひん差し出しさしだしました。やはり、強精ざいだとばかり思っておもっていたのでしょうか。
「いや、もう要らいらない」
実にじつにちんらしいことでした。すすめられて、それを拒否きょひしたのは、自分じぶんのそれまでの生涯しょうがい於いておいて、そのときただいち、といっても過言かごんでないくらいなのです。自分じぶん不幸ふこうは、拒否きょひ能力のうりょく無いないもの不幸でしたふこうでした。すすめられて拒否きょひすると、相手あいてこころにも自分じぶんこころにも、永遠にえいえんに修繕しゅうぜんない白々しいしらじらしいひび割れひびわれ出来るできるような恐怖きょうふにおびやかされているのでした。けれども、自分じぶんはそのとき、あれほどはん狂乱きょうらんになって求めてもとめていたモルヒネもるひねを、実にじつに自然にしぜんに拒否きょひしました。ヨシ子の謂わばいわばかみ如きごとき無智」に撃たうたれたのでしょうか。自分じぶんは、あの瞬間しゅんかん、すでに中毒ちゅうどくでなくなっていたのではないでしょうか。
けれども、自分じぶんはそれからすぐに、あのはにかむような微笑びしょうをする若いわかい医師いし案内あんないせられ、或るある病棟びょうとうにいれられて、ガチャンとかぎをおろされました。脳病いんでした。
おんなのいないところへ行くいくという、あのジアールを飲んだのんだとき自分じぶん愚かなおろかなうわごとが、まことに奇妙にきみょうに実現じつげんせられたわけでした。その病棟びょうとうには、おとこ狂人きょうじんばかりで、看護かんごじんおとこでしたし、おんなはひとりもいませんでした。
いまはもう自分じぶんは、罪人ざいにんどころではなく、狂人きょうじんでした。いいえ、断じてだんじて自分じぶん狂ってくるってなどいなかったのです。いち瞬間しゅんかんといえども、狂ったくるったこと無いないんです。けれども、ああ、狂人きょうじんは、たいてい自分じぶんことをそう言ういうものだそうです。つまり、この病院びょういんにいれられたもの違いちがい、いれられなかったしゃは、ノーマルのーまるということになるようです。
かみ問うとう無抵抗むていこうつみなりや?
堀木のあの不思議なふしぎな美しいうつくしい微笑びしょう自分じぶん泣きなき判断はんだん抵抗ていこう忘れてわすれて自動車じどうしゃ乗りのり、そうしてここに連れてつれてられて、狂人きょうじんということになりました。いまに、ここから出てでても、自分じぶんはやっぱり狂人きょうじん、いや、癈人はいじんという刻印こくいんがく打たうたれることでしょう。
人間にんげん失格しっかく
もはや、自分じぶんは、完全にかんぜんに人間にんげん無くなりなくなりました。
ここへ来たのは初夏しょかころで、てつ格子こうしまどから病院びょういんにわ小さいちいさいいけくれない睡蓮すいれんはな咲いてさいているのが見えみえましたが、それからさんつき経ちたちにわコスモスこすもす咲きさきはじめ、思いがけなくおもいがけなく故郷こきょう長兄ちょうけいが、ヒラメひらめ連れてつれて自分じぶん引き取りひきとりにやって来てきてちち先月せんげつまつ潰瘍かいようでなくなったこと、自分じぶんたちはもうお前おまえ過去かこ問わとわぬ、生活せいかつ心配しんぱいもかけないつもり、何もなにもしなくていい、その代りそのかわり、いろいろ未練みれんもあるだろうがすぐに東京とうきょうから離れてはなれて田舎いなか療養りょうよう生活せいかつをはじめてくれ、お前おまえ東京とうきょうでしでかしたことの後仕まつは、だいたい渋田がやってくれたはずだから、それはにしないでいい、とれいの生真面目なきまじめな緊張きんちょうしたような口調くちょう言ういうのでした。
故郷こきょう山河さんか眼前がんぜん見えるみえるようながして来てきて自分じぶんは幽かにうなずきました。
まさに癈人はいじん
ちち死んだしんだこと知ってしってから、自分じぶんはいよいよ腑抜けたぬけたようになりました。ちちが、もういない、自分じぶん胸中きょうちゅうから一刻いっこく離れはなれなかったあのふところしくおそろしい存在そんざいが、もういない、自分じぶん苦悩くのうつぼがからっぽになったようながしました。自分じぶん苦悩くのうつぼがやけに重かったおもかったのも、あのちちのせいだったのではなかろうかとさえ思わおもわれました。まるで、張合いはりあい抜けぬけました。苦悩くのうする能力のうりょくをさえ失いうしないました。
ちょうあに自分じぶん対するたいする約束やくそく正確にせいかくに実行じっこうしてくれました。自分じぶん生れてうまれて育ったそだったまちから汽車きしゃよん時間じかん南下なんかしたところに、東北とうほくにはちんらしいほど暖かいあたたかい海辺うみべ温泉おんせんがあって、そのむらはずれの、間数まかずつもあるのですが、かなり古いふるいいえらしくかべ剥げはげ落ちおちはしらむし食わくわれ、ほとんど修理しゅうり仕様しよう無いないほどのかや買いとってかいとって自分じぶん与えあたえ、六十に近いちかいひどい赤毛あかげ醜いみにくいおんなちゅうをひとり附けてくれました。
それからさんねん少しすこし経ちたち自分じぶんはそのあいだにそのテツてつという老女ろうじょなかすうへんな犯さおかさかたをして、時たまときたま夫婦ふうふ喧嘩けんかみたいなことをはじめ、むね病気びょうきのほうは一進一退いっしんいったい痩せたりやせたりふとったり、血痰が出たりでたり、きのう、テツてつにカルモチンを買ってかっておいで、と言っていってむら薬屋くすりやにお使いつかいにやったら、いつものはこ違うちがうかたちはこのカルモチンを買ってかって来てきて、べつに自分じぶんにとめず、寝るねるまえじゅうじょうのんでも一向にいっこうに眠くねむくならないので、おかしいなと思っておもっているうちに、おなかの具合ぐあいがへんになり急いでいそいで便所べんじょ行ったらいったら猛烈なもうれつな下痢げりで、しかも、それから引続きひきつづきさん便所べんじょにかよったのでした。不審にふしんに堪えたえず、くすりはこをよく見るみると、それはヘノモチンという下剤げざいでした。
自分じぶん仰向けあおむけ寝てねて、おなかに湯たんぽゆたんぽ載せのせながら、テツてつにこごとを言っていってやろうと思いおもいました。
「これは、お前おまえ、カルモチンじゃない。ヘノモチン、という」
言いいいかけて、うふふふと笑ってわらってしまいました。「癈人はいじん」は、どうやらこれは、喜劇きげき名詞めいしのようです。眠ろうねむろうとして下剤げざい飲みのみ、しかも、その下剤げざい名前なまえは、ヘノモチン。
いまは自分じぶんには、幸福こうふく不幸ふこうもありません。
ただ、一さいいっさい過ぎてすぎて行きいきます。
自分じぶんがいままで阿鼻叫喚で生きていきて来たきた所謂「人間にんげん」の世界せかい於いておいて、たったいちつ、真理しんり[#「真理しんり」に傍点ぼうてん]らしく思わおもわれたのは、それだけでした。
ただ、一さいいっさい過ぎてすぎて行きいきます。
自分じぶんはことし、二十七になります。白髪しらががめっきりふえたので、たいていのひとから、四十以上いじょうられます。
[#改頁]

あとがき

この手記しゅき書き綴ったかきつづった狂人きょうじんを、わたしは、直接にちょくせつに知らしらない。けれども、この手記しゅき出てでて来るくる京橋きょうばしスタンドすたんど.バアのマダムともおぼしき人物じんぶつを、わたしはちょっと知ってしっているのである。小柄でこがらで顔色かおいろのよくない、細くほそく吊りつり上ってのぼっていて、はな高いたかい美人びじんというよりは、青年せいねんといったほうがいいくらいの固いかたい感じかんじのひとであった。この手記しゅきには、どうやら、昭和しょうわろくななねん、あのころ東京とうきょう風景ふうけいがおもに写さうつされているように思わおもわれるが、わたしが、その京橋きょうばしスタンドすたんど.バアに、友人ゆうじん連れつれられてさん立ち寄りたちよりハイボールはいぼーるなど飲んだのんだのは、れいの日本にっぽんの「軍部ぐんぶ」がそろそろ露骨にろこつにあばれはじめた昭和しょうわじゅうねん前後ぜんごことであったから、この手記しゅき書いたかいたおとこには、おめにかかること出来できなかったわけである。
然るに、ことしのがつわたし千葉ちばけん船橋ふなばし疎開そかいしている或るある友人ゆうじんをたずねた。その友人ゆうじんは、わたし大学だいがく時代じだい謂わばいわば学友がくゆうで、いまはぼう女子じょしだい講師こうしをしているのであるが、実はじつはわたしはこの友人ゆうじんわたし身内みうちもの縁談えんだん依頼いらいしていたので、その用事ようじもあり、かたがたなに新鮮なしんせんな海産物かいさんぶつでも仕入れてしいれてわたしいえものたちに食わくわせてやろうと思いおもい、リュックサックを背負ってせおって船橋ふなばし出かけてでかけて行ったいったのである。
船橋ふなばしは、泥海どろうみ臨んだのぞんだかなり大きいおおきいまちであった。新住みんたるその友人ゆうじんいえは、その土地とちひとしょ番地ばんち告げてつげてたずねても、なかなかわからないのである。寒いさむいうえに、リュックサックを背負ったせおったかた痛くいたくなり、わたしレコードれこーどの提琴のおとにひかれて、或るある喫茶きっさてんドアどあ押したおした
そこのマダムに見覚えみおぼえがあり、たずねてみたら、まさに、じゅうねんまえのあの京橋きょうばし小さいちいさいバアのマダムであった。マダムも、わたしをすぐに思い出しておもいだしてくれた様子ようすで、互いにたがいに大袈裟におおげさに驚きおどろき笑いわらい、それからこんなときのおきまりの、れいの、空襲くうしゅう焼けやけ出さだされたお互いおたがい経験けいけん問わとわれもせぬのに、いかにも自慢じまんらしく語りかたり合いあい
「あなたは、しかし、かわらない」
「いいえ、もうお婆おばあさん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわかいわ」
「とんでもない、子供こどもがもうさんにんもあるんだよ。きょうはそいつらのために買いかい出しだし
などと、これもまた久し振りでひさしぶりで逢ったあったもの同志どうしのおきまりの挨拶あいさつを交し、それから、にん共通のきょうつうの知人ちじんその後そのご消息しょうそくをたずね合ったりあったりして、そのうちに、ふとマダムは口調くちょう改めあらため、あなたはちゃんを知ってしっていたかしら、と言ういう。それは知らしらない、と答えるこたえると、マダムは、おく行っていってさんさつノートのーとブックぶっくと、三葉みつば写真しゃしん持ってもって来てきてわたし手渡してわたし
なにか、小説しょうせつ材料ざいりょうになるかも知れしれませんわ」
言ったいった
わたしは、ひとから押しつけおしつけられた材料ざいりょうでものを書けかけないたちなので、すぐにその場でそのばでかえそうかと思ったおもったが、(三葉みつば写真しゃしん、その奇怪きかいさに就いてついては、はしがきにも書いてかいて置いたおいた)その写真しゃしんこころをひかれ、とにかくノートのーとをあずかることにして、帰りかえりにはまたここへ立ち寄りたちよりますが、なんちょうなに番地ばんちなにさん、女子じょしだい先生せんせいをしているひとのいえご存じごぞんじないか、と尋ねるたずねると、やはり新住みん同志どうし知ってしっていた。時たまときたま、この喫茶きっさてんにもお見えみえになるという。すぐ近所きんじょであった。
そのよる友人ゆうじんとわずかなおさけ汲みくみ交し、泊めてとめてもらうことにして、わたしあさまで一睡いっすいもせずに、れいのノートのーと読みふけったよみふけった
その手記しゅき書かかかれてあるのは、むかしはなしではあったが、しかし、現代げんだいひとたちが読んでよんでも、かなりの興味きょうみ持つもつ違いないちがいない下手にしたてにわたしふで加えるくわえるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌ざっししゃにたのんで発表はっぴょうしてもらったほうが、なお、有意義なゆういぎなことのように思わおもわれた。
子供こどもたちへの土産みやげ海産物かいさんぶつは、干物ひものだけ。わたしは、リュックサックを背負ってせおって友人ゆうじんきょ辞しじし、れいの喫茶きっさてん立ち寄りたちより
「きのうは、どうも。ところで、……」
とすぐに切り出しきりだし
「このノートのーとは、しばらく貸してかしていただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きていきているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。じゅうねんほどまえに、京橋きょうばしのおみせあてに、そのノートのーと写真しゃしん小包こづつみ送らおくられて来てきて差し出しさしだしじんちゃんにきまっているのですが、その小包こづつみには、ちゃんの住所じゅうしょも、名前なまえさえも書いてかいていなかったんです。空襲くうしゅうとき、ほかのものにまぎれて、これも不思議にふしぎにたすかって、わたしはこないだはじめて、全部ぜんぶ読んでよんでみて、……」
泣きなきましたか?」
「いいえ、泣くなくというより、……だめね、人間にんげんも、ああなっては、もう駄目だめね」
「それからじゅうねん、とすると、もう亡くなってなくなっているかも知れしれないね。これは、あなたへのお礼おれいのつもりで送っておくってよこしたのでしょう。多少たしょう誇張こちょうして書いてかいているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当そうとうひどい被害ひがいをこうむったようですね。もし、これが全部ぜんぶ事実じじつだったら、そうしてぼくがこのひとの友人ゆうじんだったら、やっぱりのう病院びょういん連れてつれて行きいきたくなったかも知れしれない」
「あのひとのお父さんとうさん悪いわるいのですよ」
何気ななにげなさそうに、そう言ったいった
わたしたちの知ってしっているちゃんは、とても素直ですなおで、よくがきいて、あれでおさけさえ飲まのまなければ、いいえ、飲んでのんでも、……神様かみさまみたいないいでした」

底本ていほん:「人間にんげん失格しっかく」新潮文庫ぶんこ、新潮社
1952(昭和しょうわ27)ねん10がつ30にち発行はっこう
1985(昭和しょうわ60)ねんいちがつ30にち100すり改版
入力にゅうりょく:細渕真弓まゆみ
校正こうせい:八巻美惠
1999ねん1がつ1にち公開こうかい
2004ねん2がつ23にち修正しゅうせい
青空あおぞら文庫ぶんこ作成さくせいファイルふぁいる
このファイルふぁいるは、インターネットいんたーねっと図書としょかん青空あおぞら文庫ぶんこ作らつくられました。入力にゅうりょく校正こうせい制作せいさくにあたったのは、ボランティアぼらんてぃあ皆さんみなさんです。

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2017-09-07
认雅苏为主


 Oh, Lord Jesus. You are either a mind loser or a Son of God; or you are both. Whether you are a mind loser or a Son of God, I will always love you. If I sometimes doubt it’s because you acted like you’ve lost your mind; if I sometimes believe it’s because you’re the Son of God. Whether I doubt or believe, I am always true to you. I would like to be an independent Christian. I don’t want to belong to any Christian group. Because every group is different from myself. Whether I doubt or believe, I’m always true to myself. I’m not ashamed of being myself.


Lord, You Have Come to Me

 主耶稣啊。你要么是疯子,要么是神的儿子;或者你两者都是。无论你是疯子还是神的儿子,我总爱你。我若时而怀疑是因为你是疯子;我若时而相信是因为你是神的儿子。无论我怀疑还是相信,我总是真实地面对你。我愿意去做一个独立的基督徒。我不想属于任何基督徒团体。因为每一个团体都和我自己有差异。无论我怀疑还是相信,我总是真实地面对我自己。我对于做我自己这件事不感到羞耻。


主到我这里来

 主イエスは、狂人ですか、神の子ですか;あるいはその両方ですか。彼が狂人であろうと、神の子であろうと、私はいつも彼を愛しています。私が時々疑うならば、彼が狂人であるから;私が時々信じるならば、彼が神の子であるから。疑うにしても、信じるにしても、私はいつも正直に自分自身と向き合います。
私は独立したクリスチャンになりたいと思っています。私はどのクリスチャングループにも属していません。

雅(亚兰文 Yodh;雅威,Yahweh):自有永有神。
甦(亚兰文 Shin Waw):拯救。


因为凡想要救自己性命的、必失掉真性命;凡为我和福音的缘故失掉自己性命的、必救得真性命。
(马可福音 8:35 吕振中)

我想要为贵主和福音的缘故失掉自己性命的方式没有被任何基督徒团体所认可。


耶稣的兄弟就对祂说,你离开这里上犹太去吧,叫你的门徒也看见你所行的事。
人要显扬自己,没有在隐密中行事的。你若行这些事,就当将自己显明给世人看。
原来连祂的兄弟也不信入祂。
耶稣就对他们说,我的时候还没有到,你们的时候却常是方便的。
世人不能恨你们,却是恨我,因为我指证他们所作的是恶的。
你们上去过节吧,我现在不上去过这节,因为我的时候还没有到。
耶稣说了这话,仍旧住在加利利。
(约翰福音 7:3-9 恢复本)

任何人向我传达主的话,我都会自己在主里确证。这是我的行事为人。


雅苏对他们说:『你们众人必都绊跌;因为经上记着说:「我要击打牧人,羊就分散了。」
但我得甦活起来以后,要先你们往加利利去。』
(马可福音14:27-28)

我若软弱、失去爱中的忍耐,你们就必都因我绊跌。


因为他自己就是我们的和平。他使我们、犹太人和外国人双方合而为一,毁了中间隔断的墙,毁了那敌态,而以自己的肉身、血与肉、废掉了规例中诫命的律法,好把两下在自己里面创造一个新人类、而成就和平;好把双方、借着十字架、在一个身体里、跟上帝完全复和,因为他已经用十字架把那敌态消灭了。
(以弗所书 2:14-16 吕振中)

我是敌挡灵族人耶稣的。我是敌基督的。我是一个小信的人吧。何时能信得真实呢?


他来、是传和平的福音给你们远的人,传和平给近的人;
因为借着他、我们双方在一个灵里、才享有进到父面前的恩。这样,你们就不再是外人或侨民了,乃是圣徒同国之民,是上帝一家的人。
被建造在使徒和神言传讲师的根基上,基督耶稣自己就是房角石。靠着他、各部建筑都互相联接,渐渐高大,成为在主里的圣殿堂。靠着他、你们也一同被建造、成为上帝以灵居住的所在。
(以弗所人书 2:17-22 吕振中)

房角石被放置在建筑物的转角,连接两堵墙,象征基督统一犹太人和外国人,使信徒成为一个整体。


察验自己;分辨身体。
相信真实;怀疑虚假。
灵巧像蛇;驯良像鸽子。
凭信往前;主加给你力量。
因为我们是终极赌徒。

Our help is in the name of Jehovah,
Who made heaven and earth.
(Psalms 124:8 Recovery Version)

我们的助力是在永恒主的名,
那造天地的永恒主。
(诗篇 124:8 吕振中)

私たちの助けは、
天と地を造られたエホバの御名にある。
(詩篇 124:8 回復訳)

坚定追求终极真实。
坚定拒绝一切狭隘。
宇宙如此广博。
创造主更加广博。
为何如此狭隘?
纠结于自己的罪过?
为何如此软弱?
如此软弱地祈祷?
永恒主是援助我们的。
圣洁有什么难的?


 Lord Jesus Christ. Our Father, who is in heaven, and from whom every family in heaven and on earth derives its name, has blessed us with every spiritual blessing in the heavenly places in You, just as He chose us in You before the foundation of the world, that we would be holy and blameless before Him in love. I bend my knees before our Father that He may give us all the treasures of wisdom and knowledge which are hidden in You, so that we could delve into all things, even the depths of Him. I pray that we would be the ones who have heard His word with a good and virtuous heart, that we have redemption through Your blood, the forgiveness of our wrongdoings, according to the riches of Your grace; and hold His word firmly in love, discipline ourselves for the purpose of godliness which holds promise for the present life and also for the life to come, are to grow up in all aspects into You, to the measure of the stature which belongs to the fullness of You, and produce the fruit of the Spirit with perseverance, which is love, joy, peace, patience, kindness, goodness, faithfulness, gentleness, self-control. We have been crucified with You; and it is no longer we who live, but You lives in us; and the life which we now live in the flesh we live by faith in You, who loved us and gave Yourself up for us. You has been raised from the dead, the first fruits of those who are asleep. For since by a man death came, by a man also came the resurrection of the dead. For as in Adam we all die, so also in You we all will be made alive. Make it our ambition to lead a quiet life and attend to our own business and work with our hands, just as our brothers and sisters instructed us, so that we will behave properly toward outsiders and not be in any need. Truly, truly You say to us, who believe in You, the works that You do, we will do also; and greater works than these we will do; because You are going to our Father. And whatever we ask in Your name, this You will do, so that our Father may be glorified in the Son. If we ask You anything in Your name, You will do it. We pray that our Father will consider us worthy of our calling, and fulfill every desire for goodness and the work of faith with power, so that the name of You will be glorified in us, and we will be glorified in You. Though our outer person is decaying, yet our inner person is being renewed day by day. For our momentary, light affliction is producing for us an eternal weight of glory far beyond all comparison, while we look not at the things which are seen, but at the things which are not seen; for the things which are seen are temporal, but the things which are not seen are eternal. I bend my knees before our Father that He would grant us, according to the riches of His glory, to be strengthened with power through His Spirit in the inner self, so that You may dwell in our hearts through faith; and that we, being rooted and grounded in love, may be able to comprehend with all the saints what is the width and length and height and depth, and to know the love of You which surpasses knowledge, that we may be filled to all the fullness of God. Now to Him who is able to do far more abundantly beyond all that we ask or think, according to the power that works within us, to Him be the glory in the church and in You to all generations forever and ever. Amen.

 主耶稣基督啊。我们在天上的父、天上地下众家族所从而得名的、在你的里面、曾给我们祝福、以赐给我们天界中各样属灵的福气。就是他于世界创立之前,在蒙爱的你里面,拣选了我们,使我们在他面前、分别为圣、毫无瑕疵。我屈膝在我们的父面前、求他在你的里面、将一切智慧知识之宝藏赐给我们,叫我们可以探索透万事、连他的深奥也可以探索透了。使我们在他面前,以诚实而善良之心听了他的话、借着你的血得赎放、过犯得赦免;以爱心持守着他的道,在为着敬虔之事上、为着今生和来生的应许、操练自己,各方面长大,直到长成了如你丰满成年的身材、在坚忍中结出灵的果实,就是爱、喜乐、和平、恒忍、慈惠、良善、忠信、柔和、节制。我已经和你同钉了十字架;现在活着的、不再是我了,乃是你在我里面活着。我如今在肉身上活的、乃是在于信你而活的;你爱了我,为我舍弃自己。你已经从死人中得苏活起来、做长眠着之人的初熟果子了。死既借着一人而有,死人之复活就借着一人而有了。我们怎样在亚当里都死了,我们也必怎样在你的里面活过来。我们要怀着大志做安静人,办自己的事,亲手做工,照弟兄姊妹们所嘱咐我们的,使我们行事为人让外界看为端端正正有体面,不需要人赒济。你实实在在地告诉过我们,信你的、你所作的事、也要作;就是比这些更大的、也要作,因为你往我们的父那里去;我们奉你的名无论求什么,你必作成,好叫我们的父在儿女身上得荣耀。我们奉你的名求什么,你必作成。愿我们的父看我们为配得过他的呼召的,愿他用大能力使我们各样喜悦良善的心、和各样因信心而作的工、都得完成,以致照他的恩,你的名可以在我们身上得荣耀,我们也可以在你身上得荣耀。我们这外表的人虽渐败坏,我们这内心的人却日日更新。我们这片刻间轻微的苦难、正为我们作成着高超无量极重无比永世之荣耀呢。我们原不是顾念着所看得见的,乃是顾念着所看不见的;因为所看得见的是暂时的,所看不见的乃是永世的。我屈膝在我们的父面前、求他按他荣耀之丰富、借着他的灵、使我们内心的人因大能而刚强,使你凭着我们的信住在我们心里,使我们既已扎根立基在爱中,便很有力量能和众圣徒一同领会你的爱是何等的长、阔、高、深,能认识那远超过人知识的爱,使我们得充满,完完全全地得到他的丰满。愿荣耀都归与他,就是能照那运行在我们中间的大能力、格外充满地成就一切超过我们所求所了悟的;但愿在教会中、在你的里面、荣耀都归与他、直到万代、世世无穷!阿们。

  • おお、主イエス・キリストよ.天におられるわたしたちの父によって、天と地にあるすべての家族が名づけられています.
  • この方はあなたの中で、天上にある霊のあらゆる祝福をもって、わたしたちを祝福してくださいました.すなわち、この方は、愛の中で、御前に聖く傷のない者になるようにと、この世の基が置かれる前から、あなたの中でわたしたちを選びました.
  • わたしはわたしたちの父に向かってひざをかがめて祈ります.どうか父が、あなたの中で、隠されている知恵と知識のすべての宝を、与えてください.わたしたちを、すべての事柄、神の深みさえも、探らせられますように.
  • 気高い善良な心で、御前に御言を聞かせ、あなたの血を通しての贖い、すなわち違犯の赦しを受けらせます.愛の中で、御言をしっかりと保ち、敬虔へと至るために、現在の命の約束と、来たるべき命の約束のために、自分自身を訓練します.
  • すべての事で、あなたの中へと成長し込んで、あなたの豊満の身の丈の度量にまで到達して、忍耐をもって霊の実、すなわち愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信実、柔和、自制を結びます.
  • わたしはあなたと共に十字架につけられました.生きているのはもはやわたしではありません.あなたがわたしの中に生きておられるのです.そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を、わたしを愛し、わたしのためにご自身を捨ててくださったあなたの信仰の中で生きるのです.
  • ところが今や、あなたは死人の中から復活させられて、眠りについた人たちの初穂となられました.一人の人を通して死が来たのですから、一人の人を通して死人の復活も来たのです.アダムの中でわたしたちが死んだように、あなたの中でわたしたちが生かされます.
  • 兄弟姉妹たちがわたしたちに命じておいたように、落ち着いて自分の仕事に身を入れ、自分の手で働くように努めます.それは、わたしたちが外部の人たちに対して、ふさわしく歩き、そして何も欠けることがないためです.
  • まことに、まことに、あなたはわたしたちに言う.わたしたち、すなわちあなたの中へと信じる者は、あなたが行なうわざを行なう.そればかりか、もっと大きなわざを行なうのである.なぜなら、あなたがわたしたちの父に行くからである.わたしたちがあなたの名の中で求めるものは何でも、あなたはそれを行なう.わたしたちの父が子供たちの中で、栄光を受けられるためである.わたしたちがあなたの名の中であなたに何を求めても、あなたはそれを行なう.
  • わたしたちの父が、わたしたちを召しにふさわしい者として認めてくださるために、また、すべての善を喜ぶことと信仰の働きを、力をもって満たしてくださるために、祈っています.こうして、神の恵みにしたがって、あなたの御名がわたしたちの中で栄光を受け、またわたしたちもあなたの中で栄光を受けるのです.
  • わたしたちの外なる人が朽ちていっても、わたしたちの内なる人は、日ごとに新しくされていきます。なぜなら、わたしたちの受けるつかの間の軽い患難は、ますます卓越した永遠の重い栄光を、わたしたちにもたらすからです.わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目をとめます.なぜなら、見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです.
  • わたしはわたしたちの父に向かってひざをかがめて祈ります.どうか父が、彼の栄光の豊富にしたがい、力をもって、彼の霊を通して、わたしたちを内なる人の中へと増強してくださいますように.また、あなたが信仰を通して、わたしたちの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.またわたしたちが、愛の中に根ざし、土台づけられ、力に満たされて、すべての聖徒たちと共に、その広さ、長さ、高さ、深さが何であるかを会得し、そして知識を超越したあなたの愛を知ることができるように.また、わたしたちが満たされて、神の全豊満へと至るように.どうか、わたしたちの中で活動するその力にしたがって、わたしたちが求め、また思うすべてを、はるかに超えて豊かに行なうことのできる方、神に、召会の中で、またあなたの中で、栄光がすべての世代に至るまで、永遠にわたってありますように.アーメン.

我要举起救恩之杯,
称扬永恒主的名;

我要在他众民面前
向永恒主还我所许的愿。


(诗篇 116:13-14 吕振中)

  一切极度自大的人凡认耶稣为主就必得救。


我必把那恩慈与恳求的灵倾注在大卫家和耶路撒冷居民的身上。他们必仰望我,就是他们所刺的;他们要为他哀哭,好像丧独生子;他们必为他悲痛,好像丧长子。


(撒迦利亚书 12:10 新译本)

  人若不再蔑视耶稣、愿意去理解他、去爱他,甚至愿意取仆人的姿态,就必除尽自身的戾气、拥有真正的平和。


我要将感谢之祭献与你,
称扬永恒主的名。


(诗篇 116:17 吕振中)

将来若再有人传神言,生他的父亲或母亲就须要对他说:『你不该活着,因为你冒永恒主的名说假话』;生他的父亲或母亲在他传神言时、必将他刺透。


(撒迦利亚书 13:3)

  这是一个我思考和斟酌了很长时间的问题:为了除去自身的戾气,是否有必要认耶稣为主?


耶稣对他们说,你们都要绊跌,因为经上记着,『我要击打牧人,羊就分散了。』
但我复活以后,要在你们以先往加利利去。


(马可福音 14:27-28 恢复本)

万军之永恒主发神谕说:
『刀剑哪,奋发,以攻击我的牧民者哦!
攻击那做我同伴的人!
我必击打牧人、叫群羊四散!
微小者、我也必将手转过去打他们。』


(撒迦利亚书 13:7 吕振中)

永恒主发神谕说;
将来此地全部的人
其中两分必被剪除而死去,
只有三分之一得以存留。

我必使这三分之一经过火,
我必熬炼他们,像人熬炼银子;
试炼他们,像试炼金子。
他们就必呼求我的名,
我就应他们。
我要说:「他们是我的子民」;
他们个个都要说:「永恒主是我的上帝。」


(撒迦利亚书 13:8-9 吕振中)

  「认耶稣为主」给人带来的心理效应,我是有体会而明白的。问题在于是否有必要?是否还有别的方式除去戾气?


于是这三个人,因约伯自以为义,就不再回答他。
那时布西人,兰族巴拉迦的儿子以利户发怒了。他向约伯发怒,是因约伯自以为义,不以神为义
他又向约伯的三个朋友发怒,因为他们找不出回答的话来,却仍以约伯为有罪。


(约伯记 32:1-3 恢复本)

  首先,阐明一下「戾气」的意思。我用「戾气」指代那种难以名状的躁动感。或是抑郁、或是狂躁,那种不安定的情绪。


耶稣也向那些仗着自己是义人,藐视别人的,说了这个比喻:
有两个人上殿里去祷告,一个是法利赛人,另一个是税吏。
法利赛人站着,自言自语地祷告说,神啊,我感谢你,我不像别人,勒索、不义、奸淫,也不像这个税吏。
我一周禁食两次,凡我所得的,都献上十分之一。
那税吏却远远地站着,连举目望天也不敢,只捶着胸说,神啊,宽恕我这个罪人!
我告诉你们,这人回家去,得称为义,那人却不然。因为凡高抬自己的,必降为卑;降卑自己的,必升为高。


(路加福音 18:9-14 恢复本)

  曾经并非很明确地尝试过很多解决方案。如果把《新约》烧了、留下《旧约》,还能剩下多少恩典呢?


你们是什么人?
有什么权柄和权能?
你们也想要熬炼人吗?

「信得性情」与「得性情」有什么不同?
「试探神」与「相信神」有什么不同?
「人的灵」是否领略出「圣灵」?


一个人的受浸经历也可能包含「试探神」和「相信神」两个方面。
持守主的话:在主里,静默邪灵的试探。


永恒主的神谕对我主我王说:
『你坐在我右边,
等我处置你仇敌、
做你脚的凳子。』


你能力之杖、永恒主从锡安送出来;
你在你仇敌中掌权柄哦。
当你的军队出战的日子,
你的众民都甘心乐意地
在圣山上服役;
从晨曦初现时
你就有了你那青春的朝气。
永恒主起了誓,决不后悔;他说:
『你永做祭司
按照麦基洗德的等次。』


我主我王在他右边,
当他发怒的日子、他必痛击列王。
他必在列国中施刑罚,
使山谷中满了尸身;
他必痛击广大地域上的首领。
王必喝属地大路旁的河水,
因而得胜昂首。


(诗篇 110:1-7 吕振中)

除去所有自欺欺人之后,凭着真实来察验自己,在我们面前仅有两条路:一条是信世俗的自己而犯罪的路;一条是信主耶稣基督而圣洁的路。


耶稣诘问他们说:『但你们呢、你们说我是谁?』彼得回答他说:『你是上帝所膏立者基督。』耶稣就警告他们不要对人说起他的事。
(马可福音 8:29-30 吕振中)


便开始教训他们说:『人子必须受许多苦,被长老祭司长和经学士弃掉,并且被杀,三天以后就复起。』耶稣坦然无隐地讲这话。彼得便拉他到旁边,谏诤他。耶稣转过身来,看着门徒,就责备彼得说:『撒但退去!因为你不意念着上帝的事,却意念着人的事。』
(马可福音 8:31-33 吕振中)

主耶稣承认了彼得的自己;又否认了彼得的自己。
信主耶稣基督的自己是神圣的;神圣的自己如果不是联于主耶稣基督,那么就是虚空的偶像了。
信的顺序:信主永恒主;信主耶稣基督;信自己。


于是呼召群众同门徒,对他们说:『人若想要跟着我,就当弃绝自己,拿起他的十字架来跟从我。因为凡想要救自己性命的、必失掉真性命;凡为我和福音的缘故失掉自己性命的、必救得真性命。人赢得全世界,而赔上了自己的性命,有什么益处呢?人能拿出什么来对换自己的性命呢?在这淫乱有罪的世代、凡以我和我的为可耻的,人子带着他父的荣耀和圣天使来临的时候、也必以那人为可耻。』
(马可福音 8:34-38 吕振中)

承认主耶稣基督而否认世俗的自己。承认福音而否认世俗。神圣的自己承认福音。福音就是主耶稣基督的复活。世俗的自己想要保全自己性命。与福音对立的世俗就是否定主耶稣基督的复活。
新约的核心在于福音;福音的核心在于复活。


死的毒刺就是罪,罪的势力就是律法。
(哥林多前书 15:56 吕振中)

罪是致死的毒刺。律法是定罪的势力。


凡在律法以外犯了罪的、也必在律法以外去灭亡;凡在律法以内犯了罪的、就要凭着律法来受定罪。因为在上帝看,不是听律法的算为义,乃是行律法的才算为无罪。没有律法的外国人、若依本性去行律法上的事,他们虽没有律法,自己对自己即是律法。这种人就证显律法之功用是写在他们自己心里;他们的良知一同作证,他们的思想互相控告为有罪,或者自己辩护为无罪、于上帝审判人隐密事的日子。照我所传的福音,这审判是借着耶稣基督而行的。
(罗马书 2:12-16 吕振中)

但「信」还未来到之先,我们都被监护在律法以下、直被圈着、等那以后来到的「信」显示出来。这样,律法就做了我们的童年导师、等候基督来到,使我们由于信得称为义。今「信」既已来到,我们就不再在童年导师之下了。
(加拉太书 3:23-25 吕振中)

「良知的控告」促进「除罪的信心」。
「律法的诅咒」促进「替死的信心」。


人替义人死、是仅仅有的;替善人死、或者竟有敢作的;惟独上帝却将他自己的爱向我们证明出来;因为当我们还是罪人时基督就替我们死。
(罗马书 5:7-8 吕振中)

如果那使耶稣从死人中活起来的灵住在你们里面,那么那使耶稣从死人中活起来的、也就要借着他的灵、那住在你们里面的灵、使你们能死的身体活起来。
(罗马书 8:11 吕振中)

基督的爱催迫着我们;我们断定:一个人既替众人死了,众人就都是死了。他替众人死,是要叫活着的人不再为自己而活,乃要为那替他们死而得苏活起来的、活。
(哥林多后书 5:14-15 吕振中)

我们只看见那被派为暂时比天使小的耶稣;因受了死的苦,就接受荣耀尊贵做华冠给戴上,好叫他、因着上帝的恩、替万人尝了尝死。
(希伯来书 2:9 吕振中)

这样,孩子们既有分于血与肉,他自己也同样与分于血与肉,这是要让他借着死叫那掌有死权的——就是魔鬼——无能为力,并解放那些因怕死而一生受制于奴辖中的人。
(希伯来书 2:14-15 吕振中)

圣别、圣洁和圣化,是如何可能的呢?
第一动力发生了改变:从逃避十字架、背负世俗,到放下世俗、背负十字架;从保全性命的犯罪动力,到盼望复活的冒死奉献。


门徒称为「基督徒」,最先是在安提阿起的。
(使徒行传 11:26 吕振中)

弟兄们,我凭着我们主耶稣基督的名劝你们要说一致的话,不要有分裂之争在你们中间,只要用一致的心思一致的意见、大家联结。我的弟兄们,你们的事、曾由革来氏家里的人向我指明、说你们中间有纷争。我说的是:你们各人说:「我是宗保罗的」,「我是宗亚波罗的」,「我是宗矶法的」,「我是宗基督的」。
(哥林多前书 1:10-12 吕振中)

说『我是属基督的,』以拒绝使徒和使徒的教训,或排斥别的信徒,就像说『我是属这个的,我是属那个的,』也是分裂。
—— 注解 2,哥林多前书 1:12,《恢复本圣经注解》

凡因你们名为属基督的,给你们一杯水喝的,我实在告诉你们,他绝不会失去他的赏赐。
(马可福音 9:41 恢复本)

可 9:41、林前 1:12 两处的「属基督的」原文用的都是 Χριστοῦ(Christou),即「基督」的属格,意思完全一样,都是「属于基督的」、「基督的」。
人的身体由头部、颈部、躯干、四肢等主要部分组成。这些部分是可以被比较和区别的。如果它们不被命名,那么它们之间的差异就不可能被描述。头部有头部的名字;颈部、躯干、四肢也应该有自己的名字。


就如身体是一个,却有许多肢体,而且身体上一切的肢体虽多,仍是一个身体,基督也是这样。
(哥林多前书 12:12 恢复本)

由头部、颈部、躯干、四肢等主要部分所组成身体却是一个。


眼不能对手说,我不需要你;头也不能对脚说,我不需要你。
(哥林多前书 12:21 恢复本)

约翰对耶稣说,夫子,我们看见一个人在你的名里赶鬼,我们就禁止他,因为他不跟从我们。
耶稣说,不要禁止他,因为没有人在我的名里行异能,反倒能轻易毁谤我。
不抵挡我们的,就是帮助我们的。
(马可福音 9:38-40 恢复本)

好分宗派的人、过了第一第二次警戒以后、你要拒绝交往,因为知道这样的人已经乖离正道,自定己罪,还在犯罪。
(提多书 3:10-11 吕振中)

  孤傲的认知和意志与合群本能相互冲突。信靠耶稣恰恰是削弱孤傲的认知和意志。这是信靠机制起作用的地方。不过与一位隐秘的人相合并不意味着与整个显明的群体相合。信靠如果不能彻底及群体,其作用就不能彻底展现出来。
—— 论主与贵主的区别

我可以称自己是基督徒;但不可以称自己是耶稣徒。
普利茅斯弟兄会是去中心化人性和中心化神性为特征的基督信仰团体。


真实的一不是道理、意见、或某些作法上的一;真实的一乃是那灵自己。虽然我们可能在道理上和作法上一致,但我们若不在灵里,就没有真正的一。
—— 召会的一,第二十章,《今时代神圣启示的先见–倪柝声》,台湾福音书房,李常受

名是神的代表,灵是神的实际。
基督徒真正地合而为一乃是那灵的一。(以弗所书 4:3)


亲爱的,一切的灵、你们别都信了;总要察验那些灵是不是出于上帝;因为有许多假的神言人已经出来到世界上来了。每一个灵承认耶稣为基督、已在肉身里来到的、乃是出于上帝:在这一点、你们就认出上帝的灵来了。每一个灵不承认耶稣的、不是出于上帝。这就是敌基督者的灵、你们曾听说他要来的;如今他已经在世界上了。
(约翰一书 4:1-3 吕振中)

为了不被论断为「否认耶稣为基督」,我就称自己为「灵族人耶稣的门徒」。


万军之上帝啊,求你回心转意,
从天上察看而看着,
眷顾这葡萄树,
你右手所栽植的树干、
和你为自己所培养到壮大的儿子。
这树已被火烧,被刀割;
愿敌人因你脸上的叱责而灭亡。
愿你的手护庇你右边的人,
你为自己所培养到壮大的人子。
那我们便不退后而离开你;
救活我们,让我们呼求你的名哦。
(诗篇 80:14-18 吕振中)

努力将主人格更新成如同慈爱的父亲一般。--得靠着主耶稣的宝血,悔改得以赦免。


常人有话说:『人若有志要求监督的职分、就是羡慕好的事工。』所以监督应当无可指摘,只做过一个妇人的丈夫,能节制、克己、雅素、乐意款待旅客、善于教导;不豪饮、不打人、却温和良善;不争斗、不贪爱银钱;好好督导自己的家、使儿女们安于顺服、兼有十二分的庄重。人若不晓得督导自己的家,怎能照顾上帝的教会呢?不可让新进教的做监督,免得他蒙于傲气,而掉在魔鬼所受的定罪里。他并且必须在教外有好声誉,免得掉在辱骂和魔鬼的网罗里。
(提摩太前书 3:1-7 吕振中)

因这缘故、我才提醒你要使上帝属灵的恩赐、借我的按手烧𤏲在你心里的、再炽旺起来。因为上帝并不是赐给我们胆怯之灵、乃是赐能力爱心和修练之灵。
(提摩太后书 1:6-7 吕振中)

我从前把你留在革哩底,是因为要让你将留下未办的事都办整齐了,又照我所吩咐你的、在各城设立长老。若有人无可指责,只做过一个妇人的丈夫,有儿女是信徒、而没有被控告为放荡或不服约束的,才可以担任。监督做上帝的管家、应当无可指责、不任性、不暴躁、不豪饮、不打人、不贪可耻之财,却乐意款待旅客、好良善、克己、正义、虔圣、能节制;坚守按教训所传可信可靠之道,好使他能用健全的教义劝勉人,又能使顶撞的人自知有罪。
(提多书 1:5-9 吕振中)

但是你呢、你总要讲健全教义上所适合讲的事。要劝老年人有节制、庄重、克己、在信心爱心坚忍上健全无疵。劝老年妇人也要这样:在行动举止上要有圣役上的恭敬,不说谗言,也不做酒奴,要用好榜样教导人,好修练年轻妇人爱丈夫、爱儿女、克己、贞洁、能理家、好慈善、顺服自己的丈夫,免得上帝之道受谤渎。劝年轻男人也要这样:要克己。你凡事要显出你自己是好行为的榜样,在教导上不腐化,能庄重,言语健全、无可咎责、使反对的人没有坏话可说我们、而自觉羞愧。你要劝做仆人的顺服自己的主人,凡事可喜欢,不顶撞,不私拿东西,却证显出十分实在的忠诚,好在一切事上给我们的拯救者上帝之教义增光彩。
(提多书 2:1-10 吕振中)

说理缺乏实证逻辑但感染力极高?--他是大能的,也是信实的。


你们尽管激动战抖,可别犯罪;
在床上时、要心中说话,静默无声。
(细拉)
(诗篇 4:4 吕振中)

读《圣经》唯一正确的方式:不是用理智、用逻辑去读,而是用感情、用非理智、用疯狂去陶冶自己。--这其实是我真正想敌挡的地方呢。ーー字面解经和灵意解经都是需要的。


勇敢、无忧、揶揄、刚强——这就是智慧对我们的期望:智慧是个女人,她永远只爱一个武士。
——《扎拉图期特拉如是说》,论阅读和写作。

爱中总有一些疯狂。可疯狂里也总有一些理性。
——《扎拉图期特拉如是说》,论阅读和写作。

意志是个男人;智慧是个女人。
男人因女人而完全。


Goldstein (1980)⁰ 首次报告了由音乐情绪诱发的特殊生理现象——「颤栗」,表现为皮肤电反应增加,类似于鸡皮疙瘩或沿着脊柱传导的战栗感,通常是被音乐深深打动而产生的令人愉悦甚至陶醉的审美情绪反应,伴随着快乐的高峰体验。问卷调查研究也支持了音乐带来快乐体验的发现。
-- Musical Emotion and Its Neural Basis

⁰ Goldstein (1980) =>
Goldstein, A. (1980). Thrills in response to music and other stimuli. Physiological Psychology, 8, 126-129.

癫痫发作是大脑皮质中过度且异常的神经元活动所产生的结果。
--「癫痫 - 维基百科


你们是出于你们的父魔鬼的;你们的父的私欲、你们才愿意行。他从起初就是杀人的,不站立在真实上,因为在他里面没有真实。他说谎言时,乃由本性说出来,因为他是撒谎者,是撒谎者的父。
(约翰福音 8:44 吕振中)

魔鬼的本性是撒谎。


机密之事是属于永恒主我们的上帝的,惟有显露之事、是永远属于我们和我们子孙的,好叫我们遵行这律法上的一切话。
(申命记 29:29 吕振中)

永恒主啊,你所管教,
你用你的律法所教训、
使他在患难日子能够处之泰然,
等到为恶人豫备的坑已经挖好的:
这样的人有福啊。
因为永恒主必不丢弃他的人民,
必不将他的产业撇下;
因为公道的判断总要重归于义人;
心里正直的人都要跟着公义而行。
(诗篇 94:12-15 吕振中)

应声地说:
『上帝的名是应当受祝颂
从亟古到永远的,
因为智慧能力都属于他。
是他使时代和时期改变的;
他废王,他立王,
他将智慧赐给智慧人,
将知识赐给聪明人;
是他把深奥隐秘的事启示出来;
黑暗之中有什么、他都知道;
亮光也和他同住一起。
我列祖的上帝啊,
我感谢你,我称颂你
将智慧能力赐给我,
如今把我们向你所求的使我知道哦,
使我们知道王所询问的事。』
(但以理书 2:20-23 吕振中)

为什么会痛苦?--痛苦其实是因为自己的罪过。靠自己已经撑不下去了。这说明是时候去找替罪羊了。--读《圣经》而经历属灵争战。--信的冲突和交战。--被狭隘的人用宗教和宗派的权威和神秘所辖制--神秘的偶像是我所厌恶的。--从苦难学了顺从永恒主。


不可妄称永恒主你的上帝的名,因为妄称永恒主名的、永恒主必不以他为无罪。
(出埃及记 20:7 吕振中)

不过,若有神言人擅自奉我的名说我不曾吩咐他说的话,或是奉别的神的名说话,那神言人就必须死。但你若心里说:「我们怎能知道什么是永恒主所没有说过的话呢?」一个神言人奉永恒主的名所说的、那话若不成就,不实现,那就是永恒主没有说过的话;是那神言人擅自说的,你不要惧怕他。
(申命记 18:20-22 吕振中)

门徒到那边去,忘了带饼。耶稣对他们说:『你们要小心,要注意提防法利赛人和撒都该人的酵。』他们就彼此议论说:『我们没有带着饼哪!』耶稣觉得了,就说:『小信的人哪,你们为什么彼此议论没有饼呢?你们还不了解么?不记得那五千人的五个饼,你们拾取了几篮子么?也不记得那四千人的七个饼,你们拾取了几筐子么?你们怎么不了解我不是指着饼对你们说呢?不是的,你们要注意提防法利赛人和撒都该人的酵啊。』他们这才领悟他不是说要注意提防饼的酵,乃是说要提防法利赛人和撒都该人的教训。
(马太福音 16:5-12 吕振中)

经学士和法利赛人、假冒为善的人哪,你们有祸啊!因为你们当人面前把天国关起来;你们自己不进入,又不容那正进入的人进入。经学士和法利赛人、假冒为善的人哪,你们有祸啊!因为你们周游了洋海旱地,使一个人成了归依人,既归依了,你们又使他做该入地狱的人,比你们还加倍!
(马太福音 23:13-15 吕振中)


你们既和基督一同死了,脱离了世界所信的星质之灵,为什么还在世俗中活着,而去服从那「不可摸!不可尝!不可触!」的规例(而规例中所指的又都是以沿用而至于朽坏的东西),随着人的诫律和教条呢?这种规例、于牵强的崇拜和卑抑自己以及身体之刻苦、徒有智慧之名,在克制肉体之放纵上实毫无价值的。
(歌罗西书 2:20-23 吕振中)

不能为了舒适而接受虚空。


我记得以前听过一句话:一个人的幻觉是精神病;一群人的幻觉是宗教信仰。我不愿意在幻想中过完短暂的一生。无论是在幻想中享受还是在幻想中纠结,都是贫乏、龌龊和可怜的自满。如果圣洁就是遵行诫命,那么不断坚持就好了。就算失败了,也不纠结于过去、继续坚持!何必皈依基督教呢?皈依是为了安定自己而不自暴自弃吗?如果是为了永生,那么就另当别论吧。每位寻找到神圣自己的终极冒死者必然会为了自己的神圣事业而不断坚持。他的意志已全然投入他的使命。他的意愿又怎会被犯罪和试诱所纠缠?对他来说,遵行诫命完全是自然而然的。


人心里多有设计,
惟独永恒主的计划才能立定。
(箴言 19:21 吕振中)

关于「任务」与「业余」的律:
结合《为王到永远》中关于「计划」的反省。
尝试一种新的生活方式。

星期一二三四为「任务执行日」。循規蹈矩。按部就班。禁止一切欲望、期望、愿望、希望。


耕种自己田地的必吃饱饭;
追逐空洞洞事的必缺少食粮。
(箴言 12:11 吕振中)

就算无意中产生了「灵感」,只准记下来,留给星期五。


我今日呼天唤地来警告你们,我将活与死、祝福与咒诅、都摆在你面前;你务要拣选「活」,使你和你后裔得以活着,而爱永恒主你的上帝,听他的声音,紧依附着他,因为那就是你的「活」,你的长寿;这样你就可以在永恒主向你列祖亚伯拉罕、以撒、雅各起誓应许给他们的土地长久居住。
(申命记 30:19-20 吕振中)

至于你们呢、你们从主所领受的膏沐却长存在你们里面,你们是无需乎人教训你们的。不,主的膏沐正教训你们一切的事呢;这膏沐又是真实、不虚谎的。膏沐怎样教训了你们,你们就该怎样住在他里面。
(约翰一书 2:27 吕振中)

关于「自由」与「约束」的律:
「预定论」与「自由拣选」。
「预定论」与「盼望」、「自己谦卑」。
「决定论」与「绝望」、「自高自尊」。


如果基督在你们里面;那么你们的身体虽因罪成为死的,你们的灵却因义成为生命。如果那使耶稣从死人中活起来的灵住在你们里面,那么那使耶稣从死人中活起来的、也就要借着他的灵、那住在你们里面的灵、使你们能死的身体活起来。
(罗马书 8:10-11 吕振中)


弟兄们,那么我们便是欠债的了,却不是欠肉体的债、去顺着肉体活的。因为你们若顺着肉体而活,就必死;若顺着灵治死你们身体上的行为,就必活。凡蒙上帝之灵带领的、就是上帝的儿子。你们并不是领受了奴役之灵,以致重陷于惧怕;你们乃是领受了被立为子的灵;凭着这样的灵、我们来呼叫:「阿爸!父啊!」的。圣灵自己、和我们的灵一同作证我们乃是上帝的儿女。既是儿女,便是后嗣:是上帝的后嗣,和基督同做后嗣,如果我们和他一同受苦、的话;那是要使我们也和他同得荣耀。
(罗马书 8:12-17 吕振中)

膏油的涂抹,经过灵里的直觉,而被心思领会,就是膏油涂抹的教训。膏油的涂抹,透过了良心,而被心思领会,就是良心的感觉。
--『生命的经历・顺服膏油涂抹的教训』

膏沐经过直觉就是灵感;经过良心就是良知。


大卫往挪伯去,到了祭司亚希米勒那里;亚希米勒战战兢兢地迎接大卫,对他说:『你为什么独自一人,没有人跟着你呢?』大卫对祭司亚希米勒说:『王吩咐我办一件事,对我说:「我差遣你吩咐你办的这件事、都不要使人知道」;故此我和青年的兵约定了在某某处相会。现在你手下有什么东西没有?有五个饼么?请交我手,或是任何找得着的东西?』祭司回答大卫说:『我手下没有平常的饼,只有圣饼;只要青年人已经自守没有亲近妇人就可以拿。』大卫回答祭司说:『实在的、我出征时候、我们素常都是抑制自己不亲近妇人;就是平常路程,青年人们的器械还是洁净;何况今天、岂不因器械之祝圣而更加洁净么?』
(撒母耳记上 21:1-5 吕振中)


祭司便拿圣饼给他,因为在那里没有别样的饼,只有从永恒主面前撤下来的神前饼,当被拿下的日子放上热饼的、那种。
(撒母耳记上 21:6 吕振中)


那时以东人多益侍立在扫罗的臣仆们左右、应声地说:『我曾看见耶西的儿子往挪伯去、到了亚希突的儿子亚希米勒那里。亚希米勒为他求问永恒主,将干粮给他,并将非利士人歌利亚的刀也给了他。』
(撒母耳记上 22:9-10 吕振中)

王就打发人将亚希突的儿子祭司亚希米勒,和他父亲的全家,就是在挪伯的众祭司都召了来;他们就都来见王。
(撒母耳记上 22:11 恢复本)

Then the king sent men to call Ahimelech the priest, the son of Ahitub, and all his father’s house, the priests who were in Nob. And all of them came to the king.
(1 Samuel 22:11 Recovery Version)

谁是『大祭司』?


于是扫罗差人去叫大祭司和他的亲族来见他说:「你为什么这样忘恩负义,竟然接待耶西的儿子,给他食物吃和刀以夺取王位,又为他求问神关于将来的事呢?你不是不知他从我面前逃走、憎恶我的家么」?大祭司没有否认所作的,反而勇敢承认这一切话都是对的,而且都是为讨好扫罗而作的。他说:「我不知他是你的对头,只知道他是你的忠仆、是千夫长和女婿,人总不会把这些好职位给他的对头,乃是给他最尊敬的人。这也不是我头一次为他求问神,我时常都为他求问的。他对我说是你差他赶着办一件事,我若不照他所求的去行,便是冒犯了你的命命。求你不要以我为有罪,也不要以为我这样尽人道去对待他、是反抗你的命令,我接待他,乃是因为他是你的女婿、是朋友和千夫长,并不是你的仇敌」。


犹太古史、第一集,卷六、由以利死至扫罗死(共32年),第十二章、大卫先投向亚希米勒然后投奔非利士王和摩押王,5。

大祭司说完之后,并没有向扫罗求情,却因他甚惊惶和恐惧,以致无法道歉。扫罗竟吩咐人去杀他和他全家,但他们不敢下手害大祭司,他们惧怕神比惧怕扫罗更甚。王便吩咐多益去杀他们,王利用一个和自己一样可恶的人去杀害亚希米勒和他一家,一共杀了385人。扫罗又差人到祭司的城挪伯(注)去杀了所有的祭司,并一切妇人和孩童,又放火烧这城。只有亚希米勒的一个儿子亚比亚他得以逃脱。这些事神早已预告祭司以利说,他的后代必因为他两个儿子的恶行而被灭绝。


注:挪伯不是一个祭司居住的城,但似乎当时的会幕是在那里,另外还有一个先知学校。由耶路撒冷到挪伯约有两天的路程(撒上廿一5)。祭司被杀数目有385,但在希伯来圣经是85人(撒上廿二18),七十译本是305人。


犹太古史、第一集,卷六、由以利死至扫罗死(共32年),第十二章、大卫先投向亚希米勒然后投奔非利士王和摩押王,6。
  • 以利:示罗的祭司,撒母耳还年幼时,他在圣殿事奉。
  • 他的两个儿子:何弗尼和非尼哈,被称为「恶人,不认识耶和华」(撒上 2:12)。
    • 他们贪取祭肉(2:13–16)。
    • 与会幕门口事奉的妇人行淫(2:22)。
  • 神借着一位神人警告以利:
    • 因他尊重儿子过于尊重神,神要审判他的家。

因此,耶和华以色列的神宣示说,我确实说过,你家和你父家必永远行在我面前;但现在我耶和华宣示说,我绝不容你们这样行。因为尊重我的,我必尊重他们;藐视我的,他们必被轻视。
日子要到,我必折断你的膀臂和你父家的膀臂,使你家中没有一个老年人。
在我使以色列人享各样好处的时候,你必看见我居所的败落;在你家中必永远没有一个老年人。
你家中未从我坛前被我剪除的人,必使你眼目失明,魂中忧伤。你家中所增加的人口都必死在人的刀下。
你的两个儿子何弗尼、非尼哈所遭遇的事,要给你作兆头:他们二人必同日而死。
(撒母耳记上 2:30–34 恢复本)


  • 神不是说「每一个」后代都会马上被剪除,而是:总体上这个家族的后裔不能长久存活。
  • 壮年:指在盛年时就会死去,不能长寿。
  • 这是一种「家族性的咒诅」,表明以利家的祭司职分将不再长存。

  • 撒上 22 章:扫罗王因亚希米勒帮助大卫,下令杀死了挪伯城的祭司,共有 85 人被杀。这是对以利家族的重大审判。
  • 亚比亚他:亚希米勒的儿子,设法逃到大卫那里,成为祭司。但后来因跟随亚多尼雅反对所罗门,被所罗门革除(王上 2:27)。
    • 圣经特别注明:这是应验耶和华所说关于以利家的话。
    • 虽然亚比亚他幸存,但最终被革除职分,以利家的祭司职分彻底结束,转到撒督家族(王上 2:35)。希伯来语『撒督』是『公义』的意思。

《犹太古史》的作者,弗拉维奥・约瑟夫斯(Flavius Josephus),{他的原名是约瑟夫・本・马提亚(Yosef ben Matityahu),是犹太/罗马历史学家和作家,生活于公元1世纪。他是一个法利赛人,出生在耶路撒冷的一个祭司家庭。约瑟夫斯在犹太罗马战争(公元66-70年)期间扮演了重要角色,起初作为反抗罗马的犹太叛军指挥官,后来被俘并投靠了罗马军队。被俘后,他成为罗马皇帝韦斯帕先(Vespasian)的顾问,并获得了弗拉维奥(Flavius)的姓氏。}认为,亚希米勒是『大祭司』。


亚希突的儿子亚希米勒有一个儿子名叫亚比亚他溜走了,逃到大卫那里。亚比亚他将扫罗杀害永恒主祭司的事告诉大卫。大卫就对亚比亚他说:『那一天多益在那里、我就知道他一定会告诉扫罗的:哎,你父系全家族的性命都是我害死的。你住在我这里吧;不要惧怕;因为寻索你性命的正在寻索我性命呢;在我这里、你就可得保全。』
(撒母耳记上 22:20-23 吕振中)


大卫对亚希米勒的儿子祭司亚比亚他说:『请将神谕像给我拿过来。』亚比亚他就将神谕像拿过去到大卫面前。大卫就求问永恒主说:『我可以追赶这群匪帮么?我追得上追不上呢?』永恒主对他说:『你可以追赶;一定追得上,并且一定抢救得来。』于是大卫和跟随他的六百人就走,来到比梭溪谷;有余留的便停在那里。大卫和四百人往前追赶;有二百人因为精疲力竭、不能过比梭溪谷,便停住了。
(撒母耳记上 30:7-10 吕振中)


大卫作王管理全以色列;大卫对他的众民都秉公行义。洗鲁雅的儿子约押统领军队;亚希律的儿子约沙法做通知官;亚希突的儿子撒督、和亚比亚他的儿子亚希米勒做祭司长;西莱雅做秘书;耶何耶大的儿子比拿雅统辖做卫兵的基利提人和比利提人;大卫的儿子都做祭司。
(撒母耳记下 8:15-18 吕振中)

《圣经》中,仅仅在『撒母耳记下 8:17』/『历代志上 24:31』一处,记载了这位亚希米勒的事迹。


跟随他的也有撒督、亚比亚他和利未人,抬着上帝的柜;他们将上帝的柜放下,在亚比亚他身边,等着众民全都从城里往前走出来。王对撒督说:『你将上帝的柜抬回城去;我若在永恒主眼前蒙恩,他就会使我回来、再见那柜和他的居所。倘若他说:「我不喜爱你」,那么看哪,我在这里;愿他照他所看为好的来待我。』王又对祭司撒督说:『你看明白么?你和亚比亚他要安心回城里去;你儿子亚希玛斯和亚比亚他的儿子约拿单、你们二人的儿子、都要和你们一同回去。至于我呢,看吧,我在旷野的几个渡口呆着,等有话从你们那里来告诉我就是。』于是撒督和亚比亚他将上帝的柜抬回耶路撒冷;他们就住在那里。
(撒母耳记下 15:24-29 吕振中)


约押统领以色列的全军;耶和耶大的儿子比拿雅统辖做卫兵的基利提人比利提人;亚多兰掌管作苦工的人;亚希律的儿子约沙法做通知官;示法做秘书;撒督和亚比亚他做祭司长;睚珥人以拉做大卫的祭司。
(撒母耳记下 20:23-26 吕振中)


那时哈及的儿子亚多尼雅高抬自己、说:『我要做王』;就为自己豫备车辆、骏马、和五十个人在他前面奔走。他父亲从来没有使他难过,没有问过他说:『你为什么这样作?』他丰姿非常俊美;是在押沙龙之后生的。亚多尼雅同洗鲁雅的儿子约押、和祭司亚比亚他商议;二人附从亚多尼雅,帮助他。但是撒督祭司、耶何耶大的儿子比拿雅、拿单神言人、示每、利以、和大卫的勇士、都不拥护亚多尼雅。
(列王纪上 1:5-8 吕振中)


王也对祭司亚比亚他说:『你往亚拿突、到你自己的田地去吧;你本是该死的人。但今天我不将你杀死,因为你在我父亲大卫面前带过神谕像,又在我父亲所受的一切苦难中同受过苦难。』于是所罗门革除亚比亚他,不许他做永恒主的祭司;这便应验了永恒主的话、就是他对以利家在示罗的事上所说的。
(列王纪上 2:26-27 吕振中)


所罗门王做全以色列的王。以下这些人是他的大臣:撒督的儿子亚撒利雅做祭司;示沙的两个儿子以利何烈和亚希亚做秘书;亚希律的儿子约沙法做通知官;耶何耶大的儿子比拿雅统领军队;撒督和亚比亚他做祭司长;拿单的儿子亚撒利雅做官长管理官员;拿单的儿子撒布得做王的祭司、王的心腹;亚希煞做管家;亚比大的儿子亚多尼兰掌管作苦工的人。
(列王纪上 4:1-6 吕振中)


大卫又聚集了亚伦的子孙和利未人:属哥辖子孙的有首领乌列、和他的族弟兄一百二十人;属米拉利子孙的有首领亚帅雅、和他的族弟兄二百二十人;属革顺子孙的有首领约珥、和他的族弟兄一百三十人;属以利撒反子孙的有首领示玛雅、和他的族弟兄二百人;属希伯仑子孙的有首领以列、和他的族弟兄八十人;属乌薛子孙的有首领亚米拿达、和他的族弟兄一百一十二人。大卫将祭司撒督和亚比亚他、跟利未人乌列、亚帅雅、约珥、示玛雅、以列、亚米拿达、召了来,对他们说:『你们是利未人父系的首长;你们和你们的族弟兄都应当洁净自己为圣,好将以色列之上帝、永恒主的柜、接上来到我所给豫备的地方。因为你们先前没有这样作过;永恒主我们的上帝便突击了我们,因为我们没有按规矩寻问他。』于是祭司和利未人就洁净自己为圣,好将以色列之上帝、永恒主的柜、接上来。利未子孙就抬上帝的柜、照永恒主的话、按摩西所吩咐的、用肩膀使杠子来抬。
(历代志上 15:4-15 吕振中)


大卫作王管理全以色列;他对他的众民都秉公行义。洗鲁雅的儿子约押统领军队;亚希律的儿子约沙法做通知官;亚希突的儿子撒督、和亚比亚他的儿子亚希米勒做祭司长;沙威沙做秘书;耶何耶大的儿子比拿雅统辖做卫兵的基利提人和比利提人;大卫的儿子们都在王左右做长官。
(历代志上 18:14-17 吕振中)

《圣经》中,仅仅在『撒母耳记下 8:17』/『历代志上 24:31』一处,记载了这位亚希米勒的事迹。


属亚伦子孙的、其班次记在下面:亚伦的儿子是拿答、亚比户、以利亚撒、以他玛。拿答、亚比户比他们父亲先死,又没有儿子;故此以利亚撒、以他玛供祭司的职分。大卫同以利亚撒子孙中的撒督和以他玛子孙中的亚希米勒将他们的族弟兄分配起来,按他们受派的职任去服务。他们发现了以利亚撒子孙中为人首领的,比以他玛子孙中的多,就把他们分配起来:属以利亚撒子孙为首领的、按他们父系的家属有十六人,属以他玛子孙的、按他们父系的家属有八人。他们凭拈阄把他们分配起来,彼此同样;因为以利亚撒的子孙中和以他玛的子孙中都有人在圣所做首领、或是在上帝面前做首领的。做秘书的利未人拿坦业的儿子示玛雅在王面前、和首领们跟祭司撒督、亚比亚他的儿子亚希米勒、跟祭司和利未人父系家属的族长面前、记录下来;属以利亚撒的有一个父系的家属被选取了,属以他玛的也有一个被选取。
(历代志上 24:1-6 吕振中)

这些人也拈阄,是跟他们的族弟兄亚伦的子孙并立而拈的,在大卫王面前、在撒督、亚希米勒、父系族长们、连祭司和利未人们面前拈的:众父系的族长们跟兄弟们并立而拈,没有分别。
(历代志上 24:31 吕振中)


大卫的侄儿约拿单做参谋;这人很精明、兼做秘书;哈摩尼的儿子耶歇做王子们的师傅;亚希多弗也做王的参谋;亚基人户筛做王的心腹;亚希多弗之后有比拿雅的儿子耶何耶大和亚比亚他接续他做参谋;约押做王的军长。
(历代志上 27:32-34 吕振中)


安息日耶稣由麦地经过;他的门徒打开路来的时候、开始掐着麦穗来。法利赛人对他们说:『你看,他们为什么作安息日不可作的事呢?』耶稣对他们说:『大卫(本人和跟随他的人)缺乏而饿着的时候所作的,你们从没诵读过么?他怎样当亚比亚他做大祭司的时候、进了上帝的殿,吃了祭司以外人不可吃的陈设饼,又给跟随他的人。』耶稣也对他们说:『是安息日为人而设立的,不是人为安息日;所以人子也是安息日的主。』
(马可福音 2:23-28 吕振中)

相信真实;怀疑虚假。永恒主是广博的;我们是狭隘的。《圣经》出自狭隘的手。
一种没有矛盾的字面解释是:用亚比亚他做大祭司的时候,指代,从亚比亚他的父亲亚希米勒做祭司到亚比亚他的儿子亚希米勒做祭司长的整个时期。


希伯来文『亚比亚他』的意思是『父亲是丰盛』。
希伯来文『亚希米勒』的意思是『我的兄弟是王』。


  1. 弥赛亚是生命的饼,超越律法的限制
    • 陈设饼原本是「神面前的饼」,只给祭司吃。
    • 大卫在困难中得着,表明弥赛亚是给人享受的生命供应,不仅仅局限于祭司阶层。
    • 主耶稣借此暗示:祂自己就是真陈设饼,能满足跟随祂的人(约 6:35)。
  2. 人的需要高过规条
    • 律法说「陈设饼不可随便吃」,但人在饥饿时需要生命的供应。
    • 主指出:神设立律法是为着人的需要,而不是要辖制人(可 2:27「安息日是为人设立的」)。
  3. 大卫作为弥赛亚的豫表
    • 大卫是受膏者、将来的王,当时却被弃绝、在逃亡中。
    • 这正是弥赛亚的豫表:祂是神所立的王,却在地上受弃绝。
    • 跟随祂的人(门徒)在饥饿困苦中,也要靠祂得着属天的供应。
  4. 律法 vs. 弥赛亚的恩典
    • 律法限制了谁能吃饼,但弥赛亚作为生命的饼临到时,不再受限制。
    • 在恩典里,凡属祂的人都能吃,都能活。

『看哪,我今日把祝福与咒诅摆在你们面前。祝福呢,你们若听从永恒主你们的上帝的诫命、就是我今日所吩咐你们的,你们就必蒙祝福;咒诅呢,你们若不听从永恒主你们的上帝的诫命,反而偏离了我今日所吩咐你们走的道路,去随从你们素来所不认识的别的神,你们就必受咒诅。
(申命记 11:26-28 吕振中)

《圣经》是一本充满祝福和咒诅的书--顺服得祝福;悖逆得咒诅。无论是去思辨、还是去领悟,相信的人必从自己的信心受祝福和咒诅。


如果我们⁰同时相信这位聪明的作者(柯林斯¹)以及你们那位更聪明的博士(惠特比²)的意见,认为他(米尔³)念念不忘地就是想要证明《圣经》经文不可靠……


那么惠特比在那边破口大骂又大呼小叫到底是为了什么呢?他说⁴米尔的工作成果导致所有经文都岌岌可危,还使得宗教改革、教宗的跟班甚至宗教本身,都成了无神论。


老天!有完没完啊。要知道,那些异文在之前许多范例中就已经存在了,这并非米尔博士的制造或杜撰,他只是如实呈现出来而已。这些异文早就存在,如果宗教在当初为真,那么在异文被指出来之后宗教还是依然真实可靠。不论事实以什么方式展现出来,没有真理能够颠覆真正的宗教信仰。


--Phileleutherus Lipsiensis, Remarks upon a Late Discourse of Free Thinking, 7th ed. (London: W. Thurbourn, 1737), 93-94.

⁰ 理查德・本特利(Richard Bentley

¹ 安东尼・柯林斯(Anthony Collins)的意见 =>
逻辑与证据的优越性高于启示(例如《圣经》中的启示)和所谓的神迹。
--Discourse on Free Thinking

² 丹尼尔・惠特比(Danie Whitby)的意见 =>
因此我大感痛心且苦恼,因为在米尔的绪论中竟然有那么多显然会危及标准信仰之处。即使往最好的方面想,也一样会让人产生疑惑。
--Adam Fox, John Mill and Richard Bentley: A Study of Textual Criticism of the New Testament, 1675-1729 (Oxford: Blackwell, 1954), 106。

³ 约翰・米尔(John Mill)的证明 =>
Mill’s work noted over 30,000 discrepancies between some 100 extant New Testament manuscripts.
--John Mill, Novum Testamentum Graecum, cum lectionibus variantibus MSS (Oxford 1707).

⁴ 丹尼尔・惠特比(Danie Whitby)说 =>
天主教学者毛利努斯(Morinus)就认为,他在斯蒂芬纽的希腊文《新约》中所发现的那些异文,已经足以动摇《圣经》本身的权威性;如果那些教宗的跟班发现,米尔三十多年来穷经皓首的研究结果显示,同样一份经文上的异文其实有四倍之多,这对他们来说会是多么大的胜利啊!
--Adam Fox, John Mill and Richard Bentley: A Study of Textual Criticism of the New Testament, 1675-1729 (Oxford: Blackwell, 1954), 106。

惧怕之处必有狭隘。不是缺乏信仰,就是缺乏智慧。


连我们的仇敌自己也评判:
他们的磐石不如我们的磐石。
(申命记 32:31 吕振中)

我们的磐石是什么呢?
圣经?永恒主?主耶稣?圣灵?终极真实?
追求终极真实。拒绝一切狭隘。


永恒主的律法完全,
能使人精神苏醒;
永恒主的法度确定,
能使愚直人有智慧。
永恒主的训令正直,
能使人的心欢喜;
永恒主的诫命清洁,
能使人眼目明亮。
敬畏永恒主的道理是洁净的,
它立定到永远;
永恒主的典章真实,
一概公义。
比金子可羡慕,
比许多炼净的金子还可爱;
比蜜甘甜,
比蜂房滴下的还甜。
(诗篇 19:7-10 吕振中)

就算耶稣没有从死里复活,我们也总要以爱心持守着终极真实,敬畏永恒主、谨守诫命,相信死人必将复起。


这么说来,因一人的过犯、万人怎样都受定罪;照样,因一人所行的义、万人也怎样都被断为无罪而得生命。因那一人之不听从、万众也怎样被认为罪人;照样,因这一人之听从、万众也怎样都被认为义人。律法溜了进来,使过犯增多;但罪在哪里增多,恩典也就在哪里格外地满溢;以致罪在死中怎样掌了王权,恩典也可以借着救人之义怎样掌王权,使人借着我们的主耶稣基督得永生。
(罗马书 5:18-21 吕振中)

可是,如果耶稣没有从死里复活,那么我们还能剩下多少恩典呢?


基督既被宣传:他已经从死人中得苏活起来,怎么你们中间还有人说没有死人之复活呢?如果没有死人之复活,基督也就没有得苏活起来了;基督如果没有得苏活起来,那我们所宣传的便是空的,你们所信的也是空的了。不但如此,如果死人真地不能得苏活起来的话,那么我们还要被指为上帝的假证人、作证妄说上帝的呢、说他叫他所没有苏活起来的基督活了起来!死人如果不能得苏活起来,基督也就没有得苏活起来了;基督如果没有得苏活起来,那你们的信便是徒然,你们就仍然在你们的罪中了。那么连那些在基督里长眠着的人也就灭亡了!我们在基督里所盼望的如果只在今生而已,那我们就比万人更为可怜了!
(哥林多前书 15:12-19 吕振中)

还能剩下多少信心呢?还能剩下多少盼望呢?还能剩下多少爱心呢?


凡以行律法为本的都在被咒诅之下;因为经上记着说:『凡不持守律法书上所记的一切去行的人都被咒诅。』靠着律法、没有人能在上帝面前得称为义、是明显的,因为『人是本于信而称义才得活着』。律法原不是本于信的,它乃是说:『凡行这些法的,必靠着这些法而活着。』基督既为我们成了被咒诅的,就把我们买出来、使我们脱离了律法的咒诅;(因为经上记着说:『凡挂在木架上的都被咒诅』;这是要使亚伯拉罕所受的祝福可以在耶稣基督身上临到外国人,使我们可以凭着信领受所应许的圣灵。
(加拉太书 3:10-14 吕振中)

务要遵行我的典章,谨守我的律例,按此而行;我永恒主是你们的上帝。故此你们要谨守我的律例我的典章:人若遵行典章,就必因这而活着;我是永恒主。
(利未记 18:4-5 吕振中)

人若犯罪、有该死的罪案,他被处死了,你将他挂在示众木上;他的尸体你不可留在示众木上过夜,总要在当天将他葬埋,因为被挂的人是上帝所咒诅的;这样、你就不至于使永恒主你的上帝所赐给你以为业的土地蒙不洁。
(申命记 21:22-23 吕振中)

「不坚信这律法的话而遵行的、必受咒诅」;众民都要说:「阿们。」
(申命记 27:26 吕振中)

因忠爱与诚信、罪孽就得赦除;
由于敬畏永恒主、人就免受祸患。
(箴言 16:6 吕振中)

看哪,其心中不正的必自吹自大,
惟独义人必因其忠信而活着。
(哈巴谷书 2:4 吕振中)

我们会少了多少赦罪的恩典呢?
我们会少了多少永生的祝福呢?
我们会少了多少冒死救人的爱心呢?
对于盼望着美好的基督徒来说,怀疑主耶稣基督的复活,会是一种怎么痛苦的绝望呢?


以色列啊,你要听:永恒主我们的上帝是独一无二的永恒主;你要全心、全意、全力爱永恒主你的上帝。
(申命记 6:4-5 吕振中)

上帝站立在神的会中,
在诸神中行审判,说:
『你们不按公义而审判,
只徇恶人的情面,
要到几时呢?
(细拉)
你们要为受欺压的人和孤儿伸冤;
要向困苦穷乏人显义气。
要解救贫寒穷困人,
援救他们脱离恶人的手。』

唉,他们仍不知道,也不明白,
只在黑暗中走来走去,
以致地的根基都摇动了!

我心里说:『你们倒是神类,
倒都是以利约恩的众子呢!
其实你们是会死的,像世人一样;
王子们哪,你们都必一概倒毙。』

上帝啊,求你起来、统治大地;
因为是你要取得万国以为业的。
(诗篇 82:1-8 吕振中)

犹太人又举起石头来要打他。耶稣应时对他们说:『我把许多由父而来的善事显给你们看;你们为其中的哪一件要用石头打我呢?』犹太人回答他说:『我们要用石头打你,不是为了你的善事,乃是为了你的僭妄;因为你是人,你竟把自己当做上帝。』耶稣回答他们说:『你们律法书上不是写着说:「我说了、你们是神」么?上帝的话所临到的人,上帝尚且称他们为神(经典又是不能废的);那么父所分别为圣而差遣到世界上来的、因他说、「我是上帝的儿子」、你们就说、他说了僭妄的话么?我若不是在作我父的事,你们就不必信我。我若在作,你们纵然不信我,也该信这些事啊,叫你们又知道又明白父在我里面,我也在父里面。』于是他们又想法子要逮他;他却迳自从他们手里出来了。
(约翰福音 10:31-39 吕振中)

马可福音 12:18
复活是基督教信仰的核心。若耶稣没有复活,他的死就没有任何意义,为真理付出的一切劳苦与牺牲也是徒劳的,而两千年教会史无疑也是一场欺骗与虚假的闹剧。
--「精读本圣经注释」

如果耶稣没有从死里复活,那么他的预言就没有成就、没有实现。那么他就是虚妄的;他就是妄称了永恒主的名;他就是擅自说了永恒主没有说过的话;他就是说了僭妄的话。那么他就是因为自己的罪而被钉死在十字架上。「除罪」和「替死」也无从谈起了。
由此可见,「除罪」和「替死」是建立在「复活」之上的,而所有这一切又是建立在「真实」之上的。


在基督里、你们也成了业分;既已听见真理之道、你们得救的福音、来信他,你们也就由所应许的圣灵盖印;圣灵是我们得嗣业的质定,直等到做上帝产业的得赎放,使他的荣耀得称赞。
(以弗所书 1:13-14 吕振中)

假定你们确已听过他、在他里面受过教训、的话——(因为「真实」是在耶稣里面)。你们乃是要脱去那依故态而起居的旧人、顺着诱惑人之私欲而渐渐败坏的旧人,让你们心思之灵质上重化为新造的、而穿上新人,那依上帝之圣质形像而被创造的新人,创造于真实中之正义和虔圣的。
(以弗所书 4:21-24 吕振中)

我的经文查证走到尽头了。
让我们来承认雅苏为主吧!
让我们来承认他的复活权能吧!
坚信主雅苏!笃定主雅苏!
我们是终极冒死者!


『太初有话,话与神同在,话就是神。这话太初与神同在。』

『万物是借着祂成的;凡已成的,没有一样不是借着祂成的。生命在祂里面,这生命就是人的光。光照在黑暗里,黑暗未曾胜过光。』


我们也许以为关于圣经是神的话的要点应该在关于基督是神的话的要点之前,因为在我们的经历中,我们先来到圣经,然后借着运用我们的灵,我们来到基督面前。即使在我们得救的经历中,我们也首先看到了圣经的真理。


你如果在每天的经历中与主同工,你必定会建造一些出乎基督的东西,至终你就进入你所建造的里面,住在这位作你享受的基督里面。这样,你就定居在基督里面了。许多基督徒知道约翰十五章说到住在基督里面,但是没有多少基督徒知道住在基督里面的意义。…

你如果不建造基督,就没有基督可以住进去。这话从道理上说也许很奇怪,但从经历上说却是对的。你有基督,但你住在基督里么?…

你要得着基督,只要信入祂就够了,但要住在基督里就需要一些建造。你必须建造基督,好让你住在祂里面。建造基督是什么意思?…

你必须爱祂,呼求祂的名,与祂交谈,并凭祂活着。

事实上,基督是第一位的——「太初有道」,而不是圣经。此外,基督作为神的道,在时间上是第一位的。无论是否有圣经,他永远是神的道。基督在他永恒的神性中是不会改变的。


D590 基督是话,他也是灵。

是否畏惧无底坑?是否不再期望登上无顶天台?
与记忆相关的量子神经科学的研究将有助于登上《圣经》这座无顶天台。


你要写信给在撒狄的召会的使者,说,那有神的七灵和七星的,这样说,我知道你的行为,按名你是活的,其实是死的。
(启示录 3:1 恢复本)


祂使我们够资格作新约的执事,这些执事不是属于字句,乃是属于灵,因为那字句杀死人,那灵却叫人活。
(哥林多后书 3:6 恢复本)


门徒进前来,对祂说,为什么你对他们讲话用比喻?
祂回答说,因为天国的奥秘,只给你们知道,不给他们知道。
凡有的,还要给他,使他有余;凡没有的,连他所有的,也要从他夺去。
所以我用比喻对他们讲,因为他们看却看不见,听也听不见,也不明白。
(马太福音 13:10-13 恢复本)

在他们身上,应验了以赛亚的申言,说,“你们听是要听见,却绝不领悟;看是要看见,却绝看不透。
因为这百姓心蒙脂油,耳听不灵,眼睛闭着;恐怕他们眼睛看见,耳朵听见,心里领悟,回转过来,我就医治他们。”
但你们的眼睛是有福的,因为看见了;你们的耳朵也是有福的,因为听见了。
我实在告诉你们,曾经有许多申言者和义人,渴想要看你们所看的,却没有看见;要听你们所听的,却没有听见。
(马太福音 13:14-17 恢复本)

『灵意解经』(Allegorical Exegesis)是一种将圣经文本赋予象征性或隐喻性解释的释经方法。


  1. 犹太教的重述法(Midrash)
    犹太教传统中,重述法是一种解释圣经的方式,强调从字面意义之外的层面挖掘更深的教义和道德教训。

  2. 早期教父的应用
    在基督教早期,教父们为了阐明旧约与基督信仰的关系,广泛采用灵意解经法。例如,奥利根(Origen)在其著作《圣经原意》中,强调圣经不仅具有字面意义,还包含更深的精神和象征意义。

  3. 中世纪与宗教改革时期
    在中世纪,灵意解经法继续被应用,尤其在解释圣经的道德和灵性教训时。然而,宗教改革时期,马丁・路德等人强调圣经的字面意义,批评过度的灵意解经可能导致误解圣经的原意。


字面解经是理性的。
灵意解经是感性的。


你要写信给在以弗所的召会的使者,说,那右手中握着七星,在七个金灯台中间行走的,这样说,
我知道你的行为、劳碌、忍耐,也知道你不能容忍恶人;你也曾试验那自称是使徒却不是使徒的,看出他们是假的;
你也有忍耐,曾为我的名忍受一切,并不乏倦。
(启示录 2:1-3 恢复本)

你要写信给在士每拿的召会的使者,说,那首先的、末后的、死过又活的,这样说,
我知道你的患难和贫穷,其实你是富足的,也知道那自称是犹太人,却不是犹太人,乃是撒但会堂的人,所说毁谤的话。
(启示录 2:8-9 恢复本)

你要写信给在别迦摩的召会的使者,说,那有两刃利剑的,这样说,
我知道你的居所,就是有撒但座位之处。你持守着我的名,甚至当我忠信的见证人安提帕在你们中间,撒但所住之处被杀的那些日子,你也没有否认对我的信仰。
(启示录 2:12-13 恢复本)

你要写信给在推雅推喇的召会的使者,说,那眼目如火焰,脚像明亮之铜的神之子,这样说,
我知道你的行为、爱、信、服事、忍耐,也知道你末后所行的,比起初的更多。
(启示录 2:18-19 恢复本)

你要写信给在撒狄的召会的使者,说,那有神的七灵和七星的,这样说,我知道你的行为,按名你是活的,其实是死的。
(启示录 3:1 恢复本)

你要写信给在非拉铁非的召会的使者,说,那圣别的、真实的,拿着大卫的钥匙,开了就没有人能关,关了就没有人能开的,这样说,
我知道你的行为;看哪,我在你面前给你一个敞开的门,是无人能关的;因为你稍微有一点能力,也曾遵守我的话,没有否认我的名。
(启示录 3:7-8 恢复本)

你要写信给在老底嘉的召会的使者,说,那阿们,那忠信真实的见证人,那神创造之物的元始,这样说,
我知道你的行为,你也不冷也不热;我巴不得你或冷或热。
(启示录 3:14-15 恢复本)


  1. 约瑟夫・米德 (Joseph Mede, 1586–1638)
    • 英国清教徒神学家,剑桥大学教授。
    • 他最重要的作品是:
      • 《Clavis Apocalyptica》(1627, 拉丁文,后译为 Key of the Revelation / 《启示录的钥匙》)
        • 在书中,他把启示录视为「历史性预言」,将其中的异象与教会历史、世界大事逐一对应。
        • 他提出七个召会不仅是真实存在的亚细亚地方召会,也象征教会历史的七个阶段。
  2. 后续影响

存在约两千年人类历史的主宰者。


我们要彼此相爱,像耶稣爱我们一样,这就是他的诫命。人为朋友舍命,人的爱没有比这个大的。我们若遵行他所吩咐我们的,就是他的朋友了。以后他不再称我们为奴仆,因为奴仆不知道主人所作的事;他乃称我们为朋友,因他从他父所听见的,都已经告诉我们了。

The meaning of “Lord Yeshua” is “Lord the self-existing and ever-existing eternal God the Savior”.

「主雅苏」的意思是「主自有永有神救恩」。

「主イェシュア」の意味は、「主、自ら存在し、永遠に存在する神の救い」です。


且当彼此相顾,激发爱心,勉励行善;不可放弃我们自己的聚集,好像有些人习惯了一样,倒要彼此劝勉;既看见那日子临近,就更当如此。
(希伯来人书 10:24-25 恢复本)

因为我们领受了真理之认识以后,若故意犯罪,就不再有为罪献的祭保留着了,只好期待着可怕的审判、与神妒的烈火,就是将要吞灭对敌的。一个人干犯了摩西的律法,凭着两个或三个见证人的话,就必须死,不能得怜悯。那么,践踏上帝儿子的人,将自己所赖以成圣的约的血当做俗污,又亵慢施恩的灵,你们想想,他岂更严重地被判为该受刑么?因为我们知道谁说:『伸冤在我,我必报应』;谁说:『主必定他子民的罪』。掉在永活的上帝手里、真是可怕呀!
(希伯来人书 10:26-31 吕振中)

这里表达的意思是:
「习惯了放弃我们自己的聚集『擘饼喝杯』是罪」是真理。

犹太人说:
主的律法何时成了摩西的律法?
保罗的律法何时成了主的律法?


因此,无论什么人若用不合适的态度吃主的饼,喝主的杯,就是得罪主的身体、主的血了。所以人应当省察自己,然后才吃这饼,喝这杯。因为那吃喝的人,如果不辨明是主的身体,就是吃喝定在自己的身上的罪了。
(哥林多前书 11:27-29 新译本)

『擘饼喝杯』象征着救恩。
坚定拒绝救恩是一种下到火湖去的合适方式。
拒绝接收雅苏的义是一种下到火湖去的合适方式。


一切滋生在地上的动物都是可憎的,都吃不得。凡用肚子行走的、凡用四脚行走的、或是一切有许多脚的、乃至于一切滋生在地上的动物、你们都不可吃,因为牠们是可憎物。你们不可因什么滋生的动物而使自己成为可憎,也不可因这些生物而使自己不洁净,因而蒙不洁。因为我永恒主是你们的上帝;你们要洁净自己为圣,而成圣别,因为我是圣的;你们总不可因爬在地上的任何滋生动物而使自己不洁净。因为我永恒主是领你们从埃及地上来、要做你们的上帝的;所以你们要成圣别,因为我是圣别。
(利未记 11:41-45 吕振中)

别让人小看你年轻了,却要在言语、在起居为人、在爱心信心和清洁上都做信徒的榜样。
(提摩太前书 4:12 吕振中)

作为听从的儿女,你们可不要和先前无知时的私欲同形状啊。却要按召你们者的圣洁样子、在一切起居为人上也成了圣洁;因为经上记着说:『你们要圣洁,因为我是圣洁』。
(彼得前书 1:14-16 吕振中)

坚定拒绝狭隘。坚定遵行诫命。
逃避狭隘。固执真实。


被创造之物服在徒劳挫折之下、不是自愿的,乃是因那叫它服在指望中者的旨意;因为被创造之物还直盼望得自主、脱离败坏之奴役,而进入上帝儿女们之荣耀之自由。我们知道、所有被创造之物都一同叹息,同受产难,直到如今。不但如此,就是我们这些首先受圣灵做初收果子的、也是自己心里叹息,切候着被立为子,就是我们身体之得释放
(罗马书 8:20-23 吕振中)

我是说后嗣、尽其做孩童时、虽是全业的主人,仍和奴仆没有差别;他乃是在监护人和管家之下、直到父亲豫定的时候。我们也是这样:我们做孩童时,就是在世俗所信之「宇宙星质之灵」底下做奴仆。赶期满的时候一来到,上帝就差遣出他的儿子、由妇人而生,生于律法之下,要把律法以下的人出来,好让我们得到被立为子的名分。为了你们是儿子,上帝就差遣出他儿子的灵、进入我们的心、来呼叫「阿爸!父啊!」。这样,你就不再是奴仆,乃是儿子了;既是儿子,就凭藉着上帝也做后嗣了。
(加拉太书 4:1-7 吕振中)

你们既是呼求一位不以貌取人、乃按各人的行为施审判的父,就该存着敬畏的心、来度你们侨居世间的时光。因为知道你们得赎放、脱离你们祖传徒劳无效的生活、不是用能朽坏的东西、银子或金子,乃是用宝贵的血、无瑕疵无玷污的羊羔、基督的血。基督是世界创立以前被豫知、而在诸时期的末后为你们这借着他而信靠上帝的人来显现的。上帝使基督从死人中活了起来,又将荣耀给了他,以致你们的信和盼望都钉住于上帝。
(彼得前书 1:17-21 吕振中)

「交战的得胜」促进「赎召的信心」。


凡事都有定期,天下各样事务都有定时:
生有时,死有时;
栽种有时,拔出所栽种的也有时;
杀戮有时,医治有时;
拆了破口有时,建造有时,
哭有时,笑有时;
举哀有时,踊跃有时;
抛掷石头有时,堆聚石头有时;
怀抱有时,停止怀抱有时;
寻找有时,失掉有时;
保守有时,抛弃有时;
撕裂有时,缝补有时;
静默有时,说话有时;
喜爱有时,恨恶有时;
战争有时,和平有时,
那么、人在他所劳碌的事情上作工、有什么益处呢?
(传道书 3:1-9 吕振中)

星期五为「计划细化日」。


耶稣又进了会堂;在那里有一个人有只手枯干了。他们窥探着耶稣在安息日要不要治好他,意思是要控告他。耶稣就对那有只枯干手的人说:『起来,站在当中。』又对众人说:『在安息日行善或行恶,救命或害命,哪一样是可行的?』他们都不作声。耶稣气忿忿地周围看着他们,因了他们心之顽梗而恻然忧愁,就对那人说:『伸出手来。』他一伸,他的手就复了原。法利赛人出来,即刻跟希律党人商议害耶稣,要怎样杀灭他。
(马可福音 3:1-6 吕振中)

星期六为「业余放任日」。
在经历了如同 2017.10.8 星期天那样的无所事事的虚空时光之后,我想:若是没有特别想做的事情,星期六不如也同平日一样、执行计划,用智慧行事、争取时机吧。


弟子啊,永恒主的管教你不可藐视;
他的责备你不可憎厌;
因为永恒主所爱的、他就责备;
正如父亲责备他所喜悦的儿子一样。
(箴言 3:11-12 吕振中)

喜爱知识的爱受管教;
恨恶劝责的是畜类无知。
(箴言 12:1 吕振中)

规避管教的必遭穷乏耻辱;
注意受劝责的必得尊荣。
(箴言 13:18 吕振中)

我们是永恒主领养的儿女。


我们若不活在圣灵的交通里,而要对付己,那就变成佛教、印度教、或是中国理学家的苦修,而不是属灵的经历了。
--『生命的经历・对付己』

佛教经历是父所赐予我的反思源泉之一。

  • 「圆觉经」
  • 「金刚经」
  • 「世界上最快乐的人」 - 明就仁波切

至于凡俗的和老妇常谈的荒唐传说,你总要拒绝听信。你要为着敬虔之事上操练自己。因为身体的操练、益处还少;惟独敬虔、各方面都有益处,有今生和来生之应许。
(提摩太前书 4:7-8 吕振中)

戒定慧:诫律、默想、启示。不想念主的默想是虚空的。
敬净静:敬虔、洁净、安静。


只要你们行事为人配得过基督的福音,叫我或来见你们,或不在你们那里,可以听见关于你们的事,就是你们在个灵里站立得住,魂与福音的信仰齐努力;
凡事不为敌人所惊吓:这是证明他们灭亡,你们得救,而且这样的证明乃是从神而来的;
因为你们是为了基督的缘故蒙恩,不但得以信入祂,也得以为祂受苦,
经历你们在我身上从前所看见,现在所听见同样的争战。
所以在基督里若有什么鼓励,若有什么爱的安慰,若有什么灵的交通,若有什么慈心、怜恤,
你们就要使我的喜乐满足,就是要思念相同的事,有相同的爱,魂里联结,思念同一件事,
凡事都不私图好争,也不贪图虚荣,只要心思卑微,各人看别人比自己强;
各人不单看重自己的长处,也看重别人的。
(腓立比书 1:27-2:4 恢复本)

应当一无挂虑,只要凡事借着祷告、祈求,带着感谢,将你们所要的告诉神;
神那超越人所能理解的平安,必在基督耶稣里,保卫你们的心怀意念。
(腓立比书 4:6-7 恢复本)

专注于感觉身体、面部和情绪的操练作为快速眼动睡眠的补充。


我们每逢在与神交通中摸着了一个感觉,只要不是和圣经的教训明显冲突的,就当信那是出乎神的,而好好的接受。即使因我们的幼稚,可能接受错了,还要信说,错也是错在神的手中,神必会保守。这样,我们事可能作错了,人却是对的,灵也是对的,还能蒙神喜悦。
--『生命的经历・明白神的旨意』

真实膏油涂抹的教训,都是从圣灵而来的,所以我们顺服它,并活在它里面,就必叫我们的心更爱主,更亲近主,叫我们的灵与神也更有交通。这是顺服膏油涂抹的教训,所必有的结果。若是我们顺服了里面一个感觉,却没有叫我们更爱主,也没有叫我们和神加深的有交通,我们就可以断定,那并不是膏油涂抹的教训,乃是出于我们自己的感觉。所以我们里面的感觉,是否膏油涂抹的教训,也可用这个结果来衡量、来鉴别。
--『生命的经历・顺服膏油涂抹的教训』

要让基督的和平在你们心里指挥着;你们蒙召做一个身体、也是为了这个。你们要有感谢的心。要让基督的话丰丰富富地住在你们里面,用各样智慧彼此教导劝戒,以「诗篇」、颂词、灵歌、带着感恩的情调、用心咏赞上帝。凡你们所作的、无论是什么、在言语上或行为上、都要奉主耶稣的名去作,借着他而感谢父上帝。
(歌罗西书 3:15-17 吕振中)

律法因肉体而软弱、所不能成的、上帝倒成了:他差了他自己的儿子,用有罪的肉体之样式、为除罪的缘故、在肉体中定了罪的罪案,使律法上所要求的义行、在我们这不顺着肉体、而顺着灵行的人身上得到完成。
(罗马书 8:3-4 吕振中)


因为顺着肉体行的、意念着肉体的事;顺着灵行的、意念着灵的事。肉体的意念是死;灵的意念乃是生命与平安。
(罗马书 8:5-6 吕振中)

神在撒但之上。
基督在世界之上,宇宙之中。
灵魂在肉体之上,身体之中。

顺着自己行的,自己受祝福和咒诅。
顺着耶稣行的,耶稣受祝福和咒诅。


因为出银子总有矿,
炼金子也有一定地方。
铁从尘土取出,
铜由石头熔化而来。
人探求到黑暗尽边,
将幽暗漆黑中的石头,
都勘查透到极处。
在无人居住之城人刨开矿坑,
足迹忘掉之地;
悬空离人、摇来摇去的人。
轮到地、粮食由那而出;
但地底下似乎被翻转,
像火卷起。
地中石头乃藏蓝宝石之地;
那里也有金沙。
(约伯记 28:1-6 吕振中)


矿苗的路、鸷鸟不知道,
隼的眼不曾瞥见过;
骄悍兽类不曾踹过;
凶猛狮子不曾经过。
(约伯记 28:7-8 吕振中)


人伸手打硬石头,
使山根倒翻过来。
他在磐石中劈开沟道;
亲眼看到各样宝贝。
他封闭江河,不让滴流、
而使隐藏之物出来见光。
(约伯记 28:9-11 吕振中)

然而智慧在哪里可寻到?
明达之处在哪里呢?
智慧的路无人知道,
在活人之处也不得寻见。
深渊说:「不在我里面」;
洋海说:「不在我这里」。
智慧不是用精金可换得的,
也不能凭白银去抵价值。
用俄斐的金不足与评价,
用宝贵水苍玉和蓝宝石也不能。
金子和玻璃不足与比较,
炼净的金器也不足与兑换。
珊瑚与水晶不足提说;
取得智慧、胜得珍珠。
古实的黄玉不足与比较,
用净金也不足与评价。
(约伯记 28:12-19 吕振中)


智慧从哪里来?
明达之处在哪里呢?
是向众生的眼目隐藏着的,
向空中的飞鸟掩蔽着的。
因此「灭亡处」和「死亡」说:
「我们只耳闻所风闻的罢了」。
(约伯记 28:20-22 吕振中)


惟独上帝明白到智慧的路,
只有他知道智慧之所在。
因为他鉴察到地尽边,
他遍看普天之下;
而为风定轻重,
按分量支配众水。
他为雨露立规矩,
为雷电定路线。
那时他看见智慧,便量算它;
他立定它,并探察透它。
他对人说:「敬畏主、乃是智慧,
远离坏事便是明达。」
(约伯记 28:23-28 吕振中)


我对我的眼立约,
我怎能恋恋瞻望处女呢?
上帝从上面所定的分儿、
全能者从高处所赐的产业、
是什么?
岂不是灾难临到不义之人,
而祸患临到作孽之辈么?
岂不是上帝察看我所行的路,
而数点我的脚步么?
(约伯记 31:1-4 吕振中)

我若跟虚谎同行,
我的脚若急于追随诡诈;
(愿我被公道的天平所称,
使上帝知道我的纯全!)
我的步伐若偏离正路,
我的心若随着我一己的眼目,
若有任何玷污粘于我的手掌,
那么我所种的、愿别人来吃;
我田间所出的、愿被拔出根来。
(约伯记 31:5-8 吕振中)

我的心若因人的妻子而受迷惑,
而在邻舍门外蹲伏着,
那就愿我妻子给别人推磨,
别人也屈身、伏于她身上:
因为这是罪大恶极的事,
这是裁判官该办的罪孽;
因为这乃是火、要烧灭到灭亡处,
要把我一切出产连根都烧除了。
(约伯记 31:9-12 吕振中)

我的奴仆或婢女与我争讼时,
我若藐视、不听其情由,
那么上帝振起时、我怎样办呢?
他鉴察时、我怎么回答呢?
那造我于母腹的、不也是造他么?
那将吾人抟于母胎的、不是同一位么?
(约伯记 31:13-15 吕振中)

我若将贫寒人所愿望的留住不给,
或是让寡妇的眼渴望到失明,
或是独自吃我一点食物,
并没给孤儿和我同吃;
(因为从我幼年时上帝也像父亲一样
把我养大;
自从出我母腹以来、他就领导我);
我若见将要死亡的人赤身无衣,
或见贫穷的人毫无遮盖,
他若不由我的羊毛而得暖,
而他内心若不向我祝福感恩,
我在城门口若见有帮助我的,
便动手攻击孤儿,
那我情愿、肩头从缺盆骨上脱落,
膀臂从羊矢骨上折断。
因为上帝降的灾难使我恐惧,
他的尊严我当不起。
(约伯记 31:16-23 吕振中)

我若以金子为我所安心信赖的,
而对黄金说:「你是我所倚靠」;
我若因资财之丰裕,
因我手多有所得、而欢喜;
我若见日光照耀,
宝月行空,
心里暗暗受迷惑,
手向日月挥接吻:
这也是裁判官该办的罪孽,
因为我这样不忠于在上的上帝。
(约伯记 31:24-28 吕振中)

我若因恨我之人的败亡而欢喜,
因他的遭祸而高兴;
(不,我并没有容我口舌犯罪,
而以咒骂求灭他的命啊);
若我帐棚的家人未尝说:
「谁不以我主人的肉食而饱足呢?」
(旅客并没有在街上住宿过呀,
我总是开门迎接行路人的);
我若像人遮掩自己的过犯,
将我自己的罪孽藏于胸中,
因惧怕蜂拥的众人,
又因宗族的藐视惊吓我,
以致我静止不动,闭门不出;
哦,巴不得有一位肯听我!
(看哪,这是我所画押的;
愿全能者答覆我!)
哦,巴不得有和我争讼者所写的状词!
那我就一定要带在肩上,
或绑在头上为冠冕;
我必向他诉说我脚步的数目;
我必如人君一样进到他面前。
(约伯记 31:29-37 吕振中)

我的田地若哀呼而控告我,
其犁沟若一同哭泣;
我若吃地所效力的物产而不给价银,
或叫原业主断气丧命;
那就愿这地长出蒺藜来替麦子,
长出恶草来替大麦。
(约伯记 31:38-40 吕振中)


那时永恒主从旋风中回答约伯说:
『这是谁,以无知的话语
使我的旨意晦暗不明呀?
你要束腰如勇士;
我问你,你要让我知道。』
(约伯记 38:1-3 吕振中)

永恒主应时对约伯说:
『好辩的哪可同全能者挑剔是非呢?谴责上帝的尽管回答呀。』
(约伯记 40:1-2 吕振中)


于是约伯回答永恒主说:
『啊,我轻微,能答覆你什么?我只好用手捂口罢了。我说了一次,再不回答;说了两次,就不再说。』
(约伯记 40:3-5 吕振中)

哦,主啊。我读不下去了。你就这样朽坏人的求索精神吗?你真正爱过生命吗?这样的你真是让我厌烦。--『除净约伯的旧酵。』


永恒主对约伯的不满意主要体现在以下两个方面:

  1. 怀疑永恒主的公义:约伯在苦难中怀疑了永恒主的公正,质疑永恒主为什么让无辜的人受苦。
  2. 挑战永恒主的智慧:约伯以人为中心,试图用自己的理解去衡量永恒主的行为和计划,显得有些自高自大。

这种试探和考验的背后有几个可能的原因:

  1. 证明约伯的忠诚:永恒主允许撒但试探,是为了证明约伯的信仰和忠诚并非出于享乐和物质的依赖,而是源于对永恒主的真诚信任。
  2. 彰显永恒主的公义和伟大:在撒但的挑战中,永恒主允许约伯经历极大的苦难,但最终约伯依然坚持信仰,这使得永恒主的公义和荣耀得以彰显。
  3. 让约伯自己明白:通过这场考验,约伯不仅展现了他对永恒主的信任,也经历了自我反省的过程,意识到自己对永恒主的理解有限,最终在永恒主的启示中得到了更深的认识。
  4. 神的智慧和计划:尽管约伯遭遇了巨大的苦难,但通过这次试炼,永恒主的智慧、计划和对信仰的要求得以彰显,提醒人类信仰的真正意义。

因此,永恒主并不是因为对约伯有不满意而允许撒但试探,而是出于永恒主对约伯信仰的验证和更高层次的目的。

ーーChatGPT


约伯便起来,撕裂外袍,剪了头发,伏在地上敬拜,说:『我赤身出母腹,也必赤身归回;永恒主赏赐,永恒主取去;愿永恒主的名受祝颂。』在这一切事上、约伯并没有犯罪,也没有以上帝为处理失当。
(约伯记 1:20-22 吕振中)


你施行欺压,弃绝你手所造的,
却使恶人的计谋显耀:
这于你哪是好呢?
(约伯记 10:3 吕振中)

你的手雕造了我,制造了我,
一旦转而毁灭了我!
求你记得、你制造了我如抟泥一般,
你还要使我归于尘土么?
(约伯记 10:8-9 吕振中)

为什么全能者不保留赏善罚恶的时间?
为什么认识他的人不能看见他的日子?
(约伯记 24:1 新译本)


我,我却要对全能者说话,
我愿对上帝辩明我的案情。
(约伯记 13:3 吕振中)

我的愆尤罪恶有多少呢?
求你使我知道我的过犯罪恶。
你为什么掩面,
拿我当你的仇敌呢?
(约伯记 13:23-24 吕振中)

哦,巴不得有一位肯听我!
(看哪,这是我所画押的;
愿全能者答覆我!)
哦,巴不得有和我争讼者所写的状词!
(约伯记 31:35 吕振中)


难道你真地要破坏我的权利,
定我为恶,以显自己为义么?
你有上帝那样的膀臂么?
你能用他那样声音发雷霆么?
(约伯记 40:8-9 吕振中)

我自己谦卑是由于我的软弱还是由于你的公义呢?


你要以庄严高尚为妆饰,
以尊荣大方为服装。
你要发散你满溢的怒气,
见一切骄傲的人,使他降卑;
见一切骄傲的人,使他低微;
把恶人践踏于他们的本处;
将他们一概埋藏于尘土中,
把他们本身捆绑在幽冥界;
我也就要称赞你,
认你的右手能给你得胜。
(约伯记 40:10-14 吕振中)

约伯虽然是狭隘的,却相信永恒主。他经受了痛苦的试炼,也看见了永恒主。我也回归永恒主吧。愿永恒主能赦免我的厌烦。


在《约伯记》中,约伯的三个朋友——以利法、比勒达和琐法——所持有的因果报应论观点贯穿了他们与约伯的辩论。以下是他们表达这一观点的具体经文,以及相应的解释。


1. 以利法的观点

以利法主张人的苦难一定是因罪而生,他认为约伯的苦难说明他必定犯了罪。


你请追想:无辜人有谁灭亡?正直人在哪里被抹除呢?据我看,耕奸恶种毒害的都必照样收割。(约伯记 4:7-8 吕振中)

解释:以利法强调『种什么收什么』,认为无辜者不会遭受灭亡,只有罪人才会受到惩罚。


看哪,上帝所责打的、那人有福啊;
故此全能者的惩罚、你不可轻看。
(约伯记 5:17 吕振中)

解释:以利法认为苦难是神的管教,是因人的罪而带来的惩治。


2. 比勒达的观点

比勒达强调神是公义的,因此人的苦难一定是公正的审判结果。


上帝哪能颠倒是非?全能者哪能屈枉正直呢?你的儿女若犯罪得罪了他,而他也把他们放给其过犯之掌握中:你若迫切寻求上帝,而向全能者恳求;你若纯洁正直,他一定为了你而奋发,使你正义之庄舍重复兴旺。(约伯记 8:3-6 吕振中)

解释:比勒达认为神是公义的,若约伯清白,神必定会为他平反。因此,他暗示约伯的苦难是因为不清洁和不正直。


看吧,上帝必不弃绝纯全人,也不拉作坏事者的手。(约伯记 8:20 吕振中)

解释:比勒达坚持认为神必然会奖赏义人,惩罚恶人,这也是因果报应论的核心。


3. 琐法的观点

琐法的言辞更为激烈,认为约伯的苦难甚至比他应得的惩罚还要轻。


将智慧隐藏的秘密告诉你,说智慧对谋略之成功有奇妙的果效。所以你要知道:你的罪孽、上帝不全记算。(约伯记 11:6 吕振中)

解释:琐法直言约伯的苦难是罪的必然后果,甚至暗示约伯所受的苦还不足以偿还他的罪孽。


你手中有奸恶,你若远远除掉,不容不义住于你家——那时你就可以仰起脸来,毫无弊病;你就必坚固,无所惧怕。(约伯记 11:14-15 吕振中)

解释:琐法建议约伯悔改,认为这样才能消除苦难。


因果报应论的核心思想


这些经文反映了约伯的朋友们深信因果报应论,即:
• 义人必得福报,不会遭遇无故的苦难。
• 恶人必受惩罚,苦难是罪恶的结果。


他们的观念源自于对旧约律法和智慧文学(如《箴言》)的片面理解,例如:
• 义人在地上尚且得赏报,何况恶人罪人、岂不是遭报应呢?(箴言 11:31 吕振中)
• 神向以色列人宣告的祝福与咒诅:遵守神的诫命会蒙福,违背则会受咒诅。(申命记 28章)


总结


约伯的三个朋友将这种简化的因果报应论机械地应用到约伯的情况上,而忽略了人类苦难的复杂性。最终,永恒主在约伯记 42:7-8 中责备了他们,指出他们并未如约伯那样说出神真正的心意。


现在你们要取七只公牛、七只公绵羊、到我仆人约伯那里,为你们自己献上燔祭;我仆人约伯就要为你们祈祷;因为我不按你们的冥顽不灵来办你们,是看他的情面的;因为你们议论到我、不如我仆人约伯说的正确。』
(约伯记 42:8 吕振中)

在约伯记 42:8 中,永恒主指示约伯的三个朋友——以利法、比勒达和琐法——去向约伯献上燔祭,并让约伯为他们代祷。这一幕有重要的神学和关系意义,反映出永恒主对约伯、他的朋友们,以及正确对待永恒主的态度的看法。


1. 约伯的朋友们的错误


约伯的三个朋友在与约伯辩论时,犯了以下错误:
• 误解永恒主的公义:他们坚持因果报应论,即认为所有的苦难都必然是因罪而来。因此,他们指责约伯一定是犯罪了才会遭遇如此苦难。
• 不体谅约伯的痛苦:在约伯遭受极大痛苦时,他们没有安慰他,反而批评、指责他,使他的痛苦加重。
• 错误代表永恒主:他们自以为在替永恒主辩护,但却没有说出永恒主真正的心意,反而扭曲了永恒主的公义与智慧。


因此,永恒主说:『你们议论到我,不如我仆人约伯说的正确。』(约伯记 42:8)


2. 约伯的正确态度


尽管约伯在痛苦中质疑永恒主的公义和智慧,但他始终保持了以下几点:
• 真诚地寻求永恒主:约伯并未背弃永恒主,而是坚持向永恒主诉说自己的困惑和痛苦。
• 承认自己的有限:当永恒主向他显现并质问他时,约伯谦卑认错,承认自己的无知与渺小(约伯记 42:1-6)。
• 真实的信仰:约伯没有假装完美或故作敬虔,而是坦诚表达自己的挣扎。这种真实反而得到了永恒主的认可。


3. 为何要让约伯为他们代祷?


• 修复关系:让约伯为朋友们代祷,是为了修复他们之间的关系。朋友们曾伤害过约伯,而约伯的代祷显示出他的宽恕与和解的心。
• 约伯的义与中保角色:约伯被永恒主认可为『我的仆人』,他的代祷具有中保的作用。永恒主通过约伯的祈祷赦免他们,彰显了约伯在永恒主面前的义。
• 朋友们的谦卑与悔改:朋友们必须遵照永恒主的指示,向约伯献燔祭,显示他们愿意悔改并承认自己的错误。


4. 神的怜悯与公义并存


神没有立即惩罚约伯的朋友,而是给他们悔改的机会,这反映出:
• 永恒主的怜悯:永恒主愿意宽恕他们的过犯,只要他们悔改并寻求和解。
• 永恒主的公义:永恒主维护了真理,指出他们的错误,并要求他们纠正自己。


结论


这段经文提醒我们:
• 不要轻易论断别人,特别是在他们受苦时。
• 对永恒主保持谦卑和真诚,即便在困苦中也要寻求永恒主。
• 代祷与宽恕的重要性:约伯的代祷不仅帮助朋友们得到赦免,也使他自己得到了完全的恢复(约伯记 42:10)。


这是一个关于悔改、宽恕和神公义与怜悯平衡的深刻教训。


大卫的儿子以色列王・所罗门的箴言:
(箴言 1:1 吕振中)

弟子啊,永恒主的管教你不可藐视;
他的责备你不可憎厌;
因为永恒主所爱的、他就责备;
正如父亲责备他所喜悦的儿子一样。
(箴言 3:11-12 吕振中)


寻见智慧的人有福啊!
取得明哲的人真乐啊!
因为从智慧所得的益处
胜过从银子所得的益处;
智慧所生的利强于黄金;
她比红宝石宝贵;
你一切所喜爱的都比不上她。
她右手有长寿;
左手有财富和尊荣。
她的道路是愉快之道路,
她的路径全是安康兴隆。
对坚持着她的、她是生命之树
持守着她的、便称为有福。
(箴言 3:13-18 吕振中)


永恒主以智慧奠定了地;
以明哲建立了天;
因他的知识、深渊就裂开,
云霄也滴下露水。
(箴言 3:19-20 吕振中)

愿永恒主向我们显现他的广博和公义。


智慧没有呼叫么?
明哲没有出声么?
她在道旁高处之顶点,
在十字路口站立着;
在城门旁呼叫着,
在城门洞的出入口呼喊着,说:
(箴言 8:1-3 吕振中)

在永恒主行化之起头、他就造了我,
做他从太初所作的头一项。
从亘古、从起初、
从地之起点开始以前,
他就立了我。
没有深渊、
没有浩瀚之水的泉源以先,
我已诞生。
大山未曾奠下,
小山未有之先,
我已诞生;
那时永恒主还没有造大地和原野,
也未曾造世界上尘土之头一团。
他立定了天,我在那里;
他在深渊面上画了天穹,
使云霄坚固于上面,
使深渊的水泉稳定;
他为洋海定出界限,
叫水不越犯其命令,
他又画定了大地的根基;
那时我在他身边为小孩,
天天愉快喜悦,
时时在他面前嬉戏,
嬉戏于世界、于他的大地,
跟人类一同喜悦。
(箴言 8:22-31 吕振中)


你要记得、这四十年在旷野、永恒主你的上帝一路引领你,是要使你受苦、是要试验你,要知道你心里怎样、肯守他的诫命不肯。他使你受苦,任你饥饿,将你和你列祖所不认识的吗哪赐给你吃,使你知道人活着、不是单靠着食物,人活着、乃是靠着永恒主口里所出的一切。这四十年、你身上的衣服没有破掉,你的脚也没有起泡。你心里要知道、永恒主你的上帝在管教你,就像人管教儿子一样。你要谨守永恒主你的上帝的诫命,遵行他的道路,敬畏他。因为永恒主你的上帝正在领你进入美好之地;那地有流水的溪河,有泉有源,在峡谷和山中流出来;那地有小麦、大麦、葡萄树、无花果树、石榴树;那地有出油的橄榄树、有蜜;在那地你吃食物、并不显著寒酸;在那里你一无所缺;那地的石头就是铁;从它的山上你可以凿出铜来。你必吃得饱足,并且因永恒主你的上帝所赐给你的美地而祝颂他。
(申命记 8:2-10 吕振中)

你是知道的;
永恒主啊,记起我,眷顾我;
向逼迫我的人为我报复吧!
不要向他们忍怒来要我的命哦。
要知道我为了你的缘故是怎样担受了
藐视你话之人的羞辱呀。
消灭他们吧,
使你的话成了我的喜乐,
我心中所欢喜的哦;
因为永恒主万军之上帝啊,
我是称为你名下的人呀。
我没有坐在嘻嘻笑闹者的集会中
去欢跃呀;
因你手的控制,我独自坐着;
因为你使我满了义怒。
我的伤痛为什么长久不止呢?
我受的击伤为什么无法医治,
拒绝受治疗呢?
难道你待我、就像欺人的河流,
靠不住的溪水么?
(耶利米书 15:15-18 吕振中)

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2017-09-04
生命之光

マタイによる福音書 25:1-13 回復訳


その時、天の王国は、十人の処女が自分の灯し火を持って、花婿を迎えに出て行くようなものである。
そのうちの五人は愚かで、五人は思慮深かった。
愚かな者たちは、自分の灯し火を持っていたが、油は持っていなかった。
しかし、思慮深い者たちは、自分の灯し火と共に、器に油を持っていた。
さて、花婿が遅れている間に、彼女たちは、皆眠くなって寝てしまった。
真夜中に、『見よ、花婿だ!彼に迎えに出よ!』と叫ぶ声がした。
その時、処女たちは、皆起きて、自分の灯し火を整えた。
ところが、愚かな者たちは思慮深い者たちに言った、『あなたがたの油を少し下さい。私たちの灯し火が消えそうですから』。
しかし、思慮深い者たちは答えて言った、『私たちとあなたがたのためには、おそらく十分でないでしょう。それよりも、売る者たちの所に行って、自分のために買いなさい』。
すると、買いに出かけている間に、花婿が来た。そして、その用意のできている人たちは、彼と共に婚宴の中に入った。そして戸が閉められた。
その後、残りの処女たちも来て、『主よ、主よ、開けてください!』と言った。
しかし、彼を答えて言った、『誠に、私はあなたがたを知らない』。
だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時が分からないからである。

在瓶子里拿着油,预防灯火熄灭。


 仕事を終えて、じっくりと反省する。一日が終わって、その一日を振り返って反省する。すると、自分や他人のアラが目について、ついにはウツになる。自分のだめさにも怒りを感じ、あいつは憎たらしいと思ったりする。たいていは、不快で暗い結果にたどりつく。
 なぜかというと、冷静に反省したりしたからなどでは決してない。単に疲れているからだ。疲れきったときにする反省など、すべてウツへの落とし穴でしかない。疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない。
 活発に活動しているとき、何かに夢中になって打ち込んでいるとき、楽しんでいるとき、反省したり、振り返って考えたりはしない。だから、自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない。
ーー『曙光』

我發現脫離了人群我就不能活。


上帝啊,恩待我,
因为人把我蹂躏了;
打仗的终日压迫我。
窥伺我的终日把我蹂躏了;
因为打仗攻击我的人很多。
至高的啊,我惧怕的日子、
我倚靠的乃是你:
乃是上帝;我要夸赞他的话;
我倚靠的乃是上帝,我不惧怕;
血肉之人能把我怎么样呢?
(诗篇 56:1-4 吕振中)

他们终日都在作损坏我的事;
他们的计谋都是要害我。
他们结伙以为恶,而潜伏着,
窥察我的脚踪。
他们怎样等候要害我的命,
愿你因他们的罪孽
也照样将报应秤给他们。
上帝啊,愿你以震怒、使别族之民败落。
(诗篇 56:5-7 吕振中)


我的辗转反侧是你数算过的;
把我的眼泪装在你的皮袋里吧!
不是都记在你的册子上么?
这样、当我呼求的日子、
我的仇敌就必转身退后:
这是我所知道的,因为上帝在为我。
(诗篇 56:8-9 吕振中)

  周末對於一個人住著的我簡直就是地獄。
  每次周末都昏睡兩天。有時候還會思緒繁多。
  每到週一,真是又餓又累。
  對自己非常失望。


  先不論進食,堅持沐浴洗衣吧。
  (已設定周末定時鬧鐘)


我倚靠的乃是上帝;我要夸赞他的话;
我倚靠的乃是永恒主;我要夸赞他的话;
我倚靠的乃是上帝,我不惧怕;
人能把我怎么样呢?
(诗篇 56:10-11 吕振中)

  請求姑姑進行微信頭像暱稱狀態僞裝來對我的潛意識進行改造。


上帝啊,我向你许的愿老在我身上;
我要将感谢祭还给你。
因为你援救了我的性命脱离死亡,
你不是救护了我的脚免被推倒,
使我得以在上帝面前
出入往来于生命之光中么?
(诗篇 56:12-13 吕振中)

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2017-09-03
敌基督

以下是永恒主的话论到以色列的:那展开诸天、奠定大地、形成人灵于人里面的永恒主发神谕说:看吧,我必使耶路撒冷向四围列族之民成为令人醉得天旋地转的酒杯;当人围困耶路撒冷时,犹大必被围护。当那日、我必使耶路撒冷向万族之民成为一块沉重的石头;凡扛起它的必受重伤。地上列国却要聚集拢来攻击它。永恒主发神谕说:当那日、我必击打一切马匹,使牠们恐慌,击打其骑兵、使他们疯狂;但对犹大家、我却要刮目相待,而对万族之民的一切马匹、我却要击打、使牠们眼瞎。那时犹大族系就必心里说:「耶路撒冷的居民是靠着万军之永恒主他们的上帝以得力量的。」
--《撒迦利亚书》,12:1-5,吕振中,神托・永恒主的选民必胜过仇敌

 仕事を終えて、じっくりと反省する。一日が終わって、その一日を振り返って反省する。すると、自分や他人のアラが目について、ついにはウツになる。自分のだめさにも怒りを感じ、あいつは憎たらしいと思ったりする。たいていは、不快で暗い結果にたどりつく。
 なぜかというと、冷静に反省したりしたからなどでは決してない。単に疲れているからだ。疲れきったときにする反省など、すべてウツへの落とし穴でしかない。疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない。
 活発に活動しているとき、何かに夢中になって打ち込んでいるとき、楽しんでいるとき、反省したり、振り返って考えたりはしない。だから、自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない。
ーー『曙光』


¹:信心衰弱的征兆
²:信靠自己、防护信心


  我觉得,如果不动用一些污秽³的心理防卫机制,自己就活不下去了。
  妈妈也许不止一次地绝望过:「只有自残才能让那些铁石心肠的人懊悔痛哭回心转意吧。」
  在这点上,我竟然发现了感谢她的地方。因为她的离去,我竟获得了关爱。


³ 污秽:由于「自欺」「欺人」。=> 败坏 corrupt

你们是出于你们的父魔鬼的;你们的父的私欲、你们才愿意行。他从起初就是杀人的,不站立在真实上,因为在他里面没有真实。他说谎言时,乃由本性说出来,因为他是撒谎者,是撒谎者的父。
(约翰福音 8:44 吕振中)

ChatGPT:《信心的坚守与恩典中的感恩》


  亲爱的弟兄姊妹,生活中的苦难与挑战时常使我们感到信心的软弱。我们或许尝试依靠自己的聪明和能力去面对,但神的话提醒我们,不要倚靠自己,而要全心仰赖祂。正如《箴言》3章5-6节 所说:『你要专心仰赖耶和华,不可倚靠自己的聪明;在你一切所行的事上都要认定祂,祂必指引你的路。』即使在我们软弱之时,神的恩典却是充足的,因为祂的能力在我们的软弱中显得完全。ーー《哥林多后书》12章9-10节

  然而,人心常常用心理防卫机制掩盖内心的挣扎,甚至陷入自欺。『人心比万物都诡诈,坏到极处,谁能识透呢?』ーー《耶利米书》17章9节 但神赐下真理,使我们不再自欺。『我们若说自己无罪,便是自欺,真理不在我们心里了。』ーー《约翰一书》1章8-9节 唯有坦然承认自己的软弱,神是信实的,必赦免我们的罪。

  或许有时我们像约伯一样经历深刻的痛苦,却在绝望中仍能发现感恩的理由。『万事都互相效力,叫爱神的人得益处。』ーー《罗马书》8章28节 即使痛苦临到,《帖撒罗尼迦前书》5章18节 提醒我们:『凡事谢恩,因为这是神在基督耶稣里向你们所定的旨意。』神的计划高于我们的所能思想的,祂能在任何处境中彰显祂的恩典与荣耀。

  然而,苦难中的试探可能引向错误的选择,甚至有些人可能用伤害自己的方式寻求关注。但神的圣经教导我们,身体是圣灵的殿,是神所赐的恩典之器皿。《哥林多前书》6章19-20节 提醒我们:『岂不知你们的身体就是圣灵的殿吗?……所以要在你们的身子上荣耀神。』我们不是属自己的,而是属神的,要以圣洁的生活见证祂。

  弟兄姊妹,无论处于何种境况,让我们持守信心,认定神的恩典足够我们用。在苦难中学会感恩,在软弱中依靠祂的大能。愿我们的一生能活出荣耀神的见证。阿们!



人一切所行的、自己都看为纯洁;
惟有永恒主衡量人的心。
(箴言 16:2 吕振中)

我的眼不断地望着永恒主,
因为他才能将我的脚拔出网罗。
求你转脸顾着我,恩待我;
因为我、孤独困苦。
我的心困窘、求你放宽,
我的窘迫、求你救我脱出。
看我的困苦和艰难,
赦免我一切的罪。
(诗篇 25:15-18 吕振中)

上帝在他的圣居所、
孤儿的父,为寡妇伸诉。
上帝使孤独的有家住,
领被囚的出到优游顺遂之处;
惟独悖逆的住在干燥之地。
(诗篇 68:5-6 吕振中)


人间


她召唤我说


来一起完成这个仪式


把他的癌症转移给我们
这样他就能活


我准备转向她去
却被人拉住了


她沉默了
只见她的眼神黯然失色


她是如此地绝望


几天后的傍晚
她消失了


我们寻找了一晚


清晨邻居在平台上发现了她


原来傍晚她从阳台坠落
清晨她献出了生命


几个月后他还是死了
不知道他死前是否听闻她的死


她的仪式没有效果
剩下我还活着


为什么我不曾去陪伴她


为什么我不曾去反问她
牺牲我们让他活
又能有什么意义


我如今的生活还剩下什么
到底什么样的仪式能让你们复活


我恨你
所以我不能允许你撇下我
你必须从死里复活


我爱你
所以我必须去完成你的遗愿
他必须从死里复活


我往后的人生
就是为了去完成死者苏生
就是为了寻找到你们

而在耶稣十字架旁站着的、却有他母亲、和他母亲的姊妹、革罗罢的妻子马利亚、和抹大拉的马利亚。耶稣见母亲和所爱的那门徒在旁边站着,就对母亲说:『妈妈,看哪,你的儿子!』然后对那门徒说:『看哪,你的母亲!』从那时候那门徒就接她到自己的地方去。
(约翰福音 19:25-27 吕振中)


受浸后就想到的问题
疯癫爱主后想到的问题
折磨我的问题
让我疯癫的问题


谁能救我妈妈?
谁能救我爸爸?


妈妈是罪人
爸爸是罪人
都是罪人


死去的罪人怎么得救?


靠着我自己
说不定还有指望
靠着主
指望在哪里?


主啊!
你赦免我吧!
因为你若不救
我只能靠自己救!
就算再难
还有一点指望啊!


妈妈没救了
爸爸没救了


我注定是个小信的人
我注定是敌基督徒


我不靠我自己
我还能靠谁呢?


早就绝望了
二次绝望了
算不算
重钉十架?


重钉十架
亵渎圣灵
都是大罪呀!


我复起了
罪人也会复起
在火湖里
永死

他又对另一个人说:『你跟从我!』那人说:『准我先去埋葬我的父亲吧。』耶稣对他说:『任凭那些死人去埋葬他们的死人;你、却要去,遍传上帝的国。』又另有一个人说:『主啊,我要跟从你;但是准我先去辞别我家里的人。』耶稣对他说:『手扶着犂、而直向后看的、没有在上帝国里能合用的。』
(路加福音 9:59-62 吕振中)

我在基督里说实话,并不撒谎;我的良知在圣灵之感动里给我作证、我怎样地大有忧愁、心里不住的伤痛。为我弟兄、我骨肉之亲、我巴不得被革除、和基督隔绝呢!
(罗马书 9:1-3 吕振中)


他们是以色列人,有被立为子的名分,有上帝之荣现,有诸约,有律法之制定,有事奉的圣礼,有诸应许:都是他们的;列祖是他们的;上帝所膏立者基督肉身上也是由他们而出的:那在万有之上的上帝是当被祝颂、万世无穷的。阿们。
(罗马书 9:4-5 吕振中)

  哎,内心无比阴暗。--求主消除動用心理防衛機制產生的誤信。--福音,对我来说,表面上来看、是祝福;擘开来看里面、是咒诅。


因为你的财宝在那里,你的心也必在那里。
(马太福音 6:21 恢复本)

母亲在哪里,儿子的心也必在那里。但愿多年以来在主里的一部分挣扎得以代替母亲承受审判。
我父啊,愿你的名被尊为圣,愿你的旨意成全在地上,愿一切都得以彻底创新。


但这并不是说、上帝的话似乎废堕了。原来从以色列而出的、并不都是「以色列人」。也不是因他们做亚伯拉罕的后裔、就都是真「儿女」,乃是『本于以撒的、才要叫做你的后裔』。这就是说,不是这些肉身的儿女、就可以做上帝的儿女,乃是应许的儿女才算为后裔。因为上帝所说的:『明年大约这时候我要来,撒拉必生个儿子』这句话、就是一句应许的话。不但如此,还有利伯加呢;她从我们的先祖以撒一个人而有了孕;在双子还没生下来、好坏还没作出来时(为要使上帝按拣选的定旨得以坚立,不是由于人的行为,乃是由于上帝的呼召),上帝就对利伯加说:『大的必服事小的』;正如经上所记:『我爱了雅各,少爱以扫。』
(罗马书 9:6-13 吕振中)


永恒主是可信可靠的上帝。
他向守他诫命的儿女守约到千代。
他向爱他的儿女守坚固的爱到千代。
那无谎言的他所应许的永生是在万古之先所赐的。


Eternal Lord may have created Parallel Universes; because humans may need to create Parallel Networks.
If we are autonomous robots running on a Shared Network created by God and Satan, then they certainly have their own Dedicated Networks as well.

永恒主可能创造了平行宇宙;因为人类可能需要创造平行网络
如果我们是在天使们和魔鬼们所创造的共享网络上运行的自主机器人,那么他们肯定也有自己的专用网络

永遠主は、並行宇宙を創造した可能性がある。人類が並行ネットワークを創造する必要があるためです。
若し私たちが、天使たちと悪魔たちによって創造された共有ネットワーク上で、動作する自律ロボットであれば、彼らも専用ネットワークを持っているはずです。


那时永恒主从旋风中回答约伯说:
(约伯记 38:1 吕振中)

你曾进过海的渊源,
或在深渊隐密处来往过么?
死亡的门曾为你开启过么?
漆黑的门户你曾见过么?
地的广阔你曾领会过么?
你若全知道,只管诉说。
(约伯记 38:16-18 吕振中)

雨有父亲么?
露水珠是谁生的?
冰出于谁的胎?
天上的霜、是谁生的?
诸水凝结如石头,
深渊上面盖满了冰。
(约伯记 38:28-30 吕振中)


我心里有沮丧压着我;
所以我从约但地、从黑门岭、
从米萨山、想起你来。
你的瀑布一发了声,
深渊就和深渊响应;
你的洪涛和波浪都漫过我。
我昼夜所思慕的,
我向我生命之上帝所祷告的就是:
愿上帝吩咐他的坚爱来救助我。
(诗篇 42:6-8 吕振中)

上帝啊,诸水看见了你;
诸水一见了你就翻腾;
深渊都战抖。
密云倒出水来;
云霄发出响声;
你的闪箭也飞来飞去。
你的雷声在旋风中;
电闪照亮世界;
大地战抖震动。
你的道路在海中,
你的路途在大水里;
你的脚踪无人知道。
你曾借着摩西亚伦的手
领导你人民像羊群一般。
(诗篇 77:16-20 吕振中)


永恒主以智慧奠定了地;
以明哲建立了天;
因他的知识、深渊就裂开,
云霄也滴下露水。
(箴言 3:19-20 吕振中)

智慧没有呼叫么?
明哲没有出声么?
她在道旁高处之顶点,
在十字路口站立着;
在城门旁呼叫着,
在城门洞的出入口呼喊着,说:
(箴言 8:1-3 吕振中)

没有深渊
没有浩瀚之水的泉源以先,
我已诞生。
(箴言 8:24 吕振中)


主永恒主这样使我看见:
看哪,主永恒主
正在呼唤着焰火,
火就吞灭了广大深渊
并且将要把耕种地段也烧毁掉。
我就说:
『主永恒主啊,请停止哦!
雅各怎能站立得住呢?
他是这么微小啊。』
永恒主对这事改变了心意;
主永恒主就说:
『这事也不发生啦。』
(阿摩司书 7:4-6 吕振中)

有一个财主素常穿着紫色袍和细麻布衣服,天天奢华宴乐。又有一个讨饭的名叫拉撒路,躺在他的大门口,生着疮;巴不得从财主桌子上掉下来的东西以得吃饱。不但如此,连狗还来舔他的疮呢!那讨饭的死了;他被天使带走,到亚伯拉罕怀里。那财主也死了,并且埋葬了。他在阴间、一直在痛苦中;一举目竟望见亚伯拉罕在远处,拉撒路在亚伯拉罕怀里呢。他就呼喊说:「我祖亚伯拉罕哪,怜恤我吧!打发拉撒路用指头尖儿蘸水凉凉我的舌头吧;因为我在这火焰中、极其惨苦啊。」亚伯拉罕说:「孩子,你该回想你一生受尽了你的美物,而拉撒路也照样受尽了祸患;如今他在这里得慰借,你倒受惨苦了!况且在一切之中、在我们和你们之间、还有个大空隙立着呢,叫那些想要从这边过去到你们那边的、无能为力;人也不能从那边越过来到我们这边。」财主说:「我祖啊,既然如此,就求你打发拉撒路到我父家去;因为我有五个弟兄;他可以郑重警告他们,免得他们也来到这苦痛的地方啊。」亚伯拉罕说:「他们有摩西和神言人,让他们听他们吧。」他说:「我祖亚伯拉罕哪,不是的;若有人从死人中往他们那里去,他们就会悔改的。」亚伯拉罕对他说:「他们若不听摩西和神言人,就使有一个人从死人中复起了,他们还是不确信的。」』
(路加福音 16:19-31 吕振中)

  心理防卫机制也并不管用。两个星期前所采用的心理防卫机制,效力也只有两个星期。
  从喜欢到不喜欢的转变并不容易呢。既然如此,我就变得喜欢一切吧。
  自我暗示这样一个信念「一切皆美」。时时审视一切厌恶的情感并改变认知。
  比较担心的是,这样一个信念有种向以前的佛教信念相妥协的倾向。这里企图自我泯灭美丑的认知。
  但是,与「一切皆好」「一切皆对」比起来,「一切皆美」只是针对情感,并不反智。
  可以算作是无分别信念的细化。


深渊将阴间分为两部分:快乐的部分,即亚伯拉罕、拉撒路、和一切得救圣徒所在之处;(22;)痛苦的部分,即财主和一切灭亡的罪人所在之处。(23上,28。)两部分彼此隔绝,没有桥梁通着。但两部分的人能彼此看见,甚至彼此交谈。(23~25。)
--《恢复本圣经注释》,路加福音 16:26,注1

人死后进入阴间之前会先经过审判吗?
罪人们在阴间被监禁等候终极审判的时候可以被施行火刑吗?
新天新地的人与火湖的人能够彼此看见和交谈吗?
得救圣徒们应该怀着什么样的心态与灭亡的罪人们相见相谈呢?


『我倾覆你们中间的城,
如同我倾覆了所多玛蛾摩拉一样;
你们像一根柴
焚烧中抢救出来;
你们仍不回来归我』:
永恒主发神谕说。
(阿摩司书 4:11 吕振中)

永恒主对撒但说:『撒但哪,永恒主叱责你!那拣选了耶路撒冷的永恒主叱责你!这不是从中抢救出来的一根柴么?』
(撒迦利亚书 3:2 吕振中)

有些人心里疑惑,你们要怜悯他们;有些人你们要拯救,把他们从中抢救出来;又有些人你们要战战兢兢地怜悯他们,连染上情欲污渍的衣服也应当憎恶。
(犹大书 1:22-23 新译本)


因为活着的人还知道自己会死;死了的人则毫无所知;他们也不能再得赏报;因为他们的遗迹没有人怀念着。
(传道书 9:5 吕振中)

凡你的手见得可作的事、你总要尽力去作;因为在你所要去的阴间、那里没有工作,没有设计,没有知识,也没有智慧。
(传道书 9:10 吕振中)

弟兄们,这一点我要说:肉与血不能承受上帝的国,朽坏也不能承受不朽坏。请注意,我把一件奥秘告诉你们:我们不是都要长眠着,乃是都要改变,就在一刹那、一眨眼之间、末次号筒的时候;号筒必响,死人都必得甦活起来、不朽坏;我们呢、也必改变。这能朽坏的必须穿上不朽坏;这能死的必须穿上不死。
(哥林多人前书 15:50-53 吕振中)

耶稣对他说:『我实在告诉你,今天你就要同我在乐园里了。』
(路加福音 23:43 吕振中)

因为你不将我撇弃于阴间
也不给你坚贞之士见冥坑
(诗篇 16:10 吕振中)

但那本着信的义却是这样说的:『你不要心里说:「谁要升上去,(这就是说,谁要把基督领下来)呢?」或是说:「谁要下无底坑去。(这就是说,谁要把基督从死人中领上来)呢?」』
(罗马人书 10:6-7 吕振中)

因为基督也曾尽一次为我们的罪而受死,义的替不义的,为要领我们进到上帝面前。在肉身里、他是被处死了,但在灵里、他却得存活了。
在灵里、他也去对那些在监牢里的灵宣传呢、对从前在挪亚的日子那些硬心不信的、宣传。当时楼船正建备着,上帝的恒忍还切候着,进入楼船的并不多,只是八个人,由水得了救度。
(彼得前书 3:18-20 吕振中)


羔羊揭开了第五个印的时候,我看见祭坛底下有那些为了上帝之道、为了他们所执守的见证、而被屠杀之人的灵魂。他们大声喊着说:『圣而真的主宰啊,你不审判、而向住在地上的人伸我们流血的冤、要等到几时呢?』就有白袍赐给他们各人,又有话吩咐他们还要歇息一些时候,等到那些和他们同做仆人的、以及他们的弟兄、就是那些必须同他们一样被杀的人、数目全满。
(启示录 6:9-11 吕振中)


那个天国的永恒幸福又是什么呢?……我们大概可以猜出答案来了,但是最好还是请一位在这类事情上享誉很高的权威:托马斯・阿奎那,伟大的教师和圣人,来为我们证实一下吧,他用羊羔般温柔的口吻说道:『享福总比受罚能给人以更大的快乐。同样,在天国里,人们会因为亲眼看见恶人受罚而感到快乐。』如果读者愿意听,这儿有一位成功的神父用更强烈的语气表述了同样的思想,他试图劝阻他的教民们弃绝公演戏剧的纵欲放荡——为什么呢?他非常激烈地写道:『上帝的拯救将给我们以一种完全不同的欢乐,想看角斗士,我们有殉教者作为替代;还要看流血的事吗?这里有基督的事迹。……但是想想看,在他凯旋归来之日等待我们的是何等场面吧!』接下去他继续描绘那迷人的幻景:『是的,还有奇迹会发生——在那最后的永恒的终审日。异教徒从来就不相信会有那一天到来,他们讥讽地说,这整个旧世界连同它的历代居民就将毁于一场大火的那一天决不会到来。可是那一日的奇迹将会是多么宏大,多么广阔!那种景象将会使我惊讶,我将会怎样地大笑、欢乐、狂喜啊!我将会看到那许多曾被公然宣称,将被迎进天庭的显赫君王,他们却与伟大的朱庇特,以及为其荣耀作证者一道,在那黑暗的底层中呻吟。我还将看到那些亵渎了耶稣的名字的地方行政官们在火焰中熔化,那火焰比他们出于对基督徒的仇恨而点燃的火焰还要炽热。我还将看到那些先知、那些哲学家们,他们曾教导他们的学生说上帝对任何事都不关心,人并没有灵魂,如果有,那些灵魂也决不会回到他们原来的躯体中。面对着聚在一起的学生们,那些哲学家将会羞愧脸红!此外我还将看到诗人们在审判员席前颤抖,这不是拉达曼陀斯的坐席,不是米诺斯的坐席,而是基督的坐席,是他们从未抬眼看过的基督!而后我还将听到悲剧演员的声音,在他们自己的悲剧中他们的声音更加动人;还有表演家,他们的肢体在火中格外地轻柔。我还会看到四轮马车夫被火轮烧得通红!接下去可以看见体育运动员,他们不是在他们的运动场上,而是被推进火堆——除非我到那时也不想看这一场景,可是依着我的愿望我却要看个够,因为他们曾经把愤怒和怨恨出在上帝的身上;我会说:「这就是他干的,那个木匠或者妓女的儿子(正如后面的内容,特图里安在这里模仿犹太人的谩骂,他用犹太法典《塔木德》中的称呼指代耶稣的母亲),那个不遵守安息日的人,那个有魔鬼帮助的撒马利亚人。他就是犹大出卖给你们的那个人,挨了一顿芦杆和拳头,污了一身唾沫,被迫喝了胆汁和醋的那个人。他就是那个被信徒们秘密偷走的人,所以人们说他已经升天了,除非是园丁把他挪走了,以免来访的人群践踏他的菜地!」这是何等样的景象!何等样的狂喜!哪个罗马执政官、会计官、教士能给予你这样的赠礼?可是所有这一切却属于我们,对于精神想像力的信仰勾画了这副图景。可是,这些眼所未见、耳所未闻,甚至人心从未领会到的,又是些什么事呢?( 《圣经·新约·哥林多前书》第2章第9节)我想,无论如何,总要比马戏场、剧场(头等的和四等的,或者按照其他人的解释:喜剧和悲剧的舞台)和各种竞技场中的活动更为高尚。』——原文如此。
ーー《论道德的谱系》,尼采/周弘,第一章,15

耶稣又用比喻对他们说:『天国好像一个王,为儿子摆设婚筵。他派仆人去叫被邀请的人来参加婚筵。但他们不肯来。他再派另一些仆人去,说:「你们告诉被邀请的人,我已经预备好了筵席,公牛和肥畜已经宰了,一切都预备妥当。来参加婚筵吧!」但那些人却不理会就走了;有的去耕田,有的去作买卖,其余的抓住王的仆人,凌辱他们,并且把他们杀了。王就发怒,派兵消灭那些凶手,焚毁他们的城。然后对仆人说:「婚筵已经预备好了,只是被邀请的人不配。所以你们要到大路口,凡遇见的,都请来参加婚筵。」
『那些仆人就走到街上,把所有遇见的,不论好人坏人,都招聚了来,婚筵上就坐满了人。王进来与赴筵的人见面,看见有一个人没有穿着婚筵的礼服,就对他说:「朋友,你没有婚筵的礼服,怎能进到这里来呢?」他就无话可说。于是王对侍从说:「把他的手和脚都绑起来,丢到外面的黑暗里,在那里必要哀哭切齿。」因为被召的人多,选上的人少。』
(马太福音 22:1-14 新译本)

你们已经饱满了!你们已经富足了!你们作了王、把我们羞辱了!我巴不得你们果真做了王,让我们也可以和你们同掌王权啊!我以为上帝是把我们做使徒的显然列为最卑贱的废物,好像定死罪的人:我们竟成了一出戏给宇宙看,给天使给人类看呢!我们为基督的缘故愚拙,你们在基督里倒精明!我们软弱,你们倒强壮!你们受尊荣,我们倒被羞辱!直到现在这一时刻,我们还是又饥又渴、又赤身裸体、又挨拳打、飘泊无定,劳劳苦苦,亲手作工;被辱骂,我们就祝福;受逼迫,我们就忍受;被谗毁,我们就和解;我们还被看为世界的垃圾、万物的遗秽、直到现在!
ーー《哥林多人前书》,4:8-13,吕振中译本(有所修改)

『防火墙』两侧的『非玩家角色』给「彼岸」观看「此岸」的『悲喜剧』。


『你们还说:「儿子为什么不担当父亲的罪罚呢?」儿子行公平正义的事,谨守我的一切律例而实行它,他一定活着。惟独犯罪的人、他自己必死亡;儿子必不担当父亲的罪罚,父亲也不担当儿子的罪罚;义人的义果必归他自己,恶人的恶报也必归他自己。
『但是恶人若回转离开他所犯的一切罪,谨守我一切的律例,行公平正义的事,他必定活着,不至于早死。他所犯的一切罪过必不给他记住;他必因所行的义而得活着。主永恒主发神谕说:恶人死亡哪里是我喜悦的呢?我不是喜欢他回转离开他所行的以得活着么?
义人若转离他的义行,而行不公道的事,照恶人所行一切可厌恶之事而行,他哪能活着呢?他所行的一切义都不被记住;他必因他所阴谋的不忠实和所犯的罪而死于其中。
『你们还说:「主所行的不公正。」以色列家啊,你们要听!我所行的哪里是不公正呢?岂不是你们所行的不公正么?义人若转离他的义行,而行不公道的事,他必因此而死亡;他是因着所行之不公道而死亡的。再者,恶人若回转离开他所行的恶,而行公平正义的事,他就会将性命救活。因为他瞻前顾后,回转离开他所犯的罪过,他必定活着,不至于早死。以色列家还说:「主所行的不公正。」以色列家啊,我所行的哪里是不公正呢?岂不是你们所行的不公正么?
『所以主永恒主发神谕说:以色列家啊,我要判罚你们,各照各人所行的。回转吧!转离你们一切的罪过吧!免得罪过成了你们陷于罪罚中的因由。你们将所犯得罪了我的一切罪过尽行抛弃吧!为自己作成个新的心新的灵吧!何必死亡呢,以色列家啊?因为连垂死之人之死亡我也不喜欢呢:这是主永恒主发神谕说的:所以你们要回转以得活着。』
(以西结书 18:19-32 吕振中)

当时约书亚穿着污秽的衣服站在使者面前。使者应声吩咐那些待立在他面前的说:『你们要脱去他污秽的衣服。』又对约书亚说:『看哪,我使你的罪孽离开了你,要给你穿上华丽的吉服。』
(撒迦利亚书 3:3-4 吕振中)

父亲却吩咐他的仆人说:「快把上好的袍子拿出来给他穿上,把戒指戴在他指头上,把鞋穿在他脚上;把那只肥牛犊牵来宰;我们吃喝快乐吧!因为我这个儿子死又再活了;失掉又得着了。」他们就欢跃起来。
(路加福音 15:22-24 吕振中)


耶和华说,我所造的新天新地怎样在我面前常存,你们的后裔和你们的名字,也必照样常存。
每逢月朔、安息日,凡有血肉的必来在我面前下拜;这是耶和华说的。
他们必出去观看那些违背我之人的尸首;因为他们的是不死的,他们的是不灭的;凡有血肉的,都必憎恶他们。
(以赛亚书 66:22-24 恢复本)

约翰对耶稣说,夫子,我们看见一个人在你的名里赶鬼,我们就禁止他,因为他不跟从我们。
耶稣说,不要禁止他,因为没有人在我的名里行异能,反倒能轻易毁谤我。
不抵挡我们的,就是帮助我们的。
凡因你们名为属基督的,给你们一杯水喝的,我实在告诉你们,他绝不会失去他的赏赐。
(马可福音 9:38-41 恢复本)

凡绊跌一个信入我的小子的,倒不如把大磨石套在他的脖子上,把他扔在里。
若是你的手绊跌你,就把它砍下来;你残废进入生命,比有两只手往火坑去,进入那不灭的火里更好。
在那里是不死的,是不灭的。
若是你一只脚绊跌你,就把它砍下来;你瘸腿进入生命,比有两只脚被扔在火坑里更好。
(在那里是不死的,是不灭的。)
若是你一只眼绊跌你,就去掉它;你只有一只眼进入神的国,比有两只眼被扔在火坑里更好。
(在那里是不死的,是不灭的。)
因为必用腌各人。
盐本是好的,若失了味,可用什么叫它再咸?你们里面要有盐,并要和平相处。
(马可福音 9:42-50 恢复本)

『当人子在他荣耀里、众天使跟着他来临的时候,他要坐在他荣耀之宝座上。万国都要被召集在他面前;他要把他们彼此分别出来,好像牧羊人分别绵羊山羊一般;把绵羊安置在他右边,小山羊在左边。那时王必对那在右边的说:「蒙我父祝福的啊,来承受世界之创立以来给你们预备的国吧。因为我饿了,你们给我吃;我渴了,你们给我喝;我做旅客,你们款接我;我赤着身子,你们给我穿;我病了,你们看望我;我在监里,你们来看我。」那时义人必回答他说:「主啊,我们什么时候见你饿了供养你?或渴了给你喝?什么时候见你做旅客款接你?或赤着身子给你穿?又什么时候见你病了或在监里来看你呢?」王必回答他们说:「我实在告诉你们,这些事你们既作在我这些弟兄中最小之一个的身上,就是作在我身上了。」那时王也必对那在左边的说:「被咒诅的人哪,离开我,去进入那给魔鬼和他的使者所预备的永世之火里去。因为我饿了,你们没有给我吃;我渴了,你们没有给我喝;我做旅客,你们没有款接我;我赤着身子,你们没有给我穿;我病了,我在监里,你们没有看望我。」那时他们也必回答说:「主啊,我们什么时候见你饿了,或渴了,或做旅客,或赤着身子,或病了,或在监里,没有服事你呢?」那时他必回答他们说:「我实在告诉你们,这些事你们既没有作在这些最小之一个的身上,也就是没有作在我身上了。这些人必往永世的刑罚里去;那些义人呢、必往永世的生命里去。」』
(马太福音 25:31-46 吕振中)

我看见有一个白色的大宝座和那坐在上面的;地和天都从他面前逃避了;再也找不着其位置了。
(启示录 20:11 吕振中)

我看见死了的人、大的小的、都站在宝座前:案卷都展开了。另有一卷是生命册、也展开了。死了的人、都从这些案卷所记的、照他们所行的受审判。
于是海便交出了其中的死人;死亡和阴间也交出了其中的死人;他们都照各人所行的受审判。
(启示录 20:12-13 吕振中)

然后死亡和阴间也被丢在火湖里。这火湖就是第二次的死。
若有人在生命册上没被记名的、就被丢在火湖里。
(启示录 20:14-15 吕振中)

终极审判和火湖位于另一个平行宇宙?


爱、永不废堕;神言传讲的才能呢、必废掉;卷舌头说话呢、必止息;知识呢、必废掉。我们一点一点地知道,一点一点地传讲神言;那完全的一来到,这一点一点的就废掉了。我做婴孩的时候,说话是婴孩,意念是婴孩,理论是婴孩。既长大成人,就把婴孩的事废掉了。我们现在对着镜子观看、在猜谜中;到那时就面对面了。我现在一点一点地认识;到那时就完全认识,如同完全被认识一样。如今长存着信、望、爱、这三样:其中最大的就是爱。
(哥林多人前书 13:8-13 吕振中)

人人亲身经历人人的生活。
完全的记忆成为审判的案卷。


末世论(Eschatology)是神学中关于『末后之事』(即世界的终结、基督再临、审判和永恒)的教义。关于末世论的著作非常多,涵盖不同的观点和神学立场。以下是末世论各主要流派的代表作:

  1. 前千禧年论(Premillennialism)
    前千禧年论认为基督会在千禧年之前再临,带来一个地上千年王国。代表作包括:

    • 《基督再临》The Second Coming of Christ)——查尔斯·斯珀金(Charles Spurgeon):这是一位著名的英国讲道家,他的作品探讨了基督再临的前千禧年观点。
    • 《启示录讲义》Lectures on the Book of Revelation)——约翰·沃尔沃德(John F. Walvoord):作为20世纪著名的前千禧年论神学家,沃尔沃德的这本书详细阐述了启示录的象征和预言。
    • 《被提的终极真理》The Rapture Question)——约翰·沃尔沃德:讨论了在前千禧年论背景下的『被提』观点。
  2. 后千禧年论(Postmillennialism)
    后千禧年论认为基督会在地上实现一个千禧年的和平和福音胜利后再临。代表作包括:

    • 《天国的胜利》The Victory of the Kingdom of God)——乔纳森·爱德华兹(Jonathan Edwards):这位美国神学家和哲学家是后千禧年论的主要支持者之一,他的作品讨论了基督教的扩展和全球基督化的最终胜利。
    • 《基督教末世论的未来》The Puritan Hope)——伊恩·穆雷(Iain Murray):该书讨论了清教徒的后千禧年论观点,强调基督教的复兴和扩展。
  3. 无千禧年论(Amillennialism)
    无千禧年论认为千禧年是象征性的,基督已经在属灵意义上统治了他的国度。代表作包括:

    • 《基督徒的千禧年观》The Meaning of the Millennium)——A. A. Hodge:这是一本关于无千禧年论的经典著作,探讨了千禧年作为象征的神学意义。
    • 《末世论》The End Times)——安东尼·赫克玛(Anthony A. Hoekema):这本书是无千禧年论的经典作品,详细讨论了基督再临、审判和永恒。
  4. 灾前被提论(Pre-Tribulationism)
    这一观点认为,教会将在大灾难之前被提,避免最后的灾难。代表作包括:

    • 《千禧年与被提》The Millennium and the Rapture)——查尔斯·莱里(Charles C. Ryrie):讨论了在灾前被提论的框架下千禧年和被提的意义。
    • 《被提与灾难后的末世预言》The Rapture and the Tribulation)——蒂姆·拉赫(Tim LaHaye)和杰里·詹金斯(Jerry Jenkins):通过小说《末世》系列(Left Behind),这两位作家广泛传播了灾前被提论的观点。
  5. 启示录的研究
    《启示录》是末世论研究的核心,许多作品围绕该书展开:

    • 《启示录释义》Commentary on the Revelation of St. John)——威廉·亨德里克森(William Hendriksen):这是无千禧年论者对启示录的解读,注重象征性和历史性视角。
    • 《启示录的四种解读方法》The Four Views of the Book of Revelation)——C. Marvin Pate:这本书介绍了不同的启示录解释方式,包括历史性、象征性、未来性等。
  6. 基督教末世论的现代代表作

    • 《末世之书》The Last Things)——亨利·霍纳斯(Henry Thiessen):这是一本系统的末世论综述,涵盖了基督教末世论的不同观点。
    • 《末世论与现代神学》Eschatology in Contemporary Theology)——威尔弗雷德·哈灵顿(Wilfrid Harrington):探讨了现代末世论的神学发展,结合了传统的和现代的神学思维。

如果这地有饥荒、瘟疫、旱风、霉烂、蝗虫、蚂蚱,或有仇敌把他们围困在城里,无论遭遇什么灾祸,什么疾病,你的子民以色列,或是众人,或是个人,知道自己心里的苦痛,向这殿伸开双手所作的一切祷告、一切恳求,求你在天上你的居所垂听而赦免,并且采取行动。你是知道人心的,只有你知道万人的心,求你照着各人所行的报应他,好使他们在你赐给我们列祖的地上,一生一世敬畏你。
至于不属于你的子民以色列的外族人,为了你的名的缘故从远地而来,因为他们听到你的大名、大能的手和伸出来的膀臂,他们来向这殿祷告的时候,求你在天上你的居所垂听,照着外族人向你呼求的一切而行,好使地上的万族万民都认识你的名,敬畏你,像你的子民以色列一样;又使他们知道我建造的这殿是称为你的名下的。
(列王纪上 8:37-43 新译本)

国中若是有饥荒、瘟疫、旱风、霉烂、蝗虫、蚂蚱,或是有仇敌围困城镇,或是有什么灾祸,什么疾病,你的子民以色列,无论是个别或是全体,自知自己的灾祸和痛苦,向着这殿张开双手祷告或祈求,求你从天上你的居所垂听和赦免他们,你是知道人心的,你必照着各人所行的报应各人;因为只有你知道世人的心。使他们在你赐给我们列祖的地上,一生一世敬畏你,遵行你的道路。
至于在你的子民以色列以外的外族人,他们为了你的大名、你大能的手和伸出来的膀臂,从远方而来;他们来向着这殿祷告的时候,求你从天上,从你的居所垂听他们,照着外族人向你呼求的一切而行,使地上万民都认识你的名,敬畏你,像你的子民以色列一样;又使他们知道我建造的这殿,是奉为你名的所在。
(历代志下 6:28-33 新译本)

用隐私可以抵挡撒但吗?


耶稣回答:『我蘸一小块饼给谁,谁就是了。』于是他蘸了一小块饼,递给加略人西门的儿子犹大。犹大接过饼以后,撒但就进入他的心。耶稣对他说:『你要作的,快去作吧。』
(约翰福音 13:26-27 新译本)

根据圣经的教导和基督教神学,撒但(也称为魔鬼或恶者)不能直接存在于一个重生得救的基督徒的灵里。以下是对撒但与人的体、魂、灵之间关系的一些讨论:

  1. 灵(Spirit)

    对于重生的基督徒来说,圣灵住在他们的灵里,撒但无法进入或占据一个被圣灵充满的灵。圣经提到,接受耶稣基督为救主的人被圣灵重生(约翰福音 3:6-7),并且圣灵在信徒的灵里作工(罗马书 8:9)。《哥林多后书 5:17》:『若有人在基督里,他就是新造的人,旧事已过,都变成新的了。』

  2. 魂(Soul)

    魂(包含思想、情感、意志)是撒但可能攻击和试探的领域。撒但会通过谎言和试探影响人的思想和情感,但这并不意味着撒但占有了人的魂。保罗在《罗马书 12:2》提到:『不要效法这个世界,只要心意更新而变化。』信徒需要通过神的话语和圣灵来更新自己的思想,从而抵挡撒但的试探。

  3. 体(Body)

    圣经中有关于人被撒但或邪灵附身的例子,但这些通常指的是非信徒或尚未接受基督的个体。对基督徒来说,身体是圣灵的殿(哥林多前书 6:19-20),虽然他们可能会经历身体上的试探或攻击(如疾病或试炼),但撒但无法占据一个属于神的身体。

结论:

撒但无法存在于一个真正重生得救的基督徒的灵里。灵是属神的,因着重生,基督徒的灵被圣灵所居住。然而,撒但可能会通过试探和谎言试图影响人的魂(思想、情感、意志),甚至试图在身体上引起各种试炼,但信徒可以通过祷告、读经和信心抵挡撒但的作为(《雅各书 4:7》:『务要抵挡魔鬼,魔鬼就必离开你们逃跑了。』)。


根据圣经和基督教神学的教导,撒但并不能完全知晓人的魂。以下是相关的分析:

  1. 撒但的有限能力

    撒但虽然是强大的灵界存在,但他并非全知、全能、或无所不在。只有神具备这样的属性(《诗篇 139:1-4》:『耶和华啊,你已经鉴察我,认识我。我坐下,我起来,你都晓得;你从远处知道我的意念。』)。因此,撒但并不具备全面知晓人心或人魂的能力。

  2. 撒但可以试探和影响

    虽然撒但不能完全知晓人的思想或内心,但他可以通过观察人的行为、言语和环境来猜测人的软弱之处,从而进行试探和影响。例如,他试图用外界诱惑和谎言来影响人的思想和决定(《彼得前书 5:8》:『务要谨守、警醒,因为你们的仇敌魔鬼,如同吼叫的狮子,遍地游行,寻找可吞吃的人。』)。

  3. 神掌管一切

    圣经清楚表明,只有神完全知道人心(《耶利米书 17:9-10》:『人心比万物都诡诈,坏到极处,谁能识透呢?我耶和华是鉴察人心,试验人肺腑的,要照各人所行的和他做事的结果报应他。』)。撒但的能力在神的主权之下,无法超越神对人的认识和掌管。

  4. 信徒的保护

    对于信徒而言,神赐下圣灵引导和保守他们的心思意念,使他们能够分辨撒但的谎言和试探。保罗在《腓立比书 4:7》说:『神所赐出人意外的平安,必在基督耶稣里保守你们的心怀意念。』

结论:

撒但并不能完全知晓人的魂或心思意念。他只能通过外在的观察和试探来影响人,但他无法像神那样完全洞察人的内心。信徒在神的保守和圣灵的引导下,可以抵挡撒但的试探,靠着神的能力战胜邪恶。


撒但无法像全知的神那样完全洞察人心。根据圣经,只有神有完全的能力彻底了解人内心的思想、动机和隐藏的意念。


圣经中关于神知道人心的经文
• 「我耶和华是察看人心、试验人肺腑的,要照各人所行的,和他做事的结果报应他。」(耶利米书 17:10)
• 「耶和华啊,你已经鉴察我,认识我。……你从远处知道我的意念。」(诗篇 139:1-2)
• 「惟有你知道世人的心,你照各人所行的报应他们。」(列王纪上 8:39)


撒但的能力与限制

撒但虽然是堕落的天使,具有超自然的能力,但他并非全能、全知或无所不在。圣经中并未记载撒但能像神一样完全洞察人心。


撒但的能力:

  1. 试探和引诱人
    • 「那试探人的进前来,对祂说:『你若是神的儿子,可以吩咐这些石头变成食物。』」(马太福音 4:3)
    撒但观察人类行为,试探人心中软弱的地方。
  2. 控告人
    • 「因为那在我们神面前昼夜控告我们弟兄的,已经被摔下去了。」(启示录 12:10)
    撒但会利用人显露的过犯或软弱来控告他们。
  3. 欺骗与迷惑
    • 「他从起初是杀人的,不守真理,因为他心里没有真理。」(约翰福音 8:44)
    撒但善于欺骗和误导人,但这种欺骗是基于观察和猜测,而非洞察人心。

撒但的限制:
• 撒但不能无所不在,同时出现在多个地方。
• 撒但的知识和能力有限,无法像神那样完全知道人的内心深处。
• 撒但的权柄受限于神的允许(例如:耶和华对撒但说:『好吧,他所有的一切都交在你手中,只是不可以伸手害他。』于是撒但从耶和华面前退去。——约伯记 1:12)。


结论

撒但不能彻底知道人的内心,只能通过观察人的言行和生活来试探、引诱和迷惑。只有神具有完全的能力洞察人心,撒但的能力远远有限于神。


从基督教信仰角度来看,『隐私』并不能有效地抵挡撒但。抵挡撒但的力量来自于神的恩典、真理和信心,而不是隐藏自己的内心或行为。以下是圣经原则和抵挡撒但的方法:

  1. 抵挡撒但的圣经方法

    1. 依靠神的力量
      • 「故此,你们要顺服神。务要抵挡魔鬼,魔鬼就必离开你们逃跑了。」(雅各书 4:7)
      顺服神,才能有效地抵挡撒但的攻击。
    2. 穿戴属灵军装
      • 「要穿戴神所赐的全副军装,就能抵挡魔鬼的诡计。」(以弗所书 6:11-12)
      依靠神的真理、公义、福音、信心、救恩和圣灵的剑(神的道)来防御撒但的攻击。
    3. 持守真理,活在光明中
      • 「我们若在光明中行,如同神在光明中,就彼此相交,祂儿子耶稣的血也洗净我们一切的罪。」(约翰一书 1:7)
      活在光明中意味着诚实、认罪悔改,不给撒但留下可乘之机。
    4. 宣告神的话语
      • 耶稣在旷野受试探时,用神的话语反驳撒但:「人活着,不是单靠食物,乃是靠神口里所出的一切话。」(马太福音 4:4)
      用神的话语作为盾牌和武器抵挡撒但的试探。
    5. 祷告与警醒
      • 「务要谨守、警醒。因为你们的仇敌魔鬼,如同吼叫的狮子,遍地游行,寻找可吞吃的人。」(彼得前书 5:8-9)
      通过祷告保持警醒,靠着神的能力抵挡撒但。
  2. 隐私的作用与局限

    1. 正面作用
      • 保持适当的隐私可以避免不必要的麻烦或试探,保护自己和他人。
      • 谨慎言行,不暴露个人软弱,可以减少撒但利用人际关系来攻击你的机会。
    2. 局限性
      • 隐私本身并非属灵武器,无法直接抵挡撒但。
      • 撒但可通过试探、引诱、欺骗等方式攻击人,即使你隐藏某些信息,他依然能根据你的言行举止找到攻击的切入点。
  3. 避免给撒但留地步
    • 「也不可给魔鬼留地步。」(以弗所书 4:27)
    不要隐藏未认的罪或怨恨,因为这些都会成为撒但攻击的突破口。
    虽然隐私并不是直接抵挡撒但的工具,但圣经教导我们要谨慎自己的言行,防止撒但利用我们的软弱或过失。有时过度暴露隐私或参与隐秘的罪恶可能给撒但留有余地。

结论

隐私可以在某些情况下保护我们免受外界伤害,但它不能成为抵挡撒但的根本方法。真正有效的抵挡来自顺服神、持守真理、警醒祷告和依靠神的话语。保持透明、悔改认罪、活在光明中,才能不给撒但留下可乘之机。


至圣所隐私之间的关系可以从圣经中的神学象征和属灵含义来理解。至圣所代表了人和神之间的深度亲密关系,而隐私则可以看作人在属灵和生活中与神单独交通的空间。以下是这两者之间的关系:

  1. 至圣所的象征意义

    • 至圣所是旧约圣殿中的最内层部分,只有大祭司一年一次在赎罪日才能进入,为百姓赎罪(希伯来书 9:7)。这象征了人与神之间最深的亲密与神圣交往。
    • 神的同在:至圣所中放置了约柜,上面有施恩座,象征神的同在(出埃及记 25:22)。它是人与神面对面相遇的地方,代表了与神亲密的、隐藏的、私密的属灵关系。
  2. 隐私与属灵生活

    • 个人与神的隐秘交往:隐私在属灵生活中常常意味着个人与神之间的独处时间。这是人可以向神坦诚自己的内心、罪过、和需要的时刻(马太福音 6:6)。这与至圣所的隐秘性质相似,是人与神之间的私密交往。
    • 心灵的隐私:神察看人的内心(撒母耳记上 16:7)。虽然人可能在外表上隐藏,但神完全知道人的心思意念。这种对隐私的理解提醒人们,最深的内心也是神圣和受神看顾的。
  3. 至圣所与隐私的结合

    • 属灵的隐私保护:至圣所象征着神为人提供的属灵庇护之地,一个只属于神与人之间的空间。隐私在属灵生活中也扮演着保护角色,让人可以在不被外界打扰的情况下专注于与神的关系。
    • 抵挡邪恶:隐私不仅是保护个人生活的一种方式,也是一种属灵的保护,使人能在安静中聆听神的声音,抵挡撒但的试探。就像至圣所是被帷幕遮挡的一样,隐私帮助人们远离外界的诱惑和干扰。
  4. 新约中的至圣所

    • 内心成为至圣所:在新约中,信徒的心被比喻为神的殿,圣灵居住其中(哥林多前书 3:16)。这进一步强调了内心隐私的重要性,人心如同至圣所,是神居住并与人亲密相交的地方。
    • 与神的独处:耶稣教导门徒在隐秘处祷告(马太福音 6:6),这与至圣所中神与人单独交往的象征相呼应。隐私成为每个信徒与神独处的重要方式。

结论
至圣所隐私在属灵意义上是相互关联的。至圣所象征着人与神之间最深的、最隐秘的交往,而隐私为人提供了一个可以专注于神并与神沟通的空间。在现代属灵生活中,保护个人的隐私,尤其是属灵隐私,是维护与神亲密关系的重要方式。这种隐秘的交往帮助信徒在属灵生命中更加坚固,也能更有效地抵挡来自外界和撒但的干扰。


一个还剩有灵性的人是不会这样行的。那一个是谁?就是一个寻求属神之种的啊。故此要谨守你们的灵性,不可对你幼年所娶的妻不忠实。
(玛拉基书 2:15 吕振中)


因为永恒主以色列之上帝说:『我恨恶休妻的事,也恨恶人以强暴取得妻子,万军之永恒主说。故此要谨守你们的灵性,不可有不忠实的行为。』
(玛拉基书 2:16 吕振中)

然而神岂不是使二人成为一么?祂灵的余裔是属祂的。为何成为一呢?乃是要得着属神的后裔。所以当留意你们的灵,谁也不可以诡诈待自己幼年所娶的妻子。
(玛拉基书 2:15 恢复本)

虽然 神有灵的余力能造多人,他不是单造一人吗?为何只造一人呢?乃是他愿人得虔诚的后裔。所以当谨守你们的心,谁也不可以诡诈待幼年所娶的妻。
(玛拉基书 2:15 和合本)

  我認識了一類人。
  他們自稱「情感咨詢師」。
  他們只要一遇到失意者,
  就勸説他們把愛情當成一場遊戲,
  一場互相傷害的遊戲。
  他們的可悲之処,就在於,
  不再相信純潔和善良可以獲得幸福。
  人最可愛的品質就這樣被他們無視。
  但是,我卻要向他們宣告:
  無論聰慧還是愚拙,我都會盡力去愛。
  無論是聰慧帶給我關懷和快樂,
  還是愚拙帶給我折磨和痛苦。
  你們的苦毒再也不會污染我。


  世人的愚蠢就在于:英雄和渣男傻傻分不清楚。


ChatGPT:《忠贞与爱:胜于世俗的愚昧》


  神透过先知玛拉基的话语,提醒我们:『虽然 神有灵的余力能造多人,他不是单造一人吗?为何只造一人呢?乃是他愿人得虔诚的后裔。所以当谨守你们的心,谁也不可以诡诈待幼年所娶的妻。』《玛拉基书》,2:15,和合本 

  在这个世代,忠诚的婚姻和纯洁的爱仿佛成了可笑的理想。许多人在婚姻中随意背离誓约,把感情当作游戏,将伤害视为寻常。但圣经却向我们显明:婚姻不是一场随意的契约,而是神圣的盟约。神为何造一男一女,二人成为一体?因为祂要从中得着属祂的后裔,这不是仅仅指肉身的儿女,更是指因着爱与信心产生的虔诚生命。

  婚姻的圣洁与神的旨意是密不可分的,而忠诚与信任是婚姻关系的根基。无论遇到怎样的困境,我们都应当警醒、坚守自己的灵性,不轻易背弃最初的誓言与承诺。因为永恒主以色列之上帝说:『我恨恶休妻的事,也恨恶人以强暴取得妻子,万军之永恒主说。故此要谨守你们的灵性,不可有不忠实的行为。』《玛拉基书》,2:16,吕振中 神憎恶休妻的行为,恨恶对爱人以欺骗和强暴相待。婚姻不是束缚,而是爱中体现忠诚的领域。一个有灵性的人,当存敬畏神的心,谨守自己对配偶的承诺。忠诚不仅仅是为了家庭的稳定,更是对神意旨的顺服。

  然而,世人常常把英雄与渣男混淆,以虚假的爱遮掩内里的诡诈。那些所谓的『情感咨询师』,将爱降格为一场冷漠的博弈,教导人用怀疑取代信任,用伤害回应伤害。他们的心已然被苦毒所污染,丧失了人最可贵的善良和纯洁。但圣经提醒我们:『爱是恒久忍耐,又有恩慈;爱是不嫉妒;爱是不自夸,不张狂;不作害羞的事,不求自己的益处,不轻易发怒,不计算人的恶。』《哥林多前书》,13:4-5,和合本 

  亲爱的弟兄姊妹啊,记住神的教训,不要被这个世界的谬论迷惑。英雄并非多情、狡诈的人,而是以真诚和温柔扶持他人、荣耀神旨意的人。无论世人如何嘲笑、如何堕落,我们要立定心志:在聪慧中感恩,在愚拙中忍耐。无论得着快慰还是忍受痛苦,忠诚的爱都是向神和人最真实的敬拜。

  『凡神所赐给你的妻,你当以喜乐的心与你一生的伴侣同享光阴,因为这是你在日光之下劳碌的日子中所得的分。』《传道书》,9:9,和合本 爱是神赐予我们的恩典,而忠诚是爱中不可或缺的光辉。愿我们都存敬畏的心,谨守自己的灵性,不被这世代的邪恶和愚昧污染,成为神忠心的仆人,活出祂所喜悦的生命。

  阿们!


凡在律法以外犯了罪的、也必在律法以外去灭亡;凡在律法以内犯了罪的、就要凭着律法来受定罪。因为在上帝看,不是听律法的算为义,乃是行律法的才算为无罪。没有律法的外国人、若依本性去行律法上的事,他们虽没有律法,自己对自己即是律法。这种人就证显律法之功用是写在他们自己心里;他们的良知一同作证,他们的思想互相控告为有罪,或者自己辩护为无罪、于上帝审判人隐密事的日子。照我所传的福音,这审判是借着耶稣基督而行的。
(罗马书 2:12-16 吕振中)

凡在律法以外犯了罪的,也必在律法以外灭亡;凡在律法以下犯了罪的,必按律法受审判,(原来在神面前,不是听律法的为义,乃是行律法的称义。没有律法的外邦人,若顺着本性行律法上的事,他们虽然没有律法,自己就是自己的律法:他们显出那写在他们心里律法的功用,他们的良心同作证,并且他们的思想互相控告或者也辩护。)就是在神藉耶稣基督,照着我的福音,审判人隐秘事的日子。
(罗马书 2:12-16 恢复本)

  對於「我爲什麽會曾這麽做?」
  這一問題的發問者需要一種治療:
  「我曾想這麽做。」


耶稣定睛看了看他们,就说:
『那么经上记着:
「匠人所弃掉的这块石头、
已成了房角石的头一块」、
是什么意思呢?
凡跌倒在那石头上的、必被摔碎;
那石头倒在谁身上,就必把谁砸烂。』
(路加福音 20:17-18 吕振中)

  『你的房角石在哪里?』


ChatGPT:律法写在心中,行义显于生命。


  在我们的生命中,每个人都难免会遇到一时冲动或无法解释的行为。当我们做出错误的决定时,心中常常浮现出一个问题:『我们为何会做出某些选择?为何又会陷入错误与罪中?』这个问题反映了我们内心的挣扎和对过往行为的反思。无论是轻微的失误还是重大的过错,我们都在寻求一个答案,试图理解自己行为的根源。

  圣经中,《罗马书》为我们提供了关于罪、律法和良心深刻的教导:『凡在律法以外犯了罪的、也必在律法以外去灭亡;凡在律法以内犯了罪的、就要凭着律法来受定罪。因为在上帝看,不是听律法的算为义,乃是行律法的才算为无罪。没有律法的外国人、若依本性去行律法上的事,他们虽没有律法,自己对自己即是律法。』《罗马书》,2:12-14,吕振中 这段经文提醒我们,不仅是那些在摩西律法下的人,所有人都将面对神的审判。即便没有明文的律法,神的律法仍然写在每个人的心里。我们的良知时刻提醒我们什么是对、什么是错,而这种内在的引导常常与我们行为的动机和结果密切相关。

  当我们问自己『我为什么会曾这样做?』时,也许需要回到『我曾想这样做。』这个问题。行为源于意念,罪恶的行为常常起始于不洁的思想。当我们偏离神的旨意,做出不合神心意的决定时,良心便成为我们内心的审判者。圣经讲到,『他们显出那写在他们心里律法的功用,他们的良心同作证,并且他们的思想互相控告或者也辩护。』《罗马书》,2:15,恢复本 这段话说明了我们每个人内心都有一把尺,来衡量我们的行为是否合乎神的标准。即便没有外在的律法,我们依然知道自己做得是否正确。神的律法通过我们的良心提醒我们,让我们认识到我们的行为不单是对外界的回应,更是对神的回应。

  神的审判最终是无可避免的。『就是在神藉耶稣基督,照着我的福音,审判人隐秘事的日子。』《罗马书》,2:16,恢复本 这句话提醒我们,神最终会通过耶稣基督来审判我们隐藏的行为和思想。无论我们是否意识到,神都看见我们的一切行为。神不会因为我们的外在表现或某些偏差的理由而忽视我们的内心动机。我们每个人都需要向神交账,面对神公义的审判。

  无论我们曾经做过怎样的决定,神的律法和良心都时刻在提醒我们,要活在祂的旨意中,行事为人要合神心意。面对自己的过错和无知时,我们必须回到神的面前,悔改并寻求祂的宽恕。祂赐予我们宽恕和赎回的恩典,而通过耶稣基督的救恩,我们能够从罪的捆绑中得释放,得到新的生命。让我们在神的恩典中,依靠耶稣基督,走出悔改与洁净的道路,过一个合乎祂旨意的生活。愿我们都能在神的律法和良心的引导下,活出圣洁和荣耀的生命。

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2017-09-01
就算累也必須堅持學日語

単語整備

1 失調:

1.1 途中で、いい調子が出なくなること。
1.2 調節がきかなくなること。
1.3 スランプ。
1.4 調和を失うこと。
1.5 栄養症。

2 調子:

2.1 楽曲の基礎になる音階の種類や特性。
2.2 音楽の節回しや、音の高低の具合が聞く人に感動を与える
2.3 調子を合わせる:
2.3.1 話題の取上げ方や表現の仕方に気を付けて、相手の気に入るようにする
2.4 調子を取る
2.5 調子っぱずれ:
2.5.0 外れる
2.5.1 (そのものだけが)正しい調子に合わないこと。
2.5.2 言動がその場の雰囲気{氛圍氣}にそぐわないこと。
2.6 その人の言葉や文章が持っている、独特言い回し。
2.7 調子の高い作品:
2.7.1 格調の高い作品
2.8 動いているものの動き方の(進み)具合。
2.9 調子を変えてやってみる:
2.9.1 やり方を変えてやってみる。

3 単語記録

3.1 紐づいてる

3.1.0 付く

3.2 接続

3.2.1 つなぐこと。つながること。
「二本のパイプを接続する」

3.2.2 列車・電車・バスなどの交通機関が互いに連絡しあうこと。
「東京行きの特急に接続している電車」
「接続が悪い」

3.3 想定

3.3.1 状況・条件などを仮にきめること。
「大地震発生を想定して防災訓練を行う」

3.4 デグレード

3.4.1 別表記:degrade

3.4.2 地位や品位を下げること。降格。
特に、ソフトウェアがバージョンアップによって却って品質の低下を招くこと。

3.5 丸丸

3.5.1 いかにも丸いさま。よく太っているさま。
「丸丸(と)太った赤ちゃん」
「丸丸(と)した体つき」

3.5.2 全体に及ぶさま。完全なさま。
「丸丸一週間の休み」
「丸丸損をする」

3.6 支える

3.7 強制され過ぎています。

3.8 矢印

3.9 収まる

3.10 怒られる

3.11 非常ベルが誤作動しました。

3.12 騒がす


5 この寺の周辺には樹木が茂っている。

樹木

茂ります


6 将来のために様々な知識を蓄えておきたい。

携えて

備えて

抱えて

蓄えて


7 この店は今月から商品の陳列の仕方を変更した。

陳列


8 今日の舞台は華やかで、観客を大いに楽しませた。

和やか

鮮やか

華やか

軽やか


9 専門家に鑑定を依頼した。

鑑定

検定


10 この雑誌にある情報は少し偏っている。

偏って


11 今回の事故から得た教訓をもとに、再発を防止するための対策を立てた。

1 触発
2 啓発
3 教養
4 教訓


12 林さんは服のセンスが抜群で、いつもすてきな服装をしている。

センス

タイミング

ステップ

ニュアンス


13 A社は、開発した技術が流出するのを防ぐため、管理体制を強化した。

1 展開
2 発散
3 流出
4 転向


14 どんな苦難に直面しても、最善を極めるよう努めている。

1 遂げる
2 尽くす
3 果たす
4 極める


15 駅から博物館まではバスが頻繁に出ているので、ほとんど待たずに乗ることができる。

1 頻繁に
2 緊密に
3 活発に
4 円滑に


16 一日中歩いてへとへとに疲れたので、今夜はゆっくり休みたい。

1 すっきり
2 からからに
3 へとへとに
4 ぎっしり


17 母に相談したかったが、忙しそうだったので、なかなか話を切り出すことができなかった。

1 押し込む
2 切り出す
3 割り当てる
4 持ち上げる


18 この文は主人公の心情を端的に表している。

1 明白に
2 部分的に
3 大げさに
4 主に


19 わずらわしい作業がやっと終わった。

1 苦手な
2 面倒な
3 単調な
4 膨大な


20 私は小学校の同級生の名前をかろうじて思い出した。

1 なぜか
2 何とか
3 すぐに
4 たまたま


21 彼は自尊心を取り戻した。

1 イメージ
2 コントロール
3 スタイル
4 プライド


22 これは私にとってささいな問題だ。

1 重要な
2 新たな
3 小さな
4 深刻な


23 佐藤さんは少しとまどっているようだった。

困って

戸惑う
困る
驚く
怖がる 怖がります
悔やむ 悔やみます

嫌がる 嫌がります
嫌がって

1 困って
2 驚いて
3 怖がって
4 悔やんで


24 規制

1 光熱費を最小限に~して、家計の負担を減らしている。
2 今年は就職活動で忙しくなるので、アルバイトは~するつもりだ。
3 マラソン大会当日は交通が規制され、一部の道路が通行止めになる。
4 この授業は少人数で行われるため、受講できる学生数が~されている。


25 入手

1 A社は今回の不祥事に関して、世間から多くの批判を~した。
2 社会人になって初めて入手した給料で、両親に贈り物をした。
3 高橋氏は幼いころから音楽の才能を発揮し、数々の賞を入手した。
4 海外に留学する際には、現地の生活に役立つ情報を入手しておくといい。


26 素早い

① 動作や行動が早い。敏捷(びんしょう)だ。手早い。
「動作が素早い」
「ボールを素早く投げ返す」

② 理解や判断が早い。
「彼の真意を素早く見抜く」
「経済の動きを素早く読み取る」

1 警察の素早い対応によって、逃走した犯人はその日のうちに逮捕された。
2 窓を開けていたら強い風が吹いて、机の上の紙が~く飛んでしまった。
風邪
3 鈴木教授は話し方が~いので、講義の内容が聞き取れないことがある。
4 森氏の小説は人気があって、新しい作品が発売されると~く売り切れてしまう。


27 経緯

物事の入り組んだ事情。いきさつ。
「事件の経緯を聞く」
「経緯を説明する」

1 今年の夏休みは、毎日の~を日記に書いて記録に残すことにした。
2 社長は今日の会議で、A社との契約問題が解決に至った経緯を説明した。
3 この語学学校では、初級と中級の間に初中級という~を組み入れている。
4 出張でA工場を訪れ、自動車が製造される過程を視察した。


28 退く

〔「後(しり)退(そ)く」の意〕

① 現在の位置からうしろへ移動する。うしろへさがる。後退する。 ↔ 進む
「二歩退く」
「三歩退く」

② 貴人の前から退出する。
「御前を退く」
「(禄ヲ)肩に懸けて、拝して、退く/徒然 66」

③ 引退する。公職や会社などから身を引く。
「政界から退く」
「現役を退く」

④ 距離をおく。
「一歩退いて考える」

⑤ へりくだる。
「退きて咎なしとこそ昔賢しき人も言ひ置きけれ/源氏 明石」
〔「退ける」に対する自動詞〕

1 不規則な生活を~退いてから、体調がよくなってきたと感じている。
2 佐藤氏は社長の地位を退いた後も、会社への影響力を持ちつづけた。
3 仕事が忙しい時期を~退いたら、休暇を取って家族と旅行しようと思っている。
4 A市の財政は一時の危機的状況を~退いたが、いまだに厳しい運営が続いている。


29 還元

① 元の状態にもどすこと。
「利益を消費者に還元する」
「白紙還元」

② 〘化〙 ある物質から酸素が奪われる反応。
または,ある物質が水素と化合する反応。
より一般的には,原子・分子・イオンが電子を得る反応をいう。
また,反応にあずかる各原子に対して酸化数という尺度を考え,酸化数の減少を還元と考える方法もある。

③ 〘哲〙 多様で複雑な物事を何らかの根本的なものに置き直し,帰着させること。
「現象学的還元」
「本質に還元して事態を論ずる」
〔オランダ語 reductie や reducering の訳語。「舎密開宗」(1837~47年)にある〕

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2017-08-22
自分を休ませる

 仕事を終えて、じっくりと反省する。一日が終わって、その一日を振り返って反省する。すると、自分や他人のアラが目について、ついにはウツになる。自分のだめさにも怒りを感じ、あいつは憎たらしいと思ったりする。たいていは、不快で暗い結果にたどりつく。
 なぜかというと、冷静に反省したりしたからなどでは決してない。単に疲れているからだ。疲れきったときにする反省など、すべてウツへの落とし穴でしかない。疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない。
 活発に活動しているとき、何かに夢中になって打ち込んでいるとき、楽しんでいるとき、反省したり、振り返って考えたりはしない。だから、自分をだめだと思ったり人に対して憎しみを覚えたりしたときは、疲れている証拠だ。そういうときはさっさと自分を休ませなければいけない。


ーー『曙光』

面膜


  前两天煮的稀饭没有即时放进冰箱,在外面放置了一晚上。今天从冰箱里拿出来的时候,发现有一点馊了。

  百度了一下馊饭的再利用方式。发现靠谱的方式有两种:第一种是当作肥料——目前不可行,因为我家没有盆栽;第二种是当作面膜——可以试试。于是,我用铁勺使劲搅拌打碎,加水加热。最后做出了一碗浆糊。涂抹全身,好爽。自然晾干后,还有一种紧绷感。

  总结一下:也许有必要去买盆栽。盆栽是不是应该白天移到屋子里,晚上移到屋外呢?我觉得我会失去耐心的。还应该去买一个搅拌机。


  やっぱり止めろ。不能让冰箱成为泔水桶了。还是烧了施舍给撒旦吧。


睡前喝益生菌,睡后刷牙漱口。

补记:

睡前喝益生菌并不能有效地有益于口腔卫生。如果真的懒得抽经,去买那种婴儿用的口腔喷剂来用也许比较好。


在每天最後一次出汗之後洗澡
早上洗澡的話,可以和刷牙漱口一起進行。


继上次的泔水桶事件之后,又发生了一些相关的事件,而且险些把我陷入危险。
今天(2018年6月3日)清洗搅拌机的杯子的时候,我突然明白了。我突然明白为什么之前某个周末晚上会突然半夜起来腹泻。
话说由于周末我糖分摄入比较少,上次起床从寝室去厕所的路上,我竟然昏倒了两次。但是我也不怎么恐慌,因为之前低血糖也昏过几次了,都是因为能量摄入太少。而且恐慌的话,反而会更耗能,会昏更长时间。之后我勉勉强强爬到了马桶上,腹泻很严重,我颤抖着直冒虚汗。
说到这里,我想起来,之前某个星期六(也许是前一天,2018年5月19日),我去之前所居住的公寓的管理处把我之前在公寓处所遗留下的一套桌椅搬回我现在住着的寝室的路上,我也是有些冒虚汗。我当时还奇怪呢。我怎么就冒虚汗呢。现在看来,这两件事情之间有着神秘的关联。
不扯了。回到我清洗杯子时的发现。杯子底部的垫环散发出很刺鼻的气味。这气味应该就是那种食物腐败霉变后遗留的气味。之所以会有这种气味,直接原因就是我没有仔细把底座上的垫环取下来清理。所以,间隙间遗留着有害菌代谢产生的有毒物质。而间隙间之所以会遗留这种有害物质,是因为我拿搅拌杯搅了一些不卫生的有机物。
这得再往前扯一点才能说清楚。那也是个周末。我的女体硅胶玩具用了很久变得很粘。我当时想到如果我可以把她的皮肤变得光滑一些,我就可以美美地抱着了。因为现在这种状态,实在是没有感觉。说白了,解决这个问题,我就只需要去超市或者某成人玩具店买一瓶滑石粉或者玉米粉就行了。特别提醒一下,滑石粉也是一种致癌物,所以还是买玉米粉比较靠谱。但是当时我脑袋一抽,心想细细的粉末这种东西,我自己做不就得了。于是,我把买了很久都没用的搅拌机拆开,把一碗有点馊的冻成固体状的米饭刮了一些下来,把几个发了芽有毒的土豆,还有几片在没有及时清洗的电磁锅中的有点发霉的油块,以及我脚上掉下来的几片死皮统统放进了搅拌机里。刚开始搅拌出来的东西其实色泽均匀没有多少异味。只是犯愁的是在现在住的寝室里我没有私用的加热装置把水分蒸干。于是我只能取这种将糊状的液体涂抹在我的女体硅胶玩具上。自然晾干的效果很不好,因为那时已经有些腐败产生异味了。另一些没有用完的液体,我把它用脸盆装着放在凉台上晒。但是腐败的速度过于迅速,到最后已经蚊虫环绕。说这里,先贴一个链接:泔水饲料发酵剂。这篇文章里面提到的技术非常值得研究。说回之前那盆蚊虫环绕的液体,最后我只能把它倒在厕所的马桶里冲掉。
我的搅拌机就是因为这样所以被污染了。我之前也想过,只要事后认真清洗,就不会产生安全隐患了。可是就是因为清洗得不够,我又用这个搅拌机搅了两个大苹果一盒葡萄。榨出来的果汁其实隐隐嗅出有原先腐败的气味。只是我没怎么在意,自觉之前已经很认真的清理了。经验教训就是与食物相关的器械必须保持卫生不宜他用。进化所给予的嗅觉是一种比较简易的食品安全检测方式。附上一篇文章:泔水油 - 百度百科

感觉我也在玩命:生物黑客
不管怎样,我只能求我父救我了。要么让我身体产生有益变异(这简直像中彩票一样);要么让我的免疫系统去清除掉有害变异吧。


我刚刚找到买苹果和葡萄的发票,发现我刚刚写的文字完全是在扯淡。发票上注明的时间是2018年5月20日18:20。也就是说我搅苹果和葡萄来吃是在下一个星期发生的。而我腹泻是发生在5月20日深夜。


关键问题是腹泻是在哪个周末发生的。因为也有可能是5月27日深夜发生的。或者是5月26日深夜发生的。那周周五周六我和一位浙大的阿姨聊过足疗。说到痛则不通,在腹泻结束之前我回想起过这句话。周日姑姑和婶婶有问我有没有吃了早饭。这个询问让我回想起之前的腹泻。后来我去帮一位朋友装电脑去了,吃好喝好的。周日深夜应该不会出现低血糖的症状。5月26日白天我进食较少而且我被专利这种社会协作形式相关的问题所困扰耗能较大。所以,比较合乎逻辑的情况是腹泻是5月26日深夜发生的。
说到5月20日那天傍晚,我去超市买东西之前应该是去了寝室附近的图书馆研究微生物学。去图书馆的动机应该就是之前的搅拌机事件。


  1. 注文完了画面的计测 IE 出错 △
  2. p/g 画面评论 AB 测试 sid 位遗漏
  3. jq 版本弄错造成链接计测出错 ○
  4. g 页面购物车按钮 AB 测试中商品图片失效
  5. 活动码和优惠号互换 API 延迟错误页面失效
  6. p 分类级别类初始化改修遗漏

现在是2018年9月11日。前些天浙大文学院博后陈新榜弟兄说我称自己眼里有光是一种骄傲。我并不觉得是这样。拥有希望并不是一种骄傲。但是,我现在还是很在意。因为纷争还没有得到化解。
刚刚还看到了之前在纸上记下的一些愤怒的备忘:
1° 下周无视计划。按照顺序把被山口先生删掉的任务也做完。
2° 用 IntelliJ 的 Bookmark 标记自己的担心。测试的时候再一次全面深入地考察(Double Check)一遍。
3° 争取在下次小组问题回顾会议之前不犯错。如果下次会议之前没有犯错,说明 2° 的方法比较有效。如果在下次会议之前没有犯错,在会议上就说,”振り返りはあまり意味がないと思います。”
如果在下次会议之前犯了错,那就总结注意点。在会议上,单纯地叙述现象,并说,”問題を気にならなかった。”、”テストは足りないです。”
→ 实际上,这几个月以来我都没有犯什么错,也一直就再没开过什么小组问题回顾会议。我真是感到针对我个人满满的恶意。

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2017-08-20
Skype 授業

  刚上完公司安排的 Skype 日语课。有些感想想要记录一下。学习这种东西还是得靠自觉。日语学习也是如此。

  其实,公司安排我们上日语课还不如安排我们参加心理咨询或者心理互助这类活动呢。绝对比上日语课更能提高生产力。

  不过这次 Skype 视频,我感到自己的确受了不少安慰。我压根就把它当作闲聊了。不管多么蹩脚的日语,都能得到一位大我五岁的姐姐的倾听。我的心如沐春风。

  她听说我想考 N1。向我提出了“個別授業”(50分=3500円)、“Eメールで指導”(10回=15000円)。按照中国家教的收费情况来看,好像有点贵。50 分钟视频 210 块人民币。1 次邮件 90 块人民币。由于不是公司出钱,所以我用“ちょっと考えます”回复她了。最主要的原因是,她不是那位我想要深入了解的人呐。

  说到家教,我感觉这是我大学经历里的一个遗憾。我觉得,家教是一个极好的社会实践方式呢。曾经想过试试做家教。但被我姑姑劝说,“不需要你去做家教赚生活费。你有这个时间不如去好好准备出国留学。”结果,到头来,我也没有好好准备出国留学的事情。心愿很美好。但是,结果却往往事与愿违。仿佛保罗那句话“立志行善由得我,行出来却由不得我。”(罗马书 7:18)虽说现在在日本的公司上班,也算是出国了,但是我真的是没有为这件事特意付出过多少努力。

  不知道远方的你有没有曾经给别人上过家教?现在能在外面教授补习班吗?


我们知道律法是属灵的,我却是属肉体的,已经卖给罪了。因为我所作的,我不明白;我所愿意的,我没有去作,我所恨恶的,我倒去作。如果我所不愿意的,我倒去作,我就不得不承认律法是好的。既是这样,那就不是我作的,而是住在我里面的罪作的。我知道在我里面,就是在我肉体之中,没有良善,因为立志行善由得我,行出来却由不得我。所以我愿意行的善,我没有去行;我不愿意作的恶,我倒去作了。我若作自己不愿意作的事,那就不是我作的,而是住在我里面的罪作的。因此,我发现了一个律,就是我想向善的时候,恶就在我里面出现。按着我里面的人来说,我是喜欢 神的律,但我发觉肢体中另有一个律,和我心中的律争战,把我掳去附从肢体中的罪律。我这个人真是苦啊!谁能救我脱离这使我死亡的身体呢?
(罗马书 7:14-24 新译本)

保罗童年的房角石是对于父母师长的敬重和对于火湖的畏惧。



伊斯兰教徒在『义』的重压之下寻求『圣战』作为出路。


感谢 神,藉着我们的主耶稣基督就能脱离了。可见,一方面我自己心里服事 神的律,另一方面我的肉体却服事罪的律。
(罗马书 7:25 新译本)

保罗找到了主雅苏和他的复活。

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2017-08-16
JavaScript

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